四 少女との「約束」
「大丈夫な、わけ、ないよ。い、いたいよ、そりゃ……」
「失礼します」
少女は血塗れの左腕をそっと持ち上げると、
ペロ、ペロ。
上村は色々とぞっとした。自分の腕が舐められているその光景に、脳が理解を拒んでいた。
二、三分舐められて、腕の血がある程度舐めとられた後で、少女はどこからともなく杖を出し、
{ソーメ・ポルンノア}(回復の魔法)
瞬きをする間に、腕は、元に戻っていた。痛みも、遅れて引いてきた。
上村は、まだ地面に座り込んでいた。左腕を見つめていた。
「けがは、治りました」
少女は間髪入れずに話を続ける。
「『約束』しませんか?」
小指を上村の前に差し出した。
「あなたは今、私に噛みつかれ、舐められたことを誰にも言わない。その代わりに、」
「か、代わりに?」
「私はあなたを、殺しません」
約束でもなんでもなかった。脅しであった。
いやいや小指を差し出すと、少女も小指を絡めた。
すると、フワッとした感覚と共に、互いの指が青白く光り、そして消えた。
「『約束』、いや、契約は、成立ですね」
ひとまず危害が加えられないことに、安心すると、少女は釘を刺すようにこちらを見た。
「『約束』は、破ると酷い目にあいますから、気を付けてくださいね。私も、絶対に破りません」
「ど、どうして」
上村も何を聞こうとしているか分からなった。ただ、全てに問いかけた。
「私はあなたと、仲良くしたいのです。殺すのが目的ではありません」
少女は咳払いをした。
「じゃーね、お兄ちゃん! また今度も一緒に遊ぼうね!」
大丈夫かと問われたときの、あの猫なで声に戻ると、森の奥深くへと帰ってしまった。
やられた。彼女は町に戻らない。
つまり、人ならざる何かか。
リチュームはまだ寝ていた。起こして、今あったことを伝えようとする。
「あ、起きた。なあ、」
「何かやましいことを考えているな。見ているぞ。ずっと。ずっと」
脳の中から響くような声がどこからともなくした。ああ、本当に、ろくでもない「約束」を結んでしまった。この声が、少女の正体なのだろうか?
「あの、どうかしましたか」
あっけに取られていた。
「いや、ごめん、何でもない。ほら、そろそろ帰る時間かな、と思って」
「え、あ、長く寝ていました! ごめんなさい!」
城に戻った後も、あの少女のことはずっと気になっていた。リチュームが部屋に新しい漫画を届けてくれたタイミングで、それとなく、聞いてみることにした。
「なあ、ちょっと気になったんだけどさ、魔法って、大魔法使い以外は使えるのか」
漫画を本棚に入れ終わったリチュームが振り向く。
「はい。私もいろいろな魔法が使えますし、簡単な魔法なら、多くの人が使えます」
「例えばなんだけどさ、傷を治す魔法ってあるかな?」
「ソーメ・ポルンノアですかね。簡単な魔法の部類ですよ。魔法学校なら、十歳ぐらいで学びます。紙で指を切ってしまったり、虫刺されがかゆかったりする時に、私もよく使っています。今度はそちらを学びたいですか」
「その、腕とか脚を切られて、血塗れのときに、すぐに治すことってできるかな?」
「う、うーん。それは、かなり難しいかもしれません。それこそ、大魔法使いや、それに匹敵する魔力の持ち主でないと、できません。でも、上村様なら、努力すれば」
「いや、大丈夫。それが分かれば嬉しいよ」
「はあ、まあ、お役に立て良かったです。今度、日本語訳した魔導書を学者に書かせますから、時間があればその本で勉強してください」
「嬉しいけど、学者をそんなことに使っていいのか?」
「安心してください。予算は王国から沢山貰いました。学者が余っていて、最近の研究テーマは漫画の最新刊を読んだ後の考察と展開予測です」
「そんなことにこの国の頭脳を……」
リチュームは楽しそうに部屋を去っていった。
魔導書の日本語版も気になるが、それよりも回復の魔法について、良いことが知れた。上村は、再度自分の左腕を見る。
傷跡は全くない。
この魔法が、大魔法使いの御業としたら。
人類の大魔法使いは、一応俺だ。
となると……。
悪魔。
いつになく早朝に起こされ、まだもう少し眠っていたいような気持ちである。
「今日が悪魔との交渉の日なのですから、もう少しきちっとしていてください」
リチュームだけが張り切っている。俺の髪の毛を溶かしている。
鏡に映った自分を見る。
「これが大魔法使いの、正装……?」
「はい」
十二単みたいな服を着せられ、とても歩ける気がしない。
「ゆっくりでいいので、名前を呼ばれたら、転ばないようにしてください」
「分かりました」
大魔法使いの重圧は物理的にであった。
そろそろ名前が呼ばれるらしい。周りには偉い人が沢山いて恐ろしい。あのお付きの人がいっぱいいるおじいちゃんが王様かな? いかんいかん、約束で心を読まれたのだから、ここで下手なことを考えているとギロチンにされかねない。
{マーソルザコノアソーメマーソル、カミムラ}(人類の大魔法使い、上村)
司会が今、カミムラといった。お付きの人に案内をされて、のっそ、のっそ、ようやく席に座れた。失態を見せずに一安心だ。
{デズボーザコノアソーメマーソル、カウム}(悪魔の大魔法使い、カウム)
向こうは、自分と同じような服を着る割には、すたすた歩いている。こっちの赤と黄色のビビッドな服と比べると、向こうの黒と紫の正装の方がおしゃれに感じる。人間と同じような見た目ではあるが、本人の背丈と同じくらいの黒い羽が生えていた。髪の毛も、美しい紫色で、服とも似合って雅だ。
……うん?
対面の席にカウムが座ると、こちらに微笑んできた。
「こんにちは、上村さん」
「こ、こんにちは……カウムさん」
カウムは、森で自分に噛みついてきた少女であった。




