喫茶エコールの忘れ物3
僕は突然戻って来た男性に対し、目を瞬かせた。梨郷も不意を突かれ、固まっている。
「2879?」
僕は思わず聞き返してしまった。
「その、スマホの暗証番号だよ。入力してみろ」
「あ、はい」
僕は再びスマホへ視線を落とす。
彼のいう四桁の数字をゆっくりと、タップした。
すると、
「あっ、開いた!」
梨郷が声をあげる。鍵が開く時のような音がして、入力画面から通常の待ち受け画面になっていた。
てことは、やっぱりこの客のじゃないか。
「お客様、お返ししますね」
聞くまでもない。彼が持ち主なのだろう。
「……いらない」
スマホを差し出した僕は彼の言葉に眉を寄せた。
「はい?」
「お前が処分しとけよっ。俺はそんなの知らないっ」
男はそう言い残すと、入り口のドアまで走り、振り返ることなく店を出て行った。
えー……。なんだよ、あれ。
「よくわからないけど、これはあの人のなのよね?」
「うーん」
処分しとけってどういうことだ。
「ねえ、どうするのよ?」
「どうするって」
僕は失礼ながら、スマホを操作して着信履歴の画面を開いた。そこに表示されたのは『けいちゃん♡』のみだった。
他の履歴なし?
仕方ないので、やはりけいちゃんにかけるしかないようだ。念のため、アドレス帳を開く。自宅の固定電話の番号なんかを登録していれば……と思ったのだが、アドレス帳すらけいちゃんのみだった。
「これは」
「ねえ、ねえ、私も聞きたいわ。声が大きくなるやつやって!」
僕のエプロンを引っ張ってくる梨郷の要求をのんで、スピーカーモードでけいちゃんへかける。
呼び出し音がして、すぐに先ほどの女性が出たのだが、
『やっとかけてくれたああああっ、もお、遅いよぉ。ねえ、ねえ、どう? 私のデコ。可愛いでしょ! お揃いだよー?』
ハイテンションな女性の声が聞こえてきた。これはさっきのけいちゃん、なのか?
「なんとか言ってよお。いっつも喋らないんだからぁ。ほんとに照れ屋さんだよねぇ」
彼氏相手だとこうも違うものか。
とりあえず、彼氏じゃないことを伝えるか。
僕が口を開いた時である。
「今日、家に行くね! この前は五時間も待っちゃったんだよー? 鍵開けてくれれば良いのにぃ」
五時間? 鍵?
梨郷も不思議そうに画面を見つめている。
「ねぇ、尚、これって」
僕はとっさに人差し指を立てた。口元に持っていく。つまりは静かにしてろ、と。
しかし、スピーカー状態だったので聞かれてしまったらしい。
「……ねぇ、女の声しなかった? 誰? ねぇ、誰?」
女性の声の感じが変わった。
「せっかく他のやつらの連絡先消したのに、女と会ってるの? なんで? わたしがいるのに?」
低い声で問い詰められ、僕は通話終了ボタンを静かにタップした。
いつの間にか冷や汗が浮かんでいた。
単に彼氏に甘える彼女ではない気がする。もっと狂気的なものを感じる。
「なんか、怖い」
梨郷もけいちゃんの異常さを感じているらしい。
しかし、すぐに着信音が鳴り始めた。発信者はもちろん『けいちゃん』である。
「ど、どうするのよ」
「落とし物として警察にでも届けるか。勝手に処分出来ないだろ」
僕は着信音がなっている状態でも気にせず、そのままスマホの電源を落とし、その日のうちに交番へ届けたのだった。




