↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生監督の異世界興行録 ~奴隷市場で拾った役者たちを舞台に上げたら、王国中が客席になった~  作者: 風


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/35

第4話:革命の火種

 ジャハルは、一度断った人間が再び買いに来るとは思っていなかっただろう。


 俺がハインリヒの帳面を持って市場に戻ってきた時、少年の顔が「何しに来た」という顔になった。わかりやすい顔だった。


「君を買う」


 ジャハルが俺を見下ろした。さほど驚いていない顔だった。


「買い主が変わっただけだろ」

「違う」


 ジャハルが鼻を鳴らした。「同じだ」という意味の音だった。


 俺はしゃがんで、地面に転がっていた石を一つ拾った。特に意味はなかった。手持ち無沙汰の時の癖だ。


「自分で自分を買い取れる仕組みがある。舞台で稼いで、自分の代金を積み立てて、それが貯まったら自由になる」

「できるわけがない」

「なんで」

「そんなことができた奴が、どこにいる」

「ここにいる」


 ジャハルが静かになった。否定はしなかった。「証拠がない」という顔をしていた。それは正しかった。証拠はない。俺にあるのは確信だけだ。


「だから、自分を買って。舞台で価値を作って、自由を掴(つか)んでよ」


 ジャハルが一度だけ目を逸らした。


 それからまた俺を見た。今度は「信じようとする」顔になっていた。まだ信じてはいない。信じようとしているだけだ。でも、それで十分だった。役者には「信じようとする力」が一番最初に必要だ。


 ジャハルの怒りは、この数日で何も変わっていなかった。


 依然として目が鋭く、口が少なく、近づいてくる者を値踏みした。


 怒りを手放せない人間は多い。


 怒りを燃料にできる人間は、そのうちの一握りだ。


 ジャハルがどちらかは、舞台の上でしか判断できない。


 でも俺には、判断する前から確信がある。


 それがこの仕事のやり方だった。



―――


 ハインリヒが移動舞台の話を持ち出したのは、それから数日後のことだった。


「場を作ってやる。その代わり、売上の一部は俺がもらう」


 荷馬車を改造して移動劇場にする、という提案だった。テントを張れば簡易的な舞台になる。どこへでも移動できる。門前払いをくらっても、別の場所でやればいい。


「出資してくれるの?」

「あくまで取り分の先取りだ。出資と呼ぶな」


 ハインリヒは帳面を叩(たた)きながらそう言ったが、顔は悪くなかった。奴隷商から興行主へ。本人に自覚があるかどうかは知らないが、俺にはわかった。この男は変わり始めている。


 荷馬車の改造は、全員でやった。


 母が布を縫った。グスタフが骨組みを組んだ。ジャハルは「やることがないのか」という顔で腕を組んでいたが、誰かが板を持ち上げようとして苦労していると、黙って手を貸した。それだけだった。それで十分だった。


 できあがった移動舞台は、粗末なものだった。


 軋(きし)む骨組み。雑な縫い目の布幕。斜めに張ったテント。だが舞台は、完璧である必要はない。観客が「これが舞台だ」と思えばいい。そう思わせる空気を作れればいい。


 俺はパンをかじりながら完成した移動舞台を見渡して、内心で笑った。


 どんな名劇場も、最初はこういうものだ。


 正面から見ると、布幕が風に揺れて、舞台の縁がぼんやりと浮かぶ。


 この「ぼんやり」が案外いい。


 照明がない代わりに、観客が想像で補う。


 想像の余白は、完璧な舞台よりずっと広い。


 前世で何億もかけて作った舞台より、観客が自分の心の中で作り上げた舞台の方が美しかったことを、俺は何度も経験していた。


 粗末で十分だ。


 始まりとはそういうものだ。



―――


 夜、焚火(たきび)の前に全員が集まった時、俺は次回作の話をした。


「黒い肌の奴隷がコロシアムで勝ち上がり、民衆を率いて革命を起こす物語」


 静かになった。


 グスタフが焚火を見つめた。母が俺の横顔を見た。ジャハルが、視線だけを動かして俺を見た。


 ハインリヒの顔色が変わった。


「……それは本当に"革命"が起きる演目じゃないのか?」


 腹の底から絞り出したような声だった。


「起きるよ」


 ハインリヒが続けようとした口を閉じた。俺は先に言った。


「観客の心の中でね。革命って、そういうものだから」


 ハインリヒが額を押さえた。胃ではなく、額だった。


 「まずい予感がするが、止める理屈がない」という顔だった。


 ジャハルが焚火の方を向いたまま、静かに聞いた。


「主演は俺か」

「うん」

「……」


 ジャハルがしばらく黙っていた。


 それから、ぼそりと言った。


「台本、いつできる」


 俺は焚火の火をながめながら答えた。


「もうできてる」


 全員が少し驚いた顔をした。ハインリヒが「いつ書いたんだ」と言った。


「頭の中に書いてた」


 半分は本当で、半分は嘘(うそ)だった。正確には「前世でいくつか似た構造の作品を見ていて、このキャストに合わせて組み立てた」という感じだ。でも詳しく説明しても仕方ない。


 ジャハルが一度、俺を見た。


 何かを言いかけて、言わなかった。


 焚火に目を戻した。


(そういう奴だ)


 信頼を言葉にしない。行動でしか示さない。舞台に立った時にしか本音が出ない。そういう役者は珍しくない。むしろ好きな種類だ。


 グスタフが焚火に枝をくべた。


 母が膝の上で何かを縫っている。


 明日から、稽古が始まる。


―――


 その夜、ハインリヒが俺に近づいてきて小声で言った。


「坊主。一つだけ聞かせてくれ」

「なに」

「お前は、本当に"ただの劇"をやるつもりなのか」


 俺は考えた。一瞬だけ。


「うん」

「……そうか」


 ハインリヒが帳面を抱えたまま戻っていった。


 信じていない顔だった。でも追及もしなかった。


 結果が出るまで待つ。それが商人という生き物だ。


 俺は焚火が小さくなっていくのを見ながら、台本の続きを頭の中で転がした。革命劇の核心部分。ジャハルに言わせる台詞。観客が立ち上がりたくなる、あの一文。


 まだ言葉になりきっていない。


 明日の稽古の中で、見つける。


(ジャハルはその台詞を、怒りながら言うことになる)


 怒鳴る必要はない。叫ぶ必要もない。ただ、静かに。静かに言えば言うほど、観客は震える。舞台の上の怒りは、声の大きさとは関係ない。向こうで何かを燃やしている目の力が、客席まで届く。ジャハルの目は、それができる目だ。俺はそれを知っている。


 役者と一緒に台本を完成させる。それが俺のやり方だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。