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1章 制定


恵理は、協議が前に進まず眉頭をつまんでしまっていた。


『救急搬送適正化制度導入に係る検討委員会』が、厚労省の入る庁舎の会議室で始まり3時間が過ぎようとしていた。有識者として出席を依頼した専門家らと、議員らに挟まれる形で厚労省の役人が頭を悩ませていた。


消防の指令センターで医師が口頭のみで救急の有無を判定するのはリスクが大きすぎる。


他の手段はないのか。という専門家の発言から、議論は紛糾していた。その中、


「そもそも、救急サービスを各自治体が十分に提供出来なくなっているなら、民間に一部委託してはどうかね?あくまで消防を補完するという形で。すでに一部自治体は民間企業に救急業務を委託している実績がある。大きな問題も発生していないし、そちらの方が間違いないのではないか?」


民間企業に完全委託する。新たな方向性に数人が同調の声をあげた。しかし、


「確かに、一部事業者において行われていることは事実です。大きな問題も発生しておりません。ですが、医療資格を持つ人材は今日において大変貴重となっております。一昔前は、全国の医療機関は赤字に陥っていましたが、現在では、医療逼迫と大幅な患者増から、どこの医療機関も増収増益で、高待遇で採用活動を行っています。その中で、我々民間救急事業者がどれだけ人材確保に苦労しているか。仮にこの制度が始まり、全国で民間救急事業者が行政の役目を補完するとなっても、おそらく人材が圧倒的に足りません。今の段階で検討されている非救急の場合にのみ、要請を受けるぐらいが現実的です。」


【全国民間救急事業協同組合理事長】という名札の席に座っている稲倉という60代男性が、否定的な意見を述べた。また、それに続くようにして、制服姿の警察官が口を開いた。


「今般、参考人として出席しています警察庁交通企画部の佐山と申します。意見に否定する訳ではありませんが、全国の民間救急事業者、まぁ、行政の審査基準をクリアした者になるとは思いますが、その様々な事業者が一気に緊急走行が出来るようになれば、交通事故のリスク上昇が懸念されます。警察庁としては、一概に賛成とは言い難いかもしれません。」


今般の制度において実運用の要となる事業者代表の言葉と、交通安全の観点からの発言。厳しい現実に各所から溜息が漏れる。議論が収まった所で、会議を束ねる恵理が口を開いた。


「我々、厚労省としましては、資料にありますとおり、口頭だけではなくスマホアプリや、通報時のビデオ通話等を活用した手段を用いて、判断材料を増やす方法を検討しております。また、救急の有無を判断するマニュアルについては、日本救急医療学会や、各大学病院等の協力を得て作成中であります。また、消防指令センターに組み込むシステムについても改修を予定しており、内容を検討中です。また、実際に判定をする医師が適切な判断が出来るとともに、負担が軽減されるよう各所で検討をしております。」


とりあえず、制度実施の方向で委員会が終了した。そのように上に報告できるよう話の方向性を持っていかなければ。その思いで、資料を見つつそう話した。話し終わると同時に、委員らの顔を観察する。


「まぁ、皆さん。今日のところは引き続き検討していくということで。ただ、皆さんにお願いが御座いまして、仮に制度化した場合、先の議論にもありましたとおり、行政が直接、特定の民間救急事業者に搬送を依頼することは、ご法度で御座います。よって、今日おられます全国民間救急事業協同組合の、稲倉理事長をトップとした公益財団法人の設立案を承認して頂きたいと思いますが、いかがでしょうか?」


恵理の発言で、委員会が終了に向かう中、出席していた与党議員がそう口を開いた。


「制度化されるなら、必要でしょうな。」


専門家の一人がそう口を開く。周囲の委員もその言葉に頷いて返した。それを見た恵理はすぐに、


「それでは、ご意見が特にないようでしたら、制度内容は引き続き協議を行います。加えて、民間救急事業者と行政の間に入り、各搬送事業者へ依頼を行う公益財団法人の設立について、制度化される場合、委員会の承認を本日頂いたということで、本日の委員会を終了させていただきますが、ご異論はないでしょうか?」


まとめるようにそう口を開く。その内容に、会議室の委員らは、異議なし。と声をあげた。


それを聞き、恵理は短く、


「ありがとうございます。本日の委員会を終了させていただきます。」


やっと終わった。深く息を吐きながら腕時計に目を移す。時刻は午後22時を廻っていた。今から報告書を仕上げなければならず、制度化後の公益法人の設立についても仮にではあるが承認を得たため、その準備にも取り掛からないといけない。今日も徹夜か。家に帰りたいという思いが募る中、頬を両手で叩き、後輩の厚労省職員らに会議室の片づけを指示した。





それから8ヶ月後・・・。


様々な協議がなされ、一部野党の反対があったものの、11月21日。臨時国会にて『救急搬送の適正化に係る整備体制構築及び運用のための法律』略して、『救適法』が賛成多数で可決した。


同法は、119番通報を受けた段階で、救急か、非救急かを消防指令センターに常駐する判定医が、その有無を判断し、救急であれば従来通り、緊急走行で消防の救急車が搬送を行い、非救急であれば、公益法人のコールセンターを通して、民間救急事業者が、普通走行で搬送業務を担うこととされた。


民間救急事業者が搬送した場合、搬送先の医師が、救急車又は民間救急車以外の搬送手段がなく必要であったと判断した場合は、公費負担となり、通報者の金銭的負担はない。


しかし、自力で来院出来た。又は緊急性が極度にないと搬送先の医師が判断した案件については、通常の搬送料金が通報者に掛かる仕組みとなった。


 だが、同法の目的は、非救急案件への救急車出場により、真に救急搬送が必要な案件の元に向かえない事態が頻発し、社会問題化していた。


その状況打破と、消防組織の元々の任務である事故や災害時の救助活動に支障が生じないようにすることであった。施行日は1月1日となり、同日付で、厚生労働省認可の『公益財団法人民間救急事業振興協会』が設立された。同法人は、消防指令センターの判定医が非救急と判断した場合、通報者の電話が転送される先としての機能を有し、特定の事業者に偏ることなく、その場に応じた事業者を通報者へ案内し、希望であれば搬送業務を指示するといった、行政と通報者の仲介人としての役割が与えられた。


加えて、同法の運用に不可欠な民間救急事業者の募集認可にあたっては、民間救急車の装備や、救急救命士や看護師の有資格者で搬送班が編成されているか等の人員のスキルが一定の基準を満たしているかを厚労省が審査し、合格した事業者が、公益法人のリストに記載される形となった。また、同法施行に伴い、モデルケースを作るため、従来から検討されていた山川市という自治体で、首長及び市議会の承認を経て、試験運用を行うことが決定した。


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