第45話 国家の審判(五)
「――カスピアン、あなたはもう少し外に出た方がいいわ。せっかく頭がいいのにもったいないわよ」
......それは、遠い昔の記憶。
幼いころから内気で引っ込み思案な私を、いつも君は外に連れ出してくれた。
今日、この日のためにどれだけ苦しい思いをしてきただろう。
我が息子にどれだけ苦しい思いを強いてきただろう。
それも全て、今日で終わりだ。
長年待ちわびた国家の審判での勝利。
その瞬間が間もなく訪れようとしている。
――これでやっと、君への償いができる。
それなのに......なぜだ?
第四ターンの開始が宣言された直後、ジオラマ上のクイーンから放たれた爆ぜるような白光を受け、カスピアン・ヴァン・サリバンは反射的に目を逸らした。
そして、再度クイーンの姿を確認し我が目を疑った。
ジオラマ上の城に鎮座するクイーン。
先ほどまで無機質なただの駒だったそれは、鮮やかなドレスを身にまとい、美しく洗練された強い意志を感じさせる女性の姿に変わっていたからだ。
その姿はヴァレリアとよく似っているが年齢は少し上で、淑やかさに収まらない探求心と躍動感に溢れている。
まさにそれは、カスピアンが長年思い続けてきた最愛の人の姿だった。
もうすぐ終わる。もうすぐ君に勝利の報告ができる。なのに......なのになぜ......
国家の審判での敗北からの記憶が走馬灯のように蘇る。
なぜクイーンの姿が変わったか、そんなことなど気にもならないほど動揺していた。
気づけば屈強な体は小刻みに震えていた。
なぜ、君はそんな悲しそうな顔をしているんだ?
カスピアンは祈るような思いで声にならない声を絞り出した。
「......ヴェル」
◇
『私に、付いてきて』
ヴァレリアに似たクイーンは、確かに俺にそう囁いた。
「......クイーンに金貨をセットしろ、そういうことなのか?」
俺は勝負が決まるこの第四ターンにどのような戦術をとるべきか、頭を抱え悩んでいた。
「さっきからどうしました?絶望的な状況にめまいでもしましたか?」
第四ターンの結果次第では自分が傷を負うかもしれないというのに、フェリクスは負けることなど微塵も考えていない、自信に満ちた表情だ。
また不思議なことに、フェリクスはクイーンの変化など全く気にも留めていない様子だ。
「絶望的?何を言っているんだ。勝負はまだ分からないだろ......」
「いいえ、貴殿が次に金貨をセットする場所は一つしかない」
何を言っているんだ?
フェリクスの金貨は十二枚、俺の金貨は十枚。
金貨の枚数でフェリクスが上回っているとはいえ、その差はわずかに二枚。
お互いの戦術如何で勝負がどちらに転ぶかは、まだ分からないはずだ。
例えばヴァレリアの言う通り、俺がクイーンに金貨をセットしたとしよう。
すると、残り九枚はシビルにセットすることになり、獲得する金貨は十八枚。
それを最低枚数で上回るフェリクスの戦術は、ギルド六枚、シビル一枚、残りは五枚はナイトか......それで獲得枚数が二十枚になる。
そのフェリクスの戦術に対して、俺が勝つ戦術は......あれっ?ちょっと待てよ......
その場合、俺がギルドに五枚セットしてバーストさせて、残りをシビル、ナイトにセットしても勝てないんじゃないか?
例えばギルドに五枚、ナイトに五枚セットしたら、ギルドがバーストしてゼロ、ナイトは同数だから獲得ゼロ、そうするとシビルで二枚獲得するフェリクスの勝ちだ。
では、俺がナイトに十枚セットしたらどうだ?
フェリクスは二十枚獲得するが、ナイトの差の二倍で十枚奪って、お互い十枚獲得のドローになる......
体から急に血の気が引いていき、頭が真っ白になる。
つまり......フェリクスがギルド六枚、シビル一枚、ナイト五枚でセットした場合、俺はクイーンとギルドにセットする戦術では負け、ナイトにセットする戦術でも引き分けにしかできない......
ウソだろ?フェリクスには絶対に負けない戦術があると言うのか......
いやいや、そんなはずはない。
だって枚数差はたったの二枚だぞ、二枚差がついただけで勝てないなんて、そんなはずは......
頭の中でいくらシミュレーションしても、ギルド六枚、シビル一枚、ナイト五枚に勝てる戦術は見つからない。
第三ターン終了時点で、俺の勝ちは消えていたのだ。
「照平殿、貴殿はここまで本当によくやった。本当であれば第二ターンで勝負はついていたはずだった......しかし、それもここまでだ。これが由緒正しき血統を持つ私と、何者でもない貴殿との如何ともしがたい差だ」
向かいに座るフェリクスが不敵に微笑む。
そこには俺がずっと憧れていた完璧な勝ち組の姿があった。
おれは......ここまでなのか。
どう頑張っても何者にもなれない......勝ち組になれない敗北者なのか。
俺は力なく視線を落とし、自嘲するように笑った。
そして、もう勝ちがないこの状況で、これまでの人生を振り返っていた。
俺はどこで間違えたのだろう。
やはり最初の会社から逃げ出したのが全ての間違いだったのだろうか。
新卒で入社した大企業......そこから逃げ出した俺は、その後中小企業を転々とすることになった。
中小企業が一概に悪いとは言わない。
しかし大企業と比べると、待遇や福利厚生、職場環境などが全く違った。
特に異世界に来る直前に働いていた会社はひどかった。
手当が少なく退職金は雀の涙、夏暑く冬は極寒で雨漏りのするオフィス。
とてもじゃないが集中して仕事に取り組める環境ではない。
俺は大企業で働いていた人間だ。
そのためにそれなりの努力をしてきた自負もある。
しかし、ひとたびその環境から逃げ出した俺は、結局何者でもなかった。
大企業で一緒に働いていた同期は、先輩は、上司は、逃げ出した俺をどう思っているだろう。
あの時以上の収入と環境を手に入れて、自分の選択が間違っていなかったと証明したい。
そんな思いもあって転職を繰り返してきたが、現実はそううまくは行かなかった。
やっぱり、あの夜逃げたのが全ての間違いだったんだ......
――照平!
俺は急に誰かに呼ばれた気がして我に返る。
さっきまで無意識に硬く握っていた拳をゆっくり開くと、あの時の温もりが蘇ってくる。
......ヴァレリア
俺はあの夜確かに逃げ出した。
でも、ここでは......ヘヴィロック大採掘場では思いとどまったじゃないか。
ヴァレリアのおかげで、逃げ出さずに壁を乗り越えたじゃないか。
――もう、逃げない。もう、昔の俺とは違うんだ。
ヴァレリアに似たクイーンが横目で俺を見て、少しだけ微笑んだ気がした。
まだだ!まだどこかにチャンスがあるはずだ。
俺は前を向き、目の前の金貨とジオラマを見据える。
ギルド六枚、シビル一枚、ナイト五枚。
この戦術をとれば確かに負けはない。
しかし、引き分けの可能性がある以上、フェリクスは俺のナイト十枚の戦術に勝利する別の戦術を繰り出す可能性は十分ある。
そしてその戦術には、必ず俺が勝利する反撃の手が残されているはずだ。
それならば、俺がセットする駒はこれしかない。
俺はあの時の温もりが微かに残る手に祈りを込め、目の前のコインスロットに力強く金貨をセットする。
そして、真っ直ぐフェリクスを見据える。
「さぁ、最後の勝負だ」
俺とフェリクス、ともに金貨のセットが完了する。
この結果次第で、どちらかがヴァレリアの隣に並ぶ資格を得る。
しかしその一方で、敗者は一生消えない傷を負うことになる。
ジオラマ上に渦巻く漆黒の炎が、その勢いを一段と上げた。
その様子は、敗者を飲み込むべく今か今かと勝敗が決する瞬間を待ち構えているようだった。
つづく




