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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
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水底の不思議なクーちゃん

「あのぉ、神父様。いま少しお時間のほう、宜しいでしょうか?」


「む?どうなされましたかな、お嬢さん。」



 昼下がりの教会内、ご老人に別れを告げた私は奥へ引っ込もうとする神父様を捕まえて、少しお付き合いを願えないかと申し出てみた。


先ほどの説法の中でいくつか気になる単語が出てきたもので、それについてこの世界ではどのような見解が為されているのか、ぜひとも聞いてみたいと思ったからである。



「はい、先ほど頂きましたお話の中にいくつかわからない言葉がありましたので、教えていただけないかと思いまして。」


「ははは。お嬢さんはお若いのに勉強熱心でいらっしゃる。ささ、こんなところで立ち話もなんですからどうぞこちらへいらっしゃい。若人を導くのも大人の務めというもの、貴方が納得されるまで、どうぞ語って進ぜましょう。」



偉そうな立場の御人であったのでお忙しいかな?とも思ったが、どうやら快く引き受けて頂けたようである。まずはほっと一安心か。


年かさの神父様に招かれるまま、私は教会内部の奥の部屋へと通されて、お邪魔しますと一言述べて扉を潜った。そしてそこで見たものは膨大な本の山と、それらとにらめっこしながら黙々と写本を繰り返す神官や尼僧の姿。


遥か彼方の天井まで届かんばかりにそびえたつ本棚に圧倒され、思わず真上を向いたままあんぐりと口を開けてみれば、私を先導する神父様はどこか自慢げに、そして愉快そうに笑みを零してみせた。



「お嬢さんはこちらへ来るのは初めてですかな?これらは雑念を振り払うための修行の一環でありましてな、ああして写本に没頭して集中することで、彼らは己の心の芯を研ぎ澄まさんとしているのですよ。」


ほほう、なるほどねえ。これも精神修養の一環であるというわけか。そういえば修道院などで古い時代の稀覯本の写しが見つかることがままあると聞いたことがあるが、人の考えることは世界が変わってもさして大きな変化を見せないようで、今まさに私の目の前で、将来の稀覯本になるやもしれぬそれらが延々と書き写されているというわけである。


鬼気迫る顔で本に向かう彼ら彼女らの顔は真剣そのもので、どんな内容の本であろうかと後ろから覗き見てみたい衝動には駆られるものの、なんだか気が散ると怒られそうで気が引ける。っていうかこれ全部紙の本か。儲かってんなぁおい、坊さんよ。



「ふわぁ、すごいものですねえ。これ全部、神様の経典なんですか?」


「いえ、神の教えはこのように、誰にでも目に出来る形にするというのはいささかばかり危険を孕んでおります故、これらは歴史書や遠方の見聞録のようなものが大半ですな。まあとにかく文字が書ければ何でも良いとばかり、中には芝居の台本やジャムのレシピ、果ては個人の私的な手紙まで混ざっている有様ですが。」



そう言って神父様はからからと笑う。個人の手紙とか何考えて書き写してるんだよとも思ったが、すぐ横にいる若い尼僧をちらりと見やれば、彼女は文字にこそ集中しているものの、その眼の動きは文章を読んでいるそれでは無い。文字は見ている、が、彼女は文章を見てはいないのだ。


ふむ、もしかしたら彼女は文字が読めないのではなかろうか。考えてみれば精神修養として文字を書く事そのものを重視しているのであり、別にそれが読めなかろうが書き写す本人には問題無いのである。神父様の言う通り、本当に文字が書けるのなら書き写す題材はなんでも良いというのが真なのだろう。


と、考えが逸れた。今は神様の話を聞きたかったのであるからして、私としては先の神父様の発言には見過ごせない部分がある。



「危険、というのは、神の御身に近づきすぎる事無かれ。という事でしょうか?なので神父様の持っておられる白亜の書のように、本の形で教えを残されているものはほとんど無いと?」


「ふふふ、お嬢さんは実に聡明ですな。その通り、神々はいと慈悲深きにして偉大なる存在であられますが、その大いなる存在の力は我々のように矮小な者が触れるにはいささか大きすぎるものなのですよ。私どもの間ではこれをよく水瓶で例えるのですが、お分かりになられますかな?」



神父様に水を向けられて少しだけ、右手を上げて唇と顎に手をあてて、無作法であったと私は慌ててその手を下ろした。ふむ……水瓶か。



「……人の心は水瓶にして、神威は注がれる水のようなもの。水瓶の許容量を超えて水を注げば溢れるは道理。という事ですか。」


「その通り、注がれる水の量によっては水瓶が砕け散る事すらあるでしょう。それこそ滝壺の下に瓶を置くが如くね。いやはや、お嬢さんはお若いのに本当に聡明でいらっしゃる。これならばこの老骨も、安心して王国の未来を若人に託せるというものですな。」


「ふふふ、ご冗談を。若人は所詮若人、神父様のように過去から連綿と引き継がれた知恵を持つ方に教えを授けて頂けねば、大器とて未完のままに終わってしまう事でしょう。」


「ははは、口の回るお嬢さんだ。ご両親の教育がよほどに行き届いていると見えますな。貴方のような才女がこうして市井に埋もれているなど、長生きはしてみるものです。」



ふふふはははとお世辞を言い合い、本棚の森の中を歩いて進む。う~むご両親か。私の今世での両親というと、それはゼリグとキティーという事になるのだろうか。ちなみに邪神の奴は除外である、親っちゃ親だが毒親だあいつは。


今世において、あの赤毛と桃色はこの世界で生きる上でのいろはを授けてくれた、師といって差し支えの無い存在である。と言える程度には、私は彼女らに対し感謝の念を持っているのだ。色々と恩もある。


教育を施されたかというといささか首をかしげるところはあるものの、彼女らを己の家族だと考えるのに抵抗は無く、むしろ頬が緩んでしまうくらいであった。あ、いや、教育はされたな。主にベッドの上とかで。げっそり。




それほど長い距離を歩くというわけでも無く、程なくして神父様の私室と思しき小さな部屋へと通された。椅子を引いて頂いてすとんと座り、水差しから注がれた薄い葡萄酒がことりと一杯、私の目の前に供される。


あまり昼間からお酒を頂くのも如何なものかと思ったが、生水は危険極まりない代物であるからして、ありがたくご厚意を頂いて唇を湿らせた。



「さて、お嬢さんは先ほど説法でわからない言葉が、と申されましたが、どのような言葉が引っ掛かりになられましたかな?」


「あ、葡萄酒、ありがとうございます。えーとですね、いくつかあるのですが、”ファラオ”というのはどのような意味を指すのでしょうか?」



先ほどの話を聞いていて、最初に「ん?」と思ったのがこれである。まさかこの世界に古代エジプト文明があったとも思えないが、ここで言うファラオとは何を指しているのであろうか。私の投げかけた疑問に対して神父様は一瞬だけ眉をあげ、腕を組んでふむと唸った。



「そうですな、光明たるファラオというのはかつて白の神が御身の事をそう名乗られたという逸話から由来しているのですが、これが意味するところというのは神学者の間でも見解の分かれているところではあるのです。とはいえ、おおむねのところは大いなる者、偉大なる者という意味合いで解釈されておりますな。」


「なるほど……ありがとうございます。では、”宇宙”というのはどのような場所を指しているのでしょうか?」


「宇宙とは、この世の全て、万物の一切を指す言葉、と解釈されておりますな。私達がこうして暮らす大地も、空も、昼も夜もこの目に入るものすべからくが、宇宙と言う存在であるというわけです。ご納得して頂けましたかな?」



神父様に再びお礼を述べて、それからも私は先ほどの説法で気になった単語を、この世界が歩んできたであろう歴史と技術水準では知り得ようの無いであろう単語を拾い上げ、次々に質問をぶつけていく。そして神父様から返ってきたのはどれも同じで、〝教義ではこのように解釈されている〝というものだった。


神父様は私のような子供の問いに対し実に真摯に答えて下さり、その立ち居振る舞いに、嘘偽りや騙そうとする意図は感じ取れない。つまり彼の返答は、彼が真実そう考えているという事であろう。



私の考えは一つは外れ、一つは当たった。宇宙だのなんだのという単語が出てきた時、私は邪神の奴がこの世界の文明発達に対し分不相応な知識を与えており、それを教会が秘匿しているのでは無いかと考えたのだ。


だが神父様の返答では、宇宙とは哲学的、宗教的な観念から語られており、そこに宇宙空間だの惑星だのといった言葉は介在しない。教会の上層部によって情報の詳細が握りつぶされている可能性も無いではないが、さすがにそこまでいけばそれは陰謀論めいた邪推に過ぎぬ。疑い出せばきりが無い。



しかし、もう一つの考えについてはほぼ確証に近いものを得ることが出来た。彼ら教会の人々は、まず経典に書いてある言葉ありきで、その意味すら判然とせぬ単語を自分達なりに解釈し、己の納得できる答えを導きだそうとしているわけである。


で、あるならば、あの白亜の書とやらの内容を執筆したのは神を信じる信徒では無く、それらは白の神自身が自らの教えを本に記し、その知恵を人に与えたものでは無かろうか。


彼の持つ書が原本であるのか写本であるのかまではわからぬが、いずれにせよ元はあの邪神直筆の著作物とあれば、どこに何が仕込まれているだかわかったものでは無い。神父様をはじめ教会の人々が危険物扱いするも、是非も無しというものだろう。



己の理解が一つ深まったことに満足し、白の神、ひいてはあの邪神に関する情報を入手すべく、私は再び彼に質問を投げかける。そして話はあちらに飛びつつこちらに飛びつつ、あれやこれやと妙な事を問う得体の知れぬ子供に対し、それでも神父様は実に敬虔な子であると満足気に頷いて、私の尽きない話に付き合ってくだすったのであった。







 一通りお話を伺って、満足をした私は神父様にお礼を言って、その場を辞した。これによって何が変わるというわけでも無いが、半端に知ってしまったものをわからないままにしておくというのもなんだか気持ちが悪いのだ。人生においては納得が重要なのである。うむ。


ちなみに白亜の書が放っていた謎の光については話さないようにしておいた。十中八九、邪神絡みの怪しげな代物であろうし、何より私にしか見えていないであろうあたりタチが悪い。妙な持ち上げかたをされて特別視されるような事になれば面倒だし、なにより騙りだと思われようものなら厄介この上ない事になる。



黙々と写本を続ける皆さんに軽く頭を下げつつてっこてっこと歩いて通し、最初の広場まで戻ってきた私はにっくきお日様が明るく照らす出入り口に向かおうとして、そこではたと足を止めた。


入ってきた時は気づかなかったが、そこには白の神の絵姿と向かい合うようにしてそこそこの規模で設えられた祠が四つ、綺麗に横に並んでいたのだ。


それぞれの祠には赤、緑、青、黒の衣を纏った女神の像が安置され、白の神へのそれと比べれば少ないながらも、それらの祠に手を合わせたり花を捧げたりする人々の姿が散見された。



キティーをはじめ、この国の大多数の人々は白の神にその信仰を捧げているようである。だが、かといって他の神が排斥されているといった様子も無く、肉屋のご老人のように全ての神に感謝を捧げる御仁も見受けられるのだ。


その事から、ここが白の神を祭る教会であるように他の神を祭る建物も王都各所にあるのかな等と考えていたのだが、どうやら少なくともこの場においてはあくまでも主神は白の神であり、他の神々はそれに従属するものとして捉えられているようである。



興味本位で祠の一つに近づいて、青い衣を纏った女神像をしげしげと眺めてみる。美しい女性の姿を象ったその像は青とも緑ともつかぬ色合いで装飾されており、その背中には白の神と同じ、三対六枚の翼が精密に彫り込まれていた。どうやって服を着せたんでしょうねこれ。羽折れそう。


翼の羽毛まで実に見事に彫り込まれたその姿にノマちゃんの芸術的な感性がビンビンと刺激され、身を乗り出して上から眺めてみたり下から見上げてみたりして、ふんふんほほーとさもその良さがわかっていますよとばかりに唸ってみせる。


そしてこれ衣の下ってどうなってんだろうねと下世話な事を考え始めたあたりで、不意に後ろでぴちょりと弾んだ水の音に、私は何気なく振り向いた。




どうやら夢中になり過ぎていたようで、私の参拝が終わるのを待たせてしまっていたのだろうか、いつの間にやら私の後ろに立っていたのは、私と同じほどの年恰好をした幼い少女であった。


彼女は青とも緑ともつかぬ不思議な色合いの瞳をしており、膝まで届こうかというその髪は背中の後ろでくるりと紐で結ばれて尻尾のように垂れ下がり、屋内であるというのに風に吹かれたかのようにふりふりと揺れている。


そして彼女の瞳と同じ色をしたその髪は、時折その先端を揺らめかせ蠢かせ、まるで生き物のようにくにりくにりと動くのだ。



少女の異様に気圧されて、知らず私は一歩下がり、代わりに彼女が私に向かって一歩を踏み出す。そして再びぴちょりと水音がして、ぽつりとまた一つ、水滴が零れ落ちる。


見れば彼女の髪も、その背丈と比較してやや丈の長いぶかりとした衣服もしとどに濡れて、ぴちょり、ぴちょりと水を滴らせ続けている。はて、通り雨にでも振られたかと出入り口の方を見て、私は思わずその身を強張らせた。



雨は降っていない。いや、雨どころでは無い。人が居ない。


通りを歩く人々のその姿も、雑踏のざわめきも、つい今しがた私の周りで祠に向かって手を合わせていた人々でさえ、誰も、誰一人として、いないのだ。


視界の全ては暗い暗い水底の色で包まれて、その中で色を持ち動くものはただ二人、私と目の前の少女だけ。



ゆっくりと目の前の少女に視線を戻せば、彼女は既に私の目と鼻の先に居た。小首を傾げながら私の赤い瞳を覗きこむ彼女はそのまま何を言うでも無く、ただ静かに私の事を見つめるのみである。


その不思議な色合いの瞳を間近で見た私はふと、それに見覚えがあると思い至った。それは波打ち渦巻く海の色であると、深い深い海の色であると、ごくりと息を飲みこみながら、私はその色を思い出したのだ。



「あなた、不思議な色をしていますね。」



海色の少女が口を開く。彼女の言葉はさざ波のように私の身体を震わせて、小さく小さく私の中に入り込む。そして砕けた波は蕩け絡み、私の心に安らぎを与えるのだ。この明らかに異様な状況において、なのに私の心は凪いだ海のように穏やかで、それが堪らなく恐ろしい。


ぱくぱくと口を開け閉めする以外に何ら抵抗出来る気も起きず、無様な私は少女と視線を絡ませたまま微動だにせず見つめ合う。そしていよいよ私の脆弱な心が悲鳴をあげて張り裂けそうになった頃、不意に彼女は合点がいったとばかりに大きく一つ頷いて、私の眼前からすいっと身体を離してみせた。



「なるほど……あいつめ、私達に黙って勝手な事を……どうしてくれようか。」


「…………あの、あの……その……どちら様で、しょうか?」



考え事をするかのように頬に手を当てる眼前の少女に対し、なんとかそれだけ、言葉を絞り出した。おそらく目の前の少女は尋常の存在では無い。万に一つもその機嫌を損ねるわけにはいかぬだろう。



「ああ、申し遅れました。私はクー。クー・リトル・リトルと申します。異邦人ノマ、私の事は親しみと尊敬を込めて、クーちゃんと呼びなさい。わかりましたね?」


「は、はい。クー……様。」



どうみても格上の存在に対してちゃんづけというのも抵抗があり、咄嗟に様づけで呼んでみたのだが私はどうやら選択肢を間違えたらしい。


機嫌を損ねた様子の彼女からじろりと一つ睨まれて、私という存在が消し飛びそうになる。すいません。すいません。ちゃんづけしますから、クーちゃんって呼びますから勘弁してください。なんか足が半分くらい塩の柱になってきてる気がするんです。まじ勘弁してください。



「も、申し訳ありません、クーちゃん様。いえ、クーちゃん。クーちゃんって呼びますから!ねえ!!」


今度は腰のあたりまで塩の塊になった。恐怖に駆られた私はもうパニック状態で、必死で死にかけの九官鳥みたいな声を出してクーチャンクーチャンと連呼する。



「その敬語も気に入りません。もっと親しみを込めなさい。」


「ク、クーちゃん、今日から私達はオトモダチですからね!こ、これから仲良くしてくださいね!ね!?」



声は引き攣って顔もガッチガチで、歯の根は合わぬほどに震えている。なのに彼女から発せられる言葉は私の心へと染み渡り、萎縮しそうになる心を強制的に凪いだ穏やかなものへと変えるのだ。


もう私の感情はどん底と平常心のジェットコースターである。上振れが無いあたり、まだマシというべきか余計にタチが悪いというべきか。



それでもどうにか言葉を絞り出し、壊れたオモチャみたいにオトモダチを連呼する私の姿を見て彼女は満足がいったのか、むふーっと一つ鼻を鳴らしてご満悦な顔を見せると、次いで私に向かってすいっと右手を差し出した。握手を求められているのだろうか。


私も釣られて右手を差し出せば、握りしめた彼女の手は不死者である私よりもなお冷たく、それは深い深い海の底を思わせる。そして目の前の彼女は相変わらず尊大な態度ではあるものの、なんだか無性に嬉しそうにその手をぶんぶんと振り回しては、ニコリと破顔して見せるのだ。



なにこの子、もしかしてぼっちなのだろうか。ぼっちだからこの機会に私と友達になりたかったんだろうか。うふふふふ。


うーむ、つい先ほどまでその得体の知れなさに恐怖を感じたものであったが、自らが張り付けたレッテルであるとはいえ彼女の内面が少しわかるようになった気がするだけで、恐怖がやや薄らいでいくのを感じるのだから不思議なものである。っていうかこれあれだわ。あの邪神と同じパターンだわ。



ぼっち呼ばわりしたのにカチンと来たのか、私の右手が塩の塊になって崩れ落ちました。



すんませんっした。調子ぶっこいてまじすんませんっした。っていうかこれやっぱりあれだわ。この子、絶対あの邪神の同類だわ。私の心読まれてる。



「よろしい。異邦人ノマ、今日のところはご挨拶です。私と貴方はこうして友人となったのであるからして、またいつか近いうちにお会いすることもあるでしょう。」


「……はい。」


「それと、青の神の祠になにか甘いものを供えなさい。季節の果物で、その半分は砂糖漬けにしなさい。これは神託です。」


「えらく具体的な神託ですね。」


「あと、何か遊戯板も供えなさい。じっくり考えながら対局できるものが良いです。」


「……オセロとかでいいですかね。」


「もっと格好いいやつがいいです。」


「恰好いいやつってなんですか…………。」



いやマジで恰好いいやつってなんだよ。恰好いいやつの定義を寄越せ定義を。この思いの丈を盛大にぶちまけてやりたいが、クーちゃんの告げるありがたい神託に対し私は赤べこの如くかっくんかっくんと頷いて同意を示す事しか出来ないのが口惜しいところである。


ともあれ私は彼女に対して同意を示し、私の言動と心の中が一致したのを読み取ったのかそれを見て彼女も満足気に一つ頷くと、その姿は水の塊となってさぷんと崩れ、床に染み込むようにして消えてしまった。



「私の名はクー・リトル・リトル。異邦人ノマよ、この名をお忘れなきよう、常にこの私に対して感謝と畏敬、そして何か甘いものを捧げるのです。わかりましたね。」




頭の中に彼女の最後の言葉が響いて渡り、そしてその反響が止んだ途端に私の視界は色づいて、続けて音がゆっくりと戻ってきた。


瞬きを一つすれば教会内で祈りを捧げる人々がその姿を現し、もう一度瞬けば通りを行き交う雑踏がその姿を現して、文字通り、世界は瞬く間に元の姿を取り戻していく。



私の周囲を誰とも知らぬ人々が行き交って、彼らの話し声もまた飛び交う。その見慣れた安心感に包まれた事を自覚したと同時、ぶわりと全身に脂汗が浮かび、人目も気にする余裕も無く、私は体力を使い果たしたかのようにその場に崩れ落ちて目を伏せた。


気が付けば塩の柱となって崩れ落ちた私の身体も元の姿を取り戻し、あの不可思議な少女がいた事を示す痕跡は、止まっているはずの私の心臓があげる悲鳴のような早鐘のみ。



この吸血鬼の身になって以来、あれほどの圧力に晒されたのは初めての事であった。あの得体の知れぬ化けガエルにすら、私は気圧されることなく歯牙にもかけなかったというに。


まず間違いなくあれは邪神の同類、五色の神の一柱であろう。青の神の祠に供物を寄越せと要求してきたあたり、おそらくあの少女こそが青の神の化身であるといったところだろうか。



何故に彼女は私へと接触を図ってきたのか。その目的は測りかねるものの、私に対する異邦人というその言葉からなんとなく察しをつける事はできた。


つまるところ、彼女はこの世界を動かしているゲームマスターの一員であり、その彼女の与り知らぬ存在であるこの私が、自分の神像の前でうろうろしていた事に興味を持たれてしまったという事であろう。



ようはあの邪神の連絡不備である。なにやってんだよあいつ。しかも何故かはわからぬが、私はあのクーちゃん様とやらにすっかりと気に入られてしまったらしい。マジでなにやってんだよあいつ。おいこら邪神。お前のせいだぞ。



突然へたり込んでしまった子供の姿に心配をさせてしまったか、すぐ近くに居た男性が私の事を助け起こそうとしたのに気づき、慌てて立ち上がって礼を言う。神官様を呼んでこようかとも言われたが、ここは丁重に断らせて頂いた。申し訳ないが病の類と言う訳でも無いし、何より今は、少し一人になりたかったのだ。



なんとも厄介な奴に目をつけられてしまったものだが、しかし考えようによってはこれは好機でもある。クーちゃんは何とも傍迷惑な子であるが、あの常に人を嘲笑っているかのような邪神の奴に比べれば幾分か付き合いやすいとも感じたのだ。怒らせると塩の柱に変えられて砕け散りそうだけども。


別に私は神と敵対なぞするつもりは無い。敵対しようとも思わない。だがいつか、あの邪神の奴めが私に飽きて放り出し、この身を滅してリセットボタンを押す事を選択しないという保証も無い。



私は今の所あの邪神に抗する術をなんら持たないが、このままクーちゃんと親交を保つことが出来るのであれば話は別である。


彼女が私と親交を持とうとしているその真なる理由などわからぬし、私はまたも体よく弄ばれようとしているだけなのかも知れない。だがそれでも、いざという時に縋り付ける細い糸を用意する事が出来るやもしれぬという事は、なんとも危険で怪しい魅力を放つ誘惑であった。



私がクーちゃんに対して信がおけるやもしれぬとした理由は一点。彼女は私に対し、その交友を保つことに対して明確に対価を要求してきたのである。なんか甘いものを寄越せと。


タダほど怖いものは無い。その点において碌すっぽ対価を要求せずにこちらの不安をかき立てるあの邪神よりも、きちんと対価を要求してくるクーちゃんとの取引は私にとって信用が置けるものと言えるのだ。



なんとも面倒な縁である。しかして切らすにも惜しい奇縁でもある。ここはひとつ、要求どうりにお供えをさせて頂いてこの縁を保つ事としましょうか。というか供えなかったら何をされるかわからんし。


さて果物はともかくとして、さしあたっては遊戯板をどうするか。まあいざとなれば自作するのも已む無しというもので、さてチェスが良いかはたまた将棋か、彼女の好みは如何なるものか。


いずれにせよ、それを通じてより彼女との親交と信仰を深め、ぜひとも頼れる私の後ろ盾として利用させて頂きたいものである。そうだとも。例えどのような思惑があろうとも、最後に笑うのはこのノマちゃんであるのだ。ふはははは。



というかそうでも思わなければやってられぬ。いや疲れたのだ、本気で疲れたんですよ精神的に。今私は猛烈に癒されたい。どこぞに生まれたての子犬でも転がっていないものだろうか。子猫でも良い。


教会を出て燦燦と輝く太陽を睨みつけ、すぽんと目深に帽子を被る。もはや私に出来ることはただ一つ。この傷ついた心への癒しを探し求めんと、幽鬼の如く彷徨いながらお家に帰る事のみであった。







「居たわ子犬。」


「がおおおおぉぉぉぉん!!」



 ふらりふらりと揺らめきながら、やっとこさお家に帰ってきてがちょりと鍵を開けたらば、がおんと吠えて迎えてくれたは眼球の無いちょっとキモいダックスちゃん。


ああ、そういえば君の事を忘れていたよダックスちゃん。さあ、今日の心労を君の毛並みで癒すべく、思う存分モフらせてたもれ。



ふんすふんすと鼻息荒く、慈母の如く腕を広げて飛び掛かるダックスちゃんを迎え入れる。そして当の銀色ミニチュアダックスちゃんは私の腕をかいくぐり、私の頭にとりついて喉元にがぶりと食らいついた。おい何すんだゴラァ!!


慌てて引きはがそうと腕を伸ばすも、さすがこのノマちゃんの一部だけあってパワーが違う。ダックスちゃんはそのまま私の身体をぶんぶんと振り回したあげくに天高くぶん投げて、そのまま天井に叩きつけられた私は重力の赴くままにべちょりと床に落下した。



そして床に落っこちた私の頭を踏みつけて、この頭の悪いワンコロは侵入者をやっつけたから、褒めて褒めてと言わんばかりに尻尾を振りやがるのだ。うんそうだね、ちゃんと侵入者をやっつけて見事に首の骨を折ってくれやがりましたね。はははこやつめ。


そうじゃねえって!!殺すなって言っただろうが私じゃなかったら死んでたぞ犬畜生!!親の顔が見てみたいわまったくもう!!!



どうやら私の癒しは遥か遠き彼方の事であるようで、自らの分身であるところの犬畜生に頭突きをかまし、どっすんばったんと自分を相手に大喧嘩。


そして玄関をズタボロにした私達は共倒れになってぶっ倒れ、頭を握りつぶされて四散するワンコロをずるずると吸収しつつ、明日には帰ってくるだろうキティーの奴にこの有様をどう言い訳したものかと、私は頭を抱えるのでありました。



踏んだり蹴ったりです。ぐすん。


世界観の補強を兼ねた閑話はここまでで、次回より新しいエピソードを始める予定です。


表舞台に姿を現すようになった彼女は、関わる人々にどのような影響を与えていくのでしょうか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] この支配種、段々難しいことばかり考えてる 昔のかわいいポンコツノマはもう死んだのか…
[一言] SAN check 1D10/1D100 あ…主人公は神話生物だから要らないですよねw
感想一覧
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