46話 望郷
翌朝、起きた時にはアーシャさんが家を出た後だった。屋敷が少しだけ広く感じた。
そういえばファフニール討伐後から、
梓には会っていなかったな。
様子が気になり貧民街へ赴く。
自力ではクエストも進められないこの世界で、NPCとして転生した梓は、何を楽しみに日々を過ごしているのだろうか。
ノックもせずに彼女の家の玄関を開ける。
家には誰もいなかった。
不用心だな。仕方ない、帰ってくるまで待つか。
彼女のベッドに潜り、掛け布団や枕から漂う梓の匂いに包まれて目を閉じた。
❇
包丁の小気味よい音で目覚めると、
梓が台所で料理をしていた。
「あっ……起きたんだ。女子高生の家に侵入した挙げ句、勝手にベッドで寝るなんて……これが日本ならちょっとした事案よ」
梓は背を向けたまま、料理を続ける。
「別にいいじゃん。俺と梓の仲じゃないか」
「いつからそんな仲になったのよ。
それが許されるのは恋人か家族ぐらいよ」
「えっ、違うの?」
「断じて違うわ……」
梓が突然、包丁を握る手が震えていた。
それを抑えようと、反対の手で手首を掴む。
どうしたんだ?
彼女の顔は青ざめ、明らかに様子がおかしい。
俺はそっと近づき、梓の手を握った。
強張る彼女の指を包丁からゆっくりと引き剥がした。
「梓……大丈夫だから。俺が代わるよ……」
「ごめんなさい……」
先ほどの彼女とは別人のようだ。
震える手を押さえながら、梓は椅子に腰掛けた。
「ファフニールに殺されてから……時々手が震えるの……」
確かに普通の女の子には、あの体験はトラウマもんだ。
「ストーリーは俺が進めるからさ。梓はしばらく休んどけ」
「……大地は強いね」
「そんなことねえよ」
アーシャさんの結婚一つで、不安定になるぐらい弱い。めでたいことなのに素直に祝えない器の小さい男だよ。
「……あんたの包丁捌きの方が危なっかしいわね」
梓が俺の隣に立ち、軽く手を添える。
「抑える手は猫の手で……ゆっくりでいいから、等間隔に切って」
梓の指示通り、食材を切り鍋に入れる。
「てか、これ何作ってんだ?」
「お味噌汁よ」
「へぇー、この世界に来てから一度も食べてなかったな。味噌汁とか作れるんだ」
「うん。たまたま市場で味噌を見つけたのよ!」
味噌汁か……引きこもってた俺の部屋の前に、いつも母さんが置いててくれたっけ。
あの頃は鬱陶しかったけど……不思議と恋しく感じる。
「ダイチ、味噌は火を止めてから入れるのよ」
「風味が逃げるから。味見もちゃんとしてね」
「ちょっと唾液が付いたスプーンは入れないで!」
小姑のようにまくし立てられる。
❇
二人で食卓を囲む。
ご飯と味噌汁、きゅうりの浅漬け……日本だと質素な食事だが、唾液が溢れてくる。
「「いただきます」」
二人で手を合わせる。
「いただきますっていいよな。日本の食卓って感じがする」
「なによ突然。私は毎食言っているわよ」
「そっか。この世界でも広めようかな」
「いいんじゃない」
梓と会話を楽しみながら、きゅうりを口に入れる。
「うまっ! 梓、お前は天才か!」
「浅漬けぐらいで大袈裟ね」
「いや、これはお嫁さんにしたいランキング25位には、食い込む浅漬けだ」
「なんかそれ微妙な順位じゃない?」
「いや、梓しか勝たん」
「はぁ、あんたと話してたらどっと疲れるわ。
……ま、一人よりいいんだけどね」
梓は軽く鼻で笑ったあと、付け加えるように、ぼそっと呟く。
「今流行りの冷笑系ってやつね」
「なんか、最近知った言葉を使おうとして、若い子の気を引きたいおじさんみたい」
「なんだよその妙に生々しい例えは……」
❇
昼食を終え二人で、ベッドに並んで腰掛ける。
「大地……私、もう戦場に立てない。
だから、大地ももう戦わなくていいよ……」
梓の声は震えていた。
「あれだけ日本に帰りたがっていたのに?」
「でも、自分ができないことを大地に強要したくないし……」
彼女は肩を上下させ、声を殺して泣き出した。
壁にかかっている手作りのカレンダー。
この世界に転生した日から、彼女は日本での日付を忘れないようにチェックをつけていた。
自分自身忘れかけていたけど、既に転生してから半年は経過していた。
梓の頭を軽く撫でてやる。
「梓は休んどけよ。
俺がぱぱっとこんなクソゲー終わらせてやるから」
彼女は涙を拭い、ふっと微笑んだ。
「大地って稀にカッコいいわよね。
流星くんがいなかったら大地のこと、好きになってたかも」
「くそっ、こんなに頑張っているのに、
イケメンサッカー部には勝てないのか」
「そうね。現実はゲームのように甘くないわよ」
このバグオラの世界は例外な気もするが。
「まあでも、もしも日本に帰れなかったら、大地は私がもらってあげるわよ」
「えっ……」
突然の告白に思考が停止する。
「ちょっとマジにならないでよ。顔がキモいってば」
「キモくて悪かったな。なら、ストーリークリアは諦めようかな。そうすれば梓ルートもあるってことだ」
「あんたがモテないのはそういうところよ」
グーの音も出ない。
梓の小さな家は、味噌汁の香りで満たされていた。
不思議と彼女の震えは収まっていた。




