第25話:お捻りちょうだいっ!!
スラムには、いつでも子どもがいる。
大きな街の裏側。石畳が途切れて土になる場所。壊れたままの建物が並ぶ路地。
そこに子どもたちが固まっていた。汚れた頬。痩せた体。それでも目だけはきらきらしていた。
俺は移動舞台を引いてその路地に入った。
「劇をやるよ」
子どもたちが一斉に振り向いた。
「ぶたいって何」
「物語を人間が演じるやつ。見ればわかる」
ハインリヒが「こんな路地でやるのか」という顔をした。
ベルントがしかし台を組み始めた。ここが場所だと言えば、場所を作るのがこの男だ。
子どもが八人いた。五歳から十二歳くらいの幅で、年上の子が年下の子の手を引いていた。全員が、俺たちを眺めていた。
一人が前に出てきた。
泥で汚れた頬。痩せた体。目だけが別格にきらきらしていた。八歳くらい。
「これがほしいの」
ルーチェの光の粒を指差していた。ルーチェが照明の確認をしていて、光の一粒が路地に漏れていた。それを指差した。
「きらきらしてて!」
俺はその子を見た。
(この目だ)
前世でも今世でも、この目をした人間を劇に使わなかったことは一度もない。
欲しいものを欲しいと言える目。
貪欲でまっすぐな目。舞台に一番必要なものが、最初から目に入っている目だ。
「名前は」
「フィン!」
「俺は監督。劇をやる人間だよ。フィン、舞台に立ってみる?」
「おれも? いいの?」
「向いてると思うから」
フィンが一秒考えた。考えるまでもなかったのかもしれない。「やる!」と言った。
―――
稽古は路地の中でやった。
フィンに最初に教えたのは「お捻りちょうだい」の言い方だった。
俺が「観客に向かって、こう言うんだ」と教えた。
フィンが「それだけ?」と聞いた。
「それだけ」と俺は言った。
フィンがやってみた。
「お捻りちょうだい!」
声が路地に響いた。声量がある。台詞を覚えていなくても、声だけで場が動く。
他の子どもたちが笑った。フィンが「なんで笑うの?」と言った。
「上手だよ」とルーチェが言った。
フィンがきらきらした目でルーチェを見た。
「もっと大きく言えばもっとお捻りが来る?」
「大きければいいわけじゃない。届けば来る」
「どこへ届ける?」
「ここを見てる人全員の胸に」
フィンが考えた。それから深呼吸して、もう一度言った。
「お捻りちょうだいっ!!」
今度は量だけでなく向きがあった。路地の外まで抜けていく声の形だった。
ハインリヒが「こういう子どもが一番早い」と言った。俺は「そうだよ」と言った。
―――
公演は翌日、スラムの入口の広場でやった。
フィンが最初に出た。子役に最初に出させるのは賭けだが、賭けに勝てる目をしている子がいる。フィンはそちらだった。
「みなさん! 今日は劇をやります! 面白いから見てってください!」
声が広場に飛んだ。通り過ぎようとした人が振り向いた。立ち止まった人が次の人を呼んだ。輪ができた。
スラムの子どもたちの話だった。
台本は一晩で書いた。子どもたちが街を歩いて、壁にぶつかって、それでも走る話。
難しい言葉はない。難しい構造もない。ただ、子どもたちが前に進んでいる話だ。
フィンが走った。本当に走った。舞台の端から端まで走って、板を踏んで、止まった。
「おれ、まだここにいるよ!」
台詞だった。だがフィンが言うと台詞ではなくなった。
観客の中に、スラムの出身らしい大人がいた。その大人が、目をそらした。それからまた向いた。
その繰り返しが、何かを堪えている形をしていた。
終演した。
「お捻りちょうだいっ!!」
フィンが全力で叫んだ。
お捻りが飛んだ。銅貨が、また銅貨が。
子どもを連れた親が銅貨を子どもに持たせて「投げてきなさい」と言っていた。子どもが走って来てお捻り台に入れた。
フィンが受け取った銅貨を空に投げた。
「きらきらしてる!!」
お捻りの話をしていた。その言葉が、なぜか観客の笑いを誘った。
笑いが来てフィンが「なんで笑うの?」という顔をした。それがまた笑いになった。
俺は舞台の袖でパンをかじりながら、その様子を見ていた。
(こういう子どもが、劇団を長くする)
技術は後から来る。でも、観客と同じ感情で舞台に立てる子どもは、最初からそれを持っている。フィンはそういう子だった。
―――
終演後、フィンが俺に言った。
「監督! おれ、劇団に入っていい?」
「入っていい」
「やった!」
「ほかの子たちも来てもいい」
フィンが振り返って全員に叫んだ。
「入っていいって!」全員が「やった!」と言った。一番小さい子がよくわからないまま「やった!」と言って、周りに笑われた。
ハインリヒが「また増えた」という顔をした。
胃に手を当てた。だが帳面も開いた。新しいページに名前を書き始めた。
フィンが「俺の名前は!」と言って帳面を覗き込んだ。
ハインリヒが「離れろ、書けない」と言った。
フィンが「なんで」と言った。
ハインリヒが「子どもは待て」と言った。
フィンが「やだ」と言った。
「ハインリヒ」
「なんだ」
「根負けしていい。この子はそういう子だから」
ハインリヒが俺を見た。それからフィンを見た。
「……名前の書き方を教えろ」
「フィン!」
「フィンというのは通り名か。本名は」
「フィン!」
「……わかった。フィンだ」
ハインリヒが帳面に「フィン」と書いた。
フィンが「きらきらしてる!」と言った。
帳面の文字のことを言っていた。
ハインリヒが長い溜め息をついた。俺はパンの最後の一欠けをかじった。




