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転生監督の異世界興行録 ~奴隷市場で拾った役者たちを舞台に上げたら、王国中が客席になった~  作者:


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第29話:不可能な依頼

 依頼の使者が来たのは、朝の稽古が終わった直後だった。


 使者は若い男で、礼儀正しかった。背筋が良かった。貴族の屋敷から来た人間の背中だ。


「領主フラム(きょう)よりのご依頼でございます」


 受け取った。羊皮紙を開いた。パンをかじりながら読んだ。


 内容はこうだった。


 フラム伯爵家の三百周年記念祝典。五日間の公演。城下全域の住民を対象。費用は百金貨。


 俺はパンを飲み込んで、ハインリヒを呼んだ。


「計算してくれ」


 ハインリヒが読んだ。読んでいる途中で顔色が変わった。


「……百金貨だと」

「そうだよ」

「城下全域の住民というのはどのくらいいる?」

「調べてくれ」


 ハインリヒが使者に向かって「城下の人口は」と聞いた。使者が「およそ八千人でございます」と答えた。


 ハインリヒが計算を始めた。帳面に数字を書いていった。


 書きながら顔がどんどん青くなった。


 書き終えた。帳面を閉じた。俺を見た。


「不可能だ」

「どのくらい」

「百金貨で五日間、八千人規模の公演をやると仮定する。舞台の材料費、照明費、人件費、食事代、会場確保費。最低でも千二百金貨は下らない。つまり百金貨を受け取って、千百金貨を損する計算だ」

「わかった」

「断るな」

「やる」


 ハインリヒが「は?」という顔をした。今まで見た中で一番「は?」に近い顔だった。


「や、る。やります」

「坊主」

「何」

「俺の話を聞いたか」

「聞いた」

「千百金貨の損失という話を?」

「聞いた」


 ハインリヒが帳面を机に(たた)きつけた。静かに叩きつけた。音は小さかったが、意思の力が込められていた。


「……理由を聞いていいか」

「面白いから」

「面白い……」

「こういう依頼は面白い」


 ハインリヒが天を仰いだ。


―――


 使者に返答を伝えた。「お受けします」と言った。使者が「ありがとうございます」と言って帰った。


 翌日、団員を集めた。


 クラウスが最初に口を開いた。


「坊主。俺は昔盗賊をやっていた。盗賊というのは一応、収支の計算ができないと仕事にならない。百金貨を受け取って千二百金貨を使う計算は、盗賊より計算できない奴の発想だ」

「そうだな」

「そうだなって何だ。わかってるなら断れ」

「やる」


 クラウスが「なぜだ」と言った。「方法があるから」と俺は言った。「方法?」とクラウスが言った。


 俺は台本を書く時のページを出した。白い紙だ。


「採算が合わないなら、合うくらい大きくすればいい」


 クラウスが「……は?」と言った。


「八千人向けの公演を一か所でやろうとするから不可能になる。城下全体を舞台にする。一箇所じゃなく、五十箇所で同時に公演する。城の広場、市場の前、路地の突き当たり、橋の上。全部が舞台になれば、八千人は客席の中に収まる」


 クラウスが「……それは」と言って止まった。


「入場料はフラム卿の依頼分は無料だ。ただし、その周辺でやる公演にはお捻りをもらう。五十か所で五日間。それだけで百金貨の損失は十分に取り返せる」


 クラウスが計算し始めた。口の中で数字を動かしていた。


「……取り返せるか。理論上は」

「理論通りにはいかないが、方向は合ってる」

「方向だけで走るのか」

「いつもそうだろ」


 クラウスが「坊主お前は」と言いかけて止まった。それから「やれ。俺の連中も使え」と言った。


 フィンが「城下全部が俺たちの舞台!? きらきらしてる!!!」と叫んだ。


 ハインリヒが「うるさい」と言った。


 フィンが「でもきらきらしてるじゃないですかハインリヒ!!」と言った。


 ハインリヒが「うるさいとはそういう意味ではない」と言った。


―――


 準備に三日かかった。


 ベルントが城下の地図を広げて、五十二か所の舞台設置場所を選んだ。


 「角を使え。音が跳ね返る。どこでも三角形に観客を囲める」と言いながら印をつけていった。


 この男が舞台の設計をする時の顔は、他の何もやっている時とも違う。機嫌が良い時の顔だ。


 ルーチェが照明の担当を決めた。


 一人では五十二か所は回れない。「光の粒を出し続けるのは消耗する」と言いながら、どの場所に何種類の照明が必要かを紙に書き出した。


 「爆発しないように頑張る」と言った。


 「爆発したら演出として使う」と俺は言った。


 「それ本当にやめてほしい」とルーチェが言った。


 フォルツが公演許可の手続きを手伝った。


 「五十二か所の申請は初めて見た」と言った。


 「前例がないなら前例を作れる」と俺は言った。


 フォルツが「君と話していると前例という概念が揺らぐ」と言った。


 ジャハルが演者の配置を仕切った。どの場所にどの演目を当てるか、誰が担当するかを一覧表にした。


 クラウスの元盗賊団員が、各所の警備と舞台係を担当した。


 ローレンツが「海の上で嵐が来た時みたいだ」と言いながら動いた。


 グスタフが「飯は食えているか」と全員に確認してから持ち場についた。


 ハインリヒが帳面を三冊持って全体の予算を管理した。


 三日間、ほぼ眠っていなかった。目が赤かった。


 「寝ろ」と俺は言った。


 「坊主が先に寝ろ」とハインリヒは言った。


 「俺はまだ台本がある」と俺は言った。


 「俺はまだ帳面がある」とハインリヒは言った。


 二人で眠らなかった。


―――


 五日間が始まった。


 城下全体が動いた。


 広場に一か所だけ舞台があった昔とは別の話だった。


 路地を曲がるたびに違う劇をやっていた。


 子どもたちが親の手を引いて「こっちにもある! あっちにもある!」と走り回った。


 市場の商人が客寄せを劇の前でやると気づいて、自分たちの売り声を劇の合間に挟んだ。それが偶然面白い演出になった。


 フィンが毎日違う場所に出た。一日に三か所を掛け持ちした。足が速かった。


 「きらきらしてる!!」という叫び声が城下の各所から聞こえた。


 声の方向が違うたびに、あちこちから笑いが来た。


 フラム伯爵が三日目に城下を見て回った。自分の依頼がどうなっているか確認しに来たのだ。使者を連れて歩いていた。


 俺も横を歩いた。


 フラムが路地の突き当たりで立ち止まった。


 板が二枚、布が一枚、蝋燭(ろうそく)が四本だけの小さな舞台があった。


 クラウスの団員の一人が、元盗賊の話を演じていた。下手だった。台詞が飛んだ。でも止まらなかった。


 小さな路地に七、八人が立って見ていた。終わった時に、全員が拍手した。


 フラムが「これも君たちの公演か」と言った。


 「そうだよ」と俺は言った。


 フラムが「あの者は役者ではないな」と言った。


 「元盗賊だよ」と俺は言った。


 フラムが「……」という顔をした。


「君に頼んだのは、三百周年記念の公演だ。こんなにしろとは言っていない」


「百金貨で採算を取るには、こうするしかなかった」


「百金貨の話はわかるが……」


「百金貨以下にはしない。それがうちの仕事の最低線だよ」


 フラムが路地を見渡した。


 先に市場の方の広場から笑い声が来た。


 反対側の橋の上からも音楽が聞こえた。


「……予定より大きくなっているな」

「そうだよ」

「予算が足りなくないか」

「お捻りで取り返す」


 フラムが「正気か」という顔をした。俺は「劇の監督だよ」と言った。フラムが少し黙った。


「……三百周年記念の祝典として、これ以上の方法はなかったかもしれないな」

「あったらそっちを選んだ」


(うそ)をつくな」とフラムが言った。今まで見た貴族の顔とは少し違う笑い方をした。


―――


 五日目の夜、ハインリヒが帳面を持ってきた。


「計算が出た」

「どうなった」

「百金貨の依頼料に加えて、お捻りの合計が三百四十二金貨だった。費用の合計は九百八十金貨。差し引き五百三十八金貨の損失だ」

「黒字じゃなかった」

「黒字にはならなかった」


 俺はパンをかじった。


「次の公演で取り返す」

「それを聞くのは何度目だ」

「覚えていない」


 ハインリヒが帳面を閉じた。閉じてから「ただ」と言った。


「なに」

「五日間で、城下の八千人が全員何かしら劇を見た。今この街の人間は全員、うちの劇団の公演を経験している。この経験は金に換算できない」

「そうだよ」

「坊主。最初からそれが目的だったか」

「わかってたなら最初から聞くなよ」


 ハインリヒが長い溜め息(ためいき)をついた。それから帳面に何かを書いた。強く書いた。「最初から言え」と書いたのかもしれない。


 クラウスが外から入ってきた。


「坊主。計算が合わなかったな」

「合わなかった」

「次の機会がある時は、もう少し採算を考えてから言え」

「考えてから言った」

「その考えが間違ってる」

「そうかもしれない」


 クラウスが少し笑った。傷だらけの顔が笑うと、ひどい顔だが印象が変わる。


「ま、城下全体が俺たちの舞台になったのは悪くなかった。あの規模は初めてだ」

「そうだろ」


 クラウスが「また変な依頼が来たら教えろ」と言って出ていった。


 採算の話を自分でしておいて、次の変な依頼を待つ気でいる。この男はこういう人間だ。


 フィンが走ってきた。


「監督! 今日もきらきらしてた!!」

「そうだよ」

「明日もやる!?」

「明日は稽古」

「えー!」

「稽古の方がきらきらするよ」

「どこが!!」

「本番の前がきらきらするんだ。稽古の中にそれがある」


 フィンが「……そういうものか!!」と言って走っていった。


 この子は「そういうものか」と言った後に走っていく。フォルツと逆方向だ。フォルツは「そういうものか」と言って立って考える。


 俺はパンの最後のかけらを口に入れた。


 城下の夜が静かになっていった。


 五日間音楽が鳴り続けた広場が、今夜は静かだった。


 静かになって初めて、五日間の音が体の中に残っているのがわかった。


(採算は合わなかった。でも次はもっとうまくやれる)


 そう思って、次の台本の一行目を書いた。

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