第11話:王国公認劇団
勅許状というのは、思ったより分厚かった。
王家の紋章の入った羊皮紙。金の縁。難しい言葉が並んでいる。
要約すると「劇団を国の公認文化事業とする」という内容らしかった。ハインリヒが解読してくれた。
「坊主……本当に公認が降りた」
「うん」
「国から金が出る。活動の保証が出る。各地に常設の小劇場を建てる許可が出る」
「うん」
「お前、もしかして最初からこれを狙っていたのか」
俺はパンをかじって答えなかった。
狙っていたかどうかと言えば、可能性として考えていたという程度だ。
でもハインリヒの顔が「狙っていたと思いたくないが、たぶんそうだ」という顔をしているので、特に訂正しなかった。
(ただ劇が作りたかっただけだよ)
本当のことだった。
劇が作れる環境が必要で、環境を作るために人を動かし、人が動いたら国が動いた。
結果として国が劇団に乗っかってきた。そういうことだった。
ハインリヒが帳面に新しいページを開いた。「常設劇場の候補地一覧」と書いた。
―――
各地に常設の小劇場が建ち始めた。
ベルントが設計図を持って現場を飛び回った。
「この壁の角度だと音の反響が死ぬ」
「客席の傾斜を三度増やせ」
「照明台の位置はここでなくここだ」
朴訥な男がひとたび設計の話になると止まらなくなる。その性質を、現場の大工たちが早々に学んだ。
最初は「子どもが何を」という顔をされたが、三日で逆転した。
ベルントの指示に従うと、建物が見違えるように変わる。
その事実の前では年齢も身分も関係なかった。
ベルントが劇場の設計をしている姿を見るたびに、俺はある感覚を覚えた。
前世でも似た人間を見たことがある。舞台美術の職人。音響の専門家。台本のことは何も知らないが、舞台の上に世界を作り上げる人間たち。
才能は役者だけに宿るのではない。
舞台に必要なすべてに、それぞれ宿る。
俺の仕事はその才能を見つけて、向かうべき場所に向けることだ。
ベルントの場合、向かうべき場所は最初から決まっていた。
ルーチェが村の広場に出向いた。
「照明の魔法を教えます」
そう言って、光の制御の基礎を教えて回った。魔法を持っているが使い道がわからなかった子どもたちが、光の扱い方を少しずつ覚えていった。
村の夜が、以前より明るくなった。
それだけのことだったが、明るい夜に人が集まり、集まった人が話をして、話が物語になる。
その連鎖を、俺はどの劇場よりも良い舞台だと思った。
グスタフが若者たちの相談に乗るようになったのは、自然な流れだった。
稽古場の端に腰を下ろして、片腕で飯を食いながら話を聞く。それだけだ。
アドバイスはほとんどしない。ただ聞く。時々「それで、どうしたい」と聞く。それだけだった。
「なんで相談に乗ってるんだ」
俺が聞いたら「俺に話しかけてくる奴がいるから」と言った。それ以上でも以下でもなかった。
(この劇団が、国に育てられているのではなく)
俺はある夜、そう思った。
(国が劇団に育てられているんだ)
その言葉を口に出したのはハインリヒだった。帳面に向かいながら、ぽつりと。
「まるで……国が劇団に育てられているみたいだな」
「そうだよ」
ハインリヒが顔を上げた。
「本当にそのつもりだったのか」という顔だった。
「劇ってそういうものだから。物語を見て、人は変わる。人が変わると、国が変わる」
「……世界を変えるつもりで来たのか、最初から」
「劇を作りたくて来た。世界がどうなるかは、観客次第だよ」
これは前にも言ったことだ。
ハインリヒも覚えていたらしく、しばらく黙った。「全然変わってないな」という顔をした。
―――
公演が締めくくりを迎えたのは、国内五か所に小劇場が完成した頃だった。
その夜、全員が久しぶりに最初の移動舞台の前に集まった。
小劇場ができた今も、移動舞台は現役だ。
どこへでも行ける。許可がなくてもできる。
それが俺たちの始まりだったし、始まりは変えなくていいと思っていた。
グスタフが飯を作った。
ジャハルが薪をくべた。
ルーチェが灯りをつけた。
ベルントがテントの布の縫い目を確かめていた。
母が何も言わずに座って、空を見ていた。
ハインリヒが帳面を閉じて、珍しく帳面を持たない手で杯を持った。
俺もパンをかじりながら座った。
奴隷市の外れから始まって、国境の村に行って、軍事国家の駐屯地に行って、闇市に入って、王家の勅許をもらった。
子ども一人の体で、前世の演劇知識だけを武器にして、ここまで来た。
(よくやった、と言いたいところだが)
それほどの感慨はなかった。終わっていないから。
舞台は幕が下りるまで終わらない。第一部の幕が下りたとすれば、次の幕が上がる。
前世でも同じだった。作品が完成した夜に、次の台本の構想が始まっていた。
祝賀の席で笑えなかったのは虚しかったからではなく、次のことを考えていたからだ。
それが監督という生き物の性分だ。
この世界に来ても変わっていない。変わらなくてよかったと、今は思う。
俺は仲間たちを見渡した。
「さあて」
全員が俺を見た。
「次はどんな劇にしようか」
ハインリヒが杯を持ったまま額に手を当てた。「また始まった」という顔だった。
グスタフが「うまい飯ができたぞ」と言った。
ジャハルが「俺が主演か」と言った。
ルーチェが「爆発しないように頑張ります」と言った。
ベルントが「舞台の構造から変えた方が良い案があって……」と言い始めた。
母が「あなたは、いつもそうね」と静かに言った。
焚火が、橙色に揺れた。
俺はパンの最後の一欠けをかじって、頭の中で新しい台本の第一幕を書き始めた。
―――
後日、ハインリヒが俺に言った。
「坊主。一つだけ聞かせてくれ」
「なに」
「お前……本当に、ただの劇を作りたいだけなのか」
俺は少し考えた。一瞬だけ。
「うん」
「……そうか」
ハインリヒが帳面を閉じた。
「信じることにする」
信じていない顔だった。でも追及もしなかった。
それがこの男の答えだと、俺は知っていた。
結果が出るまで待つ。それが商人という生き物だ。
ただし今のハインリヒの目には、商人の目だけではないものが混じっていた。
何と呼べばいいかはわからない。俺の中のモデルにその言葉はなかった。
でも知っていた。あれが何の顔かは。
それは、観客の顔だった。




