第13話:グスタフの戦友
男が稽古場の入口に立ったのは、午後も遅い頃だった。
がっしりした体格。剣の傷が顔の左に走っている。両腕がある。全身が、元兵士だということを主張していた。
ただしその目は、もう戦場には向いていない目だった。
男は稽古場の中をしばらく見ていた。俺が気づいて声をかけようとした時、男の視線がグスタフに止まった。
「……グスタフか」
グスタフが振り向いた。
数秒の沈黙があった。グスタフの顔が動かなかった。動かないまま、「ああ」とだけ言った。
「テオバルトか」
「お前の噂を聞いてきた」
テオバルトと呼ばれた男が、稽古場を見渡した。
ルーチェが照明の調整をしている。
ジャハルが台詞を繰り返している。
ベルントが舞台の縁の寸法を測っている。
「芝居だって? お前が? 片腕で?」
嘲笑ではなかった。理解しようとしている声だった。だが理解できていない。
「やってる」
「……なんで」
「役があったから」
テオバルトがまた稽古場を見た。グスタフが稽古に戻った。俺は口を出さなかった。
(こういう場面に、監督は要らない)
椅子に腰を下ろして、台本を開いた。
しばらくして、グスタフが横を通った。
何も言わなかった。ただ水の入った器を、椅子の脇にそっと置いていった。
飲めということだと思った。飲んだ。パンをかじった。
―――
テオバルトは翌日の公演を見ることになった。
グスタフが一人芝居をやると俺が告げると、グスタフは一度だけ「一人でいいのか」と言った。
「お前の体が台本だ」と俺は言った。
グスタフがまた、珍しく笑った。
テオバルトに稽古を見せなかった。本番だけ見せた。
舞台に上がる直前、グスタフが俺に言った。
「……何を演じればいい」
「自分を演じろ。戦場から帰った男の話を、そのまま」
「それは芝居か」
「一番いい芝居だよ」
グスタフが頷いた。頷き方が稽古より重かった。
―――
客は多くなかった。移動舞台の前に、五十人ほど。テオバルトが一番後ろに立っていた。
グスタフが舞台に立った。
最初は黙って立っていた。残った右腕を体の横に垂らして。左の袖が、何もないまま揺れていた。
「戦場に、花が咲いていた」
声が出た。静かな声だった。
「誰も気にしていなかった。俺も気にしなかった。だが帰ってきてから、なぜか思い出す。あの花の色を。赤だったか黄色だったか、もう覚えていない。ただ咲いていたことだけ覚えている」
客が静かに聞いていた。
「俺は腕を失った。敵の剣で。その日の朝に食べたパンの味は覚えている。だが腕を失った瞬間の痛みは覚えていない。体は、限界を超えた痛みを記憶しない。それだけが生き物の情けだ」
テオバルトが前の方に視線を向けていた。顔は見えなかった。
「帰ってきた。誰も俺の話を聞かなかった。俺も話さなかった。話したところで、聞いた者が何をすればいいかわからない話だったから。それはお互いに正しかった」
グスタフが左の袖を一度だけ見た。
「俺は……何のために戦ったんだ……!」
台詞でも叫びでもない声の形だった。問いかけだった。答えを求めているが、答えが存在しないことを知っている問いかけの声だった。
広場が静止した。
誰かが息を吐いた。その音が聞こえた。
グスタフが頭を下げた。幕が下りた。
―――
お捻りが飛んだ後、客が引けた。
グスタフとテオバルトが舞台の端に並んで腰を下ろした。ハインリヒが酒を二人の前に置いて、そっと離れた。
俺は次の台本の構成を頭の中で動かしながら、建物の影の方に移動した。二人の声が聞こえない場所に。
グスタフの笑い声が小さく聞こえた。テオバルトの声も続いた。言葉の内容は届かなかった。
しばらくして、ジャハルが横に来た。
「席を外してやったのか」
「うん」
「……気を遣ったな」
言ってから、ジャハルは少し口を閉じた。認めたくなさそうな顔だった。
「台本を書いてた」
俺が言うと、ジャハルが一秒だけ俺を見た。
「どっちだよ」
「半々」
ジャハルが鼻で笑った。「どっちでもいいか」と言って、二人が座っている方を見た。
「……テオバルトって男。グスタフの顔を見た瞬間に泣きそうになってた」
「そうだったか」
「うん。堪えてたけど。武骨な奴だな」
「そういう奴が一番ちゃんと泣く」
ジャハルが黙った。俺も黙った。
遠くでグスタフがまた笑った。
―――
夜、テオバルトが帰り際に俺の前に立った。
「グスタフのやつ。よっぽど戦ってるな」
「うん」
「俺より」
「そうかもしれない」
テオバルトが俺をじっと見た。子どもを見る目になりかけて、ならなかった。それが続いた後、男は「よかった」と言った。
「何が」
「あいつが、自分の話をできる場所を見つけたことが。俺たちの中で一番話す必要があったのに、一番話せなかった男だったから」
俺は答えなかった。
テオバルトが去った後、グスタフが戻ってきた。
「……あいつが来たのは、知らなかった」
「知ってたよ。黙ってた」
グスタフが少し眉を寄せた。「悪趣味だ」という顔をした。俺は「そうかも」と返した。
「次の台本。片腕の男ともう一人の、二人芝居を書きたい」
「テオバルトか」
「違う。お前ともう一人の、まだ会っていない誰かだ」
グスタフが「どういう意味だ」という顔をした。俺は「まだわからない。稽古の中で見つける」と言った。
それがいつも通りの答えだとグスタフは知っていた。だから「わかった」と言った。
パンが残っていたので半分渡した。グスタフが受け取って、固い、という顔をした。二人でしばらく、同じ固さを噛んでいた。




