第11話 ドライブショットの伝授
「なあ、私たち、いつ戻れるんだ?」
さすがに何度目かの質問で、呆れたように高原が屋敷の一角で嘆いていた。
「まあ、嵐が来ればチャンスはあるけど、そもそもネットが使えないし、天気予報なんてわからないわね」
当然ながら、井原はそう返すしかない。
「この当時、天気はどうやって予想してたんでしょうか?」
川口の質問に対し、歴史に造詣が深い井原が思っていたことを口にする。
「空の様子、風向き、雲、動植物の行動から予測していたと思うわ」
「どういうことだ?」
「よく言われるのは、『夕焼けは晴れ、朝焼けは雨』とか『山に笠雲がかかると雨』とか『カエルが鳴くと雨』とかね」
「雲が早く動いて、黒い雲になったら雨とかもですよね?」
「そうね」
川口も一応、知っている知識を披露していたが、当時、農民や漁師たちは特にこの自然の動きから、天気を予測していた。
しかし、不幸なことにこの戦国時代においては、現代のような派手なゲリラ豪雨はまず起こらなかった。
つまり、彼女たちが現代に帰る手段がほとんど失われていたに等しかったのだ。
そのまま季節は、夏に入り、7月。
一向に雨が降らず、降っても梅雨のしとしとと降る弱い雨のみが続いていたある日。
中田は氏真から呼び出されていた。
この時、呼ばれたのは中田のみだった。
「何の用かしらね」
井原が訝しむが、中田は笑顔で、
「まあ、氏真様のことだ。サッカーについてだろ」
と、何の心配もしておらず、一人で氏真のところへ向かうのだった。
その日は、快晴の真夏の一日。
暑いと言っても、都市化されてビルばかりになり、自然が失われた現代と違い、自然が残っている当時は、強烈な暑さはなく、気温も30度に届くか、届かないかくらいの気候だった。
氏真は、庭にいた。
そこに現れた中田に、彼は唐突にこう告げるのだった。
「葵」
「はい」
「わしに、おぬしの”しゅーと”を教えて欲しい」
と。
曰く。氏真は前から気になっていたようだ。それは、試合や、氏真の命を救った掛川城での的当てで、中田が見せたシュートについてだった。
「恐らくおぬしのあの”しゅーと”には”抑え”が効いているのであろう。球の勢いを削いで、急に落下しおった」
(驚いた)
と思ったのは、中田で、氏真は中田のシュートの本質を掴んでいたのだった。そう、それはドライブショットについてだった。
それを教えて欲しいという氏真。
中田は、悩んだ。
(過去に介入してはいけない)
と、以前に井原から言われていたことが脳裏をよぎる。
ただ、同時にサッカープレイヤーとして、中田はこうも思うのだった。
(この才能を埋もれさせておくのは惜しい。それに、教えたところで戦国時代に戦場で役立つわけじゃない)
つまり、教えたところで、それが原因で歴史が変わり、現代に影響を及ぼすようなことはまずないだろうと、判断した。
「わかりました」
こうして、あっさりと中田は、氏真にドライブショットの打ち方を教えることになった。
それ以降、毎日のように中田は氏真の元に通い、ドライブショットの打ち方を指導する。
氏真は、基礎が出来ているため、物覚えがよく、あっという間に1週間ほどでこのドライブショットをほぼマスターしてしまったのだった。
もっとも、さすがに1週間ではまだ粗削りで、正確なボールコントロールは出来ていなかったが、原理としてしっかりと身に着けているあたり、中田は才能の片鱗を見せつけられていた。
(何というお方だ。まさに「戦国のファンタジスタ」だな)
そして、この「中田が教えたドライブショット」が後に、ある出来事に繋がることになろうとは、さすがに彼女は思っていなかった。
数日後の夕方。
不意に、屋敷の庭で空を眺めていた中村が呟いたのがきっかけだった。
「皆さん」
「何、俊?」
「もうすぐ、きっと嵐が来ます」
その一言に、半信半疑のメンバーたちは顔を見合わせるが、中村は空を眺めて、指を指した。
「西の空から黒い雲が来ています。そしてこの生暖かい風。妙な静けさ。きっと来ます」
妙なところで敏感だと思ったメンバーたちだったが、数十分後。
中村の予言通り、天気は急変していた。
突如、大雨が降り始め、西の空から真っ黒な雲が発達。たちまち嵐のような天気になっていた。
「よし、みんな。現代に戻るわよ!」
嵐の中、井原が宣言し、残りの4人が駆けだした。
ただ、一人中田が、
「待ってくれ」
そう言って、持参していたボールペンを取り出した。
「何、葵?」
そう反応した井原は、急ぎ嵐に向かいたいため、気持ちが焦っているようだったが、中田は冷静に返していた。
「お世話になったから、置き手紙さ」
そう言って、紙に素早くペンを走らせた。
―今川家の皆様へ。お世話になりました。直接お別れの挨拶をせず出て行くことをお許し下さい―
そして、
―追伸。氏真様。どうか”さっかー”を続けて下さい―
と、急いで書き残したのだった。
そして、その手紙の傍らに、置き土産として彼女たちが持参したサッカーボールを置いていった。
「行くわよ、葵!」
井原に促され、手紙を机の上に置くと、彼女は駆けだした。
もう嵐は始まっていた。
彼女たちが向かったのは、その嵐の中心部。
低気圧が発達し、黒い雲が雷雲を発生させたいた。
全身ずぶ濡れになりながらも、彼女たちはそこの一点を目指して駆けた。
そして、
―ゴロゴロ! ピカッ!―
空の一角が銀色に輝いた。雷だ。
その雷がまるで彼女たちを狙うかのように、稲光が彼女たち5人に向かってきた。
半年以上前の、あの人同じ現象が再現されていた。
一面真っ白の世界が広がり、視界が一気に遮られる。
しばらく後。
空気感が変わっていた。
ゆっくりと目を開くメンバーたち。
じわっとするような、強烈な湿気を含んだ猛暑のような気候。それに5人は覚えがあった。
何よりも、目の前に木造の古い駅舎があったことが、彼女たちの確信に変わった。
「やった! か、帰ってきた!」
高原が叫ぶ。
「良かったですわ! でもここってどこですの?」
お嬢様口調の川口が駅舎を見上げる。
駅舎の向こうには青々とした夏の海が広がっていた。
「早川駅ですね」
中村が呟いた。
そう、そこは東海道本線、早川駅。
出発は、静岡県の静岡市だったが、戦国の世でジャンプしたのは、確かに早川だった。現代で言えば神奈川県小田原市早川。
どうやら、この不可思議なタイムスリップ現象は、その土地にリンクしているらしい。
「まあ、静岡じゃないけど、とにかく戻ってこれたわね」
井原が、心底嬉しそうな笑顔を見せる。
「それにしても不思議な体験だった」
「そうですね」
「まあ、こんなの話しても誰も信じないだろうけど」
「私たち5人だけの秘密にしましょう」
「いや、それより私たち、この世界では行方不明になってるのか? それとも死んだ扱いになってるのか?」
5人がそれぞれ口にして、現実世界に戻ったことを実感する。
結局、その早川駅から電車に乗って、彼女たちは故郷である静岡市に戻ったのだが。
後が大変だった。
5人は行方不明扱いにされ、それどころか、もう「死んだ」扱いになっており、御大層に葬式まで行われていたのだ。
そのため、戻ったメンバーそれぞれが、家族や友人から、「幽霊だ」と思われ、後始末が大変なことになっていた。
ともかく、こうして、駿府高校女子サッカー部5人による、不思議な戦国時代タイムスリップ体験は終わった。
だが、実は彼女たちが知らないところで、密かに歴史は動いていた。




