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転生監督の異世界興行録 ~奴隷市場で拾った役者たちを舞台に上げたら、王国中が客席になった~  作者:


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第9話:檻の中の王女

 裏通りは暗かった。


 表の市場が整備されていくにつれて、残るべからざる取引が裏に流れた。


 革命で奴隷制度が一時停止になったと言っても、制度と現実の間には常に隙間がある。


 その隙間に人は落ちる。落ちた先が闇市だ。


 俺はその路地を歩いた。パンをかじりながら。


 ハインリヒが後ろから「待て待て待て」と追いかけてきた。


「なんで堂々(どうどう)と入るんだ。お前、もう劇団の看板だろ! 見られてるんだぞ!」

「必要な"役"があるから」

「また役のためか!」

「そのためにここにいるから」


 ハインリヒが帳面で自分の頭を(たた)いた。


 「仕方ない」という音がした。


 この男が帳面で自分を叩く時は、諦めた時だ。


 俺は歩みを止めなかった。


 闇市には様々(さまざま)なものが売られていた。盗品。禁制品。それから人間。


 表のように並べられるのではなく、建物の内側の薄暗い部屋に、いくつかの(おり)が置かれていた。


 俺は一つひとつを見て回った。


(役者かどうか、という基準ではない)


 正確には違う。役者である必要はない。


 舞台に立てる人間かどうかも、今は後回しでいい。


 ただ、その人間が「まだそこにいる」かどうかだけを見ている。


 折れていない何かが残っているかどうか。


 三番目の部屋で足が止まった。


―――


 薄暗い部屋の奥に、檻があった。


 金の糸のような髪。傷ついた手。泣き腫らして赤い瞳。だがその瞳の奥に、まだ何かがあった。


 うつむいてはいるが、膝の上で指を組んでいる。


 その指の組み方が、どこか育ちの良さを示していた。


 少女は俺の視線に気づいて顔を上げた。


 子どもを見る目になりかけて、ならなかった。


 俺の目が子どもの目ではないとわかったのかもしれない。少女はまっすぐ俺を見た。


「家が……罪を着せられて没落しました。わたしは売られました」


 名乗る前に事情を言った。事情を言い慣れているか、それとも誰かに言い続けてきたかだろう。


 俺は聞いた。


「前貴族の令嬢か」

「……そうです。笑いますか」

「笑わないよ」


 少女がまた俺をじっと見た。信じていないかもしれないが、確かめようとしている目だった。


 後ろでハインリヒが値札を見た。ものすごい顔になった。


「高すぎる! 村一つ建つぞ!?」


「いくら」


 俺が売人に聞いた。数字を聞いた。俺は腰の袋から金貨を出した。数えた。足りた。袋ごと叩きつけた。


「役のためだよ」


 ハインリヒが目の前で膝から崩れた。


―――


 馬車に乗せて、連れ帰る途中の話だった。


 少女はずっと窓の外を見ていた。


 俺はパンをかじりながら、その横顔を見ていた。


 泣き腫らした目は乾いてきたが、まだ赤かった。


「名前、教えてくれる?」

「……アネリーゼ」

「俺は監督」

「監督、というのは……役職ですか」

「名前みたいなもんだよ。よく聞かれる」


 アネリーゼが少し首を傾けた。


 緊張が解けていない体のまま、でも少し考える顔になっていた。


「子どもの頃、何になりたかった?」


 俺が聞いた。唐突な質問だったが、アネリーゼは少し間を置いてから答えた。


「……お姫様、です」


 声が小さくなった。恥ずかしいと思っているのか、今更そんな話をする自分を情けなく思っているのか。


「舞台の上なら」


 俺は言った。


「舞台の上なら、お姫様になれるよ。君自身が選んで、なれる。衣装も台本も関係ない。君がそこに立って、それになると決めたら、それがお姫様だ」


 アネリーゼが俺を見た。


 涙が一粒落ちた。悲しみの涙ではなかった。


 何か別のものに触れた時に出る涙の形をしていた。


 俺は何も言わなかった。窓の外に目を向けた。アネリーゼも窓の外を見た。


 二人でしばらく、同じ景色を見ていた。


―――


 翌日の稽古場で、俺は台本を渡した。


「第一王女が世の不条理を憂い、旅をしながら正義を執行する時代劇。主演はアネリーゼ」


 アネリーゼが台本を受け取った。ゆっくりとページを開いた。


 しばらく読んでいた。


「……思ってたのと、違う」

「どう違う」

「もっとこう……優雅なお姫様の話だと」

「正義を執行するから優雅さは後回し。馬に乗る場面もある。剣を抜く場面もある」


 アネリーゼがまたページをめくった。また止まった。また読んだ。


「……でも」


 小さな声だった。


「でも……舞台の上のこの人は、自分で選んで動いてる」

「そう」

「自分で考えて、自分で正義を決めて、自分で行動してる」

「それが役だよ」


 アネリーゼが台本を閉じた。それからもう一度開いた。


 最初のページを見た。登場人物の名前の一番上に「アネリーゼ」と書いてある。


 自分の名前が役名になっている、その行を、指でなぞった。


「……やります」


 決めた顔だった。涙の痕が残っている顔で、でも目が違った。


 少しだけ笑った。照れを隠しきれない、小さな笑みだった。


―――


 稽古が始まった。


 ルーチェが照明の角度を調整した。


 ベルントが舞台の段差を三センチ上げた。


 グスタフが剣の持ち方を丁寧に教えた。


 ジャハルが「もっと足を開いて立て」と一言言って、後は黙って手本を見せた。


 アネリーゼが最初の台詞を言った。声が細かった。ぎこちなかった。台本を半分目で追っていた。


 俺は聞いていた。


(まだ声が体に入っていない。でも)


 目は入っていた。


 台本を読む目が、王女の目になっていた。遠くを見る目。前を向く目。自分で決めた目。


 技術は稽古で作れる。でも目だけは作れない。生き方が出る場所だから。


 アネリーゼの目は、もうできあがっていた。


 前世でも何度か見た。


 貴族の出身でも、商家の出身でも、泥の中から来た人間でも、舞台に立った時に「もうそこにいる」という目を持っている役者がいた。


 技術はこれから身につく。だが目は今日から使える。アネリーゼはその種の役者だった。


 「お姫様になりたい」と言った子どもが、檻の中を経て、今ここにいる。その道のりが全部、あの目の中に入っている。

 

 明日の稽古で、声が体に追いつく。俺はそう思いながら、次の場面の演出を頭の中で書き直した。

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