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2章 準備


鮮やかなイルミネーションが街を包む。


12月の寒さが肌をつく中、江山は繁華街から流れるクリスマスソングを背に、今日も職場に向かっていた。時代が変わっても、クリスマス時期の様相は変わらないんだな。


そう思いつつ、白い息を吐きながら病院に駆けて行く。職員専用の出入り口に差し掛かった時、救急受入口に救急車が2台停車しているのが目に入った。今日の勤務も忙しくなるな。自分にそう言い聞かせながら、病院内に入った。馴染みの防災センターに常駐する警備員の男性に軽くお辞儀をし、医局へ向かう。


その時、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえ、立ち止まった。振り返ると院長だった。

お疲れ様です。と返したが、院長が自分を呼び止める理由は自ずと察しがついた。


案の定、出勤後、そのまま院長室へと言われた。連日、報道番組で『救適法』について取り上げられている中、やはり自分なのかと少し嫌気がさしていた。勤務する服に着替え、江山は医局の同僚らに事情を話し、院長室へ向かった。ドアを3回ノックし、入室する。


院長はすでに応接用のソファに腰掛けており、応対する席に腰掛けるよう促してきた。小さく返事をし、ソファに腰を降ろす。目の前の机には、複数の書類が並べられていた。


「救適法の件ですね?」


院長が話すより早く、江山はそう切り出した。


「その通りだ。前回話をしたのは、今年の3月だったかな。報道でもある通り、法案が通り、運用が始まることになった。全国運用に先駆けて、試験運用を山川市で1月1日より行うこととなった。まぁ、日が日だから、実際の試験運用開始日は1月4日からになる。

試験運用期間は3ヶ月。そこで、以前話したが、やはり内局は君に判定医をお願いしたいとのことだった。経歴や実績からの評価だ。受けてくれるか?」


ゆっくりとした口調で院長は問い掛けてきた。江山はすぐに言葉を返すことが出来ず、小さく唸ってしまった。しかし、話を前に進めなければならない。そう思い、


「判定に関する運用はしっかり決まったのですか?」


院長の目を見ながら問い掛ける。


「決まったから、法案が通過したんだ。話を受けると回答を貰ったら渡すが、専用のマニュアルがある。その内容に沿って、君は判断すればいい。何かあっても全てマニュアルのせいにすればいい。内容に従った判断であれば、国が守ってくれる。」


院長は準備していたように淡々と答えた。しかし、江山は腑に落ちなかった。


「医療はマニュアル通りには語れません。院長もお分かりでしょう。」


現場を経験している医師なら言わずもがな理解していること。当然のことを院長に問うのは失礼だと思ったが、言わずにはいられなかった。それを聞き、院長は口元が緩んだ。


「当たり前だ。医療に絶対はない。だからだ。君の救急医としての経験、今まで見てきた目と、耳と、心で判断しろ。マニュアル通りの判断であっても失っていい命など一つもない。マニュアルが役に立たないと思ったら、ドブにでも捨てればいい。ただ、君の判断で何かあっても、マニュアル通りに判断したと言い張るんだ。気負うことはない。電話先だろうが、我々がやることは変わらない。目の前の命を救うために、全力を尽くしてくればいい。」


院長の本音だった。その言葉は、江山の背中を強く押した。気づけば、はい。と返事をしてしまっていた。本当に受けていいのか。迷いはあった。しかしその時、不意に小学生時代に亡くした兄の背中が頭の中に浮かんだ。この法律が出来た目的。それは、真に救急車が必要な方に行き届き、十分な設備の病院で1秒でも早い処置が出来るようにするため。幼い頃の悲劇を繰り返させないキッカケになれば。江山はそう決心した。


「分かりました。お引き受けします。」


力強く、江山は返事をした。それを聞き、院長は頷きながら、ありがとう。と返し、また詳しい話は後日に。と言った。江山はそれを聞き、勤務に戻るべく、院長室を後にした。








 「厚労省救適制度推進室長の渡瀬です。よろしくお願いします。」


30代ぐらいと思われる男性が、江山に挨拶した。江山も軽い自己紹介で返す。院長から話があって1週間。判定医としての研修を行うと言われ、江山は厚労省を訪れていた。


研修のオリエンテーションで、今制度の実質的責任者となった渡瀬が相互理解のための時間を設けていた。渡瀬も厚労省の医官として採用され、研修医として現場経験は積んでいるが、官僚的側面の強い人物であった。入省後は主に国会対応を行っており、江山は早くもそりが合わない気がしていた。


「最初に言っておきますが、マニュアル通りの判定を行ってください。くれぐれも、逸脱した判定を行わないようお願いします。何かあった場合、通信記録や、監視カメラの映像から客観的に、専門の委員会がその是非を判断することになります。ご自身の身を守るためにも、不用意な判定はしないよう、最初に申しておきます。」


案の定だ。江山は内心落胆した。しかし、ここまで来て引き返す訳にもいかず、


「分かりました。しっかりと勉強させて頂きます。よろしくお願いします。」


少し表情が引きつっているかもしれない。自覚がありながらも、そう返した。

しかし、渡瀬は気にすることなく、


「では、研修に移ります。」


と、短く話し、研修室から退室した。


その後は、WEBによる研修が始まった。

マニュアルを作成した日本医療の名だたる権威達が、パソコンの画面越しに代わる代わる映り、江山は恐縮してばかりだった。それと同時に、この制度に国がどれだけ力を入れているかを痛感させられた。判定に関する医療研修の後には、消防指令センターのシステムに関する研修が始まった。


自身が使用することになるシステムの概要や、その使用方法等を開発会社の社員が行った。文字通り、最先端のシステムであり、これを導入するため、国は全額補助金を出して、山川市消防局の指令センターのシステムを一新した。自分がこれから携わる業務の重要性を感じつつ、江山は研修を終えた。


その後は、山川市への赴任に向けて着々と準備を始めることとなった。


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