第226話 滅茶苦茶そのもの
「琴……琴っ!」
「ん……ぇ」
最愛の恋人から呼ばれる声に目を覚ませば、視界いっぱいに恵那斗の顔が入ってきました。
意識が覚醒するのに連なって、環境音が遅れて情報として入ってきました。
木々が風に揺れて、生まれる葉擦れ音。
小鳥が空を舞い、チチチと可愛らしく鳴く声。
身体を動かす度に、布同士が擦れ合う音さえも情報として入ってきます。
まだ、頭がぼんやりとしますが……そのまま、ゆっくりと体を起こしました。
頭に血液が回っていないのでしょうか。ストンと血液が落ちる感覚がします。
「……っう」
再び眩暈が私を苛みます。
全てのMPを使い切ってしまいましたから。
自分のことながら、随分と無茶苦茶したものです。
「琴、大丈夫? 無理はしちゃダメよ」
「あ、ありがとう」
そんな私の背中を恵那斗は優しく支えてくれました。
目線を合わせてくれるので、心の底から安心感が込み上げます。
私達のやり取りを見ていたイナリちゃんは「はぁ」とわざとらしくため息を吐きました。
山奥で人気がないということもあり、今の彼女は変装モードを解いています。
尻尾を大きく揺らしながら、不服を零しました。
「……加減をせぇ、バカ兄妹が。ダンジョンを壊す気かお前さんらは」
「ご、ごめんなさい」
「まったく……いつ崩れるものかとヒヤヒヤしたぞ」
ぐうの音も出ない正論をぶつけられては、返す言葉もありません。
否定しようのない事実なので、大人しく項垂れてイナリちゃんの説教を聞き入れるしかありませんでした。
「……ふふ」
ですが私に寄り添ってくれている恵那斗は、どこか温かい目をしています。
恵那斗の顔を見たイナリちゃんは、何故かばつが悪そうにそっぽを向きました。はて?
「イナリちゃんも素直じゃないわね」
「知らんぞ、儂は」
「ダンジョンが揺れる度に『と、止めに行った方がよいかのぅ、恵那斗君や!』って涙目でうろたえていたのはどこの誰かしら」
「……記憶の捏造は良くないぞ」
イナリちゃんはぷいっとそっぽを向いてしまいました。
完全に知らんぷりを決め込んでいるつもりでしょうが、狐耳って目立つんですよね。
真っ赤になっているのが丸見えです。
「……あははっ」
そんな素直じゃない彼女が面白く見えて、つい笑みが零れました。
私のリアクションから何かを察知したらしいイナリちゃんは、両手で狐耳を覆いながら涙目で睨んできます。
「ぬ、ぬぅ。なんじゃなんじゃ! そりゃあ気になるじゃろ、琴ちゃんの様子はずっと気になっておったからのぅ!!」
「……ありがとうね、イナリちゃん」
「む、ぬぅ……感謝されると、逆にやりづらいわ……」
イナリちゃんは複雑そうに顔を曇らせました。まるでおもちゃを取り上げられた子供のような顔をしています。
私のリアクションに対して、イナリちゃんはコロコロと表情を変えていきます。
それから、イナリちゃんはとことこと私の隣にやってきたかと思うと、その小柄な身体を私に預けてきました。
涙に濡れたつぶらな瞳を向けて、イナリちゃんは穏やかに微笑みました。
「……大丈夫じゃ、儂らはお前さんの味方じゃよ」
「うん、もう見失わない……とは断言できないけど。戻ってこれる」
「まあ、琴ちゃんはそれでよいわ。むしろ断言される方が危ういでの」
イナリちゃんの言う通りです。
断言するのは、怖いですから。
断言した後でもう一度自分を見失った時、『見失わないって言ったじゃん』って自責の念に駆られるのは嫌なんですよ。
分かっているだけで良いんです。
断言なんて、しなくて良いんです。
戻ってこれる。
それが分かっているだけで……私は、十分です。
「……なあ」
穏やかな空気が流れる中、琴男は気を遣うように話に割って入りました。
声のした方向を見れば、明後日の方向に視線を送りながら腰に手を当てた琴男がいました。相も変わらず中二病です。
ひとつため息を吐いたかと思うと、私の方向へと歩み寄ってきます。
それから目線を合わせて屈みこみ、静かに問いかけてきました。
「……どうだ? まだ、殺意は湧くか?」
「……あっ」
その問いかけにハッとしました。
メタトロンの肉体を経由して生み出されていたはずの、殺意がいったん収まりを見せていることに。
言葉での返答の代わりに、私は静かに首を横に振ります。
銀髪が首筋や頬を叩きました。
「なら良い。気が済んだのなら、次へ進むぞ」
「……うん」
そこで言葉を切った琴男は、私達が激闘を繰り広げた無人ダンジョンを見上げました。
階層をぶち抜いたりと滅茶苦茶をしたものですが、ダンジョンには自浄作用が働いています。きっと明日には元通りでしょう。
これだけの破壊を繰り広げても一切痕跡を残さないダンジョンというのは、本当に現実離れしているなあって思いますね。
「……琴は、ダンジョンという存在について。考えたことがあるか」
「この身体になってから、沢山考えたよ」
「俺もだ」
俺もだ、って当たり前の答えなんですけどね。
“異世界の呪い”に掛かるまでは、私達は同一の肉体だったんですから。
……まあ、そんなことを忘れそうになるほど。
私達は別人になったのですが。
それから、琴男は自身の胸元に手を当てました。
「異世界のワガママに巻き込まれただけだった。俺達は、皆……」
「……でも、知った以上は他人ごととして扱えない」
「そういうことだ」
琴男は次に、もう一度私へ視線を向けてきました。
真っすぐに未来を見ている……そんな瞳でした。
「琴、考えがあるんだろ。問題を解決する、ひとつの手立てを」
「うん。ただ、その為には……街ひとつ、ぶっ壊れてもらわないとダメ……かも」
とんでもない代償を提案しているのは分かります。
現に恵那斗もイナリちゃんも、私が前置きの言葉にぎょっとした顔を向けてきました。
ですが、世界の存続と街の崩壊。
どちらを取るかなんて、自明の理です。
琴男は私の突拍子もない前置きに動揺した様子もなく「うん」と頷きました。
「もし、万が一。お前の打算通りになれば、一体どうなる?」
「琴男の中に入り込んだ魔王は討伐され、冒険者のイメージは改善し、大きな宣伝効果を得られる」
「……ははっ。とんでもないロマン砲だな?」
「でしょ。でも……それを実行するだけの布石はもう、揃ってる」
私は真っすぐに琴男を見据えて、そう伝えました。
希望はあります。
活路はあります。
ただ魔王討伐をするだけに限らない。
衰退した冒険者という世界。だけど冒険者ってこんなに素晴らしい世界なんだって、皆に伝えないと。
魔王を倒して終わり……じゃない。
私が見てるのは、その先だから。
想いが伝わったのでしょうか。
琴男は「うん」と頷いて、それから大きく背伸びしました。
「そうと決まれば、早く話を通していこうぜ。街ひとつ犠牲にする可能性があるっていうなら、準備は早い方が良いだろ」
「……でも、許可が下りるかな」
ただどうしても気がかりだったのは、その一点です。
街ひとつ滅ぶかもしれないという案を、市や行政が受け入れるとは思えません。
ハッキリ言って、私の考えているプランは滅茶苦茶そのものです。
ダンジョンだけに留まらず、人々の生活に実害を与えます。
ですが、そんな私の不安を払拭するように。
琴男は子供のような悪戯じみた笑みを浮かべました。
「じゃあさ、説得力持たせるか。“琴ちゃん魔法”でさ」
「……え?」
「ロマン砲を極めたお前にしか出来ないことだ。どうせなら、派手に行こう」
「……うんっ」
正直、私の案こそ思いついていますが……実行するのはすごく不安です。
何が不安かっていうと、めっっっっちゃ怒られるのが確定しているからです。
大災害を意図的に生み出そうとしているのですから、まあ当然なんですけど。
ですがそんな躊躇する私を後押しするように、琴男は笑いかけました。
「そうと決まれば話は早いな、行くか」
「……うん!」
“異世界の呪い”という取っ掛かりを生み出した冒険者。
田中 琴男。
そんな私達は、冒険者という世界の存続をかけた一大プロジェクトに立ち向かいます。
人知れず終わる戦いだなんて、つまらないじゃないですか。
やっぱり実害合って、危機感を感じてもらうんですよ。
人々を驚愕、困惑、動揺。
そんな感情に巻き込んでこそ、“琴ちゃん魔法”は存在意義を見出すことができるのですから!!
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そう言えば、場の流れに呑まれてすっかり忘れていました。
……ポーション、飲んでないですね。私。
そのままポーションも飲まず、家に帰っちゃいました。えへへ。
なので、次の日に何が起きたのかは簡単に予想できますね。
「え~な~とぉ……見捨てないでぇ……私を捨てないでぇ……」
「す、捨てないからっ! 琴っ、ああもうっ。落ち着きなさいっ。頬ずりを止めなさい!!」
「んぇ~~……ほんと? あっ、うぷっ、やばい気持ち悪い」
「あーーーーっ!? 琴、待ちなさいっ。ほら、袋用意するからっ!」
「お前さんらは何をしておるんじゃ……」
「イナリちゃんだぁ、んふふ……可愛いなぁイナリちゃんは……はむっ……」
「ひゃあああっ! 耳を、く、咥えるでないっ……ん、ひゃ……ひゃあっ……っ、はっ、離れんか!!」
「んぎゅ……なんで、なんでぇ……そんなこと言うのぉ……」
「……んんっ、はぁ……恵那斗君や……。魔石を使って、琴ちゃんの味覚を眠らせぇ……儂がポーションを突っ込むでの」
「え、ええ……」
「なぁんでそんな怖い顔するのぉー……ねぇー……ねー……んきゅ」
……散々迷惑をかけたようです。
本当にすみません。




