第38話 繋いでくれた手の温もりを、僕は一生忘れない
「知恵の試練?!」
そのキーワードに俺は思わず眉をひそめる。
てっきり、ヴァレリアは十五歳になると自動的に王に即位するとばかり思っていた。
その反応を見たオリバーは、知恵の試練について詳しく説明してくれた。
ルメンヴァルにはザルドレッド王による侵略と圧政の歴史がある。
この先の未来、ザルドレッドのような者が王に即位することのないよう、リヴェラ・ヴァイスハルトは、王に即位する者が「真に王たる資格があるか」を試す儀式を作った。
それが『知恵の試練』である。
知恵の試練はルメンヴァルの南にある古代ルメンヴァルの遺跡で行われる。
王の候補者は、試練を受けるにあたり、一人だけ従者を従えることができ、二人で試練を受けることになる。
「もし、試練を乗り越えられなければどうなるんです?また何年後かに再チャレンジできるとか?」
試練を乗り越えられなかったからといって、王が長期間不在では問題があるだろう。
俺は純粋な疑問からオリバーに質問した。
オリバーはうつむき加減で一呼吸おくと、深刻な表情でこう言った。
「試練を乗り越えられなかった場合、そこに待つのは『死』じゃ」
背筋が凍りつき、激しい悪寒を感じた。
そして、ヴァレリアが背負うものの大きさをこの時初めて実感した。
◇
オリバーの家を出て、ルメンヴァル公邸に戻ると、みんな慌ただしく即位に向けた準備をしていた。
「あら照平、戻っていたの?オリバーおじさまはお元気だった?」
ヴァレリアは、リカルドから分厚い書面を受け取りながら、いつもの凛とした声で俺を呼んだ。
「あぁ、相変わらず元気そうだったよ」
俺は、乾いた喉をやっとの思いで開くと、なるべくいつもと変わらない平坦な声で返す。
――『知恵の試練』の残酷な事実。
それを知ってしまった今、十五歳の少女が一人で国を背負おうとする姿は、言葉を失うほどに凄絶で、気高かった。
ヴァレリアは自らの運命について誰よりも深く理解している。
それでもなお、彼女は不安を微塵も見せず、「王」であろうとしていた。
逃げ場のない絶望の淵で、平然と微笑んでみせるその覚悟の深さに、俺はただ、息を呑むことしかできなかった。
「――照平」
ふいに、後方から声がした。
振り向くと、アルベルトが穏やかな表情で手招きしていた。
「話があるんだ。少しいいかな?」
アルベルトに連れられて、近くにある応接室に入る。
どうやら、他の人には聞かれたくない話らしい。
アルベルトに勧められソファーに座る。
俺に威圧感を与えないようにわざとそうしているのか、アルベルトは対面ではなく、斜め向かいに座った。
「オリバー殿から話は聞けたかな?」
「えぇ、ヴァレリアの即位についてなんとなく理解できるくらいには......」
俺は少し遠慮がちに答える。
「そうか、では知恵の試練についても知っているね?」
知恵の試練......
その言葉とその背後にある残酷な事実に、思わず顔が強張る。
「えぇ......」
アルベルトはこちらの緊張を察したのか、穏やかな表情でうなずいた。
「知恵の試練は王を継ぐ者にとって避けられないことだ。その厳しい儀式はルメンヴァルを守るためにある。それはヴァレリアも理解している」
理解している......か。
そうかもしれない。
しかし、心の底ではどうだろう。
十五歳の少女が、試練の先にあるかもしれない死を受け入れているとは到底思えない。
そしてアルベルトは親として、そんなことを本気で言っているのか?
ここではそれが当然のことなのか――
その時、俺はアルベルトが見せる穏やかな目の奥に、かすかな揺らぎを感じた。
「本題に入ろう。知恵の試練に従者を一人連れていくことができることは聞いたかい?」
「はい......」
「その従者には、 フェリクス・ヴァン・サリバンが推薦されている。ルメンヴァルでも有力な貴族、サリバン家のご子息だ。歳は若いが、かなり優秀でね」
従者は既に決まっているのか。
なぜだろう、少し胸のあたりがモヤっとした。
「ところが、先日ヴァレリアから突然提案があってね。照平、君を従者にしたいと言うんだ」
「え?!私ですか?」
突然の指名に驚いたが、ヴァレリアが推薦してくれたという事実に、からだの奥底から何か温かいものがじわじわ広がってくるのを感じた。
この数ヶ月、ヴァレリアと一緒に様々な問題に立ち向かってきた。
その中で、俺はヴァレリアを『同志』のように思っていた。
ヴァレリアももしかしたら俺と同じような感情を抱いてくれているのかもしれないと思うと、こみ上げてくるものがあった。
アルベルトは遠慮気味に笑った。
「本当に困ったものだよ、フェリクスがこの試練の従者となることは数年前から決まっていたことだ。ヴァレリア本人の意思とはいえ、簡単に覆すことはできない。ただ......」
アルベルトはまっすぐ窓の外を見る。
今日のルメンヴァルは雲ひとつない、気持ちのいい快晴だ。
「娘はこの試練に命をかける。その従者として彼女が選んだのなら、私はその思いを無視することはできない」
アルベルトの目の奥にあるのは、紛れもない親心だった。
「そこでだ、フェリクスと照平、どちらが従者としてふさわしいか、見定める試験をさせてほしい」
「試験?!ですか」
「そうだ。ルメンヴァル中の貴族や組合の代表を呼んで、その面前でどちらが従者となるか決めるんだ。そうしなければ皆に納得してもらえないからね」
アルベルトはこちらに向き直る。
「どうだろう照平、試験を受けてはもらえないだろうか。人づてではあるが、私はこの数ヶ月の活躍を聞いて、君が真に信頼できる男だと思っている。それに、娘が『知恵の試練』を乗り越えるために君が必要だと判断したのならそれを尊重したい。なにより......」
アルベルトは一度目線を下げた後、改めてまっすぐこちらを見た。
「私も娘を失いたくはないからね」
俺は大変な勘違いをしていたのかもしれない。
ヴァイスハルト家の娘として、ヴァレリアが危険な試練に挑むことは、ここでは当たり前の事実である。
しかし、ヴァレリアは十五歳の少女であり、アルベルトの大事な一人娘なのだ。
子を思わない親は、いないのだ。
知恵の試練に失敗したら死ぬかもしれない。
それは全く想像ができないくらい恐ろしい。
でも、ヴァレリアは試練を乗り越えるために俺を選んでくれた。
ならば俺はその気持ちに全力で応えたい。
「俺は......」
うまい言葉が見つからない。
でも今思っていることをちゃんと伝えなければならない。
俺はぎこちないながらもゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ヘヴィロック大採掘場でヴァレリアに助けてもらいました」
アルベルトは、優しくうなずきながら次の言葉を待ってくれる。
「その時、ヴァレリアはこう言ってくれました。『私たちはチームだ』と、俺に足りないところは補うと」
俺はヴァレリアが繋いでくれた手の温かさを思い出す。
きっと俺は、この手の温かさを一生忘れない。
「今度は俺がヴァレリアに力を貸す番です」
温かさが残る手を強く握る。
「試験、ぜひお受けいたします」
つづく




