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外れスキル《強化》は、倒した魔物の特性を吸収する 〜同接三人の底辺探索者、銀座ダンジョン配信で成り上がる〜  作者: 夕暮れ


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第4話 強化くん強くなる

 階段の出口で、足音が止まった。


 暗がりの奥に、二つの目が浮いている。


 岩皮猿のような重さはない。

 だが、その分、嫌な速さを感じさせる気配だった。


 低い唸り声が、石の通路に這うように広がる。


 三浦さんが、血の気の引いた顔で呟いた。


「石爪犬だ」


 その名前は知っている。


 第二層に出る犬型の魔物。

 岩皮猿ほどの耐久はない。

 だが、動きが速く、硬い爪で獲物を切り裂く。


 第二層では弱い部類。


 けれど、それは第二層の探索者から見た話だ。


 第一層の俺にとっては、どう考えても格上だった。


 暗がりから、魔物が一歩出てくる。


 灰色の皮膚。

 細い体。

 獣のように低い姿勢。

 前脚の先には、石を削り出したような爪が生えていた。


 石爪犬は、倒れた岩皮猿の死骸をちらりと見た。


 それから、俺を見た。


 背中に冷たいものが走る。


 岩皮猿を倒した直後だ。

 身体の奥にはまだ熱が残っている。

 筋力が上がった。

 耐久が上がった。

 打撃耐性が上がった。


 視界に出た文字は、そう告げていた。


 でも、それで本当に第二層の魔物と戦えるのか。


 分からない。


 というより、普通に考えれば無理だ。


 俺はついさっきまで、第一層の小型牙鼠に手間取っていた人間だ。

 岩皮猿は瀕死だった。

 倒したのも雷撃札のおかげだった。


 自力で倒したわけじゃない。


 なのに、今度は雷撃札がない。


 頼れる切り札はもうない。

 逃げ道は瓦礫で狭まっている。

 三浦さんは魔力切れでまともに動けない。


 石爪犬の喉から、低い唸りが漏れた。


 コメント欄が流れる。


『石爪犬?』

『二層のやつじゃん』

『札もうないぞ』

『逃げろ』

『無理無理無理』

『管理局まだ?』

『強化くん、下がれ』


 下がりたい。


 今すぐ下がりたい。


 だけど、俺が下がれば三浦さんが先にやられる。


 三浦さんは短槍に手を伸ばそうとしていた。

 だが、腕が震えている。

 握れたとしても、まともに振れる状態じゃない。


「朝倉、無理するな」


 三浦さんが言った。


 その声はかすれていた。


「瓦礫の隙間から逃げろ。俺が少しだけ時間を――」


「無理です」


 自分でも驚くくらい、はっきり声が出た。


 三浦さんが俺を見る。


「その体で時間なんて稼げません。俺が逃げてる間に、三浦さんが死にます」


「だからって、お前が前に出ても――」


「分かってます。勝てるなんて思ってません」


 本当に、思っていなかった。


 ただ、逃げられないだけだ。


 俺はナイフを握り直した。


 安物の探索者ナイフ。

 第二層の魔物を相手にするには、心細すぎる武器。


 石爪犬が、体を沈めた。


 来る。


 そう思った瞬間、灰色の影が床を蹴った。


「速っ――」


 言い終わる前に、石爪犬が目の前にいた。


 前脚が振られる。


 爪が、顔面を狙ってくる。


 避ける。


 頭ではそう思った。


 体は、半歩だけ遅れた。


 俺は横へ飛ぶ。

 完全には避けきれない。


 左肩に衝撃が走った。


「ぐっ!」


 防刃ジャケットの表面が裂ける。

 肩に鋭い痛みが走った。


 だが、腕は動く。


 骨は折れていない。


 前なら、どうなっていたか分からない。

 小型牙鼠の体当たりですら姿勢を崩していた俺が、第二層の魔物の爪を受けて、まだ立っている。


 それだけで、異常だった。


『今の耐えた?』

『肩入ったよな?』

『普通に動いてる』

『いや危ないから逃げろ』

『なんか強くない?』


 コメントを読む余裕はない。


 石爪犬がすぐに反転する。


 速い。


 だが、見える。


 見えない速さじゃない。


 俺はナイフを構え、呼吸を整えようとした。


 足が震える。

 怖い。

 体は強くなったかもしれない。

 でも、心まで強くなったわけじゃない。


 石爪犬が二度目の突進を仕掛けてくる。


 今度は真正面。


 俺は横へ逃げようとして、途中で止まった。


 ただ避けるだけでは、三浦さんの方へ行く。


 俺はナイフを両手で握り、石爪犬の前脚に合わせて振った。


 硬い音がした。


 ナイフと爪がぶつかる。


 腕に衝撃が走る。

 肩の傷が痛む。

 だが、弾かれなかった。


 押されながらも、俺は踏みとどまった。


「う、ぐ……!」


 足の裏が床を掴む。


 さっきまでとは違う。


 体が、前よりも重さに耐えられる。


 岩皮猿の耐久。

 打撃耐性。

 筋力。


 それが本当に効いているのか。


 分からない。

 分からないが、今の俺は踏みとどまれている。


 三浦さんが叫ぶ。


「立ち止まるな! そいつは軽いが、素早い!」


「はい!」


 返事をした瞬間、石爪犬が首を振った。


 爪を弾いた直後、牙が来る。


 俺は慌てて体を引く。


 歯が鼻先をかすめた。


 そのまま石爪犬の体が横を抜ける。


 俺は反射的にナイフを振った。


 刃が、石爪犬の脇腹を浅く切る。


 浅い。


 だが、血が出た。


 通った。


 安物のナイフでも、当て方次第では傷をつけられる。


 それだけで、少しだけ息ができた。


『当てた!』

『今の入ったぞ』

『強化くん、戦えてる?』

『いや浅い』

『でも二層の魔物相手だぞ』

『さっきまで一層で赤字とか言ってたやつだよな?』


 石爪犬が低く吠えた。


 怒ったのか、警戒したのか。

 動きが少し変わる。


 正面からではなく、通路の壁際を使って回り込んできた。


 賢い。


 ただ突っ込んでくるだけじゃない。


 俺は後ろへ下がる。

 背中が瓦礫に触れた。


 しまった。


 逃げ場がない。


 石爪犬が跳んだ。


 低い姿勢から、喉元を狙ってくる。


 俺はナイフを間に入れる。


 だが、間に合わない。


 石爪犬の爪が、胸元に食い込んだ。


「がっ……!」


 衝撃で背中を瓦礫に打ちつける。


 息が詰まる。

 防具が裂け、胸に痛みが走る。


 石爪犬の牙が迫る。


 俺は左腕を差し込んだ。


 噛まれる。


 激痛。


 防具越しでも、骨まで届きそうな圧力だった。


「朝倉!」


 三浦さんの声が聞こえた。


 でも、俺は返事できない。


 石爪犬が腕を噛んだまま、首を振ろうとしている。


 このままだと腕を持っていかれる。


 恐怖で頭が白くなりかけた。


 その時、腰のポーチに硬い感触が残っていることに気づいた。


 雷撃札はもうない。


 だが、全部が空になったわけじゃない。


 閃光玉。


 さっき第一層で小型牙鼠に使ったものとは別に、もう一つだけ残していた。

 目を眩ませることくらいはできるかもしれない。


 石爪犬が腕を噛んだまま、さらに力を込める。


「ぐ、う……!」


 俺は右手のナイフを落とさないように握りしめたまま、左腰のポーチへ指を伸ばした。


 届かない。


 石爪犬の体が邪魔で、腕がうまく曲がらない。


 三浦さんが叫ぶ。


「何をしてる!」


「閃光玉が……!」


 考える余裕はなかった。


 石爪犬の口が、さらに深く腕に食い込む。


 俺は閃光玉を床に叩きつけた。


 同時に、目を強く閉じる。


 白い光が、まぶた越しにも爆ぜた。


 石爪犬が悲鳴を上げる。


 噛む力が一瞬だけ緩んだ。


 俺は左腕を引き抜き、体を横へ転がす。


 視界が白い。

 目を閉じていても、光の残像がちらつく。


 完全には防げなかった。


 俺も眩んでいる。


 けれど、石爪犬の方がひどい。


 魔物は頭を振り、爪で床を引っかきながら暴れていた。


「今だ、朝倉! 前脚を狙え!」


 三浦さんの声だけが頼りだった。


 俺は目を細め、白く滲む視界の中で石爪犬の影を探す。


 いた。


 低くうずくまっている。

 完全に止まってはいない。

 だが、動きは乱れている。


 俺は落としかけたナイフを握り直し、踏み込んだ。


 足元がふらつく。


 肩が痛い。

 胸も痛い。

 噛まれた腕は熱を持っている。


 それでも、ここで行かなければ次はない。


 俺は石爪犬の前脚へナイフを振り下ろした。


 一撃目は外れた。


 視界がまだ白く、距離感が狂っていた。


 石爪犬の爪が反射的に振られ、俺の太ももをかすめる。


「っ!」


 痛みで膝が崩れそうになる。


 だが、石爪犬も完全には見えていない。

 攻撃は浅い。


 俺は倒れ込む勢いを使って、もう一度ナイフを突き出した。


 今度は入った。


 硬い爪ではなく、前脚の関節の内側。


 石爪犬が甲高く鳴く。


 前脚が崩れた。


「押し切れ!」


 三浦さんが叫ぶ。


 俺は返事をする余裕もなく、石爪犬に体当たりするようにぶつかった。


 魔物の体は軽い。

 でも、暴れる力は強い。


 爪が腕を裂く。

 牙が肩口をかすめる。

 俺のナイフは何度も浅く滑る。


 綺麗な戦いではなかった。


 狙い澄ました一撃でもない。

 成長した力で圧倒したわけでもない。


 閃光玉で目を潰し、足を止め、痛みに耐えながら押し込んでいるだけだ。


 それでも、前の俺ならその押し込みすらできなかった。


 岩皮猿から得た筋力が、耐久が、ぎりぎりのところで体を支えていた。


「う、あああっ!」


 俺は石爪犬の首元へナイフを突き込んだ。


 浅い。


 まだ動く。


 もう一度。


 石爪犬が暴れ、俺の頬に爪がかすった。


 熱い痛みが走る。


 三度目。


 刃が硬いものを砕いた感触があった。


 石爪犬の体が、大きく震える。


 それでも俺は手を離せなかった。


 まだ動くかもしれない。

 まだ噛まれるかもしれない。


 恐怖のまま、ナイフを押し込む。


 やがて、石爪犬の力が抜けた。


 通路が静かになる。


 俺は石爪犬の上に半ば倒れ込むような形で、荒い息を吐いていた。


 視界の端に、文字が浮かぶ。


 ――石爪犬を討伐しました。

 ――魔力を吸収します。

 ――スキル《強化》が発動しました。


 熱が来た。


 岩皮猿の時ほどではない。

 だが、今度も確かに違った。


 細く鋭い熱が、脚と腕を通る。

 神経の一本一本に、火花が走るような感覚。


 そして、表示が続く。


 ――石爪犬の特性を吸収しました。

 ――敏捷がわずかに上昇しました。

 ――爪撃耐性がわずかに上昇しました。

 ――瞬発力がわずかに改善されました。


 俺は、息を止めた。


 まただ。


 岩皮猿の時だけじゃない。


 倒した魔物の特徴が、俺に入っている。


 岩皮猿からは、筋力と耐久と打撃耐性。

 石爪犬からは、敏捷と爪撃耐性と瞬発力。


 表示の意味は、まだ完全には分からない。


 だが、偶然ではない。


 これは、俺のスキルだ。


 《強化》。


 敵を倒すほど強くなる。


 その説明は、間違っていなかった。


 ただ、俺も、周りも、意味を分かっていなかっただけだ。


「……倒した」


 呟いた声は、自分でも信じられないほど小さかった。


 三浦さんが、床に座り込んだまま俺を見ていた。


 その顔には、さっきよりもはっきりと驚きが出ている。


「お前……本当に第一層の探索者か?」


「昨日も第一層の探索者でした」


「昨日は、だろ」


「今日もそのつもりでした」


 三浦さんは一瞬だけ呆れたような顔をして、それから力なく笑った。


「今のはお前だけの力で倒したんだ」


 その言葉で、ようやく実感が遅れてやってきた。


 俺が倒した。


 瀕死の岩皮猿ではない。

 誰かが削った相手に、道具で最後の一撃を入れたわけでもない。


 石爪犬は、俺が戦って倒した。


 もちろん、三浦さんの助言もあった。

 閃光玉も使った。

 逃げ道がなくて、選択肢がなかっただけでもある。


 それでも、倒した。


 第一層の雑魚に苦戦していた俺が、第二層の魔物を。


 コメント欄が、爆発したように流れた。


『倒した?』

『今のは自力だよな?』

『閃光玉ありでもすごいだろ』

『石爪犬って二層魔物だよな?』

『さっきまで牙鼠に苦戦してたやつだぞ』

『動き変わりすぎじゃね?』

『岩皮猿倒してから明らかに硬くなってた』

『強化ってそういう意味?』

『これ切り抜いた』

『今来た、何が起きた』

『強化くんが二層の魔物倒した』


 画面の数字が増えている。


 十二人だった同接が、二十人を超えていた。

 三十人。

 四十人。


 数字が動くたびに、現実感が薄れていく。


 いつもの配信なら、同接が一人増えただけで気づく。

 コメントが一つ流れただけでありがたい。


 なのに今は、追いつかない。


 知らない名前が次々に流れていく。


『マジで第一層探索者?』

『雷撃札のやつ見逃した』

『誰かクリップ貼って』

『石爪犬戦は見た、普通にすごい』

『でも三浦の助言ありきだろ』

『閃光玉も使ってる』

『それでも倒せるのはおかしい』


 俺は何か言わなければと思った。


 でも、言葉が出てこない。


 配信者なら、ここで盛り上げるべきなのかもしれない。

 勝ちました、と笑えばいいのかもしれない。

 これが《強化》です、と胸を張ればいいのかもしれない。


 けれど、そんなことはできなかった。


 俺はただ、血のついたナイフを握ったまま、倒れた石爪犬を見下ろしていた。


 怖かった。


 勝ったことよりも、今の自分の身体の変化が怖かった。


 ついさっきまで、自分は外れスキルの底辺探索者だった。

 その認識が、足元から崩れていく。


 三浦さんが、静かに言った。


「助けてもらってなんだが、勘違いするなよ、朝倉」


 俺は顔を上げた。


「お前はまだ強いわけじゃない。今のも、かなり危なかった。普通に死んでてもおかしくなかった」


「……はい」


「でも、さっきより明らかに伸びてる。岩皮猿を倒す前のお前なら、石爪犬の初撃で終わってた」


 その言葉は、褒め言葉というより確認だった。


 だからこそ、重かった。


「何なんだ、そのスキル」


「分かりません。でも……たぶん」


 俺は視界に浮かんだ表示の残像を思い出す。


 岩皮猿の特性。

 石爪犬の特性。


「倒した魔物の能力を、取り込んでいるんだと思います」


 三浦さんは目を細めた。


「そんなスキル、聞いたことないぞ」


「俺もです」


 俺の《強化》は、半年間ずっと笑われてきた。


 敵を倒すほど強くなる。


 そんなの、みんなそうだ。


 でも、もし本当に倒した魔物の特徴を吸収するのなら。

 第一層の弱い魔物ばかり倒していたから、意味が分からなかっただけなら。


 俺は、これからどうなるのだろう。


 その疑問に答えが出る前に、遠くから複数の足音が聞こえた。


 人の足音だ。


 装備の金属音。

 無線の声。

 管理局の救助隊かもしれない。


 三浦さんが大きく息を吐いた。


「やっと来たか……」


 俺も力が抜けそうになった。


 助かった。


 今度こそ、本当にそう思えた。


 石爪犬の死骸が、少しずつ崩れ始める。

 魔石と素材を残して、灰のように輪郭がほどけていく。


 通路には、岩皮猿の残骸。

 石爪犬の魔石。

 砕けた瓦礫。

 焦げた雷撃札の灰。

 割れた閃光玉の破片。

 血の匂い。


 そして、まだ止まらないコメント欄。


 同接は五十人を超えていた。


 五十人。


 上位探索者からすれば、誤差みたいな数字だろう。

 中堅探索者なら、配信前の待機所だけで集める数かもしれない。


 でも、俺にとっては見たことのない数字だった。


 同接三人。


 それが、十人になり、二十人になり、五十人を超えた。


 画面の向こうで、知らない誰かが俺を見ている。

 俺のスキルを、俺の戦いを、今起きた異常を見ている。


 俺はナイフを下ろし、震える手を握った。


 まだ、強くなったとは言えない。

 まだ、第二層に胸を張って降りられるような実力はない。


 けれど、ひとつだけ分かった。


 俺のスキルは、外れではないかもしれない。


 その日を境に、俺の底辺探索者としての日常は、少しずつ壊れ始めた。

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