第219話 獣の戦い
地肌を覆う、漆黒の剛毛。アクセントとして刻まれた白のラインが、薄暗い洞窟内でもその存在感を示していた。
私の姿は“獣化”により、瞬く間にその姿を塗り替えていく。
微かに湿った岩肌が鏡の役割となり、私の姿を映し出す。
「……獣ね」
そこには、人間らしい姿をしたワーウルフの姿などどこにも無い。
人の姿を捨てた、ワーウルフ本来の姿だ。
この力は、出来ることなら使いたくなかった。
「……ぇ……と……」
背後で横たわる琴が、微かに私の名前を呼んでいるのが聞こえた。
だが、私は振り返ることが出来ない。
何故なら、琴にはあまり見られたくない姿だから。
愛する琴には、このような醜い姿で顔を合わせたくない。
……見た目が精神に与える影響というのは、本当に恐ろしいものだ。
だが“獣化”が与えた身体能力向上の効果はすさまじいものだった。
全身に力がみなぎっていくのが分かる。
まだ、私には先があるのだと感じさせてくれる。
「はぁっ!」
身を屈め、それから両足で大地を蹴り上げた。雷鳴の如き勢いで地を滑り、過去の私へと接敵する。
自分の身体だというのに、自分の身体だと思えない感覚。“男性化の呪い”に掛かった当初を思い出す。
過去の私の視線は、右手に構えた蛇腹剣へと向いている。
私のことだ、おおよその癖は理解している。
だからこそ、私はそれを囮に使う。
「私のことは……私が、一番分かっているわっ!」
「——ッ!?」
急速に身体を捻り、左腕でフックを放った。がら空きだった頬を打ち付けると、過去の私は驚愕したようによろける。
目を見開き、状況の変化に適応しようとしているのが見える。首を左右に振って、ワーウルフという私の情報を分析……再構築しようとしているのだろう。
常に先々を見据え、最善な手を取って手を打つ。
それが私——柊 恵那が得意とした戦術だ。
琴のような、ただ知識と技術に身を任せたその場しのぎの戦術ではない。
あの子は短絡的に行動するところがある。
だからこそ、私は琴を支える為に……先読みのスキルを磨いた。
——だが、曲がりなりにも過去の私だ。
「ッ……“炎弾”」
「っ!」
体勢を立て直したかと思うと、過去の私は左手をこちらに向けて来た。
その詠唱から引き起こされる未来を悟った私は、咄嗟に過去の私の左腕を蹴り上げる。
「っ、はぁっ!」
「ッ……ァァッ……!」
弾く左腕から放たれる“炎弾”。それは不規則に揺らぐ灼熱を生み出し、空高く解き放たれる。
やがて天井へと着弾したそれは、激しい轟音を鳴らしながら爆炎を生み出した。
橙色の光が世界を照らす中、私は左手を上につき上げて叫ぶ。
「……“大気遮断”」
次の瞬間には、真空に取り囲まれた空気が灼熱の炎を沈めていく。
橙色の光はなりを潜め、再び薄暗いダンジョンの光景が取り戻された。
……危うく、大気中の酸素を奪われるところだった。
目の前に対峙する、過去の私はいわば死人だ。酸素が減ろうが、その活動能力が低下することは無い。
元より、私達の酸素を奪うことが目的だったのだろう。
「……ふぅ……」
その一連のやり取りからも、私はうっすらと理解しつつあった。
魔法攻撃の数値で言えば、過去の私は600を超えている。
それに対して、今の私の魔法攻撃はたかだか知れたものだ。
「……やっぱり、過去に縋っていては勝てないわね」
過去の存在、田中 恵那と実際に相対して実感した。
やはり今までの戦い方では、私は過去を超えられない。
ステータス傾向が違いすぎるんだ。
魔法を駆使した戦い方は、もはや今の私には不可能だろう。
そんな答えに辿り着いた時、私は気づけばだらりと両腕を垂らしていた。
「……え、な……と?」
後ろから、琴の心配そうに呼びかける声が聞こえた。
傍目から見れば、戦闘を諦めたように見えるのだろう。私がただ、過去の存在に殺されるのを受け入れたかのように。
だが、違う。
右手に握る蛇腹剣を、強く握り直す。
これまでの戦い方に縛られるから、同じ土俵で戦わざるを得なくなるだけだ。
——常識を、壊せ。
そう、心の自分が語った気がした。
「“魔素放出”」
高濃度の魔素に呼応するように、蛇腹剣が分離する。刃を繋ぎ止めるワイヤーが宙を踊る。
そうだ、常識を捨てろ。
私はワイヤーの伸びきった蛇腹剣を——。
「……なっ、恵那斗君や……何を!?」
琴に“治癒魔法”を付与し続けているイナリちゃんが驚いた声を上げた。
傍から見たら、めちゃくちゃも良いところだと言わんばかりの行動だったから。
私は、蛇腹剣を空中にぶん投げた。
宙を舞う蛇腹剣。分離した刃が、微かな光源に乱反射する。
予想外には、予想外をぶつけろ。
「ッ……!?」
魔族と化した過去の私も、その予想外の行動に目を奪われたようだ。
だがそれは、いわば明確な隙でもあった。
その間に私は“獣化”によって大幅に向上したステータスを駆使して、高く跳躍。
空中で身体を捻り、宙を舞う蛇腹剣の刃へと靴底を向ける。
蛇腹剣は“魔素放出”を駆使することによって、任意操作が可能となる。
言い換えれば、空中で停滞させることだって可能なのだ。
今、この瞬間。
蛇腹剣は“突如として空中に作られた足場”となった。
地へと目掛けて、勢いのままに急降下。
「っ、あああっ!」
「……ァ……!」
隙だらけとなった過去の私の頭部を、落下の勢いと共に殴りつける。重く響いた一撃に、過去の私は大きくよろめく。
姿勢を崩され、よろめいた過去の私へと、更に猛攻を仕掛ける。
ここから先は、獣の戦いだ。
「もうっ、過去には……何も置いていくわけには、行かないものっ!」
「ッ、ァ……ゥ……!」
身体を捻り、その遠心力を駆使して裏拳を放つ。
身を屈めた姿勢から、足払いを仕掛ける。
反撃の横薙ぎを身を屈めて躱し、がら空きの顎にアッパーを仕掛ける。
もはや、そこに洗練された立ち回りを好んだ、柊 恵那の姿はどこにも無い。
ただ本能のままに、持て余す力のままに。
「はっ!」
私は空中に舞い上げた蛇腹剣の刃を足場として、高く跳躍する。
天井すれすれまで跳躍した私を、呆けた顔で魔族が見上げていた。
空中で、視線が交錯する。
私は決して目を逸らさまいとしつつ、落下する勢いと共に右腕を大きく後方に引く。
これが、決着の一撃だ。
「せああああああっっっっ!!!!」
「……ァ……」
一瞬だけ、微かに。
過去の私が……微笑んだような、そんな気がした。
——琴を、大切にしてあげて。
言葉を発することが出来ないはずの、魔族の口が。
そう動いたような——。
「……琴の隣にいるのは、私だものっ!!!!」
天地を貫くような鉄槌が、過去の私を貫いた。
穿たれた頭部から、漆黒の霧が舞い上がる。
砕けた肉体が、灰燼と化して虚空に溶けていく。
やがて……田中 恵那は。
世界から、消えた。
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「うぅ……お腹痛い……生理の時みたい」
やがてイナリちゃんの“治癒魔法”を介して体力が回復した琴は、よろよろと私の隣へと歩み寄った。
おぼつかない足取りで、私の胸元へとぽすんと身体を預ける。
それから、琴はぎゅっと私の背中に腕を回した。
「……カッコよかった」
「……みっともない戦いを、見せたわね」
私は、琴の言葉を素直に受け止めることが出来なかった。
出来ることなら、スマートな戦いで解決したかった。
琴の知る私は、いつだって鮮やかな戦いを繰り広げていたから。
こんな獣じみた、ワーウルフそのものを体現したような戦いなど……したくなかった。
だが、琴は私の胸元でふるふると首を横に振った。
「ううん、必死に私の為に戦ってくれたんだもん。みっともなくなんか、ない」
「……ありがとう」
「お礼を言うのは私の方だよ。沢山気付くことがあったから」
「ふふ、なんだか……ようやく、夫婦になれたって感じね」
夫婦、という単語を発した瞬間。
琴は顔を赤くして、それから蕩けたような笑みを浮かべた。
恥ずかしさを隠すように、私の胸元により深く顔を埋める。
私の視界に映るのは、見た目相応の振る舞いをするただ一人の女の子だった。
「んにゃ……へへ、夫婦か……えへへ……」
「……可愛いわね」
「にゃ!? も、もうっ。からかわないでよ」
「ふふ、本心よ。じゃあ、魔物が現れる前に行こうかしら」
「う、うんっ」
私が手を引くと、琴はぴょこぴょこと嬉しそうに弾んだ足取りで私についてきた。
……少しでも、彼女の心は晴れただろうか。
「……うむ、若いのぅ……」
背後では、イナリちゃんがニコニコと嬉しそうに微笑んでいた。
見た目年齢で言えば、イナリちゃんが一番若いのだけれどね。
相も変わらず、見た目と中身年齢のギャップが激しい冒険者パーティではある。
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余談。
私達は、20階層のボスモンスターを倒した後に現れるワープゲートから帰還することにした。
そのボスモンスターなのだが。
「“琴ちゃんキャノン”!!」
そう、琴が嬉々としてぶっぱなした。
たったこれ1発で、瞬く間に灰燼となって消し飛んだことについては、私は何も言わないでおこう。
魔物を倒す、ということにおいては最大限効果を発揮する“琴ちゃんキャノン”だが。ドロップアイテム回収という意味においては、ハッキリ言ってデメリットしかない気がする。
仕事に使えない魔法。
琴ちゃんキャノン。




