第67話 ヒマワリの街(二)
金曜日の池袋。
スマホを見ると、時刻はちょうど二十時になろうかというところだった。
池袋駅東口のコンコースはたくさんの人で賑わっている。
自分がそうだからかもしれないが、行き交う人々からは一週間の仕事を終えた解放感が満ち溢れているように感じた。
そんな人々の通行の邪魔にならないよう、照平は壁に寄りかかり、スマホを操作していた。
明治通りに面したこの場所は、多くの人が出入りする一方、壁や柱沿いにはところせましと人が立ち止まり、ちょうどいい待ち合わせ場所となっていた。
照平の到着から程なくして、こちらに向かって一人の女性が近づいてきた。
「お待たせー!長旅ご苦労様」
女性に声をかけられ、照平も顔を上げる。
「沙耶もお仕事お疲れ様」
女性の名前は岩槻沙耶。
仕事帰りだというのにカジュアルな格好をしているのは、彼女がアパレル会社の事務として働いているからだ。
彼女が働く会社では、定期的に『社員販売イベント』があり、自社ブランドの服を割安で購入することができた。
そんな事情もあって、沙耶は普段からカジュアルな服をおしゃれに着こなしていた。
それに対して照平は、そこら辺で買ったスーツを何も考えずに着るだけで、おしゃれには全く無頓着であった。
そういえば、ある時沙耶から『地元の図書館で働くおじさんみたい』と嫌みを言われたことがあったが、その言葉を気にも留めなかった。
そんな照平にとって、沙耶はまさに『高嶺の花』である。
照平の猛アプローチによって、数ヵ月前から付き合うことになった二人は、栃木と東京の遠距離恋愛をしていたのだった。
この時照平は、新卒で入社した大手企業の宇都宮営業所で営業マンとして働いていた。
少しでも沙耶と一緒にいたいという思いから、照平は金曜日に仕事が終わると、沙耶の住む東京へと向かった。
そして週末を一緒に過ごし、月曜日の朝に会社に間に合うように東京を出て、そのまま出社した。
まだ日が昇る前の暗い時間にアパートを出て電車に乗るのも、もうすっかり慣れてしまった。
「晩御飯はどうしようか?」
付き合い始めてから数ヵ月経ち、照平は事前にお店をリサーチすることもなくなっていた。
「あ!家の近くにスペイン料理のお店を見つけたんだ」
「いいね!そこにしよう」
沙耶の提案でお店が決まると、二人は西武池袋線の改札に向かって歩き出す。
この頃の照平は、仕事のことでとても悩んでいた。
営業の仕事が自分に合わないと感じていたし、なかなか実績が上がらないことに負い目を感じていた。
そんな照平の唯一の心の拠り所が沙耶だったのだ。
◇
「あれ?ガル爺!」
「おぉ、レオナか。久しぶりじゃのう」
「そうね。最近こっち方面の仕事がなかったから」
「そうかいそうかい。まぁ元気そうで良かった」
「ガル爺こそ、元気そうで何より」
ガル爺と呼ばれる老人とレオナは親しげに挨拶を交わす。
「お隣におるのはお連れさんかね?」
ガル爺が俺の顔を覗き込むように見る。
急に話を振られたことに動揺し、俺はその瞬間、心臓が跳ねるのを感じた。
「えぇ。商人見習いのオーシャンよ」
レオナが紹介すると、俺は動揺を悟られないよう、少しうつむき加減に会釈をした。
するとガル爺はそうかそうかとうなずいた。
続けてレオナがガル爺を紹介してくれた。
「オーシャン。こちらはガルフォード。ルメンヴァル治安維持軍の第十師団長よ。みんな親しみを込めてガル爺って呼んでる」
――治安維持軍第十師団長だって?!やはりそうだったのか。
くそっ!せっかくルークさんが逃がしてくれたのに、こんなところで鉢合うなんて、なんて運が悪いんだ。
「ガル爺は治安維持軍として、長年ノギアに常駐して、ルメンヴァル王国の南の玄関口を守ってくれているのよ」
レオナに紹介されて、ガルフォードは穏やかに微笑む。
「ガル爺。最近ノギアの状況はどう?」
尋ねられたガルフォードの表情が一瞬曇る。
「そうじゃなぁ……アグストリア参戦で戦況が悪くなってからは、それはまぁひどい有様じゃった。さらに、バンダル・トルネ川が主戦場になったじゃろう。負傷した味方兵が連日のように運び込まれてきてな……」
バンダル・トルネ川?!
確か、サルタニア、アグストリア連合軍を相手に泥沼の防衛戦を繰り広げているという話だった。
ガルフォードはさらに続けた。
「サルタニア兵が防衛線を突破して何度か関所に攻め込んできたこともあった。バンダル・トルネ川の防衛線はもう崩壊寸前と言っていい」
ガルフォードは重々しく首を振ると、視線を自分の腰に携えた剣へと落とした。
「……じゃがな、我が第十師団がそれをただ指をくわえて見ていたわけではない。防衛線を突破してきたサルタニア兵をことごとく打ち倒し、さらには正規軍を助け、防衛線を立て直してきた。我ら治安維持軍はルメンヴァル王国建国からこの国を守ってきた歴史と誇りがある。サリバンの小僧が率いる急ごしらえの軍隊とは積み重ねてきたものの重みが違うんじゃ」
そう言って小さく不敵に笑う老人の横顔に、俺は背筋がゾクッとするような圧倒的な威厳を見た。
――本隊すら押されている激戦を、この老人の部隊が食い止めたのか……?!
ヴァイスハルト家が企てるクーデターの最大の障壁となるであろう治安維持軍。
俺はそれを、国民を苦しめる戦争を推し進める、ザルドレッド王の手先として、憎むべき存在だと認識していた。
しかしその実態は、命を懸けて国を守らんとする、誇り高きルメンヴァルの防壁だったのだ。
『――国と俺たちは、謂わば運命共同体なんだ』
そう言ったドルガスの表情が頭に浮かび、この老人と重なった。
「そっか……ガル爺たちのおかげで、こうして今ノギアは平和なのね」
レオナが言うと、ガルフォードは深くうなずいた。
しかし、すぐに何かを思い出したように首をかしげる。
「ただ、ここ数日は妙に戦場が静かでな。まるで両軍が示し合わせたような不気味な静寂とでも言うのか……」
俺はそれを聞いた瞬間、嫌な予感がして背筋に緊張が走る。
ガルフォードは目を細め、鋭い視線で一点を見つめる。
「もしかしたら、サリバンの小僧が裏で何か企んでいるのかもしれんなぁ」
――ッ?!
ガルフォードのその言葉に、俺は動揺を隠しきれない。
慌てて視線を逸らし平静を装うが、百戦錬磨の師団長にはそんな小細工は通用しないだろう。
俺は恐る恐るガルフォードの表情を伺う。
すると、その瞬間ガルフォードの表情が緩んだ。
「――なんてな!すまんすまん、気にせんでくれ。ただの老いぼれの戯れ言よ」
ガルフォードがそう言うと、場の空気が一気に穏やかになり、レオナもガルフォードに合わせて笑った。
俺も何とか場の雰囲気に溶け込もうと、笑顔を作る。
――戯れ言だって?冗談じゃない。
とにかく、早くこの老人と別れて、この街を発たなければ。
そうでなければ、俺たちの計画に重大な影響が及ぶ。
そんな嫌な予感が頭から離れなかった。
「ところでレオナ。お前さんまさかこれから出国するのかい?」
「そうよ。今出国検査の最中なの。もうすぐ終わると思うんだけど」
ガルフォードは「そうかそうか」とうなずいた。
「今は落ち着いているようじゃが、そうは言っても戦争中じゃ。道中気を付けなさい」
レオナは「ありがとう」と笑顔で応えると、検問所に向けて歩き出す。
俺も会釈をしてレオナに続いた。
「あぁ!それともう一つ……」
思い立ったように、ガルフォードは別れ際の俺たちを呼び止めた。
「ここ数日、見たことのない輩がノギアに出入りしておる。今のところ悪さはしていないから治安維持軍も取締りの対象にしていないが、念のため、お前たちも注意しなさい」
そう言うと、ガルフォードは去っていった。
「手続きしてくるから、オーシャンはここで待っていて」
そう言うと、レオナは検問所へと入っていく。
俺は言われたとおりに検問所の入口でレオナが出てくるのを待っていた。
――すると突然、検問所の中からレオナの切迫した声が響く。
「そんな!それはどう言うこと?!」
俺はその声に驚き、慌てて検問所の中に入る。
検問所では、レオナと検問所の職員が対峙し、レオナが職員に対して詰め寄っていた。
「ですから、ご説明した通りです」
「説明した通りって、納得できないわ!」
レオナがこんなに取り乱すなんて、何があったんだ?
「申し訳ありませんが、上からの指示です。あなた方の荷物に関しては、より徹底した検査を行うよう命じられております。ですので、出国許可は早くても明日の朝になります」
つづく




