表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生監督の異世界興行録 ~奴隷市場で拾った役者たちを舞台に上げたら、王国中が客席になった~  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/35

第16話:商人の値段

 帳簿の整理は、ハインリヒの仕事だ。


 だが劇団が大きくなるにつれて帳簿の数も増えた。


 古い分は倉庫に積み上げられていて、俺たちが移動するたびに一緒についてくる。


 帳面と商人は、どこへ行っても離れない。


 その日はハインリヒが外出していた。


 稽古場を整理していた俺が、誤って古い帳面の束を崩してしまった。


 散らばったのを拾い集めながら、一冊を手に取った。


 表紙に年号が書いてある。今から二十年以上前の記録だった。


 ページを開いた。「品名」「出身地」「年齢」「買取価格」という欄が並んでいる。


 奴隷商だった頃の記録だ。捨てずに持ち続けているのは、ハインリヒなりの誠実さだと思う。


 何ページかめくって、手が止まった。


 名前の欄に、読み慣れた文字があった。


「ハインリヒ」


 出身地。年齢。十八歳。買取価格の欄に、二十年かけて積み上げられた金額が記録されていた。


 支払い記録が何年もの間、一行ずつ続いている。


 最後の行に「自己買取完了」と書いてある。


 俺はその帳面を持ったまま、しばらく動かなかった。


(この男が、最初に自己買取をやった人間だったのか)


 劇団を立ち上げた最初の日、「自己買取をする仕組みがある」と俺が言った時、ハインリヒは「法律上はある。やった奴は聞いたことがない」と言った。


 やった奴は聞いたことがない、と。


 自分のことを言っていなかった。そういう言い方をした。


 二十年前の自分を「聞いたことがない」と呼ぶような距離感で。

 

 それがこの男の性質なのかもしれない。


 自分のことを自分の話として語らない。記録は帳面に書く。


 話は必要がなければしない。それがこの男の誠実さだ。


―――


 ハインリヒが戻ってきた夕方、俺は倉庫の前で待っていた。


「帳面を整理してたら、これが出てきた」


 古い一冊を差し出した。ハインリヒが受け取った。表紙を見た。顔色が変わった。それからページを開いた。自分の名前のある行を見た。


 しばらく黙っていた。


「……捨てなかったんだ」

「捨てる理由がない。記録は記録だ」

「自分が商品だった記録を、なぜ持ち続けてる」

「忘れないためだよ」


 ハインリヒが帳面を閉じた。倉庫の壁に背をつけて腰を下ろした。俺も隣に腰を下ろした。パンをかじった。


「話してくれる?」

「……話す義務はないが」

「うん。でも聞きたい」


 ハインリヒがしばらく黙っていた。外の音だけがあった。


「十八の時、両親が借金を返せなくて売られた。珍しい話じゃない。その頃はよくあった」

「二十年かかったんだ」

「買い取り代金が高かった。体が丈夫だったから、値段をつけられた。丈夫であることが、この場合は不利に働く」


 俺は何も言わなかった。


「主人の元で商いを学んだ。


 数字を扱う才能があると言われた。


 才能があると価値が上がる。


 価値が上がると代金が増える。


 それでも、自分で稼いだ分を少しずつ積み立てた。


 年に一度、主人が帳面に一行書いてくれた。


 自分で自分を少しずつ買い戻す記録が、年に一行ずつ増えていった」


「二十年で一行ずつ」

「二十行だ。足りた時、主人が『よくやった』と言った。それだけだった。それだけで十分だった。次の日から俺は自由だった」


 ハインリヒが顔を上げた。空を見た。


「その後、商人になった。奴隷を売る側になった。お前には、そこを責める権利がある」

「責めないよ」

「なぜ」

「生き延びた。そしてここにいる。それだけのことだから」


 ハインリヒがまた黙った。


「……お前の自己買取システムに俺が乗ったのは」

「うん」

「自分がかつてやった唯一の成功例だったから、だ。できると知っていた。誰もやったことがないと言われていたが、俺はやった。だから、できると断言できた」


 俺はパンをかじった。


「だから、帳面の扱いが上手いんだね」


 ハインリヒが静かになった。長い静かさだった。


「……坊主」

「なに」

「お前にだけは、そういう言い方されると腹が立つ」

「なんで」

「軽すぎる。俺の二十年を、一文にまとめるな」


 俺は少し考えた。


「じゃあ、もっと長く言うよ。ハインリヒは二十年かけて自分を買い取って、次の二十年は他人が自分を買えるように仕組みを作って、今は劇団の帳面に全員の名前を書いている。そういう人だ」


 ハインリヒが俺を見た。


 何も言わなかった。


 しばらく後に「行くぞ」と立ち上がった。帳面を持ち直した。古い一冊も一緒に抱えた。


 俺も立ち上がった。


「一つだけ聞いていい?」

「なんだ」

「自己買取が完了した日の夜、何をした?」


 ハインリヒが少し間を置いた。


「……酒を飲んだ。一人で。旨くはなかった。(うれ)しいのか悲しいのかわからなかったから」

「それだけ?」

「翌日から商いを始めた。やることがあると落ち着くから」


(この男は、ずっとそうやって生きてきた)


 俺は何も言わなかった。


 言わなくてよかった。その生き方はこの男のもので、俺が言葉にするものじゃない。


―――


 その夜、ハインリヒが眠った後。


 空のどこかで声が聞こえた。


「舞台で国を動かすとか前代未聞だろ。そのうえ今度は商人の二十年分の記録が出てきたぞ」

「前例がないものは監査できません。報告書が増えて困っています」

「がんばれ」

「……はい」


 誰も聞いていなかった。


 ただハインリヒだけが、眠りかけた意識の端で「なんか聞こえた気がした」と思って、すぐ眠った。


 翌朝、ハインリヒが起き抜けに帳面を開いた。全員の名前が書いてあるページを確認した。それからページを一枚加えた。


 一番上に「ハインリヒ」と書いた。


 その横に、今日の日付を書いた。これが何の記録かは、書かなかった。


 ただ書いた。


 それがこの男の、誰にも言わない誠実さの形だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ