第63話 いざ、アグストリアへ(一)
暗く長い坑道を抜ける頃には、東の空が白みがかっていた。
治安維持軍の追跡を警戒しながら、僅かな光を頼りに歩みを進めてきたからかも知れない。日の光をこれ程ありがたく感じたのは初めてだった。
しかし、アグストリアへの道のりは始まったばかり。まだ何も安心できない。
「――まずは近隣の村で馬を確保しましょう」
そう提案してくれたのはマイキーだ。
アグストリア王との交渉は四日後の早朝。
これは、ルメノ・ストーンを積んだ馬車で、街道を迂回する道のりを想定して、設定された日程だ。
結局、ルメノ・ストーンの現物は用意できず、その分身軽になったが、治安維持軍に見つからないように迂回しながら、徒歩で向かうのでは、とてもじゃないが間に合わない。
「確保って、そんなに簡単に貸してもらえるのか?」
俺の心配をよそに、マイキーは道中の村で、いとも容易く三頭の馬を調達してみせた。
つくづく仕事ができる男だ。
鉱山地帯の東側に出た俺たちは、ルメンヴァルの東側を南北に流れる『キヌア・ローグ川』に沿って南下し、ルメンヴァルの南側に位置するアグストリアを目指す。
ルメンヴァル王国内では、どこで治安維持軍に遭遇するか分からない。
時間は余計にかかるが、できるだけ主要な街道を避けるルートを通ることにした。
ドドッ!ドドッ!ドドッ!と音をたてて、三頭の馬が勢いよく駆けていく。
慣れた様子で馬を乗りこなすチャーミーとマイキー。
チャーミーは大柄な上に一メートルほどの長さがあるだろうかという、金属の『こん棒』を肩に担いでいる。
バランスを取るのにさぞかし技術がいるだろうが、それを微塵も感じさせない。
俺は乗馬などやったことがないが、そこはさすがのオスカーの体だ。
おそらくオスカーの体に染み付いているのだろう乗馬スキルのおかげで、俺は問題なく二人に付いていくことができた。
「それにしてもマイキー、よく簡単に馬を調達できたね」
俺は少しだけ先行するマイキーに声をかけた。
すると、マイキーはちらりと後方に顔を向けながら応える。
「……それは、ヴァイスハルトの名前を出せばそんなに難しいことではないですよ。少し金も出しましたし」
「いや、でもほんとに助かった」
謙遜するマイキーだったが、俺は素直な感謝の気持ちをマイキーに伝えた。
なんせ、長い道のりを徒歩で行くのと馬で行くのでは雲泥の差だ。
すると、マイキーは少し考えるような間を置いた後、眉をひそめて改めてこちらを見る。
「俺の勘違いかもしれませんが、このところの団長、おかしくないですか?人が変わったというか……。チャーミーもそう思うだろ?」
マイキーと並走するチャーミーは、その問いかけにゆっくりとうなずいた。
「えっ?!」
俺は突然マイキーから向けられた疑念に焦り、からだの体温が上がるのを感じた。
それを察知したか定かではないが、マイキーはなおも続けた。
「団長はどちらかというと、背中で語るタイプというか、剣の実力で騎士団を引っ張るイメージだったんですけど……。『助かった』だなんて初めて言われましたよ」
「えっ?!いや、俺もたまにはそのくらい言うよ!ほんとに助かったし!」
俺はマイキーの言葉を勢いよく否定したが、誤魔化しきれていないことは明らかだった。
「……そうですか?……まぁ、俺はあんまり気にしないからいいですけどね」
ありがたいことに、その件についてマイキーからそれ以上追及されることはなかった。
だが、ちょっとした疑念が『知恵の試練』の結果に悪影響を及ぼさないとも限らない。
……『背中で語る』かぁ。
剣の実力ゼロの俺に、このままオスカーを演じることができるだろうか。
――ふと、馬が走る揺れで、腰に携えた剣が太もも辺りに触れた。
その硬く無機質で、凍てつくように冷たい感触は、この『鉄の塊』を俺の日常とは遠く駆け離れた、別の世界のものであるように感じさせた。
いや、もしかしたらそう思いたかっただけなのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていた、次の瞬間――
バンッ!!
背後で、硬い弦が空気を弾く不穏な音がした。
「っ?!」
思考するよりも早く、オスカーの体が反射的に動いた。
体をひねり首を右に傾けると、空気を切り裂くような音を立てて、後方から飛んできた矢が顔のすれすれをかすめた。
「奇襲だ!!伏せて!」
マイキーが叫ぶのを聞き、慌てて体制を低くする。
恐る恐る後方を確認すると、けたたましい馬の足音と鉄の鎧の擦れる音を響かせ、数騎の追手が鬼気迫る勢いで距離を詰めてきていた。
騎馬からは第二、第三の矢が放たれ、俺たちは辛うじてそれをかわす。
そして、追い付かれないよう、手綱を操りできるだけ速度を上げた。
チャーミーが後方をちらりと確認する。
「……あの外見は治安維持軍じゃないな。何者だ?!」
マイキーも同じように後方に目を凝らす。
「確かに……あんな奴らルメンヴァルでは見たことがない」
マイキーはそう言いながら体をひねり、後方に向かって弓を構える。
張り詰めた茜色の弓は、日の光を浴びて何か特別なオーラを纏うように神々しく輝く。
「――でも、治安維持軍じゃないなら気兼ねなく反撃できる」
シュッ!!
次の瞬間、マイキーの元から鋭い音を立てて矢が放たれると、矢は磁石に吸い寄せられるかのように、追手の肩辺りに鎧の隙間を縫うように突き刺さる。
矢を受けた追手はその衝撃で落馬。
その後もマイキーは、まさに矢継ぎ早に矢を放つと、その全てが見事に命中し、立て続けに追手を落馬させた。
……なんという技術だろう。
その神業とも言うべき光景に、俺は思わず見とれてしまった。
しかし、相手も簡単には引き下がらない。
体制を立て直し、再びこちらに迫ってくる。
さらに、その後ろから仲間であろう新たな騎馬が出現し、状況は一層思わしくない。
「団長、先に行ってください。私が食い止めます」
チャーミーは俺の目をまっすぐ見てそう言うと、大きな体を翻し、追手の方へと勢いよく突撃していく。
その一瞬の出来事に、俺は何も言葉をかけることができなかった。
「急ぎましょう。チャーミーなら大丈夫です」
マイキーが冷静にそう言うと、再び速度を上げる。
俺も置いていかれまいと付いていく。
そうして先に進むと、キヌア・ローグ川のすぐそばを並走する道に出る。
右側はうっそうとした雑木林、左側はキヌア・ローグ川と並走する谷である。
この川沿いの道を、追手から逃れるべく一目散に駆け抜ける。
「あいつら、誰かに雇われた他国の傭兵かもしれません」
「……傭兵?!」
――傭兵。
そのなんとも不気味で不穏な響きに背筋が凍る思いがした。
『このゲート内の領域で命を落とした場合、それは現実の死となる』
知恵の試練の直前にゼハクが言った言葉が頭をよぎる。
この、死と隣り合わせの緊迫感に、悪い想像ばかりが頭をよぎる。
だが、ここで命を落とすわけにはいかないのだ。
俺が強く手綱を握り直した、まさにその瞬間――。
ガササッ!!
「――なっ?!」
右手の雑木林を突き破り、一騎の追手が突如として目の前に飛び出してきた。
ギラリと光る白刃が、俺の首元をめがけて横一文字に走り抜ける。
思考が追いつく前に、オスカーの腕が反射的に鞘から剣を抜き、その斬撃を受け止めていた。
ガァンッ!!!
激しい金属音と、馬同士が叩きつけ合う凄まじい衝撃。
右側からの絶大な圧力を殺しきれず、俺の体は馬ごと左側——キヌア・ローグ川の流れる谷底に向かって、宙へと弾き飛ばされた。
浮遊感。視界が上下に激しく回転する。
手からすっぽ抜ける手綱と、遥か下方に迫る荒々しい濁流。
「団長ーーーーーッ!!!」
頭上から響くマイキーの切迫した叫び声を聞いたのを最後に、俺の意識は深い闇へと落ちていった。
つづく




