第11話 幕間 石ころさん
配信画面が暗くなったあとも、石ころさんはしばらく端末を見つめていた。
朝倉蓮司の配信は、地上へ戻ったところで終わった。
第二層入口付近の探索。
そう題された配信で、蓮司は本当に第二層へ降りた。
そして、土潜り蛇を一体倒して帰ってきた。
たった一体。
第二層では弱い部類の魔物を、ぎりぎりで倒しただけ。
それでも、石ころさんは配信終了後の黒い画面を見ながら、小さく息を吐いた。
「ちゃんと帰ったね、強化君」
その声は誰にも届かない。
もちろん、画面の向こうの蓮司にも届かない。
それでよかった。
石ころさんは、ただの常連視聴者としてコメント欄にいる。
今は、それでいい。
朝倉蓮司の配信を見始めたのは、特別な理由があったからではない。
最初は、本当にただの偶然だった。
銀座ダンジョン。
第一層。
同接三人。
スキルは《強化》。
配信一覧の端に流れてきた、小さな枠。
その地味な配信を、なんとなく開いた。
画面の中にいたのは、まだ探索に慣れていない若い探索者だった。
灰色スライム相手に、慎重すぎるくらい慎重に距離を取る。
小型牙鼠が出ると、少し声が上ずる。
ナイフの握り方も硬い。
足運びも危なっかしい。
コメントで外れスキルだとからかわれても、怒るわけではなく、困ったように笑って返す。
強くはなかった。
配信が上手いわけでもなかった。
派手な魔法はない。
すごい装備もない。
深い階層へ潜るわけでもない。
ただ、毎日ちゃんと潜って、ちゃんと魔石を拾って、ちゃんと帰ってくる。
それだけの配信だった。
『今日も一層?』
初めてそうコメントした時、画面の中の蓮司は少し苦笑した。
「今日も一層です。まあ、無理して死んだら終わりなんで」
その返しを聞いて、石ころさんは少し笑った。
当たり前のことだ。
けれど、ダンジョンでは、その当たり前を忘れる人間が多い。
もっと奥へ。
もっと強い魔物へ。
もっと目立つ戦闘へ。
もっと切り抜かれる場面へ。
そうやって足を進めて、戻ってこなくなる。
探索者は、弱いから死ぬだけではない。
自分が強くなったと勘違いした時にも死ぬ。
だから蓮司の配信は、少し珍しかった。
弱い。
危なっかしい。
手際も良くない。
けれど、怖がれる。
無理をしない。
失敗を隠さない。
笑われても、配信を投げ出さない。
その不器用さが、どこかほほえましかった。
『強化君、慎重でいいね』
そうコメントしたことがある。
蓮司は、画面の中で少し困ったように眉を下げた。
「慎重じゃないと、本当に怪我するので」
『それはそう』
たったそれだけのやり取りだった。
けれど、それから石ころさんは、蓮司の配信を見かけるたびに開くようになった。
強い探索者の配信なら、いくらでもある。
豪快な魔法。
鋭い剣技。
深い階層の未知の魔物。
見栄えのするボス戦。
そういう配信は、見れば確かに面白い。
けれど、蓮司の配信には、それとは違う良さがあった。
今日も一体倒した。
今日は噛まれずに済んだ。
今日は魔石が少し多かった。
今日は赤字にならなかった。
小さすぎる成果を、蓮司は少し気まずそうに報告する。
それが、悪くなかった。
頑張っているのが分かった。
強くないのに。
目立たないのに。
誰かに期待されているわけでもないのに。
それでも、蓮司は次の日も第一層に潜っていた。
石ころさんは、その姿をなんとなく見守るようになった。
だから、岩皮猿が第一層へ上がってきた日も見ていた。
最初の爆発音が配信に入った瞬間、石ころさんの指が止まった。
蓮司は音の方へ向かおうとしていた。
『行くなよ』
そう打った。
他の視聴者も似たようなことを書いていた。
それでも、蓮司は「確認だけ」と言って進んだ。
石ころさんは、小さく息を吐いた。
確認だけ。
その言葉ほど危ないものはない。
ダンジョンで戻れなくなる時、人はよくそう言う。
少しだけ。
見るだけ。
確認するだけ。
すぐ戻る。
その一歩が、戻れない距離になることがある。
画面の中に、傷だらけの第二層探索者が映った。
魔力切れ。
足も悪い。
逃げ切る力は残っていない。
その奥から、岩皮猿が現れた。
傷は深い。
かなり削れている。
それでも、第一層の探索者が正面から戦っていい相手ではなかった。
石ころさんは画面を見つめたまま、コメントを打った。
『逃げろ』
けれど、通路が崩れた。
逃げ道が狭まる。
蓮司の息が荒くなる。
声が震える。
手元も危うい。
それでも、完全には固まっていなかった。
雷撃札を取り出した時、石ころさんは思わず画面に顔を近づけた。
低ランク探索者にとっては、重い一枚だ。
蓮司にとって、その札がどれほど大事なものかは、普段の配信を見ていれば分かる。
閃光玉を使っただけで赤字を気にする子だ。
素材の査定額に、少しだけほっとする子だ。
その子が、震えながら雷撃札を構えている。
『命より高いものはない』
そう打った。
届いたかは分からない。
けれど、蓮司は撃った。
雷撃が走る。
岩皮猿が倒れる。
その瞬間、蓮司の表情が変わった。
配信には映らない何かを見た顔だった。
視界表示は、本人にしか見えない。
けれど、身体の変化は画面にも出る。
立ち上がり方。
床を踏む力。
震えながらも崩れない軸。
何かが起きた。
石ころさんは、そう思った。
次に現れた石爪犬との戦闘は、見ていて胃が痛くなるほど危なかった。
肩を裂かれ、腕を噛まれ、胸を押される。
閃光玉を使った判断は良かったが、自分も光を食らっていた。
距離感も怪しい。
勝ったというより、必死に生き残っただけだ。
それでも、蓮司は倒した。
綺麗な戦闘ではない。
うまく勝ったわけでもない。
けれど、最後まで諦めなかった。
その姿を見て、石ころさんはしばらくコメントを打てなかった。
強くなった。
けれど、まだ弱い。
弱いのに、強くなり始めている。
そんな危うさが、画面越しにも伝わってきた。
その後、蓮司は第一層で検証を始めた。
灰色スライム。
小型牙鼠。
石殻虫。
どれも第一層の魔物だ。
蓮司は一体ずつ倒して、メモを取り、自分の感覚を確かめていた。
派手さはない。
配信映えもしない。
見ている側からすれば、地味すぎる検証だった。
それでも、石ころさんは画面を閉じなかった。
蓮司らしいと思ったからだ。
普通なら、少し注目された時点で大きく出る。
覚醒した。
外れスキルではなかった。
第二層でも通用する。
そう言えば、視聴者はもっと盛り上がる。
でも、蓮司は言わなかった。
分からない。
まだ判断できない。
第一層では変化が小さすぎる。
その慎重さが、石ころさんには好ましかった。
そして蓮司は、第二層へ向かった。
【第二層入口付近の探索】
その告知タイトルを見た時、石ころさんは少しだけ眉を寄せた。
止めたい気持ちはあった。
けれど、たぶん止まらないだろうとも思った。
蓮司は無謀な子ではない。
ただ、知りたいことができてしまった。
自分のスキルが何なのか。
あの成長の手応えが本物なのか。
それを確かめたい気持ちは、簡単には消えない。
だから石ころさんは、止めるだけではなく、戻るための言葉を打った。
『戻ってもいいぞ』
『入口だけな』
『背中に階段置いとけ』
画面の中の蓮司は、ちゃんと背後を確認していた。
階段を背中に置く。
逃げ道を確認する。
音の方へ近づきすぎない。
メモを取りながら、慎重に進む。
危なっかしい。
けれど、聞いている。
それだけで、少し安心した。
土潜り蛇が現れた時、石ころさんはすぐに戻れと打った。
『戻れ戻れ』
土潜り蛇は、第二層では弱い部類の魔物だ。
けれど、それは第二層での話だ。
第一層の魔物とは、重さが違う。
魔力の密度が違う。
噛みつきも、巻きつきも、初心者が油断していいものではない。
蓮司は戦うことを選んだ。
一体だけ。
階段は背中にある。
危なければ戻る。
危うい判断だった。
けれど、完全な間違いではない。
蓮司は苦戦した。
鱗にナイフを弾かれる。
黒い砂に足を取られる。
すねを裂かれる。
腕に絡まれる。
防爪グローブがなければ、もっとひどい怪我になっていただろう。
雷撃札を使うか迷ったのも、画面越しに分かった。
使ってもよかった。
探索者は、使えるものを使って生き残るべきだ。
けれど、土潜り蛇は一体。
逃げ道は後ろにある。
手はまだ動いている。
蓮司は、そこで踏みとどまった。
無理をした。
でも、無茶ではなかった。
紙一重の判断だった。
そして、倒した。
第二層の魔物を、自分の手で。
『一体倒したなら十分』
石ころさんは、すぐにそう打った。
ここで進む子なら、たぶん長くはもたない。
けれど蓮司は、戻ると言った。
その瞬間、石ころさんはようやく肩の力を抜いた。
画面の中で、蓮司は土潜り蛇の魔石と素材を回収していた。
立ち上がる時の足元が、少しだけ安定している。
さっきまで黒い砂に取られていた踏み込みが、帰り道ではほんのわずかに変わっていた。
本人も気づいているのだろう。
けれど、それを大げさには言わなかった。
「第一層の魔物を倒した時より、第二層の魔物を倒した時の方が、明らかに魔力吸収の感覚が強いです。体の変化も、第一層の時より分かりやすい」
言える範囲で、慎重に言葉を選んでいる。
その慎重さが、石ころさんには少し嬉しかった。
配信は地上まで続いた。
蓮司がちゃんと帰ってきたところで、ようやく画面が暗くなる。
コメント欄の履歴が、黒い画面に残っていた。
『戻ってもいいぞ』
『入口だけな』
『背中に階段置いとけ』
『一体倒したなら十分』
『生きて帰るまでが探索』
石ころさんは、それを見て小さく笑った。
「偉いよ、強化君」
その言葉も、誰にも届かない。
届かなくていい。
石ころさんは、朝倉蓮司を利用しようとして見ているわけではない。
珍しいスキルを暴こうとしているわけでもない。
ただ、弱いのに頑張っている子が、今日もちゃんと帰ってきたことに安心しているだけだった。
もちろん、気になることはある。
岩皮猿を倒したあとの変化。
石爪犬戦で見せた踏み込み。
土潜り蛇を倒したあとの足元の安定。
あれは、ただの魔力吸収だけでは説明しにくい。
けれど、今はそれを追及するつもりはなかった。
強化君は、まだ自分の力に戸惑っている。
それなら、外から急かす必要はない。
強い探索者の配信はいくらでもある。
派手な戦闘も、深い階層の攻略も、見ようと思えばいくらでも見られる。
それでも、明日また朝倉蓮司の配信が始まれば、石ころさんはきっと開くのだろう。
弱くて。
不器用で。
怖がりで。
それでも、一歩ずつ前へ進もうとする。
そんな強化君の配信を、もう少し見守っていたいと思った。




