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1章 導入期1

(3月24日、朝のニュースです。村山厚生労働大臣は、昨日、国会の委員会で今年度の少子高齢化率は過去最高の40パーセントを超えたことを公表しました。来年度の社会保障費を審議する厚生労働委員会にて、大木衆院議員の質問に答える形での公表となりました。村山大臣は、委員会で予想を超える高齢化率であり、全国的な患者数の増加から医療の逼迫が顕著になってきていると発言。また一部地域においては、医師をはじめとする医療従事者が不足しており、地域医療が崩壊の危機に瀕しているとのことで、厚生労働省内で必要な支援策を検討中であると答えました。次は・・・)


そこでテレビに映る女性アナウンサーの声が途切れた。娘にテレビを消されたと悟った江山は、少しムッとした表情をしながらリビングのソファから立ち上がった。直後、


「お父さん!早く朝ごはん食べちゃって!」


キッチンに戻り、食器を洗い出す音をたてながら、高校2年になる娘の紗季の荒い声が聞こえてきた。時計を見ると7時をまわった所だった。出勤まではまだ時間はあるし、家事は自分でするのに・・・。江山は心の中でそう思いながら、食卓の席につく。テーブルには目玉焼きとトーストが準備してあった。コーヒーがないと思い、ポットの元へ江山は向かう。


「あとは父さんがするから、学校行っておいで。」


コーヒーの準備をしながら、江山は紗季にそう声を掛ける。ここまで終わったら。という声がキッチンから飛んできた。江山は特に返すことなく、自宅にいるときには毎朝飲んでいる銘柄のインスタントコーヒーをコップに注いだ。


「今日のお母さんの帰りは聞いてるの?」


注ぎ終わり、席につこうとした時、紗季はキッチンから顔を出し、そう問い掛けてきた。


「わからない。国会次第だろうな。」


江山の妻である恵理は医学生時代に知り合った同級生で、同じ医師であるが厚生労働省の医官として、今は国会対応の部署で勤務している。通常国会の会期中のため、最近は帰ってこない日が続いていた。医師という職業柄、過酷な勤務には耐えてきただろうが、江山としても心配になっていた。


「紗季。今日部活ないなら、学校終わりに着替えだけでも届けてきてくれないか?」


トーストをかじりながら、江山は紗季にお願いする。それを聞いた紗季はキッチンから出てきて、江山に右手を差し出す。


「どうせお父さんも遅番で帰り遅いんでしょ?適当に夜ご飯済ませるから。」


お小遣いね。娘の要求に、江山は軽い溜息をつき、


「あんまり贅沢するんじゃないぞ。」


そう注意口調で言い、自身のスマートフォンから娘の電子マネーのアカウントに送金する。紗季はすぐにスマートフォンの画面を確認する。電子マネーのアカウントにお金が入ると、鼻歌交じりに出かける準備を始めた。


「お調子者が・・・」


その背中を見ながら、江山は呟いた。


「お母さんの着替えは?」


朝ごはんに手を伸ばしていると、紗季がそう問い掛けてきた。それを聞き、江山は慌てて夫婦のクローゼットから服を取り出し、適当な袋にいれて紗季に手渡した。


「気をつけてな。とく・・・」

「特に車には!ね!」


玄関に向かう娘に、江山はそう口を開く。しかし、その先を知っている娘に言葉を被せられた。


「あぁ。いってらっしゃい。」

「いってきます。」


娘が産まれてから耳にタコが出来るくらい繰り返し言っていること。言葉を被せられたことに少し笑みを浮かべ、江山は娘を見送った。







 食器洗いに洗濯、掃除・・・。やることは無限にある。家事という一生終わらない労働。江山が精力的にするのは、休日か、遅番の日だけ。特に今の時期は妻が多忙のため、江山が責任をもって家事をしていた。今日の出勤は14時からのため、要領よく進めていた。着替えを娘が職場に届けてくれることはメッセージで入れたが、返信はなかった。今日もやっぱり帰ってはこれないか。洗濯物をたたみながら、そう思っていると不意にスマートフォンから着信音が聞こえてきた。妻からであった。電話に出ると、


(もしもし、わたし。ごめんね。着替えありがとう!助かる!)


電話先の後ろで少しガヤガヤしている中、少し早口で妻が話してきた。


「あぁ、大丈夫。お疲れ様。今日も帰れないのか?」


柔らかい口調で江山は問い掛ける。


(帰りたいんだけどね。難しそう。)


気怠そうな口調で恵理は返した。江山は労いの言葉を掛けようと思ったが、


(私から詳細は話せないんだけど、もしかすると貴方が今日出勤した時に、院長から話があるかもしれない。)


その言葉に、江山は眉をひそめた。


「どういうこと?」


(政策の話。貴方に白羽の矢が立っちゃったみたいで。正直私は気が進まない。けど、話を聞いて、貴方が決めて。私は貴方の決めたことなら反対しないから。)


何のことだ。電話しながら江山は首をかしげる。詳細を聞きたかった。しかし、


(色々聞きたいだろうけど、私の立場上で今言えるのはこれが限界。まだ表にも出てないから。ごめん!そしたら次の委員会始まるから切るね!)


まだ話し足りなかった。だが、恵理はそう言うと一方的に電話を切った。江山は訳がわかなかった。


「出勤すれば分かるのか・・・?」


スマートフォンを片手に、そう呟いたまま江山は少しの間動けなかった。だが、時計を見ると、出勤に向けて準備しないといけない時間になっていた。数回左右に首をふり、江山は準備を始めた。







(ご来院の皆様へお知らせ致します。当院は千葉県第三次救急告示病院の指定を受けており、原則受付順にて診察致しますが、患者様の症状により、診察の順番が前後する場合が御座います。予めご了承ください。繰り返し・・・)


若い女性の声が院内に響き渡る。江山は白衣に身を包み、更衣室から医局へ向かっていた。その後は、ICUに入っている患者の状態を引き継ぎつつ、救急車対応になるな。救急科医師としていつも通りの日常。命を預かる重圧を日々感じつつも、やりがいを感じていた。医局へ入り、同僚医師と挨拶を交わし、引継ぎに入ろうとした。その時、


「江山先生。秘書室から内線です。」


医局の事務員がそう声を掛けてきた。妻が言っていた件か。早速来たなと江山は思った。


「ありがとう。出ます。」


早口でそう返し、近くにあった子機で内線に出た。内容は今から院長室へ来てほしい。その時間の代替要員は用意しているので心配はいらない。というものだった。手際が良すぎる。江山の中には、内容を知りたいという好奇心と、怖さが入り混じっていた。周囲のドクターが不思議そうな表情で江山を見ている。


「院長先生からお呼ばれです。少しの間、頼みます。」


そういうと、江山は医局を後にした。






院長室に入り、江山は院長から、仕草でソファに腰掛けるよう促された。はい。と小さく返事をし、ゆっくりと腰を降ろした。院長はそれを見て、江本の目の前の机に束になった綴りをさしだした。表紙には【内閣府・厚生労働省・総務省消防庁】と3つの官庁名と、太字で真ん中に「救急搬送適正化事業」と記されていた。それを見て、


「救急搬送適正化事業?」


文字をそのまま江山は読み、その内容について問い掛けた。


「政府内で内密に進んでいる事業だ。詳しくは資料にある通りだから、まぁ見てもらえば分かると思う。」


院長はそう口を開き、江山に資料へ目を通すよう促した。それを聞き、目を細めながら、江山は資料を通読する。静かな院長室にページをめくる音だけが響く。


「つまり、私が出向でどこかの市町村へ行き、消防の指令室で救急か非救急かを判断しろと。そういうことですか?」


資料を机に置き、静かにページを閉じると、江山は確認するように院長へ問い掛けた。


「そうだ。君も知っての通り、高齢化率が政府の試算を大幅に超え全国民の40パーセントが65歳以上となっている。医療従事者が足りないという根本的な問題はあるが、医療逼迫を招いているのは、救急搬送件数がここ10年で250パーセント増と、恐ろしい数字になっている。よって、救急車が真に必要な人に救急車が向かえない事態が全国で頻発しているらしい。在宅医療が常になっているのが主な要因だが、かといって、在宅医療の患者を全て受け入れられるほど、慢性期病床の数は多くない。だが、在宅医療中の急変は、家族からすれば恐怖でしかなく、その判断は救急車に直結してしまう。仮に非救急案件だと家族が分かっていても、民間救急は、やはり金銭面の問題で個人客からの要請は少ないのが現状だ。今の検討段階では、非救急と判断された場合には、民間救急業者を統括している組合か何かのコールセンターを作って、そこに消防の指令室から直接転送される形になる案が出ているらしい。よって政府は、消防の指令室に医師を配置して救急か、非救急を判断して貰うことで、真に救急車が必要な患者の元へ向かえるように今、法整備を進めている。今後5年、10年先の日本と国民を守るため、少しでも早い制度実現を内局は望んでいる。私が担当者から聞くに、明後日、マスコミへ公表する予定とのことだ。その後、今国会中に閣議決定と法案成立を目指しているらしい。」


元厚労省の医官であり、本省勤務が長かった院長は資料に書いていない情報まで教えてくれた。気づけば江山は、その話について食い入るように聞いていた。


「そこでだ。仮に法案が成立した場合、政府は山川市という自治体で一定期間を設けた上でモデルケースを作りたいと考えているらしい。ここから片道2時間ほどの場所にある中規模自治体だ。高齢化率は、全国で見ても高水準の53パーセントで人口の半分は高齢者だ。総合病院は、第二次救急告示病院指定の市立病院と、第三次救急告示病院指定の私立病院が1つ、慢性期病床が主な私立病院が1つ。の計3つ。既に医療崩壊を起こしている。総務省の調査では、消防行政も崩壊の危機に瀕しているらしい。先月、東京消防庁から、2個救急隊を支援で派遣したということだ。モデルケースを作るには、これ以上ない条件だということだ。」


院長は説明を続けながら、今度は山川市のパンフレットを江山の前に置いた。


〈豊かな自然。新たな冒険。住みよい街。山川市〉


パンフレットの表紙には市のスローガンと、年季の入った市役所の画像と、背景には山と清流が描かれていた。


「身分としては、今と同じで厚労省の医官として行って貰う予定だ。」


「身分は分かりますが・・・。この資料。全部〈案〉という文字ばっかりじゃないですか。それに、救急か非救急の判断を所謂、電話先で行わなければならない。誤診断の可能性が高すぎる。責任をもって判断することは困難です。」


政策自体は素晴らしいし、環境が整えば画期的なものだ。しかし、医師に委ねる判断の裁量があまりも大きすぎる。それに救急の要否を判断するのに、触診が出来ない。命を預かる者として、引き受ける訳にはいかない。江山はそう判断した。


「このような重要なプロジェクトに私が指名されたのは大変光栄なことなのですが、お引き受けは出来かねます。不確定要素が多すぎる・・・」


重くなった口で、そう返した。それに対し、院長は大きく笑ってみせた。江山は戸惑ってしまった。


「すまん、すまん。そうだろうな。私も君の立場なら断っている。現場を離れたとはいえ、私も医者の端くれだからな。患者の生死に関わる判断を電話の音声だけで判断しろとは恐ろしすぎる。厚労省の中でも、部外秘の有識者会議でも、もちろんその意見が多数出ている。判断基準や細かな運用方法は今、専門の委員会で詰めている所だ。だが、運用次第では可能という結論は政府含め関係省庁で一致している。例えば、通報時はビデオ通話にして視覚的に判断が出来るようにするとか、通報者のスマホアプリを活用した、脈拍の測定等、音声以外の判断材料を医師に与えられるような案は多々あるが、それを実運用に落とし込むには、まだ時間が掛かるみたいだ。ただ、厚労省の上の方では、是非とも君に行って貰いたいとオファーがきているから、早めに伝えないといけないなと思ってな。詳細が決まり次第、また呼ぶから、来てくれるか?」


色々考えてるんだな。江山は改めてそう思った。しかし、運用が確立していない波に乗るわけにはいかない。最後の院長の問いに、少し考えこみ、


「まぁ、お話だけなら。その決まった運用次第の回答にはなるというのは、申しておきます。」


院長の目を見つめ、そう回答した。院長は深く頷き、


「その返事だけで十分だよ。」


軽い笑みを浮かべ、また声を掛けるね。と最後に言い江山に退室を促した。それを見、江山は一礼した後、院長室を後にした。





 (今日のトピックです。政府は急速な高まりを見せる高齢化と、在宅医療の常態化から急増する救急車の利用を適正化するため、新たな仕組みを作る法案を今期国会に提出する意向を固めました。詳細についてはまだ非公表とする一方で、法案が可決され、全国で運用されるようになれば、真に救急車が必要な方に、救急車が迅速に向かうことが可能となり、救命率の大幅な向上が期待出来るとしています。現在法案は、内閣と厚生労働省、総務省消防庁の関係省庁で協議されるとともに、厚生労働省の有識者会議において審議されているとのことです。救命率の向上に繋がるよう期待したいですね。)


医局の事務室にあるテレビから、女性アナウンサーの声が聞こえてくる。院長から話のあった4日目の朝、例の件がニュースのトップを飾った。しかし、救急医が電話という手法で救急か、非救急かを判断するという話は公表されていないようだった。世論の批判を恐れたのだろう。夜勤終了前にソファに座りニュースを見ていた江山は、そう思った。


「変な患者が来なくなるのは、有難い限りですね。」


同じくニュースを見ていた同僚の救急医が、缶コーヒーを飲みながらそう話し掛けてきた。


「あぁ、そうだな。」


江山はその言葉に、否定は出来なかった。自分自身でもそのような患者を多々見てきたからだ。最近でも、不安になったから救急車を呼んだ。という高齢女性が運ばれてきた。消防には胸が痛いという通報で搬送を依頼したが、病院について、看護師や医師から事情を聞かれると、旦那が2年前に他界してから自宅に1人で心寂しく、相手をしてほしかったという。消防も、胸が痛いという通報を受ければ、救急車を向かわせる他はなく、今後、一人暮らしの高齢者が増えてこれば同様のケースも頻発する可能性は高かった。そう考えていると、やはり、救急車が向かう前に救急か、非救急かを判定するこの前の話は理にかなっているのか。江山は考え込んでいた。


「先生、時間になったんで、先にあがりますね。」


意識の遠くでその声だ聞こえ、はっとなった。壁の時計を見ると、勤務時間は終わっており、自身も帰る準備を始めた。


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