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外れスキル《強化》は、倒した魔物の特性を吸収する 〜同接三人の底辺探索者、銀座ダンジョン配信で成り上がる〜  作者: 夕暮れ


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第9話 足りない準備

 第一層での検証を終えた日の夜、俺は机の上に装備を並べていた。


 探索者ナイフ。

 小型の予備ナイフ。

 ひびの入った防刃ジャケット。

 傷の残った腕当て。

 応急用の包帯。

 安物の閃光玉が一つ。


 それから、空になった雷撃札のケース。


 並べてみると、改めて分かる。


 足りない。


 どう考えても足りない。


 第一層なら、これでもどうにかなる。

 灰色スライムや小型牙鼠を相手にするだけなら、慎重に動けば戦える。


 けれど、第二層は違う。


 岩皮猿。

 石爪犬。


 あの二体を思い出すだけで、左腕の傷が痛む気がした。


 岩皮猿は瀕死だった。

 俺は最後に雷撃札を撃っただけだ。


 石爪犬も、ぎりぎりだった。


 それなのに、俺は第二層のことを考えている。


 馬鹿だと思う。


 自分でもそう思う。


 でも、第一層の検証では分からなかった。


 倒しても、変化は小さすぎた。


 魔力は入ってくる。

 スキル《強化》の発動表示も出る。


 けれど、岩皮猿や石爪犬を倒した時のような、はっきりした特性吸収の表示は出なかった。


 倒した魔物によって、伸び方が違う。


 その仮説を確かめるには、第一層だけでは足りない。


 そう分かってしまった。


 俺はスマホを開き、探索者向け装備ショップのページを見る。


 雷撃札。


 値段を見て、すぐに画面を閉じたくなった。


 高い。


 やっぱり高い。


 低ランク探索者向けの使い捨て魔法道具とはいえ、俺にとっては簡単に買えるものではない。

 前回使った一枚も、数週間分の稼ぎを削って買った最後の保険だった。


 三浦さんは言っていた。


 第二層に行くなら、雷撃札は最低二枚は欲しい。


 二枚。


 今の俺の手持ちでは、無理だった。


 岩皮猿と石爪犬の素材分配は、まだ管理局の事故調査が終わっていない。

 正式な入金は少し先になるらしい。


 配信の切り抜きは伸びた。

 登録者も増えた。

 同接も、前よりはずっと多い。


 けれど、それがすぐに金になるわけではない。


 配信収益は、まだ小さい。

 しかも実際に振り込まれるのは先だ。


 ついこの間まで同接三人だった人間が、いきなり装備を新調できるほど、世の中は都合よくできていない。


 俺は通帳アプリを開いた。


 家賃。

 食費。

 装備の補修費。

 通信費。

 探索者保険の支払い。


 数字を見ていると、気持ちがどんどん現実へ引き戻される。


 第二層へ行きたい。


 そう思っただけで行ける場所ではない。


 金がいる。

 装備がいる。

 経験がいる。

 それに、本来なら一緒に潜ってくれる探索者も必要だ。


 三浦さんに頼るわけにはいかない。


 あの人は怪我をしている。

 しばらくは探索禁止だと言っていた。

 そもそも、あの事故で俺を巻き込んだことを気にしているはずだ。


 そんな人に、第二層へ連れていってください、なんて言えるわけがない。


 俺は椅子にもたれ、天井を見上げた。


「……無理だろ、普通」


 声に出すと、部屋の中でやけに情けなく響いた。


 無理。


 そうだ。


 普通に考えれば無理だ。


 第一層の探索者が、一昨日たまたま第二層の魔物を倒したからといって、すぐに第二層へ挑むなんて危なすぎる。


 コメント欄でも言われている。


『二層はまだ早い』

『装備整えてからにしろ』

『調子乗ったら死ぬ』


 だいたい正しい。


 だから俺は、第二層へ行くつもりはない。


 少なくとも、すぐには。


 そう言い続けていた。


 けれど、机の上にはメモ帳がある。


 灰色スライム。

 小型牙鼠。

 石殻虫。


 変化は不明。

 第一層では小さすぎる。


 知りたい。


 自分のスキルが何なのか。


 外れだと思っていた《強化》が、ただの偶然ではないのか。

 岩皮猿と石爪犬の時に見た表示が、本当に俺のスキルの本質なのか。


 それを確かめたい。


 俺はもう一度スマホを開いた。


 今度は装備ショップではなく、探索者協会の情報ページを開く。


 第二層初心者向け注意事項。


 何度も見たページだ。

 今までは、自分には関係ないと思って流し読みしていた。


 今日は、一つ一つ真剣に読んだ。


 第二層の浅い区域に出現する主な魔物。

 岩皮猿。

 石爪犬。

 土潜り蛇。

 棘兎。


 推奨装備。

 第二層対応防具。

 予備武器。

 視界確保用ライト。

 閃光玉、煙玉などの緊急離脱道具。

 足止め用魔法道具。

 携帯用救難ビーコン。


 初回は第二層経験者と同行を推奨。

 複数魔物を確認した場合は戦闘を避けることを推奨。


 文字を追うたびに、自分に足りないものが増えていく。


 第二層対応防具はない。

 足止め用の雷撃札は買えても一枚が限界。

 経験者の同行もない。

 救難ビーコンはレンタルできるが、保証金が高い。


 駄目だ。


 やっぱり、まともに準備しようとすると金が足りない。


 俺は椅子から立ち上がり、装備箱の中を探った。


 古い腕当て。

 予備のベルト。

 使いかけの治療スプレー。

 刃こぼれしたナイフ。


 売れるものはほとんどない。


 そもそも、売るほど良い装備を持っていなかった。


 そこで、スマホが震えた。


 配信アプリの通知だった。


『強化くん、次いつ?』

『二層行くなら見る』

『一層検証またやって』

『装備費カンパとか受けないの?』

『スパチャ開けてないの?』


 俺は画面を見て、少しだけ顔をしかめた。


 カンパ。

 スパチャ。


 配信収益を増やす方法はある。


 でも、今の俺がそれを堂々と受け取るのは、少し怖かった。


 あの事故で注目されただけの人間だ。

 岩皮猿は瀕死だった。

 石爪犬も、閃光玉ありでぎりぎりだった。


 そんな状態で、第二層に行きたいので支援してください、なんて言えば、何を言われるか分からない。


 それに、金をもらえば期待も乗る。


 見られているから引けない。

 盛り上げないといけない。

 撤退判断が遅れる。


 三浦さんが言っていた言葉が頭をよぎる。


 配信していると、どうしても無理をする。


 俺はスマホを伏せた。


 支援に頼るのは、まだ早い。


 少なくとも、今は違う。


 自分で用意できる範囲でやる。

 その範囲を越えることはしない。


 翌日、俺は装備ショップへ向かった。


 銀座ダンジョン地上施設の近くには、探索者向けの店がいくつも並んでいる。


 上位探索者向けの高級装備店。

 中堅探索者向けの魔法道具店。

 中古装備を扱う安い店。

 消耗品専門の露店に近い店。


 俺が入ったのは、当然いちばん安い部類の店だった。


 店内には、傷のついた防具や、型落ちのナイフ、使用回数の少ない中古の魔法道具が並んでいる。


 新品の匂いはしない。


 金属と革と、少し古い油の匂いがする。


「第二層の浅い区域に行く装備を見たいんですけど」


 店員にそう言うと、相手は俺を上から下まで見た。


 包帯。

 安物の防具。

 使い込んだナイフ。


 それだけで、だいたいの懐事情は分かるのだろう。


「初めてか?」


「はい」


「一人か?」


「……できれば同行者を探します。でも、準備だけ先に」


 店員は少し眉を上げたが、それ以上は聞かなかった。


「なら、見栄張って高いの買うより、生き残るための装備を大事にしたほうがいい。まずは生きて帰ることだ」


 その言葉は、妙に響いた。


 生きて帰る装備。


 俺は頷いた。


 店員が並べてくれたのは、予算内でぎりぎり届くものばかりだった。


 中古の腕当て。

 軽量のすね当て。

 型落ちの防爪グローブ。

 安物の煙玉二つ。

 閃光玉一つ。

 そして、低出力の雷撃札が一枚。


「雷撃札はこれが一番安い。威力は低いがな」


 あの岩皮猿は、足止め用の雷撃札でたまたまトドメになっただけだ。


 本来は倒すための道具ではない。


 合計金額を見て、俺は息を止めた。


 高い。


 予算をかなり超えている。


 雷撃札を外せば、少し楽になる。

 でも、第二層で足止め手段なしは怖すぎる。


 防爪グローブを外せば、手持ちに近づく。

 でも石爪犬の牙と爪を思い出すと、外す気になれない。


 煙玉を一つ減らす。

 閃光玉を一つにする。

 すね当てを諦める。


 そうやって、少しずつ削る。


 削るたびに、安全が薄くなっていく気がした。


 最終的に買えたのは、中古の防爪グローブ、閃光玉一つ、煙玉一つ、低出力の雷撃札一枚だった。


 腕当てとすね当ては諦めた。

 防刃ジャケットの補修も最低限だけにした。


 財布の中身は、ほとんど消えた。


 店を出たあと、俺はレシートを見ながらしばらく立ち尽くした。


「……これで足りるのか?」


 答えは分かっている。


 足りない。


 どう考えても足りない。


 三浦さんが言っていた最低ラインにも届いていない。


 雷撃札は二枚ではなく一枚。

 防具も第二層対応とは言い切れない。

 同行者もいない。


 けれど、買う前よりはましだ。


 少なくとも、石爪犬に腕を噛まれた時の反省は少しだけ反映できている。

 逃げるための煙玉もある。

 閃光玉もある。

 雷撃札も一枚だけだが戻ってきた。


 完璧ではない。


 でも、今の俺にできる準備は、これが限界だった。


 その夜、俺は配信の告知文を打っていた。


 何度も書いて、何度も消した。


【第二層初挑戦!】


 これは違う。


【第二層入口付近の探索】


 これならまだいい。


 俺はそのタイトルを見つめた。


 第二層入口付近。


 深くは行かない。

 入口から離れない。

 魔物を見ても、無理に戦わない。

 複数確認したら即撤退。

 怪我の痛みが出たら戻る。

 魔力が半分を切った感覚があれば戻る。

 コメントに煽られても進まない。


 メモ帳に撤退条件を書き出していく。


 一つ書くたびに、自分に言い聞かせる。


 これは挑戦ではない。

 冒険してはいけない。


 成長の手応えを確かめるための、短い探索。


 そうでなければならない。


 告知文を投稿すると、すぐに反応が来た。


『二層行くのかよ』

『早いって』

『入口付近だけにしろ』

『見に行く』

『装備大丈夫か?』

『強化くん、死ぬなよ』


 死ぬなよ。


 そのコメントに、しばらく指が止まった。


 俺だって死にたくない。


 それでも、行く。


 自分でも矛盾していると思う。


 けれど、第一層だけではもう分からない。


 少し前まで外れだと思っていた《強化》が、本当に違う意味を持っているのなら。


 それを確かめるには、少しだけ前に進むしかない。


 スマホに、三浦さんからメッセージが届いた。


『告知見た。本気か?』


 俺はすぐに返事を打てなかった。


 怒られる。


 そう思った。


 しばらく迷ってから、正直に返す。


『入口付近だけです。深くは行きません。無理ならすぐ戻ります』


 数分後、返事が来た。


『本当は止めたい』


 胸が少し重くなる。


 続けて、もう一通。


『でも、止めても行きそうだから言っておく。無理だと思ったらすぐ逃げろ。最初の一体で撤退しても恥じゃない』


 俺は、その文面を何度も読んだ。


 三浦さんは、俺を責めなかった。

 止めきれないと分かったうえで、戻るための言葉をくれた。


 俺は短く返す。


『分かりました。必ず戻ります』


 送信してから、スマホを机に置いた。


 装備をもう一度確認する。


 ナイフ。

 予備ナイフ。

 防爪グローブ。

 閃光玉二つ。

 煙玉一つ。

 低出力の雷撃札一枚。

 包帯。

 水。

 メモ帳。


 足りない。


 それでも、これが今の全部だ。


 俺は防爪グローブを手にはめてみた。


 少し硬い。

 中古だから、手に馴染むまで時間がかかりそうだ。


 でも、素手よりはずっといい。


 石爪犬に噛まれた左腕が、まだ痛む。

 その痛みが、逆に油断するなと教えてくれている気がした。


 翌日。


 俺は銀座ダンジョンの地上施設に立っていた。


 第二層へ続く通路の立入制限は解除されている。


 受付で第二層入口付近の探索申請を出すと、職員が俺の顔を見て、すぐに分かったような表情をした。


「朝倉さん。本当に行くんですか」


「入口付近だけです」


「初回の単独探索は推奨しません」


「分かっています」


「配信は?」


「します。記録も兼ねて」


 職員はしばらく俺を見ていた。


 止めたいのだろう。


 だが条件を満たして申請すれば、第二層への立ち入りは可能だ。

 もちろん、推奨はされない。


「危険を感じたら即撤退してください」


「はい」


「救難信号の操作は分かりますか」


「分かります」


「魔力消耗、出血、複数体の魔物との遭遇。この三つのどれかがあれば戻ってください」


「はい」


 職員は端末に何かを入力し、許可処理を通した。


「許可は出します。ただし、無理はしないでください」


「ありがとうございます」


 俺は頭を下げた。


 第一層入口を越え、見慣れた通路を進む。


 配信は、まだ始めていない。


 第二層の階段前で始めるつもりだった。


 第一層の通路は、いつも通り薄暗い。

 灰色スライムが遠くでゆっくり動いている。

 小型牙鼠の気配もある。


 これまでは、ここが俺の全部だった。


 今も、それは大きく変わらない。


 俺はまだ第一層の探索者だ。


 でも、今日はその先へ行く。


 第二層へ続く階段が見えてきた。


 事故の跡は、ある程度片づけられている。

 崩れた壁には応急補強が入り、管理局の警告札が貼られていた。


 俺は階段の前で足を止める。


 心臓が速い。


 怖い。


 当然だ。


 岩皮猿が上がってきた場所だ。

 石爪犬が現れた場所だ。

 俺が死にかけた場所だ。


 俺は腰のポーチに触れた。


 閃光玉。

 煙玉。

 雷撃札。


 全部ある。


 足りないけれど、ある。


 次に、メモ帳を見る。


 撤退条件。


 俺は深く息を吸い、配信を開始した。


「朝倉です。今日は第二層入口付近の確認配信をします。最初に言っておきますが、深くは行きません。危険を感じたらすぐ戻ります」


 コメント欄が、すぐに流れた。


『本当に来た』

『早いって』

『無理すんな』

『入口だけな』

『逃げろよ、マジで』

『装備見せて』

『強化くん、死ぬな』


 俺はコメントを見て、頷いた。


「死なないために来ました」


『どういう意味?』

『かっこつけた?』

『いや怖がってる顔してるぞ』

『正直でよろしい』


 俺は少しだけ笑った。


 笑えたことに、自分で少し驚いた。


「自分のスキルが何なのか、まだ分かってません。でも、第一層だけでは分からないことも分かりました。だから、少しだけ進みます。戦うためじゃなくて、確かめるために。このまま何も知らないままでいたら、それこそ何もできずに終わる気がするので」


 言葉にすると、胸の中が少しだけ落ち着いた。


 俺は階段の下を見た。


 暗い。


 第一層の通路より、さらに深く沈んだような闇が続いている。


 その先に、第二層がある。


 装備は足りない。

 経験も足りない。


 足りないものばかりだ。


 それでも、俺は一歩を踏み出した。


 階段の石が、靴底の下で冷たく鳴る。


 胸の奥には、怖さと一緒に、消えない熱があった。


 成長の手応え。


 それが本物なのか、確かめるために。


 俺は初めて、自分の意思で第二層へ降り始めた。

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