「絶滅」の「兆し」
混沌ともいえるこの能力者時代に肉体のみで生き残ろうとするなど、割りばし鉄砲で100年以上鎮座する超軍事国を陥落させようとするくらい無謀である。しかし生き残れないこともない。「陸海空」やその他の圧倒的身体能力を持つ者達は能力者に負けず劣らずの身体能力で非能力部分を補う。当然尊以外の能力者組織も彼らに目をつけて積極的にスカウトを行っている。これから紹介するのは尊とは違う組織だ。組織の名前は「レアフ・ダーツ」という宗教団体だ。この組織は信仰の名を借りた武装組織であり、能力者至上主義が蔓延する現代に対する明確な反逆の象徴でもあった。彼らの教義は単純かつ過激だ。能力とは神が人に与えた恩恵ではなく、むしろ「試練」であり「逸脱」である。人間は本来肉体と精神のみで完成されるべき存在でありそれを歪める能力に頼る者はいずれ破滅する。ゆえに彼らは能力を否定する。ただしそれは無力を意味しない。むしろ逆だ。レアフ・ダーツは能力を持たぬ人間の可能性を極限まで引き上げることで、能力者すら屠る戦闘集団へと進化していた。組織の頂点に立つのは「預言者」と呼ばれる存在だ。その素性は一切明かされておらず、性別も年齢もさらには能力者か否かさえ不明である。ただ一つ確かなのはその言葉が絶対であるという事実だった。預言者の言葉は神託として扱われ教団の意思そのものとなる。信徒たちは疑うことなく従いそのために命を捧げることさえ厭わない。その預言者の下に位置するのが、幹部戦力「十二の矢」である。彼らは選び抜かれた人間の完成形とされ、それぞれが常軌を逸した身体能力を誇る。「銃弾を見切る反射神経」「鋼鉄をも軋ませる筋力」「常人の限界を遥かに超えた耐久力」いずれも能力によらず純粋な肉体鍛錬と技術によって獲得されたものだ。彼らは単なる戦士ではなく能力者を殺すためだけに研ぎ澄まされた「対能力戦闘の化身」である。戦闘において彼らが重視するのは能力の発動そのものを許さないことだ。圧倒的な速度で間合いを詰め思考よりも早く敵を制圧する。視覚や聴覚さらには気配すら制御する徹底した訓練により、能力者の感知能力をも無効化する。仮に能力が発動されたとしても、その性質や弱点を事前に解析し的確に潰す術を心得ている。彼らにとって能力とは脅威であると同時に「攻略対象」に過ぎない。一般信徒たちもまた過酷な修練を課される。日常のすべてが鍛錬に費やされ肉体と精神の両面を徹底的に磨き上げられる。だがその過程において適性を欠く者は容赦なく切り捨てられる。「浄化」と呼ばれるその処置の実態を知る者は少ないが教団の内部においてそれが絶対の規律として機能していることは疑いようがない。彼らは積極的に人材を求めている。とりわけ能力を持たぬまま「異常な身体能力を発揮する者」「能力者に深い憎しみを抱く者」あるいは「肉体こそが力と信じる者」そうした存在はレアフ・ダーツにとって理想的な素材である。「陸海空」と称されるような規格外の戦闘者たちはまさにその最たる標的であり執拗な勧誘の対象となる。そしてこの組織は尊の率いる勢力と決定的に相容れない。尊が能力を含めた「力そのもの」を肯定する存在であるのに対し、レアフ・ダーツは能力の存在そのものを否定する。両者の対立は単なる勢力争いではなく人間の在り方そのものを巡る思想戦でもある。信仰によって肉体を兵器へと変えた者たち。能力なき人間が能力者を狩る時代の異端。レアフ・ダーツは人間という存在の極限を歪な形で証明し続ける、もう一つの答えであった。しかしレアフ・ダーツという組織の本質は単なる「反能力者集団」という言葉では到底語り尽くせない。彼らの内側には信仰と狂気、そしてある種の確信が深く根を張っていた。教団の中枢。外部の者が決して踏み入れることのできない聖域には「原典」と呼ばれる書が存在する。それは預言者の言葉を記したものとされているが、実際には歴代の預言者によって書き加えられ歪められそして完成された思想の核だった。そこに記されているのは単なる教義ではない。人間の限界を否定し再定義するための理論であり同時に技術でもあった。「人は能力を持たずとも能力を超える」この一文は教団の根幹を成す言葉であり、すべての信徒が暗唱する絶対命題である。そしてこの言葉を裏付けるかのようにレアフ・ダーツは独自の身体強化体系を確立していた。それは単なる筋力鍛錬ではない。「神経伝達の最適化」「痛覚の制御」「思考速度の加速」さらには「無意識領域の操作」にまで踏み込む、人体そのものの再構築に近い領域だった。その果てに到達するのが「昇華」と呼ばれる段階である。昇華に至った者はもはや常人とは呼べない。呼吸、鼓動、筋収縮、そのすべてが極限まで洗練され一切の無駄を排した「戦闘生命体」へと変貌する。十二の矢は例外なくこの領域に到達しており彼らが能力者と互角あるいはそれ以上に渡り合える理由もそこにあった。だが昇華には代償がある。人間としての感情が徐々に摩耗していくのだ。怒りや悲しみといった感情は戦闘効率を阻害するノイズとして削ぎ落とされていく。やがて残るのは使命と信仰そして極めて純粋な殺意のみ。彼らはそれを神に近づく過程として受け入れているが、外部から見ればそれは明らかな人間性の喪失に他ならない。この異常性こそがレアフ・ダーツを真に危険な存在たらしめている。さらに不可解なのは預言者の存在だ。ある噂が教団内部でささやかれている。それは決して公には語られない禁忌の仮説。「預言者はかつて最強の能力者だった」その能力はあまりにも強大であまりにも完全だったがゆえに、逆説的に人間性を完全に破壊した。だからこそ彼は能力を捨てたのだという。否定し憎みそして封じた。自らの過去そのものを誤りと断じることで新たな人間像を創り上げた。もしそれが事実だとすればレアフ・ダーツという組織そのものが一人の存在の否定から生まれた歪な救済装置である可能性すらある。そして今、教団は新たな段階へと進みつつあった。彼らは単に能力者を排除するだけでは満足していない。能力という概念そのものを消し去ること、そのための手段を水面下で確立し始めている。詳細は不明だが一部の十二の矢が関与する極秘計画が存在し、すでに実験段階に入っているとの情報もある。それが完成すればこの世界の力の均衡は根底から覆る。能力を持つ者が絶対的優位に立つ時代は終わりを告げ、代わりに訪れるのは「純粋な人間」だけが生き残る世界。だがそれは果たして理想なのかそれとも新たな地獄なのか。その答えを知る者はいない。ただ一つ確かなのは、レアフ・ダーツが動く時必ず世界のどこかで「常識が崩壊する」ということだ。その影はすでに尊の足元にまで迫りつつあった。レアフ・ダーツという異端の宗教組織。その頂点に立つ存在こそ現預言者「ゼル・アーク=レヴァン」である。混沌とした能力者時代において、この男は一切の揺らぎなく「人間の完成」という思想を掲げ続けている。教団において彼の言葉は絶対であり疑問を挟む余地は存在しない。発せられる言葉のすべてが神託として扱われ信徒たちはそれに従うことを救済と信じている。だがゼルという存在は極めて曖昧だ。彼の素顔を知る者はほとんどいない。公の場に現れる際、常に白い仮面で顔の上半分を覆い言葉は直接発せず代弁者を通じて伝えられる。その声音に感情はなくまるで最初から完成された文章を読み上げているかのように無機質で整然としている。いつしか信徒たちは彼を一人の人間としてではなく「預言そのもの」として認識するようになっていた。ゼル・アーク=レヴァンの本質は徹底した合理性にある。感情による判断は完全に排除されあらゆる物事が「目的達成のための最適解」として処理される。味方であろうと例外ではなく必要であれば切り捨てる。その冷酷さは常軌を逸しているがそれでもなお彼が信仰を集め続ける理由は単純だ。彼の判断は常に「結果」を伴う。戦闘、作戦、粛清、そのいずれにおいても彼の選択は驚異的な成功率を誇り、誰一人としてその正当性を否定できない。ゆえに彼は恐怖ではなく確信によって支配する。しかしこの男に関して最も不可解なのはその存在の根幹に関わる一点、すなわち彼が能力者であるか否かという問題である。教団は彼を完全な非能力者と位置付けている。だが戦場で彼を目撃した者たちの証言はそれを容易く覆す。動きが見えなかった。未来を知っているかのようだった。攻撃が届くよりも先にすでにそこにはいなかった。そうした証言は枚挙にいとまがなく、いずれも人間の限界を超えた何かを示唆している。それでもなおゼル自身は能力の存在を一切認めない。彼の戦いは奇妙だ。攻撃という明確な動作があるわけではない。気がつけば相手は倒れている。まるで結果だけが先に存在しているかのような因果を逆転させたような戦闘。それは技術の極致であると同時にどこか人間の領域を逸脱している。十二の矢と呼ばれる最強幹部たちでさえ、彼に対して抱くのは忠誠ではなく、畏怖に近い感情だった。ゼルの目的は明確である。能力という概念の完全な消去。彼にとって能力とは単なる危険因子ではない。それは人間という存在を歪める誤りであり排除されるべき異物だ。ゆえに彼は能力者を倒すだけでは満足しない。能力そのものをこの世界から根絶しようとしている。そのためならばどれほどの犠牲が出ようとも構わない。人間を正しい形へと戻すためには痛みも破壊も必要な過程に過ぎないと、彼は本気で信じている。ゼル・アーク=レヴァン。それは一人の指導者の名であり同時に「人間とは何か」という問いに対する極端で歪な答えそのものだった。そして今その存在は確実に尊へと向かっている。力を肯定する者と力を否定する者。両者の衝突は避けられない。それはもはや単なる戦いではなく、この世界の在り方そのものを決定づける不可逆の戦争の幕開けに他ならなかった。




