第65話 いざ、アグストリアへ(三)
馬車の荷台を覆う白い布越しに、朝日が差し込む。
その心地よい温かさと、周りから聞こえる小鳥たちのさえずりで目が覚めた。
思い返せば、知恵の試練が始まってから、こんなにも気持ちのいい目覚めは初めてだ。
ゆっくり体を起こすと、体中至るところに感じていた痛みが驚くほどに回復していた。
まだ多少の違和感はあるが、これなら動けそうだ。
きっとオスカーの鍛えられた肉体と若さがなし得たことなのだろうと、直感的に思った。
俺が荷台でガサゴソと音をたてていたことに気づいたのか、馬車を操るレオナが荷台との仕切りに掛けてある布の隙間から顔を覗かせた。
「おはよう。体の調子はどう?」
俺は体を起こし、レオナに向き直る。
が、何となくレオナの顔を直視できず、視線を少しそらす。
「お、おはよう。おかげさまで、何とか動けそう」
「そう、よかった」
レオナは屈託のない笑顔でそう言った。
沙耶に似ていることを差し置いても、めちゃくちゃかわいい。
年齢は20代半ばだろうか、ちょうど付き合っていた頃の俺と沙耶の年齢と同じくらいだ。
「動けるなら……早速だけど、これに着替えてちょうだい」
レオナはそう言うと、こちらに向けて綺麗に折り畳まれた深緑色の布を手渡した。
受け取り広げてみると、それはフード付のローブだった。
「一時的な救護ならともかく、アグストリアまで軍人を運ぶわけにはいかないわ。あなたはアグストリアに着くまでは商人見習いよ。オーケー?」
言われて気づいたが、確かにその通りだ。
今の戦争状態において、他国に行き来できるのはレオナの身分が『商人』であるからに他ならない。
軍人であるオスカーを堂々と運ぶにはそれなりの偽装が必要というわけか。
俺はもらったローブを身に付ける。
ローブは上質な生地で仕立てられているようで、なかなかの着心地だ。
そして、ドルガスから預かった大事な荷物、封書とルメン・ライムを懐にしまった。
「着替え終わったらこっちに来て」
レオナに促され、荷台から馬を操る御者台へと移動し、レオナの隣に座る。
改めて近くで見るレオナにどうしても沙耶の面影を重ねてしまい、俺はやはり顔を直視することができなかった。
レオナは俺の全身を確認すべく体をのけぞらせると、ひとつうなずいた。
「なかなか似合うじゃない。えっと、……そう言えばまだ名前を聞いてなかったわね」
「名前?あぁ、俺はオ……」
俺は喉元まで出かかった『オスカー』という名前を、寸前で飲み込んだ。
――果たしてその名前を口にしていいものだろうか。
今のところレオナは俺を『ルメンヴァルの軍人』と認識しているようだが、『オスカー』という名前を聞いて『ヴァイスハルト』を連想されないとも限らない。
ひとまず今は名前を伏せておいた方がいいような気がした。
「俺はオ……オーシャン。オーシャンだ」
咄嗟に出てきたその名前は、若い頃に通いつめたパチンコ店の名前だった。
「オーシャン?なんだかキラキラした名前ね」
そう言ってレオナは優しく微笑んだ。
レオナはもしかしたら海面が太陽の光に照らされて輝くような、そんな大海の光景を連想したのかもしれない。
しかし、俺の頭に浮かんだオーシャンが放つ光は、人工的なエルイーディーライトの光だ。
まぁ、光った時の高揚感は大海にも負けていないが……レオナが持つ純粋な心に触れて、俺はなんだか情けなくなった。
伏し目がちに俯く俺を見てレオナはまた微笑んだ。
「オーシャンって、なんだか軍人らしくないわね。ゴツゴツした、いかにも『鍛えてます』っていう見た目なのに、中身はとても親しみやすそう」
「え?!そ、そう?」
俺はレオナのその発言にヒヤリとした。
元々オスカーと親交があるマイキーやチャーミーならともかく、初対面のレオナにまで見透かされるほど、俺の態度が不自然だということか。
だが、それより……
「『親しみやすそう』って、それはもしかして、『頼りなさそう』っていう意味?」
それを聞いたレオナは、吹き出しそうになるのを一瞬我慢したが、すぐに気持ちのいい笑い声をあげた。
「あはは!ごめんごめん。素直な感情が漏れ出てたみたいだね」
「ひどいっ!……まぁ間違いではないけど。レオナは真っ直ぐというか、きっと嘘がつけないタイプなんだな」
俺はいたずらっぽく目を細めて、親しみを込めて悪態をつく。
するとレオナはニヤリと口角を上げた。
「どうかなぁ?これも全て演技かもしれないよ?オーシャンは騙されやすそうだし」
「頼りなくて騙されやすそうか……。なんだか散々な言われようだ」
「そう?いい意味で言ったんだけど」
「いい意味?あっ!さては『いい意味』って言えば何でも許されると思ってるな……」
「あはは!ごめんごめん」
そんなやり取りをするうちに、気づけば俺たちは自然に打ち解けていた。
――あぁ、なんだろう。こういうの、すごくいいなぁ……それに、何より……
――懐かしい
俺はレオナに親しみを感じるとともに、この世界に来て初めて全てをさらけ出し、心を許せる相手に出会えたような、そんな気がした。
「レオナ、俺……」
言いかけた瞬間、レオナが何かに気がついたように俺の発言を遮った。
「おっと、もうすぐ関所だわ。オーシャン、しっかり商人見習いを演じてね」
「え?!関所?」
レオナが指差す先を見ると、数キロあるだろうか、進行方向前方に小さな町が見える。
「あそこがルメンヴァルの南の玄関口よ。もしかしたらここがアグストリアへの最大の難所かもしれない……」
そう呟くレオナは、さっきまでとは打って変わって真剣な表情を見せた。
俺はそれを見て息を飲み、これから訪れるであろう困難に、漠然とした不安を感じたのだった。
つづく




