第53話 知恵の試練
――ここは……どこだ?
まだ日が昇る前の薄暗い部屋。
夜明け前の早い時間に目が覚めるのは、もうすっかり習慣となっていた。
しかし、今日は何か周りの様子がおかしい。
俺は寝ぼけた目をこすりながら、ゆっくりと部屋を見渡す。
……やっぱりそうだ、いくら考えてもこの部屋には見覚えがない。
なぜ自分がこの場所にいるのだろう。
考えを巡らせていると、ふと親指につけた指輪が目に入った。
その瞬間、まるで頭を思い切り殴られたかのような衝撃と共に、ヴァレリアと知恵の試練に挑んでいる最中であることを思い出した。
俺は慌てて起き上がろうとするが、どうもからだの感覚に違和感がある。
からだが全体的に重く、筋肉が張っているような感覚だ。
重いからだを持ち上げ、部屋に備え付けてある鏡を見ると、その違和感の正体に気づく。
鏡に映るその姿は、見慣れた自分の姿ではない。
美しい黒髪を肩より少し長めに伸ばし、誰もが見惚れるような魅力的な顔立ち。
――オスカー
俺は一度も会ったことのないこの男の名を知っている。
なぜなら、今しがた見ていた夢に出てきたからだ。
『泣き虫ヘタレ』のリヴェラが、ルメンヴァルの危機を救うべく立ち上がる物語。
夢というにはあまりにも鮮明で、まるで良くできた映画を見せられたような、そんな感覚だった。
自分は今、その登場人物のひとり、オスカーの姿をしている。
これは夢なのだろうか……
いや、違う。
きっとこれこそが『知恵の試練』の始まりなのだ。
左親指のサムリングが、そう告げるかのように凛とした輝きを放つ。
俺はこの状況に、なんとか頭を追い付かせようと必死だった。
その時、誰かが部屋をノックする音が聞こえた。
――コンッ、コンッ
「団長、お迎えに上がりました」
ドアを隔てて野太い男の声が響く。
団長?!……あぁ、俺のことか!
確かオスカーはヴァイスハルト家護衛騎士団長だったな。
ここは、なるべく自然にオスカーを演じよう。
「お……おぅ!ちょっと待っててくれ」
「……分かりました」
少し返答に間があったような気がする……ちゃんとオスカーらしい返しができていただろうか。
俺は急いで護衛騎士団の制服を着ると、恐る恐るドアを開けた。
部屋の外で直立不動で待っていたのは、坊主頭でこわもての男だった。
男は身長が高くて体格もいい、不動明王のような迫力と威圧感がある。
この男はきっとオスカーの部下なんだろうが、こんな大男を従えるオスカーとはどれだけの実力者なのだろうか。
男は俺を見ると一礼し、先導するように前を歩き始めた。
どうやらこのまま目的地まで連れていってくれるようだ。
男に連れられ、上質な絨毯が敷かれた廊下を進んでいく。
この廊下は見覚えがある。
ここはおそらく、ヴァイスハルト家の屋敷だ。
オスカーは屋敷に住み込みでリヴェラの護衛をしているのか。
そんなことを考えていると、ほどなくして目的地に到着した。
そこは大広間になっており、中央には楕円形のテーブルが置かれ、テーブルを囲むようにイスが配置されている。
既にほとんどの席が埋まり、会議が始まるのを待っていた。
俺はその中のひとりを見た瞬間、自分がオスカーの姿であることを忘れて、思わず声を発してしまった。
「――親方!?」
そこにいたのは、ヘヴィロック大採掘場でルメン・ライム枯渇問題に共に立ち向かった盟友。
バルカス親方にそっくりの男だった。
「ぁあ?!」
バルカスにそっくりのその男はあからさまな敵意をむき出しにして、俺を睨んだ。
「オスカー、てめぇに馴れ馴れしく呼ばれる筋合いはねぇんだよ」
まずいっ!俺は早速やらかしてしまったようだ。
あまりに安心感があるその顔に、つい気が緩んでしまった。
「――まぁまぁ」
やり取りを見かねてか、その隣の席の男が、どこか緊張感の抜けた関西訛りの声を上げた。
「仲がよろしいのは結構なことですけど、朝早くから大声出されたらたまりまへんわ」
他の出席者たちが窮屈な礼服に身を包む中、その男だけは異国の極上シルクで仕立てられた、ゆったりとした長衣を羽織り、頭には商人好みのフラットキャップを小粋に傾ける。
そして、片手に持った扇子を優雅にはためかせながらこちらをねめつけた。
「オスカーはん、これだけの重鎮が待ってはるんです、早う座られたらどないです? ……言うときますけど、うちとあなた方では1秒の価値が違うんですわ。……特に、『半端もん』のどこぞの団長さんとはね」
――半端もん?
オスカーに向けられたのであろうその言葉に、どこか違和感を感じたが、今の俺に何か言い返せるはずもない。
「も……申し訳ありません」
ナンドの鋭い眼差しと迫力に、俺は部下の前だというのに、小さくなって静かに末席に座るしかなかった。
最悪だ……
開始早々、怒鳴られるわ嫌みを言われるわで踏んだり蹴ったりだ。
これでは試練の行く末が思いやられる……
――クスッ
その時、俺以外は気がつかないような、微かな笑い声が聞こえた。
テーブル最奥の全体を見渡す上座に静かに腰をおろし、左手で口元を隠しながらこちらに視線を向ける女性。
彼女こそ、先ほどまで見ていた夢の中の主人公。
オスカーの幼馴染みであり、ヴァイスハルト家当主、リヴェラ・ヴァイスハルトである。
俺は彼女に笑いかけられたような気がして、そちらをちらりと確認すると、そこに見つけたあるものに驚き、目を見開いた。
そう、リヴェラの左手の親指には、俺が着けているものと同じサムリングが不敵な輝きを放っていたのだ。
俺はもう一度リヴェラの顔を確認する。
すると、ずっと待っていたと言わんばかりに、彼女と目が合った。
その瞬間に俺は悟った。
リヴェラの瞳の奥にいる十五歳の少女の気配に。
そして、先ほどまで見ていた夢と今のこの状況が、一本の線で繋がったのだ。
まさか『知恵の試練』って……
異世界に転生してから数々の困難に立ち向かってきた。
しかし、今回俺たちが解決しなければならない問題の重さは今までとは比べ物にならない。
俺とヴァレリアに託されたのは、『ルメンヴァル王国の命運』なのだ。
王国の生死を賭けた最大の試練が、今ここに始まろうとしていた。
つづく




