第220話 贖罪
「……ん、ここは」
かつての妻であった田中 恵那の姿をした魔族との決着を終え、迎えに来たパパの車に乗ったところまでは覚えています。
揺れる車内が心地良くて、いつの間にか眠りこけてしまっていたようです。
そして、朧げな頭をもたげれば見えたのは辺り一面真っ白な世界。ですが壁面に目を凝らしてみれば、若干ざらざらしているような気がしないでもありません。
正直やる必要なんて無いんですけど、意味もなく壁面を手でなぞってみます。なんだかさわさわとして心地良いですね。
……誰も見ていませんね。
まだ、誰も来ていませんよね。
ならば、爪を立てて。
「……えいっ」
がりっ、と不快な音と感触が爪先から生じました。それと同時に、殻の世界にひびが入り、微かに欠片が零れ落ちます。
……ちょっと楽しいですね。
傷が出来たら広げたくなる、人間の習性です。
「……もうちょっと削ってみようかな……」
うーん。
爪先だと思うように削れないですね。
やってることが猫みたいです。
なんだか楽しくなってきました。
「にゃっ、にゃっ」
なーんて、誰もいないことをいいことに殻の世界を堪能します。
ボロボロと崩れ落ちる殻の世界の外壁。
しかしこうなればもっと効率を上げたいものです。
出せませんかね? いつものあれ。
という訳で、空いた左手でいつもの“アイテムボックス”の発動を試みます。以前出せなかったんですけど、ダメもとです。
「……おっ」
出た。
左手にうにょうにょと亜空間みたいな歪みが生み出されました。光の全てを拒絶する“アイテムボックス”は、真っ暗闇なので中を覗き見ることが出来ません。
という訳で“アイテムボックス”の中に手を突っ込んで、何か外壁に削るのに最適そうな道具を探してみます。
ごそごそと格納されているものをイメージしながら、まさぐっていきます。
「……あ、そうだ。これ使えるじゃん」
という訳で取り出しました。
ゴブリンダガー(裏声)!
これなら効率だって上がりますし、持ちやすいですし、何ならいくら壊しても罪悪感が生まれません。
意外とお世話になっていますね。
「んしょ……っと」
なんだかこういう地道な作業って、一度ハマるとなかなか抜け出せないんですけど。私だけですか。
やめ時を失うんですよ。
こうなれば完全に穴を開けるまで、とことんやりますよっ。
そんな作業に水を差す声が聞こえました。
「……人の姉の姿で、何をしているんだ」
「人じゃないでしょ、天使じゃん」
「言葉のあやだ。先ほどから見ていれば、何をしているんだ……田中 琴」
そんな作業を続けている私へと、聞き覚えのある声で話しかけてくる人(?)が居ました。
正直誰が話しかけたとかは分かっているので、スルーしても良いんですけど。
さすがに顔を見て話さないのは、なんというのでしょう。普通に失礼ですもんね。
一応声のした方に振り返ります。
「や、呼び出されるまで待ってるの暇だったし。で、今日は何、下駄ちゃん」
「下駄……」
そこに居たのは、私……というより厳密にはメタトロンに瓜二つの少女でした。ですがこの身体と明確に違うのは、私の瞳がコバルトブルーなのに対して彼女はルビーのように赤い瞳をしていることですね。
私が下駄ちゃんと呼んでいる彼女は、メタトロンの双子の妹——サンダルフォンです。
すとんと重力に沿って落ちるストレートの銀髪と、そこから覗くくりくりとした大きな眼が特徴の可愛らしい顔つき。しゃんと伸びた背筋は、その存在が天使であることを如実に表していますね。
彼女の真似をするように、私も背筋を伸ばしてみました。
なんだか疲れるのでやめました。
「……先ほどから落ち着きがないな、お前は……」
「私としても色々と確かめたいことがあったし。まず、確認しても良い?」
「……まあ、別に良いが。何だ?」
「この殻の世界ってさ、異世界に存在する場所だよね?」
私はほとんど確信をもって、そう問いかけました。
その質問に対し、下駄ちゃんは驚いたように軽く目を見開きました。
しばらく間を置いてから、観念したようにため息を吐きます。
「……驚いた。勘が鋭いとは思っていたが、そこまで見抜くとは」
「さっき“アイテムボックス”が使えるようになって、そうかなって思った。レベルが上がったことによる影響だよね」
「……連想力お化け……」
「なんでみんなそんな扱いするのかなぁ」
なんだかお化けだの、私を人間扱いしなさすぎです皆。
まあ天使なので厳密には人間じゃないですけど。そういう話じゃないんですよ。
だってですよ。
以前、お兄ちゃんが言ってたと思うんですけど。レベルが上がる度に、異世界から付与された肉体に私達の魂がリンクしていくんですよ。
レベルが上がるということは、つまり異世界の環境に適応できるということです。
私がずっと前に、この殻の世界の中で“アイテムボックス”を開けなかった理由。それは、まだ私が低レベルであったことから“招かざる客”と判定されたということでしょう。
魂と言えば、ちょうど良い機会ですし色々と聞かせてほしい話があるんです。
メカニズムで証明できない話ばかりなんですよ?
……と、私が質問を投げる前に。
まずはサンダルフォンが殻の世界の壁面に手を触れながら、口を開きました。しまった、話の先手を取られた。
「おねえちゃ……琴は、記憶でしか見たことが無いだろうから。実際に、見せてやろう」
「私は下駄ちゃんのお姉ちゃんじゃないよ」
「知ってる……」
やんわりと指摘すると、下駄ちゃんは引きつった笑いと共に俯いてしまいました。
素を懸命に隠そうとしているのは分かるんですよ。
ですけど、忘れてません? 私、レベルが上がったので結構な記憶が取り戻されているんです。
下駄ちゃんが普段どんな口調をしているのかとか、ある程度分かっているんですよ。
「うん。私は記憶でしか異世界での光景を知らない」
「ああ、そうだろう」
「下駄ちゃんがお風呂の中で、楽しそうに歌ってたこととか……」
「は? ……あ、あわわっ……な、ななななななんでそれを知って……おね、お姉ちゃん……?」
「見ちゃいけないものを見た気がして、そっと下駄ちゃんのいる部屋から離れたこととか……」
「……あ、わ、わわわ……あぅ……」
いーっつも作ったようなキャラクターをしているのが気になったので、容赦なく記憶の断片をぶつけてみます。断片というよりも塊な気がしないでもないですが。
まあ、見られていたことなんて知らなかったんでしょうね。メタトロンも気を遣っていたみたいですし。
「……知らないよ、もう」
下駄ちゃんは動転したように顔を真っ赤にして、そっぽを向いちゃいました。
……話の流れをぶっ壊してしまいましたね。
平常運転やっちゃいました、これ。
……しばらく間を置いて、下駄ちゃんは冷静さを取り戻したようです。
「こほん」と可愛らしく咳をしてから、改めて壁面に視線を向けました。
「魔王が生まれるまでの世界も、良い世界とは言えなかった。国家間の争い、王族間の醜い覇権争いだって勃発していた」
「まあ……どこの世界でもある話だね」
「だがな、魔王が顕現してからの世界に比べれば……今となってはマシに見えるな」
そう前置きした後、下駄ちゃんは壁面へと人差し指を突き立てました。
ぐっと壁面を押し込んだ後、彼女は静かに唱えます。
「“拡散”」
下駄ちゃんがそう静かに唱えると同時に、指先を中心として壁面へと衝撃波が生まれました。
空気を震わせつつ放たれる衝撃波に、殻の世界の壁面は瞬く間に崩壊。ひび割れた殻の奥から、やがて異世界の光景が姿を現します。
……なるほど。やはり彼女も“異世界の力”を持ち合わせた存在という訳ですね。
まあ……“スキル”とでも言いましょうか。
彼女は割れた殻の奥に、やがて映し出された光景を指差しました。
「改めて見てみろ。これが、魔王が世界に現れた時の末路だ」
「……」
指示されるままに、下駄ちゃんが退いて作ったスペースへと歩み寄ります。
ちらりと今の私と瓜二つの少女を横目に、異世界……だった光景を見やりました。
そこには。
「……っ」
まず、光景を大枠で捉えようとしました。
凄惨というほかに、表現のしようがありませんでした。
積み重なった瓦礫に、倒壊した家屋。
崩落した橋の断片が川に突き刺さったりしています。
山は抉れ、土砂崩れが住宅街を飲み込んでいました。
そんな何もかもがぐちゃぐちゃになった光景の中。
住宅街の中に盛り上がった、大きな山が目立ちました。
私の意識は、自然とそこに吸い込まれます。
それは。
「……っぷ」
「……」
さすがに、口元に手を当てざるを得ませんでした。
喉の奥から込み上げる胃酸を、辛うじて抑え込みます。
住宅街の中に出来ていたのは、人々の死骸の山でした。
沢山の人々だったものが、無造作に投げ捨てられた人形のようになっていたんです。
……これが、異世界の顛末。
魔王が世界を蹂躙した先の、末路だったようです。
「……何でも良かった。私達が救われるのなら、なりふりなんて構っていられなかった」
下駄ちゃんはまるで、贖罪でも求めるようにそう呟きました。
異災によって、散々私達の世界も滅茶苦茶にされました。
正直言って、たまったものではありません。
ふざけんな異世界、なんてここ最近はずっと思っていましたよ。
……本当に、とんでもない巻き添えを喰らったようです。
「馬鹿げてる、馬鹿げてるよ……」
「そうだな、馬鹿げてる。私達も、魔王も」
田中 琴男を依り代として、やがて日本に生み出されようとしている魔王。
そんな魔王が、日本で完全復活を遂げたとしたら……。
……考えたくもありませんね。




