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赴任前夜


日は流れ、年の明けた1月3日。


江山が山川市に赴任する前日になった。内示が出され、江山は久しぶりのゆっくりとした年末年始を過ごすことが出来た。救急医として勤務してから、暦は全く関係なく医療の最前線にいた。


おせち料理など口には出来ず、大晦日だろうとカップラーメンで食事は済ましていた。そのような勤務が長く続いた江山にとって、暦通りに休めた年末年始は、とても有意義だった。


家族との時間や、両家実家への里帰りなど、世間一般の家庭が過ごせる時間を精一杯楽しんだ。

しかし、心の片隅には、年始から始まる未知の勤務に、どこか焦燥感にかられている自分がいた。


そして休日最終日の夜。翌日始発の在来線で向かう予定で、まとめた荷物の確認をしていた。


山川市には、国の出先機関が複数あり、厚労省の医官である江山は、国家公務員専用の住居に入ることが出来た。車で片道2時間。在来線なら1時間半の距離。我が家に帰れるのは連休になるな。


単身赴任を選択した江山は、内示と同時にそう思い、その日の夜、妻の恵理と娘の紗季に、その旨を話した。二人とも少し寂しい表情を浮かべたが、3ヶ月という赴任期間に快く承諾してくれた。


それどころか、厳しい業務内容に心配をしてくれた。何十年かぶりに泣いたな。その日を思い出し、江山はひとりでに笑ってしまった。


その様子を見た恵理は思わず、


「なに?面白いことでも思い出した?」


江山が荷物をチェックする横で、その手伝いをしながら問い掛けてきた。


「いや。なんでもない。」


口元を緩ませながら返す。おかしな人。という恵理の言葉を背中で受けながら、赴任時に必要な書類の最終確認をする。それが終わると部屋の影駆け時計に目を移した。


午後9時を廻っていた。


「恵理。お雑煮まだある?」


小腹がすいたな。そう思い、洗濯物を畳み入った恵理にそう問い掛けた。


「お汁はあるから、お餅を焼いて入れればあるかな。焼こうか?」


畳む手を止め、恵理は立ち上がろうとした。それを見て、


「いや。焼くからいいよ。洗濯物畳んだら、盛り付けだけお願いしようかな。」


江山はそう言い、キッチンに向かおうとしたが、不意に遠くから会話を聞きつけた紗季が、


「私の分も焼いて!一つでいい!」


叫ぶように自室から言ってきた。江山と恵理は思わず笑みがこぼれる。


「2人が食べるなら、私も頂こうかな。お餅、もう一つ追加ね!」


暫く、3人で食卓を囲むことが出来ない。そう思った恵理はそう口を開いた。江山は、前部で3つ。

焼くね。と返し、恵理の実家で貰ってきた手作りのお餅を冷蔵庫から取り出し、オーブンの中に並べて入れた。その後、適当にダイヤルを回して、冷蔵庫で冷やしてあったお雑煮用のお汁が入った鍋を火に掛けた。


「10分もしたら出来るよ!」


キッチンから顔だけ出し、自室にいる紗季に江山はそう知らせた。間もなくして、紗季がスマホを触りながらトコトコとリビングに歩いてきた。その時には、恵理もキッチンに立ち、盛り付けを始めていた。


「これ。テーブルに持っていって。」


椅子に座ろうとした紗季に、恵理が声を掛ける。それを聞いた紗季は短く返事をして、配膳を始めた。

配膳が終わり、3人は席につくとそれぞれ湯気が出ているお雑煮を食べ始めた。


「お父さん。明日行ったらいつ帰ってくるの?」


不意に、紗季がそう問い掛けてきた。江山は食べる手を止め、少し間を置いた上で、


「1週間に1回は帰ってこれればいいんだけどな。」


そう返した。答えになっていないな。そう思ったが、その回答しか出来なかった。話を聞くに、今回の試験運用では、厚労省は様々なパターンでデータが欲しいらしく、夜勤の日や日勤の日など、勿論、身体に負担の掛からないような勤務シフトにすると言っていたが、全容は赴任してからでないと分からなかった。とりあえず、赴任して1週間は日勤帯での業務になると聞いてはいたが、最初は帰るに帰れないだろう。そう考えたからだった。少しばかりか空気が重くなったな。江山がそう感じていると、


「パパがいないと紗季は寂しいんだって。」


場を和ませようと、恵理がふざけてみせた。紗季はそれを聞き、少し赤面させた。


まだ少し熱いであろうお雑煮をかきこみ、


「ごちそうさま!」


と短く言い、自室へ駆けて行ってしまった。二人はその背中を微笑んで見ていた。


「でも本当に、心に気を付けてね。貴方が貴方でなくなるのが一番私は怖い。」


紗季が自室に入って、少しの静寂の後、恵理はそう口を開いた。江山は箸を器に置いて、


「大丈夫だよ。マニュアル通りにやれば問題ない。3ヶ月乗り切ってみせるさ。」


安心させるように優しい口調で返した。恵理も軽い笑みで返す。


「明日早いし、歯磨きして寝る準備するよ。」


お雑煮を食べきり、江山は食器をキッチンに運びながら口を開いた。


「食器は置いてて。後で洗うから。」


まだお汁が残っていた恵理は、座ったまま言う。ありがとう。と江山の返事がくると、残りをすすった。

 翌朝、4時半。江山の姿は玄関にあった。まだ夜が明けぬ時間帯。紗季を起こさないよう静かに出発準備をし、キャリーケースとボストンバックを持ち、恵理一人に見送られる形で家を後にしようとした。


「じゃあ、いってくるね。」


少し眠気が残る中、江山は小さい声で恵理に言う。いってらっしゃい。恵理が囁くように言った直後、暗い廊下から足音が聞こえた。二人が見ると紗季の姿があり、眠い目をこすりながら、


「お父さん。気を付けていってらっしゃい。」


まだ寝ぼけているような声で口を開いてきた。思わず、恵理は紗季の肩に腕をまわして、頭を撫でた。江山は高ぶる感情を抑えながら、


「いってきます。」


と短く言い、まだ真っ暗な街に出て行った。


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