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外れスキル《強化》は、倒した魔物の特性を吸収する 〜同接三人の底辺探索者、銀座ダンジョン配信で成り上がる〜  作者: 夕暮れ


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第13話 一体ずつなら

 第二層に足を踏み入れてから、二週間ほどが過ぎた。


 その間、俺はほとんど毎日のように銀座ダンジョンへ通っていた。


 もちろん、毎日第二層へ降りたわけじゃない。


 腕の痛みが残っている日は第一層だけ。

 足に違和感がある日は休み。

 装備の手入れが必要な日は、素材買い取りと道具の補充だけで終わらせた。


 最初の頃は、第二層に降りるたびに一体倒して帰っていた。


 土潜り蛇一体。

 石殻蜥蜴一体。


 それだけで息が上がり、腕が痺れ、帰り道では階段を上る足が重くなった。


 閃光玉を使った日もある。

 煙玉を握ったまま、戦わずに戻った日もある。

 魔物が二体いる気配を感じて、そのまま引き返した日もある。


 配信のコメント欄には、毎回同じような言葉が流れた。


『無理すんな』

『帰れ』

『一体倒したら終わり』

『素材欲出すな』

『今日も地上まで映せ』


 少し前の俺なら、たぶん情けなく感じていたと思う。


 でも、今は違う。


 その言葉に助けられた場面が何度もあった。


 もう一体いけるかもしれない。


 素材をもう少し拾えるかもしれない。


 奥の通路を少しだけ見られるかもしれない。


 そう思った時にコメント欄を見ると、だいたい誰かが止めてくれていた。


 もちろん、最終的に判断するのは俺だ。


 でも、画面の向こうに見ている人がいるというだけで、変な意地を張りにくくなる。


 それは、底辺配信者だった頃にはなかった感覚だった。


 そして今日。


 俺はいつものように地上施設で受付を済ませ、第一層入口の前でカメラを起動した。


 配信タイトルは、もう少しだけ前向きにした。


【第二層入口】土潜り蛇と石殻蜥蜴を一体ずつ


 配信開始と同時に、コメント欄が動き出す。


『来た』

『今日も二層入口?』

『強化くん、最近安定してきたな』

『油断フラグやめろ』

『一体ずつな』

『複数なら帰れ』

『石ころさん:今日も帰るところまで』


「朝倉です。今日も第二層入口付近です。土潜り蛇と石殻蜥蜴を、一体ずつ狙います。複数出た場合、見慣れない魔物が出た場合、魔法道具を使った場合は撤退します」


『毎回言うのえらい』

『言わないと忘れるからな』

『視聴者も覚えた』

『定型文助かる』


 俺は軽く息を吐き、第一層へ入った。


 第一層の通路は、もう何度も歩いている。


 青白い苔。

 冷たい石壁。

 湿った空気。

 遠くから聞こえる水音。


 ここに初めて来た頃は、灰色スライム相手にも肩に力が入っていた。

 小型牙鼠が出るだけで、ナイフを握る手が硬くなっていた。


 今は違う。


 第一層なら、落ち着いて歩ける。


 魔物が出ても、慌てずに対処できる。


 でも、その感覚を第二層へそのまま持ち込んではいけない。


 俺は第二層へ続く階段の前で立ち止まり、装備を見た。


 それから、帰り道も見る。


 階段は目の前にある。


「降ります」


『いってら』

『無理なら帰れ』

『今日も一体ずつ』

『足元見ろよ』


「はい」


 階段を降りる。


 一段ごとに、空気が重くなる。


 第一層とは違う、肌にまとわりつくような圧。

 黒く湿った砂の匂い。

 壁の隙間から伸びる太い根。

 弱い青白い苔の光。


 第二層。


 何度来ても、ここが安全な場所だとは思えない。


 けれど、最初の頃のように飲まれてはいない。


 怖い。

 でも、見られる。

 聞ける。

 動ける。


 それだけで、前とは違う。


 俺は階段を背にして、通路へ入った。


 床の黒い砂を踏む。


 第二層用ブーツの靴底が、柔らかい砂を押さえる。

 土潜り蛇の特性を吸収してから、足元の沈み方や砂の崩れ方が少しだけ分かりやすくなった。


 もちろん、万能ではない。


 見えないものが見えるようになったわけではない。

 罠を感知できるようになったわけでもない。


 ただ、床が不自然に柔らかい場所や、黒い砂の流れが少しだけ違う場所に、前より早く気づける。


 それだけだ。


 でも、その少しが大きい。


 俺は通路の中央から、やや壁寄りを歩いた。


 壁に寄りすぎると、石殻蜥蜴がいた時に逃げ場が狭い。

 中央に出すぎると、土潜り蛇に足元を取られた時に体勢を崩しやすい。


 どちらにも逃げられる場所。


 それを選びながら、進む。


 十歩。

 二十歩。

 三十歩。


 階段からは、まだ戻れる距離だ。


 曲がり角の手前で、俺は足を止めた。


 黒い砂が、ほんの少しだけ盛り上がっている。


 風はない。


 水の流れもない。


 なのに、砂の線が一か所だけ乱れていた。


「土潜り蛇がいると思います」


『見える?』

『砂?』

『強化くん、そういうの分かるようになってきたな』

『前より早い』


「まだ姿は見えてません。誘い出します」


 俺はポーチから小石を一つ取り出した。


 第一層の帰り道で拾っておいたものだ。

 魔法道具ではない。

 ただの石。


 土潜り蛇は、足音や振動に反応する。


 最初は、それが分からずに自分から踏み込んで噛まれた。

 今は違う。


 俺は狙いをつけて、砂の盛り上がりから少し離れた場所へ小石を投げた。


 こつん。


 石が床に当たる。


 黒い砂が、一瞬だけ止まった。


 次の瞬間、砂の下を何かが走った。


 盛り上がりが小石の落ちた場所へ向かって動く。

 それを見てから、俺は半歩下がった。


 飛び出してくる位置は、前より読める。


 完全ではない。


 でも、たぶんここだ。


 床の砂が弾けた。


 土潜り蛇が、口を開けて飛び出す。


 俺はすでに横へ動いていた。


 初めて戦った時のように、ぎりぎりで跳ぶ必要はない。

 突進の線から外れ、頭が床を叩く瞬間を待つ。


 どん、と重い音。


 土潜り蛇の頭が石床に当たり、黒い砂が跳ねた。


 その瞬間、俺は踏み込んだ。


 狙うのは首のすぐ後ろ。


 鱗は硬い。

 胴体を横から切っても刃が逃げる。

 だから、頭を打ちつけた直後の、体が伸びた一瞬を狙う。


 ナイフを逆手に持ち替え、上から落とす。


 刃が鱗の隙間に入った。


 深くはない。


 でも、入った。


 土潜り蛇が暴れる前に、俺はナイフを抜いて離れた。


 無理に押さえ込まない。


 巻きつかれたら終わりだ。


『入った』

『前より落ち着いてる』

『離れたのいい』

『欲張らないの偉い』


 土潜り蛇が身をくねらせる。

 傷口から黒っぽい血がにじんでいた。


 一撃では倒れない。


 それも分かっている。


 俺は距離を取り、次の動きを待った。


 土潜り蛇は体を低く滑らせ、床の砂へ潜ろうとした。


 逃げるように見える。


 でも、違う。


 潜ったあと、足元から来る。


 俺は二歩下がり、壁際ではなく少し開けた場所へ移動する。


 足の裏に意識を置く。


 黒い砂の震え。


 右。

 少し遅れて、左。


 来るのは左前。


 俺は体を引き、左足を上げた。


 直後、床から土潜り蛇の頭が飛び出した。


 牙が空を噛む。


 前なら、ここで声が出ていたかもしれない。


 今は、出ない。


 怖くないわけじゃない。

 でも、体が先に動いている。


 俺は上げた足を横へ置き、そのまま体を回した。

 土潜り蛇の首元が見える。


 ナイフを突く。


 一度目は浅い。

 二度目で、奥に入った。


 土潜り蛇の体が大きく跳ねる。

 尻尾が俺の脛当てを叩いた。


 衝撃はある。

 痛みもある。


 でも、前ほど体は崩れない。


 土潜り蛇から得た足元の安定。

 石殻蜥蜴から得た衝撃への慣れ。

 それに、新しく整えた防具。


 小さな積み重ねが、今の一撃を受け止めてくれた。


 俺はすぐに離れた。


 土潜り蛇は床の上で体を震わせ、それから力を失った。


 視界の端に文字が浮かぶ。


 ――土潜り蛇を討伐しました。

 ――魔力を吸収します。

 ――スキル《強化》が発動しました。


 足元から、薄い熱が広がる。


 最初に土潜り蛇を倒した時ほど強くはない。

 けれど、確かに体に入ってくる。


「土潜り蛇、討伐しました」


『おお』

『安定してた』

『初回と全然違う』

『閃光玉なし』

『噛まれてない』


 俺はすぐに周囲を見た。


 奥の通路。

 曲がり角。

 壁際。

 天井。

 背後の階段。


 音はない。


 黒い砂の大きな動きもない。


 それでも、急がない。


 土潜り蛇の死骸が崩れ始め、魔石と素材が残る。

 俺はしゃがむ前にもう一度周囲を見て、それから魔石を拾った。


 素材も、前より落ち着いて回収できる。


 最初の頃は、魔石だけ取って逃げるように戻った。

 今は、牙と鱗の一部くらいなら拾える。


 それでも全部は拾わない。


 時間をかけすぎる方が危ない。


「魔石と、牙だけ取ります」


『いい判断』

『素材より命』

『でも前より回収できてるな』

『成長してる』


 成長。


 その言葉を見て、俺は少しだけ息を吐いた。


 確かに、前よりは動けている。


 でも、それを強いとは呼べない。


 土潜り蛇一体を、準備して、誘い出して、動きを読んで、ようやく倒せる。


 それが今の俺だ。


 真正面から雑に戦えば、たぶんまだ噛まれる。


 俺は素材をポーチに入れ、立ち上がった。


 ここで帰る選択もある。


 前なら、間違いなく帰っていた。


 ただ、今日はまだ怪我らしい怪我はない。

 魔法道具も使っていない。

 階段からの距離も、決めていた範囲内だ。


 それなら、もう一体。


 ただし、同じ条件を守る。


「まだ撤退条件には当たっていません。階段から離れすぎない範囲で、もう一体だけ探します。複数の気配があればすぐ戻ります」


『一体だけな』

『言ったからな』

『帰り道を先に見てから』


「はい」


 俺は背後の階段の位置を見てから、通路を少しだけ進んだ。


 曲がり角の先には入らない。


 今日は入口付近の広い通路だけ。


 少し進むと、壁際から低い音が聞こえた。


 ずり。


 ずり。


 石を擦るような音。


 俺は足を止めた。


 青白い苔の光の下で、壁際の石がひとつ動いたように見えた。


 いや、石ではない。


 平たい体。

 黒灰色の背中。

 石の破片を貼りつけたような殻。


 石殻蜥蜴。


 こちらにはまだ気づいていない。


 俺はすぐに距離を取った。


 初めて戦った時は、突進を食らい、尻尾を腕に受け、最後は閃光玉に頼った。


 あの時の痛みは、まだ体が覚えている。


 石殻蜥蜴は速すぎる相手ではない。

 けれど、低い姿勢で来るせいで攻撃が当てにくい。

 背中の殻は硬い。

 無理に正面から突けば、ナイフを弾かれる。


 だから、やることは決まっている。


 正面に立ち続けない。

 背中を切らない。

 尻尾の間合いに長くいない。

 腹か首元だけを狙う。


「石殻蜥蜴が一体。こっちにはまだ反応していません。戦います」


『一体ならいける』

『油断すんな』

『背中硬いぞ』

『腹か首』

『尻尾注意』


 俺は小石をもう一つ取り出した。


 石殻蜥蜴の横、少し離れた床へ投げる。


 こつん。


 音に反応し、石殻蜥蜴が顔を向けた。


 その瞬間、俺は逆側へ動いた。


 真正面から近づかない。

 相手の意識をずらして、突進の方向を読めるようにする。


 石殻蜥蜴が俺に気づき、低く身を沈めた。


 来る。


 突進の前兆は、もう何度も見た。


 体が床に沈む。

 前脚が少し広がる。

 尾が一瞬だけ止まる。


 次に飛ぶ。


 俺はその瞬間より少し早く、斜め後ろへ下がった。


 石殻蜥蜴が低い影となって走る。


 前なら、避けるだけで精一杯だった。


 今は違う。


 突進が通り過ぎる瞬間、俺は体を沈めた。


 背中は狙わない。

 尻尾にも近づきすぎない。


 前脚の付け根。


 ナイフを突き込む。


 刃が入る。


 浅いが、十分だ。


 石殻蜥蜴が体をひねり、尻尾を振る。


 俺は腕で受けない。


 受ければ痺れる。


 だから、先に離れる。


 尻尾が空を切り、黒い砂を叩いた。


『避けた』

『今のいい』

『前は腕で受けてた』

『ちゃんと離れてる』


 コメントを見る余裕は少しだけある。


 でも、気を抜かない。


 石殻蜥蜴が向きを変える。


 遅くはない。

 ただ、焦って見なければ追える速さだ。


 俺はナイフを低く構えた。


 石殻蜥蜴が二度目の突進を仕掛けてくる。


 今度は、あえて少しだけ待った。


 早く動きすぎると、相手が軌道を変える。

 遅すぎると、体当たりを受ける。


 ぎりぎりではない。

 少し余裕を残した位置。


 そこを探る。


 石殻蜥蜴が床を蹴る。


 俺は横へ抜け、すれ違いざまに首元へ刃を走らせた。


 硬い感触。


 だが、完全には弾かれない。


 鱗の隙間をかすめ、黒っぽい血が飛んだ。


 石殻蜥蜴が甲高く鳴いた。


 動きが荒くなる。


 ここで詰めない。


 怒った魔物は読みづらい。


 俺は一度距離を取り、呼吸を整えた。


「まだ倒れてません。少し荒くなりました。無理に詰めません」


『落ち着いてる』

『いいぞ』

『ここで焦るな』

『首に入ってる』

『一回待て』


 石殻蜥蜴が床を擦る。


 前脚の動きが乱れている。

 最初に入れた傷が効いているのか、突進の角度が少し浅い。


 なら、次で終わらせる。


 そう思ってから、すぐに言い直す。


 終わらせるつもりで動く。

 でも、終わらなければ離れる。


 決めつけない。


 石殻蜥蜴が三度目の突進に入る。


 俺は半歩下がり、進路をずらした。


 相手の肩が目の前を通る。


 体を沈める。

 膝をつくほど低く。


 石殻蜥蜴の腹側が一瞬だけ見えた。


 そこへ、ナイフを突き上げる。


 柔らかい感触。


 刃が深く入った。


 石殻蜥蜴の体が跳ねる。


 尻尾が来る。


 避けきれない。


 俺は体を丸め、腕当てで角度をつけて受けた。


 衝撃が走る。


 痛い。


 でも、前ほど重くは感じない。


 石殻蜥蜴の衝撃に慣れた体。

 少しずつ上がった耐久。

 防具。


 それらが重なって、俺を倒れさせなかった。


 俺は踏みとどまり、すぐに横へ離れる。


 石殻蜥蜴は床の上で暴れた。


 近づかない。


 最後の抵抗で噛まれるのが一番馬鹿らしい。


 しばらくして、石殻蜥蜴の動きが止まった。


 視界の端に文字が浮かぶ。


 ――石殻蜥蜴を討伐しました。

 ――魔力を吸収します。

 ――スキル《強化》が発動しました。


 皮膚の下に、薄い熱が広がる。


 俺は大きく息を吐いた。


 倒した。


 脛を噛まれていない。

 腕は少し痛いが、動く。

 肩も問題ない。


 前とは違う。


 はっきりそう思えた。


「石殻蜥蜴、討伐しました。魔法道具は使ってません。怪我は……腕を少し打ちましたけど、動きます」


『おおお』

『安定してきた』

『初回と全然違う』

『成長してるな』

『でも今日は帰れ』

『二体倒したなら十分』

『石ころさん:ここで帰れるなら本当に成長』


 ここで帰れるなら本当に成長。


 そのコメントを見て、俺は少し笑ってしまった。


 そうだ。


 倒せるようになったことだけが成長じゃない。


 倒せたあとに、もう一体を求めないこと。

 配信の盛り上がりに引っ張られないこと。

 素材の欲に負けないこと。


 それも、たぶん大事な成長だ。


 俺は周囲を見た。


 奥の通路は暗い。

 曲がり角の向こうから、かすかに水音がする。

 黒い砂は静かだが、だから安全とは限らない。


 今日の目的は果たした。


 土潜り蛇を一体。

 石殻蜥蜴を一体。


 どちらも魔法道具なしで倒せた。


 それで十分だ。


「今日はここで戻ります。魔石と最低限の素材だけ拾って、地上まで帰ります」


『よし』

『それでいい』

『強くなっても慎重でいてくれ』

『欲張らないの大事』


 石殻蜥蜴の魔石を拾う。

 殻の一部も回収する。

 長くしゃがまず、途中で一度立ち上がって周囲を見る。


 前なら、そんな余裕はなかった。


 今は、最低限ならできる。


 素材をポーチに入れたあと、俺は階段へ向かって歩き出した。


 走らない。

 背中を完全には向けない。

 足元を雑に踏まない。


 通路の途中で、黒い砂が少し揺れた気がした。


 俺は足を止めた。


 コメント欄もすぐに反応する。


『今揺れた?』

『戻れ』

『撤退撤退』


「戻ります」


 俺は短く言って、階段へ向かった。


 何がいたのかは分からない。


 土潜り蛇かもしれない。

 ただ砂が崩れただけかもしれない。

 別の魔物かもしれない。


 でも、今それを見に行く理由はない。


 第二層で、分からないものに近づく必要はない。


 階段に足をかける。


 第一層の空気に変わるまで、俺は気を抜かなかった。


 階段の途中で一度だけ振り返る。

 追ってくる影はない。


 それでも、地上へ戻るまでは終わりじゃない。


 第一層の通路へ出ると、体から少し力が抜けた。


「第二層から出ました。このまま地上まで戻ります」


『生還』

『今日はかなり良かった』

『一体ずつなら安定してきたな』

『でも二層攻略ってほどじゃない』

『そこがいい』

『ちゃんと段階踏んでる』


 一体ずつなら安定してきた。


 その言葉は、今の俺にちょうど合っていた。


 俺はまだ、第二層を歩き回れる探索者じゃない。


 曲がり角の先には入れない。

 複数の魔物とは戦えない。

 見慣れない魔物が出れば逃げるしかない。

 魔法道具も、保険として手放せない。


 それでも、土潜り蛇と石殻蜥蜴なら、少しずつ対応できるようになってきた。


 足元を見て、誘い出す。

 突進を読んで、横へ外れる。

 背中ではなく、首や腹を狙う。

 倒したあとに、すぐ周りを見る。

 欲を出さずに帰る。


 たったそれだけのことを、二週間かけて体に覚えさせた。


 派手な必殺技はない。

 配信映えする大技もない。

 上位探索者のような一撃必殺でもない。


 それでも、俺にとっては大きい。


 第一層で灰色スライムを倒していた頃の俺なら、土潜り蛇の一撃目で足を取られていた。

 石殻蜥蜴の尻尾を受けて、ナイフを落としていた。

 倒せたとしても、素材を拾う余裕なんてなかった。


 少しずつ変わっている。


 《強化》だけじゃない。


 装備。

 経験。

 恐怖への慣れ。

 逃げる判断。

 コメント欄の声。


 全部が、少しずつ俺を第二層に適応させている。


 地上施設の光が見えた。


 俺は階段を上がり、受付前の安全区域まで戻ったところで、ようやく深く息を吐いた。


「地上に戻りました。今日は土潜り蛇一体、石殻蜥蜴一体。どちらも魔法道具なしで討伐できました」


 コメント欄が流れる。


『お疲れ』

『成長してる』

『でも無理すんな』

『二層入口卒業?』

『まだ早いだろ』

『一体ずつ安定しただけでも十分』


 俺は最後のコメントに頷いた。


「そうですね。まだ入口卒業とは言えません。一体ずつなら、少し安定してきた。そのくらいだと思います」


『正直でよし』

『強化くん、そこがいい』

『次は二体同時?』

『やめろ』

『二体はまだ早い』


「二体同時は、まだやりません」


 それはすぐに言えた。


 土潜り蛇と石殻蜥蜴を一体ずつ倒せるようになった。

 でも、同時に来たら話はまったく違う。


 足元を土潜り蛇に狙われながら、低い姿勢の石殻蜥蜴をさばく。


 想像しただけで、背中が冷える。


 今の俺には無理だ。


 それが分かっているうちは、まだ大丈夫だと思う。


「しばらくは、今日みたいに一体ずつです。安定したと言っても、相手を選んで、場所を選んで、逃げ道がある状態での話なので」


『慢心しないの助かる』

『でも前より探索者っぽくなった』

『ちゃんと二層に慣れてきてる』

『石ころさん:一体ずつ積み上げよう』


 俺はそのコメントを見て、少しだけ笑った。


「はい。一体ずつ積み上げます」


 配信終了のボタンに指を置く。


 けれど、すぐには押さなかった。


 ポーチの中には、土潜り蛇と石殻蜥蜴の魔石が入っている。

 二つ分の小さな重み。


 最初の頃なら、一つで精一杯だった。


 今は、二つ持って帰ってきた。


 たったそれだけ。


 でも、俺にとっては確かな前進だった。


「見に来てくれてありがとうございました。今日はこれで終わります。次も無理せず、少しずつ進みます」


『お疲れ』

『また見る』

『次も帰るまでな』

『強化くん、おつ』


 配信を切る。


 画面が暗くなる。


 地上施設のざわめきが戻ってきた。


 人気探索者たちの笑い声。

 素材買い取りの番号を呼ぶ声。

 装備ショップの呼び込み。

 遠くから聞こえる救護室の扉の音。


 その中で、俺はポーチに手を当てた。


 第二層の入口。

 土潜り蛇。

 石殻蜥蜴。


 その二つなら、少しずつ戦えるようになってきた。


 でも、まだその先がある。


 曲がり角の向こう。

 もっと奥の通路。

 まだ見たことのない魔物。

 複数で襲ってくる状況。


 考えるだけで、体が少し強張る。


 それでも、前ほど遠くは感じなかった。


 一体ずつなら。


 慎重に選べば。


 生きて帰ることを忘れなければ。


 俺は、もう少しだけ前へ進めるかもしれない。


 そう思えたことが、今日の一番大きな成果だった。

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