第194話 記憶に塗りつぶされたりしない
「……この度は、誠に申し訳ありませんでした」
イナリちゃんは素面に戻るなり、綺麗な土下座を披露しました。
嫌ですね。なんだか社会人の側面が見える気がします。
謝罪慣れしている社会人という要素が見えるイナリちゃん。なんというか、うん……64歳男性なんだなぁって……。
まあそれはそれとして、私は面白いものが見れたので満足ですが。
「良いものを撮れたので大丈夫ですよ」
私はそう言いながら、ポケットに入れたスマホを取り出しました。
慣れた手つきで操作しながら、魔力枯渇症候群によってへべれけになったイナリちゃんを録画した映像を流します。
『んふ~……にゃー……琴ちゃんや、もっと撫でてくれんか……』
「ぬあああああっ!? 消せぇ、消さんかい!! お前さん、お前さんはなんて映像を撮っておるんじゃあ!!」
「あははっ、嫌に決まってるじゃないですかっ! めちゃくちゃ可愛かったですよイナリちゃんっ」
「屈辱じゃあ! 鬼じゃ、琴男君よりも魔王しておるわお前さんは!!!!」
イナリちゃんは魔力枯渇症候群……というよりも、酔っぱらうと甘えんぼになるようです。
これは新たな知見ですね。記録に残して正解でした。
イナリちゃんは頬を膨らませて私のスマホを奪い取ろうと、ぴょんぴょんと飛び跳ねてきました。うんうん、可愛いです。
顔を真っ赤にしてむくれるイナリちゃんにしか得られない要素があるというものです。私は非常に満足していますよ。
そんなイナリちゃんの頭をポンポンと撫でてあやしていたものですが。
「……んふっ」
ちょっと笑みをこぼしているのを見逃さなかったですよ私は。
ハッとした様子でふるふると首を横に振っていましたが。今日もイナリちゃんはイナリちゃんしています。
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「……お前ら、何を騒がしくしてるんだよ。遊びじゃないんだぞ」
「ぬぅ……すまん」
琴男が諭すように、静かに説教してきました。なんで説教担当がかつての私なんでしょう。納得がいきません。
ですがさすがの白狐ことイナリちゃんと言えども、正論を前には大人しく非を認めるしかありませんでした。尻尾がへにゃりと萎れてしまっています。
それから、間を置いてからおずおずとイナリちゃんは琴男に語り掛けます。
「しかしのぅ。この身体というのは不便じゃの、琴男が悪いわけではないというのに、お前さんを警戒してしまうのじゃ……」
どこか申し訳なさそうに本音を語るイナリちゃん。
そう語っている間も、狐耳がぴんと硬直したように張っていました。全身の筋肉は硬直し、不安に揺れています。
不安に滲む雰囲気を感じ取った琴男は、「はっ」と自嘲染みた笑みと共に言葉を返しました。
「まぁ、仕方ないだろ。仮にも異世界を滅ぼした魔王だ」
「うぅむ……このようなことであれば、レベルを上げないのが正しかったのじゃろうか、じゃが……うむ……」
「でも、上げないといけなかった。だろ?」
「琴男に正論を言われる日が来るとは思わなかったの」
「ははっ、俺もそう思うよ」
琴男はそう、イナリちゃんを諭していました。
うーん、私の口からは一生出せないセリフですね。なんか癪に障ります。
メタトロン云々という訳じゃなくて、「それ本来なら私の名誉だったはずなんですけど!」という気分です。納得がいきません。
まあ、レベルアップ研修という名目で参加しているので。
レベリング作業は必須なんですよ。研修に参加しているというのにレベルを上げずにおめおめと帰ってきた、なんてギルドには説明できません。普通に研修参加に使った費用をドブに捨てるようなものです。
私達にだって相応の事情はあるのですが、一応社会の滞りなく巡る方が重要視される世界なので。
冒険者のレベルが上がり、業務効率を向上させる。それが今回の研修における目的のひとつでもあるので、「真実を知ることが怖くてレベリングできませんでした」と帰ることは出来ません。
うう、世知辛いです。
特に呪い三人衆はあらゆる意味で、ギルドの中で目立った存在なので……今後の動向はかなり注目されているんですよね。
公には秘匿とされている存在ですが、まあ全日本冒険者協会からは大きな関心を寄せられています。
強いだけの冒険者、というだけなら関心は寄せられなかったんですけどね。
ただのレベリング作業とは言えなくなってしまいました。
レベルを上げることによって、私達の魂と身体の繋がりが密接になります。その結果、身体に残された記憶が引き出される、という流れになるので。
……まあ、正直思い出したくないですけど。
なんとかフォローしつつ、上手くやっていくしかありません。
「……まぁ、皆さんには辛いことをしてもらうことになりますからねぇ……」
麻衣ちゃんは昨日のイナリちゃんの独白を聞いてからというものの、複雑な胸中なようです。
まあ、私達の想像を絶する記憶だったでしょうから。イナリちゃんが受け取った情報というのは、かなり衝撃的な光景でしたし。
それと同じ情報のレベルを、私や恵那斗にも受け取れと強要しているようなものです。
昨日琴男から聞かされた、魔王側の光景もかなりえげつない話でしたからね。
……それ、麻衣ちゃんにも話しましたかね?
まあ、琴男を信じましょう。比較的真っ当になっているはずなので、信じるしかありません。
物思いに耽るように顎に手を当てていた麻衣ちゃんですが、逡巡の末に恵那斗へと視線を向けました。
彼は何も言わずに静かに佇んでいました。まるで置きものです。
ですが麻衣ちゃんの視線を感じ取った彼は、ちらりと視線を交えました。
「田中 恵那斗さん」
「ええ」
「恵那斗さんに、次は記憶を思い出してもらおうと思いますが……大丈夫ですか?」
「琴じゃないのね?」
恵那斗は頷きもせず、真剣な表情で麻衣ちゃんを見据えました。
ですが麻衣ちゃんも負けじと恵那斗へと己の意見を主張します。
「こちらとしても、まずは面で情報を集めたいので。異世界という存在を、私達部外者は感じ取ることが出来ませんから」
「……それも、そうね」
確かに恵那斗は、“異世界の記憶”を唯一引き出すことが出来ていません。
情報という観点から見ても、ワーウルフ視点の情報を受け取ることも大事であると考えているのでしょう。
恵那斗のリアクションを受け取ったものですが、麻衣ちゃんに滲む表情はどこか失言してしまったような時のそれにも見えました。
自分の言っている言葉が正しいのか分からない、と言った様子です。
私達が記憶を引き出すことに対して、相応に葛藤しているように。
同じように記憶を引き出すことを求める立場である麻衣ちゃんも、同じように悩まざるを得ないのでしょう。
……そんな麻衣ちゃんだからこそ、私達は協力しようって思えるんですよ。
「……嫌だったら、嫌って言ってもらって大丈夫です。対策をするだけなら、現時点の情報でも事足ります」
そう俯いた麻衣ちゃんへと、恵那斗は柔らかに微笑みかけました。
ですがちょっと無理をしているようにも見えますね。
「いいえ、ここで思い出さなくても。業務を続けていれば、いつか思い出す話よ。だったら、早い方が良いわ」
「……ありがとうございます」
麻衣ちゃんは深々と感謝の言葉を述べました。
ですが私は気づいています。
「……っ」
恵那斗の手が緊張に強張っているのが。ぐっと強く握りしめた拳は、不安を押し殺しているようにも見えました。
いくら覚悟の決まっている恵那斗と言えども、自我が侵食される恐怖というには抗えないのでしょう。
皆に悟られないように深々と深呼吸を繰り返しているのが見えました。
そんな恵那斗へと私は、距離を縮めます。
「大丈夫だよ、恵那斗」
「琴……」
「私達の感情は、記憶に塗りつぶされたりしないから」
「……そうね。ありがとう」
「んふふ」
恵那斗は私の言葉に、柔らかに微笑みを向けました。
やっぱり無理をしたような笑みですが、それでも私の頭を撫でてくれました。
誰だって不安ですよ。
誰だって怖いです。
私だって、自我が蝕まれるのは怖いです。
気づかないうちに、自分が自分じゃなくなっていくのは怖いです。
ですけど、皆が寄り添ってくれているんです。
そんな私達の様子を見守っていたイナリちゃんも、にこりと微笑みを向けてくれました。
「大丈夫じゃ、儂もおる。皆で呪いを乗り越えるぞ」
「ええ、そうね。呪いに負けるわけにはいかないわ」
「うむ。その意気じゃ」
呪いによって引き出される記憶を前に、私達の繋がりはより密接になっていく気がしました。
今なら、異世界の記憶に打ち勝てる気がします。
「……信じてるぜ、お前らのこと」
そんな私達のやり取りに、琴男は満足げに頷いていました。
絶望があるからこそ、希望もある。
当然ですよね。
もちろん、その逆だって……存在します。




