第20話:海賊船ジャック劇
海賊船の問題は、ローレンツが持ち込んできた。
「俺の元仲間の船が、この辺りの航路を荒らしている。知り合いだから頼みにくいんだが……」
「なんで俺に言うの」
「お前なら何とかできそうだから」
「何とかって、どういう意味で」
「劇で何とかする。そういうことをするんだろ、あんたは」
ローレンツが義足を床に打ちつけながら言った。なぜか信頼した顔をしていた。
俺はパンをかじりながら考えた。
海賊船を一隻ずつ相手にして、劇で「陥落」させる。それが何を意味するかは、やってみるまでわからない。
だがローレンツが言う「知り合い」という一言が、話を別にしていた。
「その船の連中、元海賊同士なんだろ。お前のことを知ってる?」
「よく知ってるよ。一緒に仕事をしていた奴もいる」
「それなら行ける」
「どういう理屈だ」
「知らない相手に劇は難しい。知っている相手なら、話が通じる」
ハインリヒが部屋の隅で「また始まった」という顔をしていた。今日は胃に手を当てていなかった。
慣れてきたか、諦めたか、どちらかだ。
―――
最初の船は沖合に停泊していた。
ローレンツが船の名前を呼んで、返事が来た。俺たちを乗せた小舟が近づくと、船の上から「なんだローレンツ」という声が降ってきた。
「仕事のついでに寄った。劇団の連中を連れてきた」
「劇団? なんだそりゃ」
「見せてやるから甲板に集まれ」
断られるかと思ったが、断られなかった。海賊は退屈している。どんな見世物でも、暇よりはましだという論理だった。
甲板に上がった。十数名の海賊が集まった。最初から剣を向けてくる者はいなかった。
ただ「なんだこいつら」という顔をしていた。
ローレンツが手を叩いた。
「今日は俺の昔話をする。ちょっと聞いてくれ」
海賊たちが「酔ってるのか」と言った。「そうかもしれない」とローレンツが言った。笑いが起きた。
ローレンツが話し始めた。海賊だった頃の話だ。
仲間と航路を走り回っていた頃の話。嵐で船が傾いた夜の話。仲間を失った夜の話。義足を得てから一人になった話。
演じているのではなかった。ただ話していた。だが聞いている海賊たちの顔が変わっていった。「おれも同じだった」という顔になっていった。
グスタフが横に立った。無言で立った。片腕の男が横に立っているだけで、話に重さが加わった。
ジャハルが甲板の端で腕を組んでいた。
メルセアが歌い始めた。伴奏なし。声だけ。海の上だから声が広がる。遠くまで届く。眠らせる力を抑えた柔らかい歌い方で、それでも芯が残っている声だった。
海賊が一人、目をつぶった。眠ったのではなく、聞いていた。
俺は甲板の端で、その顔を見ていた。
(これがローレンツの演目だ)
台本がない。小道具がない。照明もない。海の上に板張りの舞台もない。それでも劇は成立している。
ローレンツが語る言葉が本物だから、聞く者も本物として受け取る。
前世で「感動させるためのテクニック」をいくつも学んできたが、本物の言葉の前ではそれが全部後回しになる。
技術は道具だ。道具を使う人間に、最初から本物がある時に、道具の出番はない。
今日のローレンツには道具がいらなかった。それで十分だった。
―――
五隻目の船を「陥落」させたのは、一週間後だった。
陥落というのは物理的な占領ではない。船長が「もういい。この航路から引く」と言ったことだ。
理由は様々だった。最初の船は「おれたちもうやめていいか、という気分になった」だった。
二隻目は「あの歌が頭から離れない」だった。
三隻目の船長は「お前たちの劇を観てから、荒らすのが馬鹿らしくなった」と言った。
四隻目は若い船員が「劇団に加わりたい」と言い出して船長が「仕方ない」と言って航路を変えた。
五隻目の船長は元々引退を考えていたらしく「いいきっかけをくれた」と言った。
ハインリヒが「また前代未聞だぞ」と言った。俺は「いつものことだよ」と言った。
「海賊を劇で退治するなど、聞いたことがない」
「退治したわけじゃないよ。気が変わっただけだ」
「それを退治と言うんだ!」
ローレンツが全部終わった後に「はっ! 海賊だなんて二度とやるかよ!」と言った。
それが本心かどうかはわからなかったが、声の形は笑っていた。
笑い方はいつもと同じ大きさだったが、今日の笑いの奥には普段と違う温度があった。
(この男は、やっと次の場所に来た)
前の場所を悔いていないが、前に戻る気もない。
そういう立ち方が、舞台では一番力になる。
怒りや後悔を燃料にする役者は多い。
だが、それらを置いた後の軽さを燃料にできる役者は少ない。
ローレンツがその一人になれるかどうか、俺はここ数週間ずっと見てきた。今日、答えが出た。なれる。
俺は台本に書き足した。
ローレンツの役に、新しい台詞を加えた。
次の場面で使う。本人にはまだ言っていない。稽古で渡す。渡した時の顔を、今から楽しみにしていた。
―――
夜、港の端でローレンツが酒を飲んでいた。
俺がパンをかじりながら隣に座ると、ローレンツが「監督は酒を飲まないのか」と聞いた。
「この体じゃ早い」と答えた。ローレンツが「子どもに本音を言わせたな」と笑った。
「なあ監督」
「なに」
「俺は海賊時代に、仲間を全員失った。嵐で。俺だけ生き延びた。あの夜のことは毎晩思い出す」
「うん」
「演技って、そういう夜を少しだけ楽にするか?」
俺は少し考えた。
「楽にはならないと思う。でも、向き合う形が変わる。舞台の上では話せる。舞台の外では話せないことでも」
ローレンツが杯を傾けた。
「……おれ、生きててよかったのかもな」
静かな声だった。笑っていなかった。その声が、甲板で聞いた海賊の声と同じ温度をしていた。
波が来た。また来た。
ローレンツがもう一口飲んだ。俺はパンをかじった。二人でしばらく、港の夜を見ていた。




