第12話:神々は騒がしい
「テオクラティアが動いている」とハインリヒが言ったのは、朝の帳面整理の最中だった。
「宗教国家だ。七つの神を奉じていて、それぞれの神の名のもとに派閥がある。ここ最近、国内での布教活動が激しくなっている。お布施の集め方が熱心で、信じない者には冷たい」
「神様が多いんだね」
「多いどころじゃない! 七派閥が全部、互いの神こそ正しいと言っている! このままでは国が宗教ごとに割れるぞ!」
ハインリヒが帳面を叩きながら続けた。
テオクラティアの侵略は領土的な征服ではなく信仰の浸食だという話だった。
国民が派閥に分かれ、隣人同士が「どの神が偉いか」で言い争い、やがて戦になる。
それが宗教国家の戦略らしかった。
俺はパンをかじりながら聞いた。
「面白いね」
「面白いどころか危機だと言っているんだが」
「劇にしたら絶対ウケるよ。神様が七人いて全員が自分こそ一番だと言い張る喜劇。で、観客全員が自分の推し神を見つけてしまう」
ハインリヒが水を飲んでいた。
飲みかけで止まった。
ゆっくりと杯を置いた。
「……坊主。お前は本当に、戦を止めるために劇を作るつもりか」
「推し活が始まったら戦争している暇なくなるよ」
ハインリヒが今度こそ胃に手を当てた。
―――
配役は決まっていた。台本は三日で書いた。頭の中に大体あったから書くのは速かった。
母が美の神。
グスタフが武の神。
ジャハルが豊穣の神。
そしてアネリーゼに、特別出演を頼んだ。
「王妃として出ていただけますか」
使いを通じて頼んだ。返答が来るまで少し時間がかかったが、当人から直接「面白そうなので参加します」という返事が来た。
王家の使いではなく、アネリーゼ本人の字だった。
ルートヴィヒ王子が止めなかったのかどうかは知らないが、止めたとしても聞かなかっただろうとは思う。あの人はそういう人だ。
アネリーゼが秩序の神を演じる。
台本の核心は、七柱の神が互いを認めながら世界を動かしているという話だった。
一番偉い神はいない。それぞれが違う役割を持っている。喧嘩もするが結局は協力する。
観客がどの神を好きになっても正解だという構造を、三幕で作った。
残りの三柱は、ルーチェ、ベルント、そしてハインリヒに頼んだ。
ハインリヒが「なぜ俺が舞台に上がらなければならないんだ」と帳面で机を叩いた。
「商いの神だから。この役はお前しかいない」と俺は言った。
ハインリヒが「……」という顔で三分だけ黙って、それから「台本を見せろ」と言った。
台本を見て、また一分だけ黙って、「悪くないな」と言った。承諾だった。
「豊穣の神は、なんで俺なんだ」
ジャハルが台本を読みながら言った。
「似合うと思って」
「どこが」
「怒ると怖くて、でも実はみんなのために動いてる。大地みたいだよ」
ジャハルが台本を閉じた。何か言いかけて、言わなかった。
(気に入った顔だ)
―――
初演は街の中心広場でやった。
規模が違った。これまでの公演で一番の客数だった。
国公認劇団の最新作というだけで噂が広まり、教会の信者たちも来た。
七つの派閥それぞれから人が来た。最初は互いに離れた場所に固まっていた。
幕が上がった。
美の神(母)が登場した瞬間に、まず静寂が来た。この人の登場は毎回そうだ。ただそこに立つだけで空気が変わる。
武の神が豪快に現れた。片腕を振り上げて「俺なしに世界は回らん!」と宣言した。台本にない迫力があった。
豊穣の神が腕を組んで出てきた。「黙れ。食えなければ意味がない」と一言言った。それだけで笑いが起きた。ジャハルが少しだけ驚いた顔をして、すぐ元に戻した。
秩序の神が現れた時、別の種類の静寂が来た。王妃が舞台に立っているという事実と、役が完全に重なった瞬間の静寂だった。
「あなたたちは、いつも騒がしい」
アネリーゼが三柱を見渡して言った。台本通りの台詞だったが、誰も台本を見ていないように聞こえた。
笑いが来た。それから次の笑いが来た。神々の言い争いが続くたびに、観客の反応が変わった。
グスタフの武の神に「そうだそうだ」と言う者がいた。
ジャハルの豊穣の神に「わかる」と言う者がいた。
母の美の神を見て、ただ見続ける者がいた。
中盤の頃には、七つの派閥の人間が隣り合って笑っていた。
終演後、お捻りが雨のように降った。
―――
翌日から、変なことが起きた。
市場に「豊穣の神推し」と書いた布を持った人間が歩いていた。
教会の前で「美の神が一番美しかった」という議論が起きていた。
武の神と秩序の神のどちらが好きかという問答が、酒場で延々と続いていた。
ハインリヒが青ざめた顔で俺に報告した。
「敵国の国民が、うちの劇の感想を書いた紙を国境で交換しているらしい」
「へえ」
「兵士同士が『あの豊穣の神良かったよな』と話しているという情報もある」
「良かったね」
「良くない! 宗教戦争が推し活になってるぞ!!」
俺はパンをかじった。
「面白いほうが勝つんだよ」
「そんな理屈が!」
「通った。結果として」
ハインリヒが言葉に詰まった。帳面を見た。収益が書いてある。先週比で三倍を超えていた。
「……なぜ胃が痛いのに帳面の数字は増えるんだ」
「それが劇団だよ」
ハインリヒが溜め息をついた。それから静かに帳面に何かを書き込んだ。収益記録の下に「宗教国家、撤退の兆し」と書いた。
(ハインリヒはこうやって歴史を記録する)
この男の帳面は、いつか劇団史の一次資料になるだろう。俺はそう思いながら、次回作の配役を頭の中で考え始めた。
舞台の力は、論争に勝つことではない。論争を笑いに変えることだ。
笑った後の人間は、少しだけ柔らかくなる。柔らかい人間は、隣にいる別の神の信者とも、飯くらい一緒に食える。
それが積み重なると、戦争より祭りの方が面白いという話になる。
劇団が戦争を止めたのではない。面白い方が勝っただけだ。
俺はそれを知っていたが、知っていることと証明することは別の話だ。
今回は証明できた。パンの固さだけは変わらないが、それ以外はずいぶん変わった。
「劇が国を救い、文化が戦争を止めた」と誰かが言ったのは、それからしばらく後のことだった。
言ったのは吟遊詩人だった。
唄になって、国中を旅した。
ハインリヒがその唄を聞いて「お前のせいでまた胃が痛くなった」と言った。
俺は何も言わなかった。唄になるのは台本より遅いし、台本より長く残る。それだけのことだ。




