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第8話 氏真の夢

 4月。


 尚も、徳川軍による徹底した包囲戦が続いていたが、それでもやはり徳川は本格的に攻め込むことはせず、時を稼ぐように、まるで兵糧攻めでもしているかのように、積極的には動かなかった。


 そんな時だ。


 彼女たちは、また氏真に呼ばれた。


 だが、今回はサッカーとは関係がなく、「話し相手」としてだった。

 掛川城の本丸御殿(ごてん)、城主が使う大広間に呼ばれた彼女たち。


 そこに氏真、千早、まつの姿があった。泰朝は、一応、本来ならこの掛川城の城主だが、最前線で指揮を取っていて、不在だった。


「おぬしら。まつの話によると、随分と先の世から来たそうじゃが、いつ帰るのじゃ?」

 いきなり核心を突いた質問が飛んできており、井原は戸惑っていた。


 やがて、気を取り直したのか、彼女は眼鏡の奥からいつものような冷静な言葉を選んで返していた。

「帰りたいのは山々ですが、今のところ手段がなく。夏には帰りたいと思っています」


「夏か。ところで、おぬしらがおる先の世では、”さっかー”はどうなっておるのじゃ?」

 その問いに、嬉々として答えを返したのは、中田だった。


 誰よりもサッカー愛が強い彼女が、丁寧に説明をするのだった。

 つまり、サッカーというのは、世界中で楽しまれている、最もポピュラーなスポーツであり、老若男女が熱中する、熱いスポーツであるということ。

 4年に1度、世界中の達人が一堂に集まり、ワールドカップという祭りが開かれること。


 それらを、氏真は実に興味深そうに耳を傾けていた。

「ほう。それは何とも興味深いのう。どうじゃ、わしもおぬしらの世に連れて行ってはくれまいか?」

 しまいにはそんなことまで口走っていたが、さすがに歴史改変もはなはだしいので、井原が丁重に断っていた。


 しかし、それ以降も氏真は、サッカーのことを聞きたがり、1時間以上に渡って、サッカーの話をすることになり、さらにその後は、まつが未来のことを質問し始め、一行は出来る範囲で、オブラートに包みながらも、何とか現代のことを簡単に説明する羽目になっていた。


 最後に、氏真は寂しそうな表情で、こう告げるのだった。

「わしも、大名ではなかったら、好きな蹴鞠をして過ごせたのだがのう。あるいはおぬしらの世で”さっかー”をしたかったのう」


 与えられた、城内の部屋に帰った5人の話題は、その氏真についてだった。

「井原」

「何、奈緒?」


「私は歴史には全然詳しくないんだが、あの氏真ってのは、歴史上ではどんな評価なんだ?」


「一言で言えば、『暗愚あんぐ』ね。後世までそう語られているわ」

「あんぐ?」


「つまり、バカってこと」

「なるほど。まあ、確かに戦争の才はないだろうな」

 中田が一人で納得したように頷く。


「戦国大名でありながら、蹴鞠と和歌に熱中しすぎて、国を滅ぼした愚か者。そういう評価ね」

「何だか、少しかわいそうな気がしますねえ。何か功績はないんですか?」

 川口の問いに、井原は興味深いことを口走るのだった。


「まあ、一応、最近じゃそんなにバカじゃなかったとも言われているわ。確か、織田信長より先に楽市をやったとか」

「楽市って、あの楽市楽座の楽市か?」


「そうよ」

 井原が語ったところによると、今川氏真は、1566年に富士大宮の六斎市を楽市とすることを命じていたり、徳政の実施を命じたり、役の免除などを行ったりしたという。

 楽市に関しては、あの織田信長よりも先に実施しているという。


「もっとも、彼が戦よりも、文化的な物に興味を持っていたのは間違いないと思うわ」

「この後、氏真はどうなるんだ?」


「徳川に降伏した後は、各地を放浪して、江戸時代には高家こうけになっているわね」

「高家って?」


「まあ、一種の貴族階級よ」

「へえ。それじゃ、生き延びたんですねえ」

 川口の反応に頷いた井原が説明を加える。


「江戸時代初期の1614年頃まで生きているわ。当時としては長生きね。そして、千早は後に早川殿と呼ばれ、夫が死ぬ一年前に亡くなるまでずっと氏真に付き添っているわ」

「仲のいい夫婦だったのですねえ。まあ、お二人を見ていれば何となくわかる気がしますが」

「ああ」


 中田が、先の野試合を思い出しながら、ぼそっと呟くのだった。

「惜しいな。生まれた時代が、戦国ではなく、現代ならきっといいファンタジスタになれただろう」

「まあ、そうかもしれないわね」

 戦国の世に生まれた、幻のファンタジスタ、今川氏真。


 しかし、彼の運命はもう定まっているようで、実はこの後、現代では知られていない波乱が待っていたのだ。

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