4
ここ数日、よく雪が降る。勇者一行は、顔を盛大にしかめながら野道を歩いていた。
「あーくっそ。寒いんすよねぇ。誰か温めてくんねぇかな」
「本当にな。寒いから冬は嫌いだ。こういう時はどこかの村を焼いて温まりたいな」
「おぉっ! 勇者様も中々ワルイジョークを言いますねぇ!」
「僕の世界にはそう言う話があるんだよ」
軽薄な魔法使いと黒髪の勇者が朗らかに笑う。彼らの言っている内容は外道そのものだが、彼らに罪悪感は一切ない。
そしてもし村を見れば、実行することにも一切のためらいを覚えないのだろう。
「勇者様。ここから二時間ほど行った先に村がありますよ?」
「そうなの? ならそこを焼こうか」
巫女の言葉にニヤッと勇者は笑う。
「なるほど。確かその村の近くには、魔物が多く生息していたはずです」
「なら都合がいいね。あいつらは炎に集まる習性があるから、前やった時みたいに村を囮にして集めようか」
ついでに暖もとれて一石二鳥だ。名案を思い付いたと勇者は笑う。
「いいっすねぇ。あ、なら何人か女は残しといてほしいっす。俺も違う意味で温まりたい」
好色な顏をして言う魔法使いに、巫女はわずかに顔をしかめた。だが特に何か言うわけでもない。
彼らの後ろをついて回る壮年の騎士はずっと無言のままだ。
「うん。そうと決まればやる気も出てきたな。ちょっと走って――」
そして先頭を歩く勇者が雪で覆われた道を踏んだその時。
まぶしいばかりの光が勇者たちを包み込んだ。
*
視界を覆う白い光。勇者は考えるより先に聖剣ソウルブレイカーを抜いた。そしてそのまま光を斬る。
「一体何が」
斬れるはずのない光が斬れた。光が霧散し、世界が映し出される。見えた光景は雪の積もった野道ではなかった。
黒。勇者が見たのは自分に向かって飛び掛かる魔物の群れだった。百近い餓えた魔物が勇者に襲い掛かる。
絶体絶命のこの状況。だが勇者は笑っていた。
いや、彼はずっと笑い続けていた。
「甘いな」
勇者の持つ聖剣が煌めく。瞬間、勇者の近くにいた魔物がこま切れになった。さらにもう一度煌めく。また別の魔物が体を肉片に変える。
「切り裂け」
勇者は剣を持っていない方の手を振った。鎌鼬が起こる。炎の刃が起こる。水の剣が起こる。雷の槍が起こる。
雑多な魔法が繰り出され、魔物を次々と死骸へと変えていく。変えていきながら、勇者は少しだけ驚いていた。
魔法〈転移〉。王族や一部の貴族にしか伝わっていない極秘の魔法だ。勇者が踏んだところに〈転移〉を誘発する罠が仕掛けられてあったのだ。魔法を罠にして仕掛けるには、ただ使いこなすよりもずっと手間がかかる。
つまり勇者たちを襲った何者かは、地位の高くなおかつ魔法に熟達した人間だ。そして勇者である自分に恨みを持っているか、勇者の存在が不利益になる者。
自分が召喚されて十年。今更襲ってくる人間がいるとは思ってもみなかった。
「馬鹿だなぁ」
勇者は笑う。自分が殺されるはずがないから、仕掛けてきた敵の愚かさを笑う。
「勇者の僕に勝てるわけがないじゃん」
魔物は瞬く間に数を減らしていく。魔物は一つ覚えに勇者に飛び掛かり、殺される。魔物は馬鹿だ。変化がない。だからこれは戦いではなくただの作業。面倒だ。だから勇者は囮を使って魔物を一網打尽にする作戦を好む。それが一番面倒がない。
真っ黒な魔物の群れ。そこに紛れて勇者に近づく影があった。魔物のそれとは違う足音を聞いて、勇者は顔に侮蔑の笑顔を浮かべる。
「そこだ!」
背後から魔物が飛び掛かる。勇者の剣が薄い光を発して、刃が伸びる。狙いは魔物ではなく、その後ろにいる敵。
微笑みを浮かべたまま、ろくに相手も見ずに勇者は剣を振り抜いた。勇者の使う聖剣ソウルブレイカーは勇者が斬りたいと思ったものを何でも斬れる。だから一度振るわれたら最後。相手は真っ二つになって死ぬ。
勇者はこの敵も斬られて死ぬと思っていた。とはいえ血を浴びたくはない。いつでも後ろに下がれるように構えておく。
魔物越しに敵の姿が見えた。視界の端に映ったのは、剣とも槍とも言えない奇怪な剣を真横に構えた、防具すらつけていないみずぼらしい青年の姿。青年は目に憎悪をたたえて剣を振る。
馬鹿だ。勇者の聖剣と青年の剣がぶつかる。そして青年の剣はあっけないほど簡単に斬られ――なかった。
「え?」
そこで初めて勇者の笑みが凍り付いた。斬れない。これまで光だろうが空間だろうが何でも切り裂いてきた聖剣が、ただの剣を斬れなかった。
聖剣に絶対の信頼を置いていた勇者は、動揺のあまり隙を作ってしまった。動きが一瞬止まる。そしてその一瞬を見逃す青年――ジークではなかった。
「“斬り殺せ”!」
ジークの言霊が剣に乗る。返す二太刀目を放つ。武骨な灰色の刃が、ろくに状況を理解できていない勇者を切り裂いた。
白い雪の上に、赤い血が落ちる。
*
「なんすかねぇ。これ」
魔法〈転移〉だろうか。魔法使いは何もない平野でぼりぼりと頭を掻く。
「ったく。わけわかんねぇし、めんどくせぇ。どこのどいつっすかねぇ俺らを殺そうなんて馬鹿ちんは」
口調は軽薄。しかし目は油断なく周囲を見渡し、一切の隙もない。魔法使いは確かに下衆だが、勇者一行に選ばれるだけあって非常識に優秀だった。
「俺っちを殺せるわけねぇだろうに……さぁ!」
見つけた。魔法使いは目の前から堂々と、姿と気配を消して近づいてきていた全身甲冑の男に対し、魔法を使った。
「ひひっ。火達磨だ」
「うぐ」
甲冑男が炎に焼かれる。
*
「あなたはどこの派閥ですか。今ならまだ間に合いますよ」
魔法〈転移〉でどことも知れぬ場所に飛ばされた巫女は、目の前の男――セイブに言った。
「魔物を殺し、世界を救う旅をしている勇者様を害そうなどとは、愚かにもほどがある。ですが人は愚かなものです。罪を告白し、誰から雇われたか全てを伝えるなら、両手足を斬り落とすだけで、命だけは許して差し上げましょう。これがどれほど幸福なことはか分かりますね?」
「それで相手が交渉にのると……思っているところがお前のクズなところだな」
雪原の上に巫女とセイブが立っている。巫女の見下すような視線に、セイブは苦笑した。遠くから戦いの音が聞こえる。今頃ジークもアベルも戦いを始めているはずだ。できれば早々に片をつけてしまいたい。
「私をクズと言いましたか? 大聖殿の巫女筆頭であるこの私を? 恥を知れこのゴミクズが!!」
沸点が低い。それとも聖殿でちやほやされて育ったせいで、相手から罵倒された経験が少ないのか。巫女は端正な顔に激しい怒気を浮かべた。グラリと周囲の空間が揺れる。
「死ね!」
「死ぬのはお前だよ。先王の顔も覚えていないからこうなる」
セイブの呟き。そして巫女の心臓に剣が突き立てられた。「ゴパッ」と巫女が口から血を吐き出しながら、がくがくと震える動きで剣を自身に突き立てた男を見た。
「お、お前ぇ!!」
ひねりを加えて剣を引き抜いたのは、巫女の後ろに立っていた壮年の騎士だった。彼は倒れた巫女を一瞥した後、セイブへ歩み寄り、跪いた。
巫女は大量の血を流し、倒れ込んだ。真っ白な雪が赤に染まり、血の熱で雪が溶けて汚い色をさらす。
「今までありがとうな」
「いえ、我が剣、我が忠誠は遥か昔からあなたに捧げておりますゆえに」
騎士は先王であるセイブの第一の騎士だった。セイブがまだ王であった頃、勇者と結託して自身を追い出そうとした王子の動きに気づいた。そこでセイブは自分の第一の騎士にわざと裏切らせることで勇者のところに送り込んだのだ。
セイブは王位にこだわっておらず、息子が欲しいというのならくれてやってもよかった。騎士を送り込んだのはただの保険。しかしその保険が十分な役割を果たしてしまったことが、セイブは口惜しかった。
セイブが勇者の道のりを知っていたのも全て、彼からの情報だ。
「後はジークを助けに」
「王!」
セイブが魔法〈転移〉を使って移動しようとした時、騎士の必死の声が聞こえた。ドンと、騎士に突き飛ばされる。何が起こったのか理解できず、セイブは間抜けな顏をした。騎士はセイブを見ていた。彼は心底安心したと言わんばかりに笑って、虹色の光に呑まれた。
「まさか!」
形容しがたい感情がセイブの中からせり上がってきた。光が収束する。セイブはすぐさま起き上がり、死んだはずの巫女を見た。彼女は心臓から黒ずんだ血をダラダラ流しながら、ゆっくりと立ち上がっていた。
「すべ……ては、ユ……しゃのたメ、にぃィ」
長い髪はダラリと垂れ下がり、腕も力なく落ちている。おどぞましい気配を巫女は発していた。
巫女は不意に体をガバリと持ち上げる。幽鬼。その言葉がセイブの頭に浮かんだ。
目は白濁し、絹のようだった肌が灰色にひび割れ始めている。唇は紫を通りこして黒く染まり、歯は急速に黄ばんでいく。腐敗するにはあまりに早い。だがセイブはその原因となる魔法を知っていた。
「禁忌魔法〈死者の軍勢・聖戦〉……ふざけやがって」
セイブは先ほどまで自分のいた場所を見る。そこに騎士の姿はなかった。騎士は死んだ。あっけなく。自身の指示で長年勇者たちの蛮行を見続け、苦しみ続けてきた騎士は、報われることなく死んだ。
「ユウゥ……シャ。ユシャ、ユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャユウシャ、ノ、タ……ァメニィ!!」
肌が崩れ落ち、肉が腐れて骨だけになる。目玉も落ちて髪も抜けて巫女は骨だけになる。そして巫女だったものは虹色の光を発し始めた。
聖殿の聖職者が、死後も聖殿に仕えるために用いる禁忌の魔法。聖殿が死後も狂信者を使い潰すために作った悪夢のような魔法。勇者と聖殿を狂信する巫女もまた、その魔法を自らに施していた。
「ィィィィィィィィィ!!!」
虹色の輝く骨になった巫女を見て、セイブは感情の抜け落ちた顔を見せた。彼に感情がないわけではない。あるのは怒り。業火のように燃え盛る強い怒りだ。しかし怒りの感情はあっても、彼に憎しみや復讐心の感情はなかった。
殺された騎士に対する情がないわけではない。ただ復讐心を抱くには、セイブは老成し過ぎていた。王でありすぎた。
セイブが怒りを抱くのは騎士を殺した巫女ではなく、巫女を生み出した聖殿そのものだ。腐敗した聖殿を許容する国そのものだ。王位にこだわらなかった自分自身だ。
憎しみや復讐心は個人の情。王は国の主であるから個人たりえない。だからセイブは憎しみを持てない。復讐しようと思えない。
「ふざけんなよ。ふざけんな」
セイブは抜いた剣を巫女だったものに向けた。偽聖剣ソウルメーカー。勇者の使う聖剣の試作品として作られた紛い物。あくまで聖剣の劣化品でしかないもの。
けれどそれを使うセイブは間違いなく、真正の王だった。
「悪いジーク。お前を助けに行けそうに無いわ」
死者の軍勢と化した巫女を殺すのには時間がかかる。騎士の最期の笑顔が浮かんだ。セイブの目から小さな雫がほんの一滴こぼれた。
*
返す二の太刀。ジークはこれで決めるつもりだったし、勇者を殺せるタイミングはここしかないとも思っていた。ジークの剣は勇者に手傷を負わせた。
浅い。切れたのは勇者の皮膚一枚だけ。肉にも骨にももちろん心臓にも達していない。
ジークは一度距離を取って剣を構え直し、息つく間すら与えないよう、魔法を行使する。
「“凍れ”“凍れ”“凍れ”!」
ジークは魔法〈言霊〉で冷気を操りながら勇者に肉薄する。勇者は斬られた自分の体を見て呆けた後、近づくジークに気づいて聖剣を振った。
再び二人の剣が鎬を削る。勇者の体は魔法で凍り始めていたが、堪えた様子はない。
勇者がジークの二撃目を避けられた理由。それは勇者が返り血を嫌い、引け腰になっていたからだ。
ジークの使う剣、反聖剣ソウルキャリバーは対聖剣武装と呼ばれる、勇者殺しのための武器だ。能力は相手が高位の存在であるほど剣の力が増し、反対に相手が卑賎な人間なら鈍らになるというもの。セイブがもしものためにと王国の宝物庫から持ち出した、セイブの偽聖剣に並ぶとっておきの一振りだった。
時間をかけて罠を仕掛け、魔物をけし掛け、不意打ちをし、反聖剣という勇者殺しの武器で斬る。五年間ジークが積み上げてきた剣術を合わせて、彼が唯一生きたまま勇者を殺せると考えた戦法だった。
それを勇者は返り血が嫌だという理由でかわした。
失敗した。勇者の顔に笑みはない。代わりに浮かんでいたのは、強い憎しみの色だった。
「よくも……よくも僕の体に傷を!」
ジークからしてみれば些細な傷。しかし勇者はこの世界に召喚されてから一度たりとも怪我をしたことがなかった。初めて敵から傷を受けたという事実は、彼のちゃちなプライドを傷つけるには十分すぎた。
ジークからしてみれば、身勝手極まりない、不純物の多すぎる殺意だ。しかし相手は勇者で、憎しみは彼から油断を奪った。
「“こお」
「輝け聖剣!」
何度目かの斬り合い。勇者の聖剣が光を発した。村を滅ぼした光。ジークは慌てて距離を取る。
「消えろ!」
勇者の剣が振るわれる。ジークを埋め尽くすほどの光の奔流。ジークは剣で身を守る。光はあっけなくジークを飲みこんだ。全身が焼かれるかのような痛み。
復讐をしたいのなら壊れてしまえ。意識を持っていかれそうになるジークの頭に、アベルの言葉が浮かんだ。
*
「くそくそくそ! 何なんすかあんた! うざすぎるにもほどがあるっしょ」
「禁忌魔法〈魂換強化〉」
魔法使いは苛立っていた。迷彩系の魔法を使って自分を殺そうとしてきた甲冑を、逆に魔法で焼いた所までは良かった。炎はいい。大抵の敵は炎から身を守ることはできないものだ。
だがこの男は蒸し焼きになるどころか、あろうことに禁術を使ってきた。禁忌魔法。効果が危険だったり、副作用が強すぎたりして真言が固く秘されている魔法だ。
男は全身から黒い靄を発しながら、魔法使いを攻め立てる。使うのは黒く塗られた双剣。双剣には男から流れた血がついていた。
「魔法〈血〉」
魔法使いの生成した盾と男の剣が打ち合う。最中、剣についた血が蛇のように躍動して魔法使いを狙う。
「うざい!」
その血を魔法使いは杖で振り払う。血は杖に触れると霧散した。魔法使いの使う魔法〈振動〉の力だ。
〈振動〉だけではない。〈肉体強化〉〈盾生成〉〈物質操作〉〈未来視〉〈感覚強化〉〈治癒促進〉〈硬化〉。常時展開する魔法だけでも彼は多様な魔法を使っていた。一つ、二つの魔法しか同時に使えないアベルやジークとはそこが大きく違う。
否、それができるからこそ魔法使いなのだ。少し魔法をかじったくらいの魔法行使者とは違う、溢れる才能全てを魔法に捧げたからこそ、魔法使いは勇者の仲間に足りうるだけの力を得た。
魔法使いは、誰よりも、勇者以上に才能に溢れている。対する男――アベルは才能というものに嫌われた男だった。
平凡な顔立ち、平凡な体格、平凡な剣、平凡なセンス。全てが平凡だったアベルが天才を超える方法は、
「禁忌魔法〈魂換強化〉」
「またかよ!」
どす黒い靄がアベルにまとわりつき、彼からまた一つ大切な何かが失われた。そして失った分だけ速くなる。
禁忌魔法〈魂換強化〉は魂を消費することで地力をかさ増ししする。凡人が天才を殺すために手を出したのがこの魔法。
アベルは喜びの感情を失った。失っただけ双剣はますます黒く輝く。この魔法は使う度に魂が削れ、削れた分感情か記憶を失っていく。魔法使いにしてみれば他愛のない一振りにすら、アベルは魂を削る。アベルはこの戦いですでに魂の半分を消費していた。
初めてこの魔法を使った時にアベルは妻の名前を忘れた。二度目は妻を失った悲しみ。それで彼は復讐鬼になった。
魔法使いに自分の名前を刻んでもらいたいとも思わない。ただ、憎い。ただ、殺す。純粋なまでの復讐心。
アベルの剣が走る。魔法〈血〉。魔法使いを追い詰めるように双剣と血の刃が襲い掛かる。
「禁忌魔法〈魂換強化〉」
「いい加減にしろ!」
アベルはさらに力をかさ増しする。彼は自分の名前を忘れた。妻との思い出を忘れた。〈魂換強化〉で失うものは選べない。アベルはこの戦いの後のことを一切考えていない。
魔法使いは魔法〈加速〉を使って後ろに逃げた。空振りする。アベルの双剣が禍々しく煌めいた。
双剣が雪降る空に掲げられ、振り下ろされた黒い奔流が魔法使いを狙う。
「〈絶対防御〉!」
その奔流は勇者の聖剣の力と似ていた。危険を察知して魔法使いは切り札を切る。術者に密閉するように展開される守りの魔法の極致〈絶対防御〉だ。だがそれすら黒の奔流を受けて軋みを上げる。
アベルの使う双剣は反聖剣ツインソウル。純化された憎しみを吸収することで聖剣に近い能力を発揮できる復讐者の剣。そして振るう度に使い手の命を削る。
禁忌魔法〈魂換強化〉で地力を高め、失った感情や記憶分、反聖剣ツインソウルは力を発揮できるようになる。
おぞましい速度で魂を削り、命を削る。アベルは捨て身だった。それでもなお彼の剣は届かない。
魔法〈絶対防御〉は長くは続かない。守りが消えた瞬間にアベルが魔法使いの前に躍り出る。
「禁忌魔法〈魂換強化〉魔法〈血〉…魔法〈連結〉」
「くそがぁ!!」
一撃。アベルはたった一撃でよかった。アベルは義賊〈アンイロアス〉の記憶を失う。彼が復讐鬼に落ちてからの大部分を占めた記憶。セイブを、ジークを、そしてフルナのことを彼は捨てた。
もはや自分が何をしているのかも分からない。何をしたかったのかも分からない。あるのはおぼろげな女の姿。はて、彼女は一体誰だったろうか。なぜ自分は剣を振るうのだろうか。憎しみと復讐心の中でふと、そんなことを思う。
アベルの剣が振り抜かれた。真っ黒な闇。焦った魔法使いはもう一つの切り札を切る。勇者の真似事。質量を持った光がアベルを襲う。
二人のいる空間が光と闇に包まれた。それは互いに飲みこみあい、反発しあって消えていく。
その中で二人は動いた。細胞の一つ一つから引きはがされそうな世界の中、アベルは血のついた剣を薙ぐ。魔法使いは杖の先から剣を生成して振るった。
アベルの剣が魔法使いにかすめる。アベルの血のついた刃が魔法使いの中に入る。魔法使いの剣がアベルの心臓を貫いた。アベルの命を魔法使いが侵す。
「く、くひひ。俺っちが剣を使えないと思ったのが運の尽きだったっすねぇ」
光も闇も消え、立っていたのは魔法使いだった。アベルはうつ伏せに倒れ、血だまりの中に沈む。
「くっそ疲れたわ。こいつ」
魔法使いは悪態をついてアベルを蹴りつける。彼の命脈は尽きようとしていた。小さな声で何かを呟く。とどめを刺してやろうと魔法使いは魔法〈切断〉を発動する。
「死ね」
ザン!
アベルの首が切り離された。首が飛んで空を舞う。せいせいした。魔法使いはにたりとした笑みを浮かべ、そして、
「え?」
アベルの命の灯が消えると同時に、魔法使いもバタリと倒れ込み、その命を散らした。
魔法使いは死んだ。なぜ自分が恨まれていたのかも知らずに。
*
連結魔法〈我が命脈は汝と共に〉。アベルが最後に用意していた、魔法使いを絶対に殺すための切り札。
アベルが死ぬとき、彼の血液を体内に取り込んだ人間を殺す魔法。だからアベルは一撃でよかった。たとえ剣が魔法使いに届かないとしても、わずかにでも届いていれば勝てた。
心臓から血がこぼれて止まらない。アベルはもうすぐ死ぬ。そしてアベルが死ねば魔法使いも死ぬ。おぼろげな彼女の復讐も遂げることができる。
だから最期にアベルは魔法を使った。なぜ使ったのかは分からない。でも使いたかった。
禁忌魔法〈魂換強化〉。彼は、己の中に巣食っていた憎しみと復讐心を無くした。
全てを失ったアベルを包み込むように、冷たい風がふいた。暗かった視界が開ける。純白の雪を降らせる空。澄み渡った彼の心は、一つの想いに満たされていた。
名前も思い出も、全てがおぼろげな彼女。それでも俺は彼女を愛していたのだと。
それが、全てを失ったアベルに残された唯一のものだった。
アベルは息絶えた。魔法使いも息絶えた。生者のいない世界。そこにあったのは二つの死体と、純白の刃に戻ったアベルの双剣だけだった。
やがて雪は降り積もる。
*** ***
*** ***
そこには激しい戦いの痕跡が残っていた。魔物の死骸。焼け焦げた大地。点々と広がる血の跡。
「このっ! このっ!」
勇者は倒れて動かないジークを何度も蹴りつけた。勇者にあるのはかすり傷一つ。けれどジークは傷だらけだった。
肌は焼かれ、肉は裂かれ、骨は折られた。右目は潰れ、耳も片方そぎ落ちている。
頼りの反聖剣は地面に転がり、それを掴むための腕は当の昔に砕かれている。勇者は怒っていた。彼は十年前、夢だった異世界召喚をされて、チート能力と聖剣を与えられた彼は魔物を殺す旅に出た。
かつての世界で溜まった鬱憤は魔物を殺し、女を力ずくで犯すことで発散され、満たされた。誰かを痛めつけることは、苦しめることは楽しかった。
強くなるのだって簡単だった。魔法は真言とやらを読めば覚えられたり、勇者の固有魔法〈習熟〉ですぐに使いこなせるようになった。聖剣の扱いだって相手の技能をコピーする固有魔法〈見盗り〉で楽に上達した。
誰もが勇者を褒めたたえ、彼に救いを求める。最高の異世界生活だ。異世界なのだから何をしてもいい。倫理観の壊れた彼は自由勝手にふるまうことで、周囲に復讐の種を振り撒いた。
勇者の周りには彼を肯定しかしない巫女がいて、性根の腐った魔法使いがいた。導いてくれる者はおらず、誰もが勇者を恐れ、こびへつらった。
環境が今の彼を育てたとも言えるのだろう。しかし彼がこの世界に来て十年。勇者はすでに言い逃れできないほど甘ったれた、腐り切った男になった。
そんな彼にとって、目の前に転がるジークは、自身のプライドを傷つけた到底許しがたい男だ。
苦しめて、後悔させて殺す。勇者の頭の中にはそれしかなかった。
*
明滅する意識の中、ジークの中にあったのは燃えたぎるような憎悪と怒りだった。勇者が憎い。姉を殺した勇者が憎い。そして何より弱い自分が憎くて、許せなかった。
強くなるのは簡単だ。復讐したいのなら壊れてしまえ。禁忌魔法〈魂換強化〉を使えばいい。念じれば使える。簡単に力が手に入る。今のままで勇者に勝てないのだ。なら思い出も感情も全部捨ててしまえばいい。
限界まで捨てれば勇者にだって届く。
「でも、約束したんだ」
ジークの頭の中にあったのは、蒲公英のように笑うフルナの顔。ジークは彼女と約束をした。必ず帰ってくると約束をした。フルナに言いたいことがあるんだ。俺もフルナのことを愛していると、そう言いたいのだ。フルナと共に人生を歩きたいのだと言いたい。
でも憎い。勇者がどうしようもなく憎い。その気持ちが止められない。勇者を殺すまでは決して晴れない。
でも復讐してどうなる。命を捨てて復讐をしてどうなる。フルナの顔が浮かぶ。姉の顔が浮かぶ。ハイトの顔が浮かぶ。セイブの顔が浮かぶ。アベルの顔が浮かぶ。勇者の顔が浮かぶ。その度に憎しみと愛と尊敬と後悔が頭の中で巡り踊る。どうにかなってしまいそうで、どうにかなってしまいたい。
でも。
「それじゃ、フルナが悲しむ」
ようやくジークは気づいた。復讐をしてどうなるか。どうにもならない。復讐して、したらそれで終わりだ。何も残らない。
でも、でも復讐をしなければこの想いはそのままだ。憎しみを抱えて、尽きぬ怒りの炎を抱えてこれから先を歩いていけるのか? いけるはずがない。復讐心を抱えていてはこれから先どこにも進めない。
この感情は、邪魔だ。
暗い闇から光の先へ。彼女の笑顔の待つ方向へ。幻想の手を伸ばす。しかし届かない。柔らかで熱い光はますます遠く、ジークは闇に吸いこまれる。
トン、と誰かがジークの背中を押した。ジークの体が前に押し出される。彼を飲みこみそうだった闇が遠のき、光の元へ足を踏み出す。
ジークは振り返った。そこにいたのはアベルだった。兜のせいで顔は見えない。けれど彼は満足そうに微笑んでいた。微笑んで、闇の中へ消えていった。
「アベルさん」
ありがとう。感謝の言葉をつぶやいて、ジークは光の中へ消えていった。
*
目を開ける。意識が妙にクリアだ。全身が痛い。でもまだ動く。ジークはまだ戦える。
「禁忌魔法〈魂換強化〉魔法〈連結〉魔法〈言霊〉」
闇へ消えていったアベルが教えてくれた。勇者に勝つ唯一の方法。そのためにアベルから教わった、使ってはいけない魔法と、使いこなせなかった魔法と、使いこなせた魔法を使う。
憎しみのために、復讐のために使うのではない。未来のために、前に進むためにジークはこれから何かを捨てる。
「“俺は勇者を超える”」
魔法〈言霊〉は放った言葉を実現する。強力だが万能ではなく、できることをやるだけの魔法だ。不可能を可能にする力はない。
「“俺は前に進むために勇者を倒す”」
しかし、その不可能をジークは魂を削ることで可能にした。〈言霊〉に従い、ジークの魂は勇者を殺す形に変わる。今この時だけの魔法を創り出す。
「“全ては彼女の笑顔のために”」
未来が欲しい。過去はいらない。ジークは村の人々の顔を忘れた。思い出を忘れた。親友と雪遊びした記憶を忘れた。憎しみと復讐心を忘れて、
姉のことも、忘れた。
「行くぞ勇者」
隠しきれない欠落を抱えてジークは跳ね起きる。突然息を吹き返したジークに勇者は目を見張る。死んでもおかしくないほどの傷を抱えてなぜ起き上がれるのか、理解できないという顔だ。
勇者は聖剣を振りかぶる。ジークは横に転がって、砕けた手で反聖剣を拾い上げる。
聖剣が上から振り下ろされる。血みどろの反聖剣が下から振り上げられる。打ち負けたのは勇者の方だった。聖剣が弾かれ、勇者は後ずさる。
ジークが一歩踏みこんだ。大地が震えるほど踏みこんで、反聖剣で円を描くようにして回転させる。勢いの乗った刃が勇者を襲った。
臆した勇者は回避ではなく、防御を選んだ。魔法〈絶対防御〉。悪手だ。拒絶の光はあっけなく切り裂かれ、反聖剣を腹に食らう。反聖剣は相手が高位の存在であるほどに力を増す。〈絶対防御〉は自身の格を引き上げる効果がある。
勇者は口から血を噴き出して吹っ飛ぶ。ありえない。勇者の口からこぼれた。勇者の手から聖剣が離れる。終わらせよう。ジークが勇者に告げた。勇者は許しを乞うた。助けてくれと。殺さないでくれと。ジークは剣で答えた。
反聖剣が光を纏う。けして美しい光ではない。目を覆う程の白でも、狂気に満ちた黒でもない。狂信の虹色でもない。
温かみのある蒲公英色。生と死の狭間にあってジークが見た光の色だ。
反聖剣が振り抜かれる。優しい色の光が伸びる。勇者が顔を歪めてその光を見た。
「あ」
勇者は光に切り裂かれて死んだ。
戦いが終わった。ジークは反聖剣を取り落とし、彼もまた雪の上に倒れ込んだ。冷たい。けれど熱い。
ジークは一人であっても一人ではなく、愛した女の命の熱さを心で感じ取っていた。フルナに会いたい。ジークの表情はこれまでにないほど安らかだった。
そして雪はやみ、光が射す。
*** ***
*** ***
それからまた何年もの時が流れ、国の王が変わった。悪政を敷き、民を飢えさせていた王が倒され、彼の父親が王に舞い戻ったのだ。
先王の時のような善政を期待し沸いた民衆だったが、新王は異常なほどに苛烈だった。勇者亡き今、魔物を殺せるのは勇者ならぬ民だと叫び、兵士の亡骸の上に魔物無き世を作ると宣言。そして見せしめのように、勇者を呼ぶことにこだわっていた聖殿を潰してみせた。
新王は言葉通り、数多の屍の上に魔物を駆逐。数えきれないほどの命が消えていった。新王は兵士の身内からの痛罵と怨嗟の声を聞きながら、魔物を滅ぼした。
彼は止まらなった。勇者と一部の人間だけに魔物の駆逐を任せていた今までがおかしかったのだと言って、強引に政策を推し進めた。
彼は在位の頃に暴王と呼ばれ、後に救国の王と呼ばれるようになる。臣下の多くが彼を恐れ、逃げ出す中、新王が玉座に舞い戻る時についてきた者たちは彼に従い続け、彼の命に従って魔物を狩り続けた。
その中には奇怪な形の剣を持ち、愛する妻を引きつれた男の姿もあったのだという。
勇者に村を焼かれた俺が憎しみを乗り越えて復讐を果たすまで 終わり
これで終わりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。
ハッピーエンドは作品書くぞと思って書いたのですが、いざ書いてみるとビターエンドな気もします。ちなみに表の主人公はジークですが、裏の主人公はアベルだったりします。復讐者の両側面ということで。
もしこの作品を読んで感じ入るところがあったら、下のポイント欄に点数入れたり、ブクマ押してくれたり、何なら感想とかいただけると泣いて喜びます。明日からまた頑張れます。




