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第9話 開城の行方

 いつ終わるかもわからないような攻城戦は続いていた。

 12月から始まり、早くも半年あまり。


 5月に入っても続いていた。

 徳川軍は、確かに積極的には動いていないように見えたが、それでも服部半蔵を中心に、効果的な攻撃を門や櫓に仕掛けてきたことはあった。


 しかし、その度に、見事な采配で防いでいたのは、あの忠臣の朝比奈泰朝だった。


「えい、えい、おう!」

 朝早くの時間に城外から轟いてきた、勝ちどきの声で目を覚ました、高原。


「あのおっさん、また勝ったのか」

 そう、なんだかんだで、この掛川城の攻防戦は、忠臣の朝比奈泰朝の奮戦のお陰で持っていたのだ。


 しかし、そんな長い籠城戦もついに終焉の時が来る。


 永禄十二年(1569年)、五月十七日。

 徳川からの使者を迎え入れた、今川氏真は、交渉の場で、こう告げたという。


「開城するから、それと引き換えに、城兵の命を救って欲しい」

 と。


 ある意味、氏真は死を覚悟していた。

 通常、戦国時代の合戦の常として、城主が自分の命と引き換えに城兵の命を救って欲しいと訴えることが多いからだ。


「そんな。氏真様が」

 驚いた川口が城内の一角で声を上げていた。


「まなか。確か、氏真は史実では生き延びるはずではなかったか?」

 中田の問いに、井原は苦虫にがむしみ潰したような表情で、


「そのはずなんだけど。何故、氏真が助かったのか、実は私も知らないの」

 歴史書にはそこまで詳細にこの時のことが書かれていなかった。


 この時、徳川軍を率いていたのは、服部半蔵、渡辺守綱(もりつな)、内藤正成(まさなり)、本多重次(しげつぐ)榊原さかきばら忠政ただまさなどと言われ、実質的な指揮官は、服部半蔵だった。


 結局、所詮は旅芸人の彼女たちは、詳細を知ることなく、その日の夕方。


 朝比奈泰朝から呼ばれ、本丸の大広場に向かうのだった。


 そこで、彼女たちが見たのは、衝撃的な場面だった。

 白洲が敷かれ、そこに氏真が真っ白な衣装を着て現れた。その後ろには、日本刀を持った武将が控えていた。


 奥の方では、千早とまつが目に涙を浮かべていた。

(これでは歴史が違う)

 それは切腹の儀式に他ならない場面だった。

 どこで、間違えたのか、このままだと氏真が殺されて、歴史は変わる。そう思った、井原は焦っていた。


 この時、氏真の最期を見ようと、大勢の今川軍の兵士がこの大広場に集まっており、同時に氏真によって、共に籠城することを許された城下の民衆たちまで、涙を流しながらも、この場面を見守っていたのだ。


 焦った井原が、群衆をき分けて、飛び出そうとするのを、中田が手で制していた。

「葵」

「待て、まなか」


「でも、これでは明らかに史実と違うわ。氏真は殺されてしまうわ」

「私に考えがある」

 そう言って、有無を言わさず、井原を押しのけて前に出ようとしたのは、キャプテンの中田葵。その右手にはサッカーボールが握られていた。

 他のメンバーたちに彼女は尋ねる。


「氏真を救う」

 と。

 川口は、

「何か策があるのですね。私も血を見たくはありません」


 と応じ、高原は、

「おう。やったれ。史実通りなら死なないはずなんだろ」

 男の子のような口調で、屈託のない笑顔を見せた。

 

「中田先輩。氏真様はサッカーを楽しんでくれました。死なせたくありません」

 中村もまた目で訴えていた。


 そして、井原は、

「任せたわ、葵」

 彼女の肩をポンと軽く叩いた。


 頷きつつ、中田は右手に愛用のサッカーボールを持って、飛び出した。


「何じゃ、そなたは!」

 これから切腹、つまり血をを見る儀式が始まるためか、殺気立っている徳川の兵士の一人が、すぐに駆け付けてきて、中田を制した。


「お願いがございます!」

 中田が叫んだ。その視線の先にいたのは、立派な南蛮鉄の兜をかぶって、鎖帷子(かたびら)を中に着込んだ鎧を着て、床几しょうぎに座っている武将の姿だった。

 それが大将の服部半蔵だと彼女は直感でわかったのだ。


「何だ、女子おなご。言うてみい」

 その服部半蔵が、まるで見下したかのように、彼女に問いかける。


「私は、神社の巫女。ご神託を受け、この球があちらにある的に当たったならば、血を見る儀式は取りやめよ、との神のお告げです」

 口から出たでまかせを言っていた。

 なお、「的」は弓矢の鍛錬をする時に使う物で、たまたま広場の奥に残されていたのだ。


 当然、半蔵は笑い出した。

「嘘を申すな。何やら面妖な格好をしておるが、そなたは旅芸人であろう。旅芸人風情が、武士のことに口を挟むでない」

(くっ。やっぱりダメか)

 一瞬、中田葵は、己の浅はかな策を恥じ、肩を落としたが。


「面白いではないか、半蔵殿」

 意外にもこれに興味を示したのは、隣に立つ、痩せ型の武将だった。


 半蔵よりも10歳以上は年上と思われるその男は、口髭を蓄えた中年の武士で、内藤正成というらしい。


 その証拠に、

「内藤殿。しかし」

 と半蔵から難色を示されていた。


 さらに、

「そもそも殿は、氏真公を出来れば生かしたいとおっしゃられていたはず。それを半蔵殿が強行なさるには、それだけの覚悟がおありでしょうな」

 別の武士までもが、渋い表情で訴えていたが、こちらは本多重次という武将らしい。

 彼女たちは、ここで初めてこれが半蔵の独断専行であることを知るのだが。


「戦の後の余興には丁度よいでしょう」

 その隣に座っている、半蔵と同じくらいの年と思われる、武将も賛成していた。こちらは榊原忠政という。


 一人、渡辺守綱のみしかめ面のまま、無言で見守っていた。


 苦々し気な表情を浮かべ、様子を見守っていた、服部半蔵はついに立ち上がって、

「よかろう。ただし、一度だけだ。一度でも仕損じた場合、氏真公の切腹は実施する」

 と、述べたのだ。


(しめた)

 中田葵にとって、一種の賭けでもあったが、ひとまず約束を取り付けることが出来たことに安堵していた。


 ただし、問題があった。

 それは的までの距離だった。


 その距離、約30(メートル)

 通常、サッカー場の広さは105m×68mと言われ、ペナルティーエリアからゴールまでが約16.5m。


 プロでも、キックをした最大飛距離は100mも行かない。男子のレベルで中学生で30~40m、大学生で60m前後、プロで約70m〜96mと言われている。

 高校2年生の、しかも女子である彼女には、無理ではないが難しい距離でもある。ただでさえ女子は飛距離が伸びないからだ。


(遠いな)

 いざ前に立ってわかったのは、白洲の端から的までの距離感だった。


(これはほとんどセンターサークルからゴールくらいはあるような)

 感覚的に中田はそう思った。

 実際には、30mはセンターサークルからゴールまでの距離よりも短い。

 ただ仮に、届くとしても的に確実に当てるには、相当な威力でボールを蹴らないとまず当たらないはずだった。


 中田以外の4人、そして涙に暮れる千早、まつ、観念しながらも見つめる氏真、さらに大勢の民衆や兵士たち。


 ここで、中田の脳裏に浮かんだのは、ある「技」だった。

 それはここ数年で、彼女が練習をして、最近やっと身に着けた技で、一種のドライブシュートだった。


 これはドライブ、つまりボールに回転を加えることによって、ゴールの手前で急速に落下する軌道を描くシュートで、中田自身は「ドライブショット」と名付けていた。

 先の野試合でも見せていたが、まだ改良の余地があると彼女自身は思っている技でもあった。


 頭の中で、何度もボールの軌道をシミュレーションして、

はよう蹴らぬか」

 と、邪魔をされて苛立ちを隠せない、半蔵からかされても、彼女の心は少しも揺らがず、静かな海のように、平静を保っていた。


 中田の計算なら、助走を取り、思いきり蹴って、大きくボールを打ち上げて、弧を描く軌道を取り、ドライブ回転によって、落下させて的にギリギリ当たるはずだった。


 そして、静寂と緊張と、強烈なプレッシャーがかかる中、ボールから数歩離れた位置から、中田葵は駆けだした。


 一歩、また一歩、ボールに向かって行く。


 そして、

―ポン!―

 小気味いい音が響き、サッカーボールは宙に舞った。


 中田が、ドライブ回転をかけたそのシュートは、空に大きく弧を描いて、上空に伸びて行き、やがて慣性の法則で、地面に向かって落ちて来るが、若干飛びすぎているようにも見えていた。

 しかし、通常とは違い、ドライブ回転を生かしているから、ある一点から急速に落ちてくる。


 通常であれば的より先に行ってしまいそうな軌道だったが、この急ブレーキに似たドライブ回転によって、ボールは急降下した。


 そしてドライブ回転がかかり、ブレーキが効いたボールは、その証拠に、木の的に当たり、的が地面に落ちていた。


 ボールは見事に的に直撃していた。

「おおっ!」

 人々から歓声が上がり、


「氏真様!」

 城内にいた民衆や兵士から、主を呼ぶ声まで聞こえる中、中田は一人ガッツポーズを取り、彼女の仲間たち4人は、いずれもはちきれんばかりの満面の笑みを浮かべていた。


 しかし、

「下らん! かような似非えせ巫女の戯言ざれごとなど、聞く耳持たんわ。予定通り切腹の儀を執り行う」

 半蔵が、辺り一面に充満する、氏真に味方するような雰囲気に抗するように、力強く宣言して、手にした指揮棒を振るっていた。


「話が違うじゃないですか!」

「黙れ、似非巫女め!」

 半蔵と中田の言い争い、それを止めに入る武将たち。混沌とする中、不意に彼らの背後からゆったりとした、しかし力強い声が響いてきた。


「半蔵」

「と、殿」

 徳川の武将たちが、一斉に頭を下げていた。


 そこに現れたのは、細身の30歳前後の男で、薄く口髭を生やしていた。金色に輝く南蛮鉄の甲冑を身につけているのが特徴的で、どこか達観したような、年齢よりも一回りくらい上に思わせるくらい、穏やかで落ち着いた雰囲気を持っていた。

(まさか、あれは)

 見守る井原は、咄嗟に頭の中に浮かんでいた人物がいた。


「半蔵。わしは、氏真様は殺すな、と命じておいたはずだが」

「はっ。しかし、ここで氏真公を生かせば、必ずや徳川家のために、後々禍根かこんを残すと思い……」


「つまり、これはおぬしの独断か?」

「はっ。左様にございます」


「下がれ、半蔵」

「はっ」

 落ち着いた雰囲気ながらも、有無を言わさない迫力を持ち、一言だけであっと言う間に場を制していた。服部半蔵は慌てて後ろに下がり、兵士に紛れて奥へと消えた。


 そしてその男が、

女子おなご。わしは一部始終を見ていた。見事なものだった」

「はい。ありがとうございます」

 中田に声をかけていた。


 彼は、この一部始終と中田の的当てを見守りつつ、たとえ中田が失敗しても、氏真の命を助けるつもりだったのかもしれない。


 彼は白洲に引き出され、今にも切腹する寸前の様子の氏真を目の端に捉えると、


「重次。氏真公については任せる」

 と、命じ、主の意を汲んだ本多重次が慌てて駆けて行き、氏真に切腹の中止を伝えていた。


 その男の正体について、もちろん井原を始め、多くの者が薄々気づいていた。

「この徳川家康が命じる。戦はしまいじゃ」

 後に徳川幕府を開き、幕末まで260年以上の泰平の世を築く基礎を作った、戦国時代の覇者、徳川家康その人だった。家康、この時、28歳。


 結局、この件は、家康により城攻めを任されていた服部半蔵が、手柄を上げたいがために、独断専行で、氏真の切腹と引き換えに城兵の命を救うと勝手に判断したのが原因だった。

 実態は、すでに家康が、北条家と話をつけており、徳川と今川・北条の間で停戦が成立していた。

 つまり、家康は最初から、元の主筋に当たる氏真の命を奪うつもりはなく、氏真の身柄は、彼の妻の実家でもある相模の北条家に預けられることになったのだ。


 こうして、半年に渡った、掛川城の戦いはついに終焉を迎える。

 この掛川城の開城によって、戦国大名としての今川家は滅亡した、と見るのが一般的になっている。

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