第40話 審判、開門
ルメンヴァル公邸の敷地内にある巨大な円形大競技場。
祭礼や国家行事で使われるこの場所が、今回の『国家の審判』の舞台だ。
円形大競技場の観客席はすり鉢状に配置されている。
そして、その中央に立派なテーブルが置かれ、フェリクスと照平が向かい合うように座っている。
「――いやぁ、これは完全に出遅れてしまいましたなぁ......」
すり鉢状の会場を困り顔でとぼとぼ歩くのは、ヴァレリアの友人、ミカ・グランツだ。
会場は朝早くから並んだ民衆たちで埋め尽くされ、見る限り空席はない。
途方に暮れていると、少し離れた場所から聞き覚えのある声がミカを呼ぶ。
「おぉい!ぐるぐる眼鏡の嬢ちゃん」
声のする方を見ると、バルカスが手を振りながらミカを呼んでいた。
「席がねぇのかい?ここにひと席空いてるぜ」
バルカスが座る席は、フェリクスと照平が座る場所の正面に位置していた。
そこは民衆が座る席とは異なり、簡易的に仕切られた造りになっている。
「こぽ〜!!そんないい席で見れるなんて!ありがとうございます」
そう言うと、ミカは人で埋め尽くされた会場をするりするりとすり抜け、バルカスがいるルメンヴァル採掘協会に割り当てられた『貴族・要人席』に座る。
――円形大競技場の観客席は三つの層に分かれている。
会場全体を正面から見下ろす最も高い場所が、王が座る『高座』だ。
高座は個室となっており、他の席とは一線を画している。
ここに座るのは、王となる資格を持つヴァレリアと、摂政としてルメンヴァルを統治するアルベルトである。
次にその高座の周りに位置するのが、『貴族・要人席』だ。
ここは簡易的に仕切られ、座る者の地位に応じて上から下へと席が割り当てられている。
カスピアン・ヴァン・サリバンは貴族・要人席の中でも最上位に位置する、ヴァレリアのいる高座のすぐ下の席が割り当てられ、バルカスやサムエルは真ん中より下の席が割り当てられている。
そして、それ以外が『民衆席』だ。
市民たちが円形大競技場をぐるりと埋め尽くし、地鳴りのような熱気と期待を中央へと送り込んでいる。
「――いやぁ、それにしてもすごい数の人ですなぁ。照平殿の晴れ舞台と聞いて馳せ参じましたが、これほどの人が集まっているとは」
バルカス、ジークと並びの席に座ったミカが、身を乗り出して会場内を見渡す。
「そうか、その歳では国家の審判を見るのは初めてか」
隣に座るジークがミカに尋ねる。
「はい!えすてーと......何でしたっけ?いったいどんなイベント何ですか?」
「国家の審判だ。まぁ簡単に言うと『王のパートナー選び』だな。代々、王の伴侶や知恵の試練の従者を決める際に、国家の審判 という儀式でその適格者を決めてきたんだ」
「ほぇ~」
ミカがまったく理解していないような気のない返事を返す。
「ジーク、お前さんは、前回の国家の審判をその目で見たのか?」
バルカスの問いに、ジークの表情が目に見えて硬くなった。
視線は中央のテーブルに向けたまま、苦いものを噛み潰したような声で応える。
「ええ。まだ子供でしたが、あの光景だけは脳裏に焼き付いています。……審判に敗れ、一人の人間が『崩壊』していくあの瞬間は、二度と思い出したくもありません」
「そうか。まあ、そうだろうな」
バルカスは腕を組み、指先で自分の腕を強く叩いた。
その目は、かつて敗者が味わった地獄を反芻しているかのようだ。
「……ショウ、負けるんじゃねぇぞ。このゲームの敗者が支払う『代償』は、生半可なもんじゃねぇからな」
◇
「――これだけの人に注目されると、なんだか緊張しちゃいますね」
フェリクスが少し困ったような表情で話しかけてきた。
俺とフェリクスは、大競技場の中央に置かれたテーブルを挟んで向かい合って座り、静かに審判の開始を待っていた。
「お、おぅ......そうだな」
急に話しかけられたことに驚く。
やれやれ、コミュ力高めの若手がマウントとってきやがった。
ちなみに、俺はこの会場に入ったときからずっと緊張しっぱなしだ。
「あ、でも照平さんは私と違って、こういう場は慣れてらっしゃるのかな......ヘヴィロック大採掘場での照平さんのご活躍、伺っています。ルメンヴァル中で噂になってますよ。貴方のような実力のある方と競えるなんて、とても光栄なことだ。是非ともこの若輩者に胸をお貸しください」
フェリクスがそう言いながら、少しへりくだった笑顔をこちらに向ける。
噂になっているなんて知らなかった。
少し大袈裟な気もするが、何はともあれ、誉められて悪い気はしない。
「いや、俺も十分緊張しているよ。こちらこそ、今日はよろしく頼むよ」
お互いに顔を見合わせ、笑顔を交わす。
今日初めて会ったが、フェリクスにはどこか幼さというか、人懐っこさがある。
貴族だとはいえ、二十歳そこそこと言えば社会人になりたての新卒と同じだろう。
俺の豊富な社会人経験と比べればまだまだ青二才だ。
そんなやり取りをしていると、突然、爆発的な大歓声が会場中に響き渡った。
何事かと会場を見渡すと、観客はみな、中央にある入場ゲートに一線に視線を送っている。
そこには一人の男が直立不動で立っていた。
男は二メートルはあろうかという大柄な体格で、巨大な体を深いフード付きの外套で包んでいる。
顔の全貌はフードに隠れて見えないが、その奥底からは、すべてを見透かすような鋭い眼光が、冷徹に会場を射抜いていた。
男は高座に向かって一礼すると、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
右手には身長と同じくらいの長さがある金属製の杖を持ち、左手には分厚い辞書ほどの大きさの箱を抱えている。
その箱には、何重もの細い鎖が隙間なく巻き付けられ、鎖の節々には、赤黒い蝋で固められた幾つもの封印が施されている。
片手で軽々と持てるサイズでありながら、そこには一国の命運を封じ込めたかのような、異様な重圧が宿っていた。
男が中央のテーブルにたどり着くと、右手に持った杖で地面を勢いよく突く。
すると、突いた場所を起点に会場全体に衝撃が伝わり、会場は一気に静まり返った。
「我が名はゼハク。国家の審判を代々取り仕切る者なり」
その威圧感に、緩みかけた緊張感がまた一段と高まる。
ゼハクはさらに続けた。
「この審判は、継承者ヴァレリアに付き従うにふさわしい者を見定める儀式である。両者、知略を尽くし、己が力を我に示せ」
そう言うと、左手に持つ箱に指をかけ、無巻き付いていた鎖を一本ずつ解き始めた。
ジャラリ、と鎖が石床に落ちる音が、静まり返った大競技場に響く。
最後の封印である赤黒い蝋がパキリと砕け、彼がその蓋をわずかに持ち上げた、その瞬間だった。
「――開門」
ゼハクの低い声が地を這うと同時に、大競技場を明るく照らしていた太陽が、まるで巨大な怪物に喰らわれたかのように急激にその光を失った。
雲が沸き立ったのではない。
空そのものが、中心から墨を流したような闇に染まっていったのだ。
箱の隙間から溢れ出したのは、光ではなく、光を拒絶する純粋な黒だった。
それは重たい霧のようにテーブルを包み込み、フェリクスと照平の足元へ、生き物のように這い寄っていく。
同時に、何かが焦げ付くような、乾いた不吉な臭いが広がる。
「なんだ、これは……」
誰かが呟いた恐怖の声さえも、重く垂れ込めた闇に吸い込まれて消えていく。
天を仰げば、どろりと濁った黒雲の渦が、まるで巨大な瞳のように会場を見下ろしていた。
それは、敗者に降り注ぐ審判の残り火が、空の向こう側で静かに牙を研ぎ始めた合図だった。
つづく




