第26話:城下の二幕公演
フォルツが言ったのは三日前だった。
「城下の広場を使っていい。夜に二幕やってほしい」
新大陸の文化担当役人。興行証を出した男。腕を組んで俺を見下ろしていた。
この男は話が早い。気に入っている。
「二幕で何を?」
「一つは大人に向けた真面目な劇。もう一つは子ども向け。城主が最近、城下の子どもたちの顔が暗いと気にしている。笑わせてほしいとのことだ」
俺はパンをかじった。固い。新大陸のパンはどれも固い。噛むたびに顎が仕事をしている。
「わかった。やる」
「順番は?」
「大人の劇を先にやる。子どもの劇を後にする」
フォルツが首をかしげた。
「普通は逆ではないか。大人は最後まで残るが、子どもは途中で眠くなる」
「眠くなった子どもを引き戻すほうが面白い」
フォルツがしばらく俺を見た。
それから「そういうものか」と言った。
―――
当日、城下の広場にベルントが舞台を組んだ。
大きな仕事だった。二幕を同じ舞台でやる。幕間に転換が必要だが、その転換自体を見せ場にする。
ベルントが台の構造を説明しながら、クラウスの団員に指示を出した。
元盗賊たちが大工仕事をしている光景は、まだ見慣れない。
だが動きが速く、文句を言わない。
「こっちの仕事のほうが怒鳴られない」とクラウスが言っていた。
俺は舞台の端でパンの残りをかじりながら台本を読み返した。
第一幕は「帰れない男と待つ女の話」だ。
戦場に行った夫が何年も帰らない。妻は毎夜窓辺に明かりを灯す。夫はどこかで生きているが、帰る道がわからない。
二人が同じ夜空の下にいるのに、一度も交わらない。最後に夫が女の灯りを遠くに見つけて、走る。走り切れるかどうかは、客に委ねる。
母とグスタフが演じる。
第二幕は子ども向けの喜劇だ。フィンが主役だ。
(フィン、どうだろうな)
昨日の稽古でフィンは台本を半分しか覚えていなかった。
残りは「なんとかなる!」と言い張った。
ハインリヒが「なんとかなりません」と言った。
フィンが「なんとかなる!!」と言い直した。
ハインリヒが「なりません」と言った。
フィンが「なってます!!」と言った。
ハインリヒが帳面で顔を覆った。
俺は「本番でいい」と言った。
ハインリヒが「坊主お前本気か」という顔で俺を見た。
「本気」と言った。
フィンは台本通りにやると面白くなくなる種類の人間だと、稽古の初日からわかっていた。
―――
第一幕が始まった。
夕刻を過ぎて、広場に灯りが並んだ。ルーチェの光がその灯りと混ざって、街全体が舞台の続きのように見えた。
観客が集まっていた。城下の住民。商人。兵士。その中に城主の家臣らしい者も数人いた。フォルツが最前列に座っていた。
母が出た。
それだけで静かになった。この大陸でも変わらない。母が舞台に立つと、空気が変質する。
台詞は少ない劇だった。会話より沈黙を多く使った。窓辺に立ち、外を見る。また立つ。また見る。それだけで何年が経過したかがわかる。
グスタフが遠い場所から声だけ届ける場面があった。声だけで演じる。姿は見えない。それでも客席のどこかで、誰かが息を詰めた音がした。
終わった。
拍手が来るまでに間があった。間の間に、客席の端で女が目を拭っていた。その隣の男が、気づいたのか気づかないふりをしたのか、視線を舞台に戻した。
拍手が来た。静かな拍手だった。音の大きさより、止まらないことに意味がある拍手だった。
―――
幕間、楽屋の扱いをしている幕の裏でフィンが飛び跳ねていた。
「次俺たち!! 次俺たち!!」
「わかってるから静かにしろ」
「できる気がしてきた!!」
「さっきまで台本覚えてなかったくせに」
「なんとかなる!!」
ハインリヒが胃のあたりを押さえていた。
帳面を開いたが何も書かなかった。それがこの男の限界のサインだ。
スラムの子どもたちが全員、出番を待って固まっていた。一番小さい子だけが寝ていた。
フィンが「起きろ!!」と揺すった。
子どもが「やだ」と言った。
フィンが「やだじゃない!!」と言った。
子どもが起きた。泣きかけた。
ルーチェが抱き上げた。
母が戻ってきた。汗を拭きながら、フィンを見た。
「頑張って」
「絶対やる!!」
「絶対って言える人は強いね」
母が俺を見た。俺はパンのかけらを口に押し込んで、顎を動かした。
ベルントたちが舞台の転換を終えた。先ほどの静かな舞台が、色と動きのある舞台に変わっていた。
クラウスが袖から手を出して「行け」という合図を送ってきた。
―――
フィンが飛び出した。
文字通り飛び出した。走って、舞台の端で踏み切って、ほぼ宙を舞った。着地した。ちゃんと立った。
「みなさん!! 今度は俺たちの番です!!」
大人の劇の余韻がまだある客席が、一瞬面食らった。それからどこかで笑い声が上がった。子どもを連れた親の声だった。
話の骨子はこうだ。スラムの子どもたちが城に忍び込もうとする。
なぜか。城の厨房に美味い飯があると聞いたから。それだけだ。
難しい理由はない。難しい構造もない。ただ飯のために子どもたちが全力を尽くす話だ。
台本と違う箇所はすぐ来た。
フィンが壁に見立てた布に向かって走り、飛びつく場面で、布が早く外れた。布の中にいたはずの子どもが「あ」という顔で立っていた。
フィンが止まらなかった。
「やっぱり俺には壁が見えない!! 行けってことだ!!」
笑いが来た。即興だった。でも台本より面白かった。
一番小さい子の出番が来た。
本来は「ここで見張りが来る!」と叫ぶ役だったが、子どもが「みは、みはり、みは……」とつかえた。
フィンが「見張りだ!! 俺が言った!!」と叫んだ。
子どもが「俺が言いたかった」と言った。
フィンが「お前は次に言え」と言った。
子どもが「次って?」と言った。
フィンが「来たら言え!!」と言った。
それが全部聞こえていた客席が、堰を切ったように笑った。
ジャハルが見張りの兵士役で出てきた。
子どもたちを見て腕を組んだ。台本通りの動きだったが、台本より少し間を長く取った。
子どもたちが固まった。フィンが「走れ!!」と叫んだ。全員が走った。ジャハルが追った。舞台の端から端まで追いかけっこが続いた。
お捻り台が置かれた瞬間、フィンが立った。
「お捻りちょうだいっ!!」
全力だった。声が広場の端まで届いた。城主の屋敷の窓が少し揺れた気がした。
お捻りが飛んだ。銅貨が来て、また来た。
子どもを連れた親が、今度こそ全員子どもに銅貨を持たせた。
子どもたちが駆けてきてお捻り台に入れた。フィンが受け取って空に投げた。
「きらきらしてる!!」
客席から笑いと拍手が来た。同時に来た。これはあまりない。普通は笑いが先か拍手が先かどちらかだ。
―――
終演後、フォルツが俺の前に来た。
「監督。聞いていいか」
「何」
「第一幕と第二幕、あの順番で正しかったのか。普通は逆ではないかと、今も少し思っている」
俺はフォルツを見た。
「第一幕で客を重くした。でも終わらせなかった。涙を飲み込んだままの客に、今度は全力で笑わせた。笑った後に、さっきの重さが少し軽くなる。二つ合わせて一本の公演だよ」
フォルツが腕を組んだ。考えていた。
「……子どもを使ったのも、そういう計算か」
「フィンはあの客席に必要だったから」
「あの子どもは何者だ」
「三日前に拾った子」
フォルツが「三日で」という顔をした。
「うちの劇団はそういう場所だよ」と俺は言った。
フォルツがしばらく黙っていた。それから笑った。あまり笑わない男が笑う顔を、頭の中に収めた。
(この顔も、いつか台本に使う)
フィンが走ってきた。
「監督! 次はいつ舞台に立てる!!」
「明日稽古」
「今日は?」
「飯」
「飯も稽古?」
「飯は飯だ。食べないと声が出ない」
フィンが「そういうものか!!」と言った。
なぜかハインリヒが横から「そういうものです」と言った。
フィンが「ハインリヒも同じこと言う!」と言った。
ハインリヒが「俺の話をするな」と言った。
城下の夜が、さっきより少し温かくなっていた。
俺は最後のパンのかけらを口に入れた。今日は珍しく、それほど固くなかった。




