第41話 国家の審判(一)
「これは、一体どういうこと......」
太陽の光が消えた空を見上げて、ヴァレリアが呟く。
そして傍らに控えるアルベルトに視線を移す。
アルベルトはこの状況が当然であるかのように、大競技場の中央をじっと見つめている。
それを確認すると、ヴァレリアもまた視線を中央に戻した。
――高座に座る自分がうろたえてはいけない、でも......
お父様は何か隠している、私は何か重要なことを知らされていないような気がする。
ヴァレリアはそんな予感を感じながら唇を嚙み締めた。
◇
空が急に暗くなり、大競技場を黒い霧が包んだこの状況は、明らかに普通ではない。
それを見た観客の反応は真っ二つに分かれていた。
常識では考えられない状況にうろたえ、不安を口にする者。
普通に考えればその反応が自然だ。
しかし一方で、この状況にうろたえることなく、国家の審判の開始を冷静に見つめる者も多数いる。
まるで、これこそが国家の審判だと言わんばかりの態度に、そういうものかと俺も思わず納得してしまいそうになる。
「何なんだこれは!?何かのトリックか??」
椅子が激しく後退する音が響いた。
意外にも、真っ先に取り乱したのはフェリクスだった。
彼は立ち上がり、震える指先で暗転した空を指差している。
その顔からは余裕が消え、呼吸は浅い。
「くそっ、こんなの……父上からは聞いていないぞ!」
震える拳でテーブルを叩くと、彼はそのまま糸が切れたように椅子へ崩れ落ち、頭を抱えてしまった。
完璧だったはずの貴族の青年に訪れた、あまりに人間臭いパニック。
「......フェリクス、俺もこれは聞いていない。しかし、どうやらこれが国家の審判のようだ」
俺はは努めて冷静な声を出し、彼を落ち着かせるように語りかけた。
するとフェリクスは、すがるような、あるいは主を失った子犬のような瞳で、恐る恐るこちらを仰ぎ見た。
数秒の沈黙の後、彼はハッと我に返ったように、乱れた服の襟元を震える手で整えた。
「……照平さん、失礼した。あまりの事態に、無様な姿を……」
フェリクスは力なく笑い、消え入りそうな声で言葉を継ぐ。
「やはり、あなたは凄い。私なんかとは比べ物にならないほど、思慮深く、胆が据わっている。……あなたが対戦相手で、本当によかった」
なんとか冷静さを取り戻そうと必死に振る舞う彼の姿に、俺の頭の中は対戦相手への警戒心よりも先に、入社したての新人を心配する先輩のような、そんな奇妙な感情が芽生え始めていた。
やはりフェリクスは、生まれた家がいいだけの、苦労を知らない温室育ちに過ぎなかったようだ。
フェリクス......残念ながら、お前と俺ではくぐり抜けてきた修羅場の数が違うんだよ。
その様子を静観していたゼハクが、重厚な杖を地面に突き立てた。
ドン、と腹に響くような重い振動がテーブルを伝わり、フェリクスの動揺を無理やり押し殺すようにその場を支配する。
「それでは、改めてルールを説明する」
ゼハクは持っていた箱をテーブルに置いた。
その箱は、黒い煙を吐き出してなお、不気味な雰囲気を漂わせていた。
「国家の審判、それは二人のプレーヤーが仮想の『執政官』として国を運営し、どちらがより国を豊かにできるかを競うものである。最終的に相手よりも多くの『資産』を築き上げた者が勝者となる」
そう言うと、ゼハクは箱から金貨を取り出し、俺とフェリクスに十枚ずつ配った。
「『資産』とは、この金貨の枚数である。最終的にこの金貨の枚数が多いプレーヤーが勝者となる。ただし、途中でどちらか一方の金貨がゼロになった場合は、その時点で金貨が残っているプレーヤーが勝者となる」
配られた金貨はルメンヴァルで一般的に流通しているものとは違い、どこか魅惑的な輝きを放っている。
「この金貨は特別なものだ。一枚あれば一人の人間が一生遊んで暮らせるほどの価値を持つ。勝者は最終的に手元に残った金貨を獲得する権利を得る」
一枚あれば一生遊んで暮らせる金貨だって?!
そう聞くと、金貨が放つ輝きがいっそう強くなった気がする。
次に、ゼハクは箱に手をかざし、何やら呪文のようなものを唱えはじめた。
すると不思議なことに、殺風景だったテーブルに王国をイメージしたジオラマが現れた。
こちらから向かって左手に、中世ヨーロッパの城を彷彿とさせる立派な建物が建ち、そこを中心に城下町が広がる。
城の城壁の外側には広大な麦畑が一帯を黄金色に染め上げている。
ジオラマ上には三体の精巧に造形された駒が置いてある。
一体目は城の中にあり、剣と盾を構えた騎士の姿をしている。
二体目は城下町にあり、巨大な天秤を掲げた商人の姿をしている。
三体目は城壁の外側の麦畑にあり、麦束と鍬を持つ農夫の姿をしている。
そして、俺とフェリクスの手元にもそれと同じ三体の駒が現れた。
ジオラマの中の駒と違うのは、駒の台座に金貨をセットするスロットがあることだ。
テーブルの上の準備が整い、ゼハクは国家の審判の流れを説明し始めた。
互いのプレーヤーは、手持ちの金貨を、市民、商人、騎士にそれぞれ十枚を限度にセットできる。
金貨をセットした際のそれぞれの効果は次の通りだ。
シビル:セットした金貨の二倍の金貨を獲得できる。
ギルド:セットした金貨の三倍の金貨を獲得できるが、プレーヤーがセットした金貨の合計が十枚を越えた場合、崩壊が発生し、獲得できる金貨はゼロとなる。
ナイト:セットした金貨の枚数が多い方が、その差額の二倍の金貨を相手から奪うことができる。
プレーヤーはどの駒に何枚金貨をセットするかを選択し、その結果、獲得する枚数が決定する。
これを四回行い、最終的な金貨の枚数を競うのである。
「ルール説明は以上だ。これより審判の開始を宣言する」
ゼハクはそう言うと、また勢いよく杖で地面を突く。
そして、高らかに宣言する。
「第一ターン開始!」
その言葉に呼応するように、手元にある三体の駒のコインスロットが開いた。
「プレーヤーは互いに金貨をセットせよ」
......セットせよと言われても、正直どの駒にセットすべきなのか分からない。
ギルドが一番金貨を稼げそうだけど、欲をかいて二人の合計枚数が十枚を超えてもいけないし。
ナイトの金貨を奪うというのはどういうことだ?
俺が頭を悩ませていると、向かいに座るフェリクスも同じように頭を抱えていた。
そして不意にフェリクスと視線が合う。
「照平さん......恥ずかしながら、私にはまだ、この『審判』のルールの全容が掴めていません。金貨をこの人形たちに置くことで、具体的にどう数値が動き、どう国が豊かになるのか……。もし、仕組みを勘違いしたまま無謀に動いて、最初の一手で取り返しのつかない失敗をしてしまったらと思うと、怖くて指が動きません。
......ですから、この第一ターンは『様子見』にしませんか?お互いにシビルに五枚、ギルドに五枚ずつ置いて、まずはどういう結果になるのかを、身をもって確認するんです。それなら、どちらかが一方的に破滅することもないはずですし……。
一度ゲームの流れを見れば、私のような愚か者でも、次からは少しはマシな考えが浮かぶ気がするんです。……いきなり争うのではなく、まずはこの仕組みを理解するための『練習』だと思って……。ダメ、でしょうか?」
......フェリクスの言う通りだ、俺もまだ、いまいちルールを把握できていない。
それに何より、脳内でいくら唱えてもブラウズが起動しないことが、不安を更に加速させる。
実は黒煙が競技場を覆ったあの時からブラウズでこの現象の正体を確認していたが、ブラウズが返すのは無情な警告だけだった。
『【警告】国家の審判により、勝敗が決するまでブラウズの使用は制限されます』
唯一の頼みの綱を奪われた今、フェリクスの提案に乗るのが最もリスクの低い選択に思えた。
それに、自分より遥かに経験が浅い若造相手に、第一ターンからムキになることもないだろう。
「......分かった。俺としてもまずは様子を見たい。シビルに五枚、ギルドに五枚。そのようにしよう」
「……っ! ありがとうございます、照平さんならそう言ってくれると信じていました」
フェリクスは救われたように顔を輝かせ、何度も頭を下げる。
こうして、第一ターンにどこに金貨をセットするかが決まった。
俺は手元に置いてある三体の駒のうち、シビルとギルドに五枚ずつ手持ちの金貨をセットする。
シビルは二倍で十枚、ギルドは三倍で十五枚、合わせて二十五枚の金貨が獲得できるはずだ。
コインをセットし終えると、コインスロットが閉じる。
「両者、セット完了。では第一ターンの結果発表を行う」
ゼハクの冷徹な声が響き、ジオラマ上の駒が不気味な光を放つ。
まず動き出したのはシビルだ。
俺の手元にセットした五枚の金貨が光の粒となって宙に浮くと、ジオラマ上の農夫に降り注ぐ。
すると、農夫は鍬を力一杯大地に振り下ろす動作を見せ、それにより大地が輝き出した。
その輝きはやがて光の粒となって宙に浮き、俺の手元に集まると十枚の金貨となった。
俺がセットした金貨を元に農夫が大地を耕した結果、金貨が二倍となって返ってきたのだ。
次にギルドが動き出す。
シビル同様に俺がセットした五枚の金貨が光の粒となり、ジオラマ上の商人に降り注ぐ。
すると、複数の商人が商談する動作を見せ、城下町が輝き出す。
その輝きは光の粒となり宙に浮くと、また俺の元に集まり、十五枚の金貨となった。
俺の手元には合計二十五枚の金貨が集まった。
次はフェリクスの番か......
俺は対面に座るフェリクスの手元を確認する。
俺の予想通り、フェリクスがセットした金貨が光の粒となり宙に浮く。
そして次の瞬間......
その光の粒はナイトへと降り注ぐ。
「えっ?!ナイト??」
俺は一瞬何が起きたか分からず、音を立ててその場に立ち上がる。
光を浴びたナイトはこちらを向くと、その手に構えた聖剣で俺に斬りかかる。
「っつ!!」
俺は咄嗟に両方の腕を前に出してガードする。
実際に斬りつけられた訳ではない。
しかし、それと同様の激しい痛みを両腕に感じる。
そのあまりの激痛に、俺は腕を押さえたまま暫く動けなかった。
な......何なんだ、これは。
そして、俺が斬りつけられた瞬間、手元の金貨のうち二十枚が消え、フェリクスの元に現れた。
「第一ターンの結果――照平、獲得枚数五枚。フェリクス、獲得枚数二十枚」
ゼハクが大競技場に響き渡る声で宣言する。
俺は痛みに耐え、やっとの思いで顔を上げる。
そして正面に目を向けると、フェリクスは俯いたまま肩を小さく震わせていた。
「フェリクス……? これは、どういうことだ……?」
「く、くふっ……。あは、あははっ……!」
腕で顔を覆っていたフェリクスが、喉の奥で押し殺したような声を漏らす。
「は――っはっはっは!!!!」
爆発的な高笑いと共に彼が顔を上げた瞬間、俺は凍りついた。
そこにあったのは、先ほどまでの怯えた子犬の面影など微塵もない、対戦相手を完璧に出し抜いた『策士』の不敵な笑みだった。
俺はこの時、やっと事態を理解した。
.......まんまと、騙された。
つづく




