第66話 ヒマワリの街(一)
――まもなく、練馬、練馬です。お出口は左側です。
社内アナウンスが流れると、照平は座席から立ち上がり、出口付近に移動する。
少し飲み過ぎただろうか、いつもより体が重いように感じる。
しかし、不思議と頭は冴え、意識もしっかりしていた。
練馬駅の改札を出ると、道路を挟んだ反対側から賑やかな音楽が漏れ聞こえてくる。
『OCEAN』と書かれた看板を掲げるその店は、かつて照平が行きつけにしていたパチンコ店だ。
照平は道路を渡り、東へ進む。
大通りから路地に入ると、そこは住宅街となっており、一気に人通りが減る。
そんな、特段目印になるような建物もない住宅街を、少しも迷うことなく進んでいく。
すると、程なくして一軒のアパートの前に到着した。
三階建てのそのアパートは、各階に二部屋ずつ、計六部屋の建物で、両隣の民家と押し合いでもするかのように、狭い敷地に窮屈そうに佇んでいた。
照平はそのアパートの前に立ち尽くす。
その視線は、そのアパートのある一室を見つめていた。
◇
ルメンヴァル最南端の街『ノギア』。
古くからルメンヴァルの南の玄関口として栄えてきたこの街は、別名『ヒマワリの街』と呼ばれている。
街の外郭を埋め尽くすように広大なヒマワリ畑が広がり、最盛期には遠方からも多くの来訪者が押し寄せるそうだ。
街の中へ入ってもその景色は途切れず、街道沿いや民家の庭先に愛らしく咲き誇るヒマワリと、建物のあちこちに刻まれた花の装飾が、訪れる者を明るく出迎えてくれた。
中央通りを南に向かって進んで行くと、程なくして武骨な赤レンガ作りの城壁が見えてくる。
先ほどまでの和やかな街の風景とは一線を画すようにそびえ立つその姿は、ここがルメンヴァル王国の最終防衛ラインであり、隣接するサルタニア王国との国境であることを、ありありと物語っていた。
この城壁こそが、レオナの言う関所である。
俺とレオナが乗る荷馬車は、城壁の手前にある検問所へと入っていく。
ここで出国のための手続きと、荷物の確認を行うのだ。
検問所に到着すると、レオナは荷馬車を降り、出国窓口に向かう。
そして慣れた様子で手続きを進める。
――もしかしたらここがアグストリアへの最大の難所かもしれない……
ノギア到着前にレオナが言ったその言葉が頭に浮かび、俺は手続きするレオナを荷馬車からハラハラしながら見守っていた。
すると、程なくしてレオナがこちらに戻ってきた。
その表情はどこか思わしくない。
「……出国の手続きに一時間くらいかかるみたい」
「えっ、一時間?!」
レオナは周りに聞こえないよう、声を潜める。
「想定はしていたけど、出国検査がかなり厳しくなっているようね。状況が状況だから念入りに確認するってことなんだろうけど……」
その言葉を聞いて、俺の不安は一層強くなる。
「荷台に俺の荷物はないけど……。あっ?!もしかしてボディチェックなんかもある?」
出国検査と聞いて、俺の頭に真っ先に浮かんだのはドルガスから預かった封書だ。
そこには恐らく、アグストリア王へ宛てた鉱石の優遇取引について記載されている。
それが検問官に見つかることだけは、絶対に避けなければならない。
レオナは顎に指をかけ、少し考える素振りを見せた。
「それは恐らくないと思う。今までそこまでされたことはなかったから」
俺はそれを聞いてひとまず胸を撫で下ろした。
すると、俺を安心させるためだろうか、レオナは穏やかに微笑んだ。
「とにかく、今は検査の結果を待つしかないわね。検査が終わるまでは自由に動くことを許されているから、せっかくだし、少しノギアの街を歩きましょうか」
まだ完全に不安を拭えた訳ではないが、今はレオナの言葉を信じて出国検査の完了を待つしかなさそうだ。
俺はレオナに促されるまま荷馬車を降り、ノギアの街に繰り出した。
ノギアの街は中央通りを中心に多くの露店が立ち並ぶ。
それはさながら、ルメンヴァルへの入国を許可された来訪者たちを歓迎するかのようだ。
しかし、隣国サルタニア王国と交戦状態にある今は、街全体にどことなく緊張感が漂っているような、そんな印象を受けた。
それを肌で感じて、また、様々な不安が頭の中を交錯して、心からノギア散策を楽しむ気にはなれなかった。
「あっ!見て見て!あれ可愛い」
レオナは何かを発見したように、突然俺の袖を引くと、足早に近くの露店に向かった。
そこはアクセサリーや雑貨を扱っている店で、その中でもレオナはヒマワリを象ったアクセサリーに興味があるようだった。
――レオナもヒマワリが好きなのかな
俺がその様子を呆然と見ていると、レオナがおもむろにこちらに視線を向けた。
「ここでプレゼントしてくれたらかっこいいのになぁ……残念」
そう言っていたずらっぽく笑う笑顔に、俺は不覚にも心が奪われそうになる。
「え?!……えっと!あの」
戸惑う俺を見て楽しむように、レオナは袖口で口許を隠す仕草をしながらまた笑った。
「あはは!冗談冗談!ただでさえ無賃乗車中のオーシャンには酷だよね」
「無賃って……。フォローになってないよ」
そう言ってお互いに笑いあった。
ふと、さっきまでの胃が痛むような緊張感が、いつの間にか綺麗に消え去っていることに気づいた。
――もしかしたら彼女は、わざと冗談を言って俺の緊張を解きほぐそうとしてくれたのかもしれない。
そう思うと情けなさと同時に、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
そうしてあっという間に一時間が過ぎ、俺たちは気持ちを切り替えて、改めて検問所へと向かったのだった。
俺たちが検問所の入口に差し掛かったところで、ちょうど検問所から出てくる一人の老人と鉢合わせた。
「あれ?ガル爺!」
その老人を見たレオナが親しげに声をかける。
老人もレオナに気づき、穏やかな表情で応えた。
「おぉ、レオナか。久しぶりじゃのう」
俺はその姿を見て、咄嗟に顔を隠すようにうつむく。
『ガル爺』と呼ばれたその老人は、年齢は七十歳くらいだろうか。
長く伸ばした白髪を頭の後ろでまとめ、片手で杖をつき、もう片方の手で腰をさする仕草は、ただただ品のいいおじいさんだ。
だが、その体に纏っているのは、仕立ての良さが一目でわかる重厚な軍服だった。
胸元には、いかにも公的な組織であることを示す意匠が刻まれている。
――間違いない、この人は治安維持軍の人間だ。
具体的な姿形こそ知らなかったが、その整いすぎた風貌を見れば一目瞭然だ。
関われば一瞬で正体が露呈しかねないという恐怖で、背筋が凍るような悪寒を感じた。
つづく




