第47話 それぞれの想いとこれからと
――ここに来るのは久しぶりだ......やっと、君に会う決心がついたよ。
ルメンヴァルの北東部、賑やかな中心部の喧噪から離れたその場所に、木々が神秘的に生い茂る森が広がる。
この森の片隅に、時の流れから取り残されたようにひっそりとたたずむ屋敷がある。
太古より『知恵の民』としてルメンヴァル市民から愛され、心の拠り所となってきたヴァイスハルト家の邸宅だ。
そこは今はだれも住んでいないが、定期的に手入れが施されているおかげで、家主が住んでいた当時そのままの状態を残していた。
最愛のひとに手を引かれ、ここをよく訪れていた若かりし頃の思い出が、色鮮やかに蘇る。
そして、その屋敷の裏手に代々その家を守ってきたヴァイスハルト家の墓がある。
その墓の前に、カスピアン・ヴァン・サリバンは立っていた。
『ヴェルサ・ヴァイスハルト ここに眠る――』
国家の審判に敗れたあの日から、私はヴェルを避けるようになった。
国家の審判で受けた傷を見られたくなかったこともあったが、審判に勝って、一番近くで君を守るという約束を果たせなかった自分がふがいなくて、君に合わせる顔がなかったんだ。
そして三年前。
最悪の事故が起こってしまった......
私は自分を呪った。
私が国家の審判で勝利していれば、私が一番近くで君を守ってあげられていたら......
君に許してもらうためには、国家の審判で勝つしかない......そう思っていた。
――いや、そう思うことで自分を納得させようとしていただけだったのかもしれない。
でも、それは間違っていたんだな......
最愛のひとの墓前に跪き、静かに目を閉じた――
「――実はね、私、結婚することになったの」
「えっ?」
心臓が大きく跳ねた。
今日は会った時から、どこかぎこちない雰囲気を感じていたが、まさかこの事だったとは。
ルメンヴァルの北東部にある森の奥深く。
そこに、ルメンヴァル市街を一望できる小高い丘がある。
ここはヴェルのお気に入りの場所で、二人で合うときは決まってここだった。
若かりし頃のヴェルと私は芝生に座り、遠くルメンヴァルの夜景を眺めていた。
「お母様がね、勝手に進めたみたいで......何か政治的な理由があるみたいなんだけど」
お母様......それは時のルメンヴァル王、レジーナ・ヴァイスハルトだ。
「お相手は、アルベルト・ヴァン・シュタイン様......もちろん、反論したのよ!結婚なんて大事なことを勝手に決めるなんてあり得ない!って......そしたらね、意中の人がいるなら連れてこいって、国家の審判で勝てたらその人との結婚を許すって......そう言われたの」
ヴェルサは俯き加減にこちらに目線を送る。
「ねぇ......カスピアンはどう思う?」
心臓がまた大きく跳ねた。
ヴェルとは幼なじみだった。
内気で引きこもりがちだった私を、ヴェルはいつも外に連れ出してくれた。
私も得意の勉学を活かし、しばしばヴェルを助けた。
ヴェルは私にとって太陽のような存在だったし、ヴェルも私と一緒にいたいと思ってくれていると感じていた。
今まではっきり言葉にはしなかったが、お互いがお互いを特別な存在だと考えていたと思う。
私はどう応えたものか、ぐるぐると考えを巡らせ、慎重に言葉を紡ぐ。
「アルベルト君はとても人当たりがよくて優しい人だと思うし、頭もかなりいい......」
ヴェルの瞳が悲しみを帯びたような気がした。
その表情を見た瞬間、ここで言わなければ一生後悔する......そう思った。
激しく鼓動する心臓の音をこれでもかというほど感じながら、意を決して言葉を発する。
「でも......私はアルベルト君にアカデミーの成績では負けたことがない」
ヴェルの瞳に希望の色が宿る。
「その国家の審判とやら......私にぜひ受けさせてもらえないかな」
ヴェルの頬に一筋の涙がつたう。
そして勢い良く私に抱きついた。
「――うんっ!」
――そして私は......審判に敗れた。
跪き、膝の上に添えた手の甲に大粒の雫が落ちる。
どれだけ後悔しただろう、どれだけ自分を呪っただろう。
そしてどれだけ......君のことを想っただろう。
それでも、過ぎ去った時間は決して戻ってはくれない。
......ヴェル
昨日の国家の審判で、君が私に微笑みかけてくれた気がしたんだ。
過ぎ去った時間は決して戻ってはくれない。
でも、君と過ごしたかけがえのない時間は、あの時感じた温かい気持ちは、確かに存在していたんだ。
私は、君との思い出を一生忘れない。
そして、決して逃げずに今と向き合って生きていくよ。
「......また来るよ」
ゆっくりと立ち上がったその表情は、不思議とどこか晴れやかで、頬に当たる柔らかな風がとても気持ちよかった。
◇
国家の審判の翌日。
ルメンヴァル公邸は前日の死闘が噓のように、いつもと変わらない日常に戻っていた。
俺はいつも通り、日が昇る前に起床し、正面玄関と執務スペースの掃除を済ませた。
続いて居住スペースの掃除をしようと、清掃用具をまとめていると、ちょうど役人たちが出勤してくるところだった。
すると、ここでちょっとした変化が感じられた。
いつもは軽く挨拶を交わすだけの役人たちが国家の審判の話題で声をかけてくれたのだ。
中には、今まで俺のことを掃除のおじさんだとでも思っていたのだろう、普段は目も合わせてくれない役人が、恐縮して会釈をしてくれたりした。
そんな反応を見ていると、自分は結構すごいことをやってのけたのだと実感が湧いてくる。
居住スペースに向かって歩いていると、後方にいる役人たちが何やらザワつくのを感じた。
振り返ると、そこにいたのは――
「照平さん!お掃除ですか?ぜひ、私にも手伝わせてください!」
爽やかに微笑む、フェリクスだ。
なぜ役人たちがザワついているかって、メンヴァルでも最高位の貴族が従者を数人連れて、こんな庶民の職場に平然と居れば当然だ。
「フェリクス、やめてくれ。君に掃除なんてさせられるわけがないだろ」
「そんなぁ......助けていただいたご恩を返さなければならないですし、父上からも照平さんからいろいろ学ぶよう言われているんです!」
困り顔のフェリクスを見ていると、新卒一年目の後輩と接している感覚が蘇る。
国家の審判での第一ターンの振る舞いはあながち完全な演技という訳ではなく、フェリクスの性格の一部だったのかもしれない。
俺はため息混じりに応える。
「ご恩なんて、いいよ別に。今は仕事中だから、今度落ち着いてお茶でもしよう」
その言葉にフェリクスの表情がパッと明るくなった。
「それならサリバン家で晩餐会を開催しましょう!改めてご招待させていただきます」
なんか面倒臭いことになってしまったが、このままフェリクスにここにいられては俺も役人たちも仕事にならないので、一旦了解することにした。
「それと、用件はもうひとつあるんです」
そう言うと、フェリクスは従者から長さが八十センチメートルほどの木箱を受け取った。
木箱を開けると、そこから出てきたのはショートソードだった。
「このショートソードは、代々サリバン家が信頼の証として贈っている代物です。今回、私はあなたに命を救われました。父上からも承認をいただいています。ぜひ、受け取っていただきたい」
そのショートソードは、持ち手と鞘に決め細やかな装飾が施されており、一目で価値あるものだということが分かった。
信頼の証か......
そう言われると、胸が熱くなる。
それはバルカス鉱業に誘われた時と同じ感情だった。
誰かから信頼される、それは何物にも替えがたい喜びなのだと、改めて実感していた。
この感情は転職を繰り返していた時には決して感じることがなかった。
信頼される努力をせず、受け入れられる前に独りよがりな考えで見切りをつけてしまっていたのだと、今なら分かる。
俺は両手で慎重にショートソードを受け取る。
「ありがとう、フェリクス。大事にするよ」
フェリクスは優しく微笑むと、ルメンヴァル公邸を後にした。
フェリクスの後姿を見ながら、受け取ったショートソードの重さを両手で感じる。
フェリクスが無事で、本当に良かった。
国家の審判の最終局面、フェリクスが漆黒の炎に襲われかけたあのギリギリの状況で、ブラウズが示した『クイーンの宝物庫』。
それは、ゼハクから事前に説明することのない、いわゆる『裏ルール』だったようだ。
あの時クイーンの宝物庫にあった十三枚の金貨。
その内訳は、第二ターンでギルドがバーストした時に没収された金貨が十一枚、第三ターン、第四ターンに俺がクイーンにセットした金貨が一枚ずつで合計十三枚。
クイーンが出現した第三ターン以降、すべてのターンでクイーンに金貨をセットすることで、最後にクイーンの宝物庫にある金貨を自由に配分できる権利を得るということだった。
ルールについてはもう何も言うまい......
それにしても、ヴェルサの未完の研究ノートのどこにそんな記述があったのかが疑問だ。
ヴァレリアが持っているノートにはそんな記述は見当たらないし、以前ミカのノートを見せてもらった時もそれらしきものはなかったと記憶している。
「見落としたのか?それともまた別の......」
考えてもしょうがない。
ひとまず、今度改めてミカのノートを確認させてもらおう。
また、昨日の国家の審判が終わった後、ヴァレリアとアルベルトからはペナルティを事前に知らせなかったことへの謝罪があった。
ヴァレリアはペナルティがあること自体を知らなかったようだが、アルベルトは確信犯だったのだと思う。
「照平なら必ず勝ってくれると信じていた」などと言っていたが、結局アルベルトが優先するのはルメンヴァルの未来なのだ。
俺がたとえどうなろうと、国の未来を優先する......
俺は改めて国を任される者の責任の重さを感じた。
そして今回、俺もその責任の一端を担うことになった。
国家の審判は引き分けに終わったが、そのあとアルベルトや有力貴族など、ルメンヴァルの首脳陣で会議が行われ、ゼハク承認の元、正式に俺が知恵の試練の従者となることが決まったのだ。
ヴァレリアの力になりたいという一心でがむしゃらに立ち向かった国家の審判だったが、危険と隣り合わせのギリギリの勝負だった。
知恵の試練ではさらに過酷な状況が予想できる。
なんたって、失敗したら命に危険が及ぶらしいからな......
でも、ひとつひとつ壁を乗り越えていくことで、『上辺の人当たりの良さ』だけでなく『自分の行動』でこのルメンヴァルに受け入れられ、ここが自分の居場所になってきている実感がある。
どこまでやれるか分からない、でも、壁を乗り越えた先に素晴らしい景色が待っていることを知ってしまった今、俺に迷いはなかった。
手に持った掃除用具と、フェリクスから贈られたショートソードに心地よい重みを感じながら、俺は居住スペースの掃除へと向かうのだった。
◇
「照平なら、必ず勝ってくれると信じていたよ」
――嘘をついても何も感じなくなったのはいつからだろう......これが年を取るということなのだろうか。
国家の審判の翌日、アルベルトは自室で一人、窓の外に広がる青空を虚ろに見つめていた。
不安がなかったわけではない。
しかし、照平が必ず勝つと確信していた。
なぜなら国家の審判を主催した私が、そう願ったから。
『――ナイトに五枚、ギルドに三枚、シビルに一枚セットしなさい』
遠い昔の記憶が蘇る。
ジオラマ上に鎮座するレジーナ王のかたちをしたクイーンは確かに私にそう囁いた。
聞き間違えではない。
その指示はカスピアンの戦略を的確に打ち破っていったのだ。
「自力でカスピアンに勝てるわけがない......」
アルベルトは寂しそうにそう呟き、静かに目を閉じる。
あの時、覚悟を決めたのだ。
ルメンヴァルを背負う覚悟を。
そのためにはどんな犠牲も厭わない。
国家の審判は前哨戦に過ぎない。
ヴァレリア、そして照平、本当の試練はここからだ。
つづく




