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「ついてきてほしいところがある」


 それから一年が経った。勇者打倒の日は近い。ジークは来るべき時に備え昼夜を問わず、自身を鍛えあげていた。


 勇者を殺せる機会がある。それを知ってからの彼の成長は一層目覚ましく、もはや彼の師匠であるセイブとアベルに勝るとも劣らないほどであった。


「アベルさん?」


 決戦前に立ちよった町。ジークが宿屋の庭で剣を振っていると、アベルが話しかけてきた。相も変わらず漆黒の鎧を身につけた彼は、どことなく普段の様子と違う。


 沈黙。口数の少ないアベルは、話すよりも先に行動で示すことが多い。


「分かりました」


「助かる」


 本音を言えば剣を振りたかった。振っていないと落ち着かないのだ。けれど、アベルは師匠で、無意味なことは一切しない。きっとこれも何か意味のあることだ。ジークが頷くと、アベルは兜を傾けて礼を言った。カシャリと、鎧のぶつかる音がする。


「ならここで少し待っていてくれ。フルナを呼んでくる」


「フルナを?」


 アベルの要件がなんなのか、さっぱり分からなかった。よもやフルナと見合いでもしろというのだろうか。ジークはその場に立ち尽くしたまま、アベルがフルナを連れて帰ってくるのを待っていた。


   *


 三人連れ添って町の大通りを歩く。寂れて、心を病んだ山賊にいつ襲われるともしれない村々とは大違いだ。道を歩く商人も表情が明るく、活気に満ちている。ジークは初めて訪れた町だったが、アベルは町の中心を堂々と歩く。


「どこに向かっているんですか?」


 アベルの足取りに迷いはない。問うと「墓だ」という答えが返ってきた。


「墓?」


「あぁ」


 誰の、とは言わない。アベルは端的に答え、カシャカシャと音を立てながら歩く。フルナは妙におどおどとしながら、アベルの鎧を手でつかんでいた。


 全身鎧姿のアベルは町中では悪目立ちしそうなものだが、不思議と彼に目を向けるものはいない。アベルの魔法〈連結〉の効果だ。この魔法はジークやセイブの使いこなす魔法〈言霊〉同様かなり癖の強い魔法で、何かと何かをつなげることができる。


 ジークも使うことはできても使いこなすことができなかった。


 反対にアベルはこの魔法が得意で、今も場の雰囲気と自分の気配を〈連結〉させることで周囲の目をかいくぐっているらしい。


「に、兄さん」


「フルナ、大丈夫か?」


 先ほどからフルナの様子がおかしい。彼女はアベルの鎧を掴んでいない方の手で頭を押さえ、苦しそうに顔を歪めている。息は荒く、血の気も引いている。しかし義兄であるはずのアベルは折り込み済みと言わんばかりに黙々と目的の場所へ向かっている。


「アベルさん」


「……」


 ジークの言葉にも答えない。アベルの足は大通りを抜け、寂れた場所へ向いていた。ぽつぽつと建つ民家を通りすぎ、やがてあまり整備のされていない場所に出る。ずらりと十字に組まれた木が立ち並ぶ光景が見えた。墓場だ。


 アベルはただ暗い影を背負い、歩く。フルナの体調はますます悪くなる。ジークは引き返そうと何度も言ったが、アベルは聞き入れなかった。


 アベルの足は墓場の一角にある風化を始めた墓の前で止まった。



「ここだ」


 取り立てて珍しい墓ではない。死者の名前を刻んだ薄い木板を荒縄で組んで、棺桶の上に突き刺しただけのよくある墓。ジークも、殺された村の人々を弔うためにこうした墓を作ったことがある。〈アンイロアス〉に拾われてすぐの頃だ。


「あぅ」


「フルナ!」


 墓の前に来た瞬間、ついにフルナは気を失った。顔色はすでに真っ青で、額に大量の冷や汗を掻いている。苦痛に喘いでいた顔は、気を失うことでようやく和らいだ。


「アベルさん。ここは一体」


 不調を訴えるフルナに気づきつつ、無理に連れてきたのはアベルだ。フルナが苦しんでいる理由は分からないが、彼女にとってアベルは唯一の家族だ。フルナをアベルが苦しめる理由が分からない。ジークはアベルを咎めるような目で見る。


「やはり駄目だったか」


「何が駄目だったんですか」


 倒れ込んだフルナをアベルは抱きとめ、墓所の地面の上に寝かせた。優しく、赤子を寝かせるように、だ。


「この町で俺とフルナが生まれ育った」


 フルナの顔にかかった髪をそっと払い、ボソリと囁くように発せられた言葉。その意味を理解して、ジークは言葉をつづけることができなかった。


「そしてこの墓は、俺の妻が眠る墓だ」


 そう言ってアベルは墓を見た。元は白かったであろう墓木は茶色くくすみ、真横にいくつも亀裂が入っている。刻まれた名前もかすれて読めなくない。


 墓所の墓はまだ真新しいものがあり、すでに朽ち果ててしまったものがあり、それぞれに流れた時間を感じさせる。


 その下に眠っているであろうものに目を向け、アベルは呟く。


「俺の妻は勇者の仲間の魔法使いに殺された。ただ殺されただけじゃない。犯されて殺された」


「それは」


 薄々は知っていた。アベルの憎しみの根源。それが彼の妻にあると、セイブが少しだけこぼしていたのを聞いたことがあった。


「俺と()()()は幼馴染でな。昔からよく一緒に遊んだものだ。男と女の違いはあったが、あいつは男まさりなところがあったから、俺や他の奴らと混ざって日が暮れるまで遊んだものさ」


「俺とあいつの家も仲が良かったからな。あいつが許嫁になったのが俺が十歳の頃。嬉しかったよ。ケンカもしたが、それ以上にあいつにほれ込んでいた。その時生まれたばかりのフルナも可愛かったしな。俺は齢が経つにつれてあいつのことがますます好きになった。あいつさえいればいいとずっと思っていた」


「それで俺とあいつは結婚した。幸せだった。念願叶ってだ。町の兵士として俺は働いていて、仕事は忙しかったが日々は充実していたよ」


「あいつと結婚してしばらくたって、町に勇者が来た。そのせいでひどく仕事が増えた。連中は俺たちに無茶な要求ばかりつきつけて、できなければ怒って兵士を殺す。まるでそれが魔物を殺してやっている自分たちへの当然の行為だと言わんばかりにな」


 乾いた笑いが一度もれ、そこで一度アベルは言葉を切った。彼の拳は握りしめられ、ガシャガシャと鎧が音を立てる。


「あの時も勇者の我儘で仕事が立て込んで、帰りが遅れていた。兵舎を出たのが朝方。俺は急いで家に帰ったよ。でもいなかった。あいつも、フルナもいなかった。嫌な予感がした。だから町中探し回って、探し回って、見つけたんだ」


「物言えぬ体になってもなお凌辱されるあいつと、凌辱する魔法使いと、その光景を魔法で押さえつけられて延々見せられて壊れてしまったフルナの姿を」


「俺はそこ光景を見て、動けなかった」


「怖かったんだ。勇者たちが、魔法使いが圧倒的な魔法で俺の同僚を殺すところを何度も見ていたからな。恐怖が体に刻み込まれていたんだ」


「魔法使いが飽きてその場を去るまで、俺はずっと建物の影に立ち続けていたんだよ」


「俺はあいつを守れなかった。俺はあいつを愛していた。あいつが生きていた時も愛していたし、今だって愛している。だからこそ俺はあいつを許さない。俺は絶対に殺す。必ず殺す。刺し違えてでも殺す。あいつが生きていると思うだけで虫唾が走る。自分で自分が許せなくなる。あいつを殺し、フルナを壊したあいつを俺は絶対に殺す。そして――」


 アベルの言葉には深い憎しみがあって、その裏には亡き妻への愛があった。それ以上に、アベルは自分自身を憎んでもいた。彼は墓をそっと撫でる。


「ここにジークを連れてきたのは、お前の覚悟を聞きたかったからだ」


「覚悟」


「勇者を殺す(死ぬ)か、殺さない(生きる)のか。決まったか?」


 一年前にセイブから投げかけられた問いだ。だがアベルの語り口はセイブのそれよりずっと鋭かった。ジークはまだ答えを出せていない。復讐心に凝り固まったアベルの赤目が、ジークを引き裂くようににらみつける。


「俺は」




「復讐をしたいのなら、憎いのなら壊れてしまえ」




 地の底から響く声が、ジークの心を揺らした。


「憎いのならためらうな。手段を選ぶな。小奇麗な方法なんぞに頼るな。自分の全てを犠牲にしてでも殺せ。どうせ真っ当なままでは届かない。なら壊れてしまえ。思い出も、魂も、全部捨てて壊れてしまえば、届く」


 アベルの声は嘲りを含んでいた。それは一体誰に対するものか。


「復讐のために命なんてドブに捨ててしまえよ。俺は捨てるぞ。あの魔法使いを殺すためなら俺は死ぬことすら惜しくない。死後、永遠に地獄の炎に焼かれることも微塵も怖くない」


「壊れろ。そして殺せ。我が身を殺して勇者を殺せ。それができないなら」




「一生ベッドの下で震えていろ」




 ガシャリ。ジークは反射的に鎧越しにアベルの首を掴みあげた。彼の目に宿るのは怒りと憎しみ。重厚なはずの鎧がギチギチと軋む。


「俺は!」


「いい目をしてるじゃないか。それでもう一つの頼みだ」


「何を」


「妹を、フルナを頼んだ」


 ジークの目が揺らいだ。理解できなかった。怒りと憎しみに満ちていた目にあらゆる感情が渦巻く。


「なんで」


「俺が言いたいことはそれだけだ。じゃあな」


 アベルは力を失ったジークの手を振り払うと、すたすたと宿へ引き返してしまった。ジークと、気を失ったフルナだけが残る。


 ジークは地面に寝かせられたフルナに目を向ける。純粋無垢で、幼子のようなしぐさを見せるフルナ。栗色を三つ編みに結んだ髪も、身につけている服も、年下の子どもそのもの。


 そしてすらりと長い手足に女性らしく育った体。フルナは今年で二十二歳になる。


 フルナは姉が凌辱される光景を悪趣味極まる魔法使いによって延々と見させられ、心が壊れてしまった。今のフルナの心は穢れを知らない幼子そのものだ。フルナは姉が死んだという事実から目を背け、現実から目を背け、無垢でいられた頃を求めた。


 それでいてフルナはジークに対して愛情を向けている。その心のあり方はあまりに歪で、壊れている。


「俺にどうしろっていうんだ」


 復讐したいなら壊れてしまえと言ったアベル。フルナを頼むと言ったアベル。矛盾している。筋が通っていない。アベルらしくない。


 勇者は憎い。殺したい。そのためなら命だって惜しくない。でも復讐して、その先に何がある? 全てを捨てて、姉が帰ってくるとでも言うのか? 俺の心が晴れて、仲間の、フルナの心が曇るだけじゃないのか?


 ジークはフルナを見る。自分を好いてくれる女を見る。アベルはきっと死ぬ気だ。死んででも復讐をやり遂げるつもりだ。


「ならフルナはどうなる?」


 アベルが死んで、俺まで死んだら彼女はどうなる。義賊の仲間が皆勇者に殺されたらどうなる。もしフルナが一人生き残ってしまったら。


 ぐるぐると考えが頭を回る。まとまらない思考。食い殺される村人の姿。真っ黒な魔物。死んだ姉の顔。憎い勇者。燃やされ、破壊された村の残骸。そして。


 最後に浮かんだのは自分を見て、安心しきったように笑うフルナの顔だった。


「俺は」


 セイブに話そう。ジークは気を失ったフルナを抱え上げ、墓場を後にした。


   *


「帰った」


「おう。……どうした?」


「何がだ」


「顔色悪いぞ」


「顔は見えないだろう」


 アベルが宿屋に帰ると、セイブが使っている剣の手入れをしていた。彼はアベルを見て手を止める。


「何年の付き合いだと思ってやがる。そんくらいわかるよ」


「そうか。ジークと話をした。あいつの墓の前だ」


「ふぅん。そうかい」


 セイブは剣を机の上に置いた。彼の使う剣は白銀に美しく輝いている。野をさまよう義賊の頭目が使うような武器には見えない。


「それでジークに復讐なんてすんなって言ったのか?」


「……」


 その沈黙こそが何より雄弁な答えだった。アベルを見てセイブは苦笑する。アベルは極度の口下手だ。どうせ不器用な言葉でジークを困らせたに違いない。


「馬鹿だなお前。そんなこと言う位なら、お前だってやめちまえばいいんだ」


「俺はもう戻れん。だがジークはまだ若い。一線を超えていない。引き返せる」


「そうかい」



 短くも揺るぎないアベルの答えに、セイブは肩をすくめた。アベルは腰に差した双剣を撫でる。真っ黒な刀身に目を向けたまま、アベルが口を開いた。


「なぁ、お前は憎くないのか?」


「何がだよ」


「勇者をだ」


 セイブの目がアベルをとらえる。アベルは剣を撫でるばかり。彼はセイブの剣に視線を向けた。


()()()()()()()()()()()()勇者を、憎む気持ちはないのか?」


「ないな」


 即答だった。セイブは一度置いた剣を掴み、剣を日の光に当てる。


「憎んでどうなる。憎んで何かが変わるのか?」


「変わらないな」


「だろ? 復讐なんて無意味なんだよ。だから俺は憎まねぇ。復讐もしねぇ。強いて言えば、勇者を使って国をしっちゃかめっちゃかにした息子に怒ってるくらいで、むざむざ玉座を追い出された自分自身が許せないくらいだ。じゃなけりゃ勇者を殺そうなんて言わねぇし」


「そうか」


 話は終わりだと言わんばかりに、セイブは剣を鞘に納めた。立ち上がって宿の入り口の方を見る。


「俺らは、義理と人情で賊をやってるから義賊なんだよ」


 カランと音を立てて入り口の扉が開いた。そこからフルナを抱えたジークが入ってくる。


 彼の表情を見て、セイブはニヤリと笑った。


「復讐でやってちゃ義賊とは言わねぇ。そうだろ」


「……そうか」


 アベルもまたセイブの言葉にふっと笑った。


   *


 そして数日後。この年の初雪が降った。雪は淡々と降り積もり、大地を覆い隠す。それは〈アンイロアス〉にとって好都合で、天が彼らを味方しているように思えた。


「行っちゃうの?」


「あぁ」


 ジークは武骨な革のブーツの紐を固く絞め、背中の剣の調子を確かめていた。防具は身につけていない。動きやすい薄手の衣服を身につけているだけだ。


「今から勇者を殺してくる。フルナは宿屋で待っていてくれ」


「い、いや」


「フルナ」


「行かないでジーク。兄さんがいなくなって、ジークまでいなくなったら私は」


 フルナは震える手でジークの裾を掴んだ。目は潤み、声は湿っている。ジークは唇をきゅっと噛みしめた。


 ジークは勇者と戦うことに決めた。勇者の実力はよく知っている。実力差は歴然。どれだけ準備を重ねても、天と地ほどの差がある。それはジークも重々承知していた。


 けれど。


「死ぬ気はない。必ず生きて帰ってくる。だから待ってて」


「ジーク」


 ジークはフルナを抱き寄せた。熱い。この熱さは生きている証明だ。その熱さをジークは全身で覚える。


 フルナを、無垢な少女の心を持った女を、ジークは強く愛おしいと思った。


 突然抱きしめてきたジークに、フルナは体をこわばらせたが、すぐに力を抜き、その身をジークにゆだねた。


「帰って来たらいいたいことがあるんだ」


 さよならは言わない。ただ一言、「またね」と言ってジークは外に出た。雪の積もった町にはすでに義賊の仲間たちが準備万端でジークが来るのを待っていた。


 寒空の下で冷たい風がふく。風はフルナの熱さをぬぐいさってしまったが、不思議とジークは彼女の熱さを肌に感じていた。

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