↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れスキル《強化》は、倒した魔物の特性を吸収する 〜同接三人の底辺探索者、銀座ダンジョン配信で成り上がる〜  作者: 夕暮れ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/16

第2話 逃げてきた男

 逃げろ。


 そう言われて、すぐに動ける人間はどれくらいいるのだろう。


 少なくとも、その時の俺は動けなかった。


 目の前には、血まみれの第二層探索者。

 背後には、第一層の薄暗い通路。

 そして階段の奥からは、ずん、ずん、と重い足音が近づいてくる。


 体が固まっていた。


 逃げなければならない。

 それは分かっている。


 俺は第一層探索者だ。

 第二層に降りたことすらない。

 第一層の灰色スライムや小型牙鼠にすら手間取るような人間が、第二層の魔物とまともに向き合えるはずがない。


 なのに、足が床に貼りついたように動かなかった。


「何してる、早く下がれ!」


 血まみれの男が叫んだ。


 その声で、ようやく息を吸えた。


「っ、はい!」


 俺は一歩下がる。


 その瞬間、階段の暗がりから、大きな腕が現れた。


 岩みたいな皮膚だった。


 いや、岩に似ているだけじゃない。

 皮膚の表面に、石の板を無理やり貼りつけたような凹凸がある。

 指は太く、爪は短い。

 腕だけで、俺の胴体くらいの太さがあった。


 次に、肩。

 それから、猿に似た顔。


 第二層の魔物――岩皮猿。


 名前だけは知っていた。


 第二層では一般的な魔物。

 硬い皮膚と強い腕力を持つ。

 動きは遅いが、一撃が重い。

 第二層に慣れた探索者なら、距離を取りながら傷を重ねて倒す。


 そんな説明を、講習動画で見たことがある。


 だが、画面越しに見るのと、目の前にいるのとではまるで違った。


 大きい。


 それが、最初に浮かんだ感想だった。


 講習動画の岩皮猿は、せいぜい大きめの獣に見えた。

 けれど、今、階段から這い上がってくるそれは、通路を塞ぐ壁のようだった。


 岩皮猿は傷だらけだった。


 腹には深い裂傷。

 右肩は焦げ、片目は潰れている。

 左の脚も少し引きずっている。


 まともな状態ではない。


 それでも、俺の全身が理解していた。


 勝てない。


 瀕死だろうが、弱っていようが、第一層の俺が正面から戦っていい相手ではない。


 配信画面のコメント欄が、一瞬遅れて動き出す。


『岩皮猿?』

『二層のやつじゃん』

『なんで一層にいる?』

『逃げろ』

『強化くん逃げろ』

『これマジでやばいやつ』


 いつもはほとんど動かないコメント欄が、今だけは妙に速かった。


 たぶん俺の呼吸が乱れて、視界が狭くなっているせいだ。


 俺は後ろを見た。


 戻る道はある。

 今なら、まだ逃げられるかもしれない。


 そう思った瞬間、岩皮猿が腕を振った。


 狙いは俺ではなかった。

 壁だった。


 ごう、と風が鳴る。


 岩みたいな拳が通路の側面を叩きつけ、石壁が砕けた。


 破片が散る。


「伏せろ!」


 男の声に反応して、俺は頭を抱えて身を低くした。


 頬に小さな痛みが走る。

 石片がかすめたのだと気づいたのは、少し後だった。


 轟音。


 崩れた壁の一部が、俺たちの後ろの通路に落ちる。


 完全に塞がったわけではない。

 けれど、人がすぐ通れる幅ではなくなっていた。


 俺は喉を鳴らした。


 逃げ道が、狭まった。


 岩皮猿が、低く唸った。


 ただ暴れているだけじゃない。

 俺たちを逃がさないように、通路を壊したのか。


 そんな考えが頭をよぎり、背筋が冷たくなった。


「くそ……上がってくるなよ、普通……」


 男が短槍を支えにして立っていた。


 だが、腕も脚も震えている。

 明らかに限界だった。


「大丈夫ですか?」


「見ての通り、大丈夫じゃない。魔力が空だ。足も、たぶんやってる」


 言いながら、男は岩皮猿から目を離さない。


 俺よりよほど慣れている。

 恐怖で顔は歪んでいるが、それでも完全には崩れていない。


 第二層の探索者。


 名前は知らない。

 大手でも有名人でもないだろう。

 だが、俺から見れば明らかな格上だった。


 そんな相手が、ここまで追い詰められている。


「何があったんですか」


「二層で配信してた。普通に岩皮猿を狩る予定だったんだよ。いつも通りなら倒せた。こいつ一体だけならな」


 男は苦い顔で言った。


「でも途中で石爪犬が横から入ってきた。そっちを先に処理するしかなくて、魔力を使いすぎた。岩皮猿にもだいぶ入れたが、倒しきれなかった。撤退しようとしたら、こいつがしつこく追ってきやがった」


 石爪犬。


 その名前にも聞き覚えがあった。


 第二層の魔物。

 岩皮猿よりは弱いが、第一層の魔物よりずっと速い。

 硬い爪で切り裂いてくる犬型の魔物。


 つまり、二体を相手にしたのか。


 俺なら、最初の一体で終わっている。


 岩皮猿が一歩進んだ。


 ずん、と床が揺れる。


 俺は反射的にナイフを構えた。


 安物の探索者ナイフ。

 第一層のスライムや牙鼠を相手にするには十分。

 だが、目の前の岩皮猿の皮膚に通るとは思えなかった。


 男が横目で俺のナイフを見る。


「それじゃ無理だ。皮に弾かれる」


「……ですよね」


「逃げ道を開けるしかない。俺が一瞬引きつけるから、お前は後ろの瓦礫をどかせ」


「あなたは?」


「この状態で長くは持たない。だから一瞬だけだ」


 無茶だ。


 男の顔色は紙みたいに白い。

 足も震えている。

 短槍を握る手には力が入っていない。


 そんな状態で岩皮猿を引きつけるなんて、できるはずがない。


 だが、俺に代案はなかった。


 コメント欄が流れる。


『管理局に通報した?』

『自動通報入ってるはず』

『逃げ道塞がってる』

『瓦礫どかせ』

『いや間に合わんだろ』

『二層の兄ちゃん無理すんな』


 通報は、おそらく配信システムから自動で飛んでいる。

 危険度の高い魔物が映れば、管理局に通知が行く仕組みだ。


 だが、救助がすぐ来るとは限らない。


 ダンジョン内では距離感が狂う。

 同じ第一層でも、場所によって到着まで時間がかかる。


 それまで耐えられるか。


 岩皮猿が、再び腕を持ち上げた。


「来るぞ!」


 男が前に出る。


 短槍の先に、かすかな光が灯った。


 残っている魔力を絞り出しているのだろう。

 その光は弱く、今にも消えそうだった。


 岩皮猿の腕が振り下ろされる。


 男は横に転がるように避け、槍を岩皮猿の脇腹へ突き込んだ。


 金属が岩を擦るような音。


 槍はわずかに刺さった。

 だが、深くは入らない。


「くそっ……!」


 岩皮猿の反撃が来る。


 男は避けきれなかった。

 太い腕が、男の肩をかすめる。


 それだけで、男の体が吹き飛んだ。


「ぐあっ!」


「大丈夫ですか!」


「こっちを見るな! 瓦礫をどかせ!」


 怒鳴られて、俺は我に返った。


 そうだ。

 俺がすべきことは戦うことじゃない。


 俺は背後の瓦礫に駆け寄った。


 崩れた石を両手で掴み、必死に引っ張る。


 重い。


 一つ一つは持てないほどではない。

 けれど、積み重なっているせいで簡単には動かない。


「くそ、動け、動けよ……!」


 指先に力を込める。


 爪の間に砂が入り、手のひらの皮が擦れる。

 それでも、瓦礫はほとんど動かなかった。


 俺の力では遅すぎる。


 背後で、岩皮猿が吠えた。


 振り返ると、男が膝をついていた。


 短槍は床に落ちている。

 肩の防具が完全に砕け、口元から血が垂れていた。


 岩皮猿も無事ではない。


 さっきの槍が入ったのか、脇腹の傷が広がっている。

 腹の裂傷からは黒っぽい血が流れ、片膝がわずかに落ちていた。


 瀕死。


 その言葉が頭に浮かぶ。


 だが、まだ立っている。


 まだ俺たちを殺せる。


 男は震える手で短槍を拾おうとした。

 だが、指がうまく動いていない。


「あと……少しなんだよ」


 男が呻くように言った。


「あと一発、入れば倒せる。倒せるはずだった。なのに、魔力が……」


 あと一発。


 その言葉が、耳に残った。


 俺は腰のポーチに触れた。


 そこには、一枚の札が入っている。


 《雷撃札》。


 低ランク探索者向けの使い捨て魔法道具。

 魔力を流すと、一度だけ雷撃を放つ。


 本来は、魔物を足止めするためのものだ。


 第一層で囲まれた時。

 逃げる時間を作るため。

 そのために買った。


 値段は高かった。


 俺にとっては、数週間分の稼ぎを使って買った最後の保険だ。

 買った日は、帰り道で何度も後悔した。

 でも、命を守るためだと思って無理に納得した。


 それを、今使うのか。


 岩皮猿を倒すために。


 いや、そもそも倒せるのか。


 雷撃札は便利だが、強力な武器ではない。

 第二層の魔物を一撃で倒せるような代物なら、俺なんかが買える値段では売られていない。


 でも、目の前の岩皮猿は傷だらけだ。


 あと一発。


 男はそう言った。


 コメント欄が、俺の迷いを見透かしたように流れた。


『札ある?』

『雷撃札か?』

『足止めにはなる』

『でも倒せるか?』

『傷口に入ればワンチャン』

『使え』

『いや高いやつだぞ』

『命より高いものはないだろ』


 命より高いものはない。


 それは、正しい。


 正しいのに、俺の指は震えていた。


 これを使えば、数週間分の稼ぎを注ぎ込んだ最後の保険が消える。

 明日からの探索で使える切り札もなくなる。

 買い直せば、装備の補修も今月の生活費もさらに厳しくなる。


 そんなことを考えてしまう自分が、ひどく情けなかった。


 目の前では人が倒れている。

 魔物が迫っている。

 自分も死ぬかもしれない。


 それなのに、頭の片隅で金の計算をしている。


 俺は歯を食いしばった。


 そんな計算をしている場合じゃない。


 岩皮猿が男へ近づく。


 男は動けない。


 俺はポーチから雷撃札を引き抜いた。


 札は薄い金属板のような質感で、表面に青い文字が刻まれている。

 魔法技術で作られた量産品。

 俺のような低ランク探索者でも扱える、数少ない護身用道具。


 使い方は講習で習った。


 魔力を流す。

 狙う。

 起動句を唱える。


 たったそれだけ。


 たったそれだけなのに、指がうまく動かない。


「おい、……何をしてる」


 男が俺を見た。


「雷撃札です。これなら、もしかしたら」


「馬鹿、距離が近すぎる。外したら終わるぞ」


「ぎりぎりで撃ちます」


 自分で言って、喉が乾いた。


 岩皮猿がこちらを向く。


 潰れていない片目が、濁った怒りでぎらついている。


 たぶん、俺が何かをしようとしていると分かったのだろう。


 岩皮猿の足が床を踏みしめる。


 来る。


 俺は雷撃札を握り、魔力を流した。


 途端に、体の奥から何かを引き抜かれる感覚がした。


 魔力だ。


 普段、灰色スライムを倒した時に入ってくる薄い温かさ。

 その逆。

 体の中にあるものを、札が強引に吸っていく。


 札の文字が青白く光った。


 視界の端に、文字が浮かぶ。


 ――魔法道具《雷撃札》を起動します。


 その表示を見た瞬間、不思議と腹が決まった。


 この文字が見えるようになった日、俺は探索者になった。

 外れスキルだと言われても、底辺だと笑われても、ここで日銭を稼いできた。


 その半年が、何の意味もなかったとは思いたくない。


 岩皮猿が踏み込んだ。


 床が揺れる。


 俺は札を構えた。


 狙うのは、腹の裂傷。

 男がつけた、いちばん深い傷。


 そこに入らなければ、たぶん倒せない。


 腕が震える。

 視界も揺れる。

 コメント欄が何か叫んでいるが、もう読めない。


 岩皮猿の拳が持ち上がる。


 俺は息を止めた。


「撃て!」


 青白い雷が、札から放たれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。