幕間 エレノアが語らなかったこと
ゴードン伯爵領へ向かう馬車の中で、私は膝の上に置いた両手を見つめていた。
トーリには、話さなかったことがある。
暖炉の前で「なぜ、ここまで」と零した時、私は何も知らなかったわけではない。
断罪される半年前、私は父の書斎で、第2王子との密談を示す書簡の下書きを見つけていた。
第1王子を王位継承者の座から引きずり下ろし、第2王子を次の国王に据える。
そのために、王家と有力貴族の間へ楔を打ち込む。
すべてを知ることができたわけではない。
だが、国王に忠誠を誓う貴族として、聞き流してよい話ではなかった。
私は父を問い詰めた。
企てに加わるつもりはない。
黙って見過ごすつもりもない。
このまま進めるのなら、王家へ報告する、と。
父は否定しなかった。
ただ、冷たい目で私を見ていた。
それから間もなく、黒髪の娘に関する噂が広まり、私が彼女を虐げたという証言が現れた。
夜会で断罪された時、父の企てが関係しているのではないかとは思った。
だが、理解できないこともあった。
なぜ、第1王子自身が私を断罪したのか。
なぜ、黒髪の娘や宰相の息子まで加わっているのか。
なぜ、婚約を解消するだけでは足りず、ゴードン伯爵へ差し出す必要があるのか。
父が私の口を塞ぎたいだけなら、まだわかる。
しかし、あまりにも多くの人間が、別々の欲望を抱えながら、私1人を破滅させるために動いていた。
だから、あの言葉は嘘ではなかった。
なぜ、ここまで。
本当に、わからなかったのだ。
そして、このことをトーリへ話すつもりもなかった。
王位を巡る反逆の企てを知れば、彼はもう、山で公爵令嬢を拾っただけの少年ではいられない。
秘密を知る証人として、父や第2王子に狙われる。
ただでさえ、私を匿ったために家を捨てさせてしまった。
これ以上、背負わせるわけにはいかなかった。
もう1つ、話していないことがある。
トーリと出会った時の私こそが、本当の私だったことだ。
公爵令嬢として教え込まれた、柔らかく上品な話し方。
微笑み方。
感情の隠し方。
それらはすべて、私が生き残るために身につけた仮面だった。
山中で泥にまみれ、疲れ果てていたあの日は、仮面を被る余裕などなかった。
だから、素のままトーリに話した。
ぶっきらぼうで、可愛げもなく、令嬢らしくもない私を、彼は妙な女だと笑いながら受け入れた。
それ以来、トーリの前でだけは、あの話し方を続けていた。
彼の前でなら、公爵令嬢でなくてもよかった。
エレノアという、ただの女でいられた。
小屋で別れを告げた時、私は久しぶりに令嬢の口調へ戻った。
そうしなければ、彼から離れられなかったからだ。
本当の私の言葉で話せば、きっと彼に縋ってしまう。
生きたいと。
助けてほしいと。
言ってしまう。
だから、仮面を被った。
トーリの知らない、公爵令嬢の顔をして、彼を遠ざけた。
「……これでいい」
馬車の中で、私は小さく呟いた。
返事をする者はいない。
その声は、公爵令嬢のものではなかった。




