第八章「女神がまた来た」
ガリオン郊外の古神殿は、街道から外れた丘の上にあった。
石造りの柱が何本か崩れ、屋根の半分は落ちている。壁には蔦が這い、足元には雑草が茂っていた。それでも建物の骨格は残っていて、奥に続く通路がはっきりと見えた。
そして通路の奥から、低い唸り声が聞こえていた。
「……いるね」とユーダが言った。
「いる」とレイナが剣を抜いた。
「何匹くらい?」とガルドが盾を構えた。
「三匹から五匹といったところだ」とグリムが言った。「ストーンゴーレム。岩でできた魔物で、物理攻撃が効きにくい」
「じゃあどうすれば」
「核を壊せ。胸の中心に赤い石がある。そこを狙え」
「核か」レイナが頷いた。「分かった」
ミルフィが本をめくりながら言った。
「ストーンゴーレムには雷属性の魔法が有効です。私、雷魔法なら比較的——」
「比較的?」とユーダが聞いた。
「……七割くらいの確率で、狙った方向に飛びます」
「三割も別の方向に!?」
「練習中なので」
「俺たちに当たる可能性があるってこと!?」
「当たっても死にません、たぶん」
「たぶん!?」
ガルドが穏やかに言った。
「私が回復します。安心してください」
「回復前提は怖い!!」
神殿の内部は薄暗かった。
崩れた石柱が通路を半分塞いでいて、進むたびに足元の瓦礫を避けなければならない。天井の穴から光が差し込んでいるが、それでも視界は悪かった。
奥に進むにつれて、唸り声が大きくなった。
最初のゴーレムが現れたのは、通路を曲がったところだった。
二メートルを超える岩の塊。腕は丸太のように太く、足を踏み出すたびに床が揺れる。胸の中心に、確かに赤い石が光っていた。
「でかい」とユーダが言った。
「行く」とレイナが言った。
レイナが一気に距離を詰めた。ゴーレムが腕を振り下ろす。レイナは横に跳んでかわし、剣を胸の核に向けて突いた。
硬い。
剣が弾かれた。
「奥の核まで届かない。岩が厚い」
「どうする?」
「ほかの所から狙ってみる」
ガルドが前に出た。
「私が引きつけます!」
ガルドがゴーレムの正面に立ち、盾を構えた。ゴーレムの拳が盾を直撃した。
轟音。
しかしガルドは一歩も動かなかった。
「……ガルドは人間か?」とユーダが言った。
「回復しながら耐えてます!」とガルドが言った。「早くしてください、さすがに少し痛いので!」
「少しなの!?」
レイナがゴーレムの背後に回り込んだ。背中の岩は薄い。剣を核の真後ろに向けて、全体重を乗せて突いた。
ぐ、と剣が沈んだ。
赤い石が、ひびわれた。
ゴーレムが大きくよろめいた。
「ミルフィ、今!」
「撃ちます、逃げてください!」
全員が散った。
雷が走った。
今回は、ほぼ真っ直ぐ飛んだ。
ひびわれた核に直撃して、ゴーレムが粉々に崩れた。
「……当たった!」とミルフィが叫んだ。
「七割のほうに入った!!」とユーダが叫んだ。
「実力です!」
「謎の自信!」
奥に進むにつれて、ゴーレムがさらに二体現れた。
一体はレイナとガルドが対処し、もう一体はユーダが核を剣で崩してからミルフィが仕留めた。
全員、怪我はなかった。
ガルドが数か所の打撲を即座に回復し、レイナの小さな切り傷もすぐに塞がった。
「ガルドがいると安心感が違う」とユーダが言った。
「ありがとうございます!」とガルドが嬉しそうに言った。「聖剣のお役に立てて光栄です!」
「俺じゃなくて!?」
「聖剣のお役に……!」
「聞いてない!!」
神殿の最奥に、それはあった。
アルタの森の祠より大きな、石造りの祭壇。表面に刻まれた文様は、苔に覆われながらもはっきりと見えた。薄く、金色に光っている。
「……二か所目だ」とグリムが言った。
ユーダは祭壇の前に立った。
右頬が、温かくなってくる。遺跡に近づくたびに感じる、聖なる力の感覚。
祭壇に手を当てた。
光が溢れた。
一か所目より、強い光だった。神殿全体が金色に輝き、崩れた柱の隙間から光が漏れ出した。
ユーダの右頬が、熱くなった。
そして——
「……伸びた」
はっきりと分かった。一か所目のときより、明らかに大きい変化だった。指で触れると、柄の形がより鮮明になっている。先端だけだったものが、握り部分の輪郭を帯び始めていた。
「計測します!」とミルフィが飛んできた。
「落ち着いて」
「昨日より一・二センチ伸びています! 成長速度が加速しています!」
「加速してるの?」
「遺跡を巡るたびに成長が早くなるんだと思います。つまり——」
ミルフィがユーダの右頬を見た。
「旅の終盤には、かなりの速度で伸びるかもしれません」
「……帽子じゃ隠れなくなるね」
「早い段階で」
「はあ」
レイナが静かに言った。
「だが、それは抜ける日が近いということでもある」
「……そうだね」
ガルドが感慨深そうに言った。
「聖剣が育っていく……神聖な瞬間に立ち会えて光栄です」
「俺の顔が育ってるんだけどね」
「聖剣が……!」
「聞いてないね!!」
神殿を出て、陽光の下に戻ったとき。
部屋が光った。
いや、部屋ではない。空が、局所的に光った。
神殿の入口の前、地上から二メートルほどの高さに、光の渦が現れた。
全員が身構えた。
レイナが剣を抜いた。ガルドが盾を構えた。ミルフィが本を開いた。グリムが「また来た」という顔をした。
光の渦から、人が降りてきた。
金色の髪。紫の目。白と金の衣。
リュミエルだった。
「……お久しぶりです」
リュミエルはユーダたちを見て、少し笑った。
営業スマイルのような、どこかぎこちない笑いだった。
「少し、相談があって」
「相談の前に」とユーダが言った。
「はい」
「謝ってください」
「はい、申し訳ありませんでした」
「即座に謝った」
「謝る準備はしてきました」
リュミエルは両手を前に揃えて、深々と頭を下げた。
全員が沈黙した。
ガルドが目を輝かせながら言った。
「女神様……! 直接お目にかかれるとは……!」
「初めまして」とリュミエルが顔を上げて言った。
「ガルド、神殿の者です。お会いできて光栄です……!」
「ありがとうございます」
ユーダが割って入った。
「ガルドは後で。リュミエル、相談って何」
「はい。その前に状況を確認させてください。二か所目の遺跡、無事に終わりましたか」
「終わりました」
「聖剣の成長は」
「一・二センチ伸びたって」
「順調ですね」
「順調かどうかは俺が決めます」
リュミエルは少し困った顔をした。
「……実は、少し問題が起きていて」
「また問題!?」
「別の問題です」
「別の!?」
レイナが静かに言った。
「話せ」
リュミエルはレイナを見て、それから全員を見渡した。
「魔王の復活が、当初の予測より早まっています」
沈黙が落ちた。
「早まるって、どのくらい」とユーダが聞いた。
「当初は三年ほどかかると見ていましたが……今の速度では、一年を切るかもしれません」
「一年!?」
「はい」
「聖遺跡、全部回れる?」とユーダがグリムを見た。
「急げばギリギリかもしれん」とグリムが言った。「ただし、道中で手間取れば厳しい」
「手間取るって、どんな状況で」
「魔王の復活が近づくにつれて、各地の魔物が活性化する。遺跡周辺の魔物も、今後は強くなっていく可能性が高い」
ミルフィが手帳を取り出してメモを取りながら言った。
「魔物の活性化と聖剣の成長速度の相関を記録しておく必要がありますね」
「今それより」とユーダが言った。「リュミエル、相談って、それを伝えに来たってこと?」
「それだけではなく」
リュミエルは少し言いにくそうに、視線を落とした。
「……聖剣について、お伝えしていないことがあって」
全員の空気が変わった。
ユーダはリュミエルを見た。
「何を」
「聖剣を抜く際に——」
その瞬間、グリムが割って入った。
「リュミエル」
グリムの声が、いつもより低かった。
リュミエルがグリムを見た。二人の間に、何かが走った。目線だけで会話しているような、短い沈黙。
「……今は、まだ」
グリムが静かに言った。
リュミエルは少し躊躇してから——頷いた。
「……そうですね。今は、まだいいかもしれません」
「ちょっと待って」とユーダが言った。「今の何? 何を言いかけた?」
「いいえ、何でも」
「何でもじゃない。聖剣を抜く際に、何がある」
リュミエルは微笑んだ。ぎこちない、取り繕うような微笑みだった。
「大丈夫ですよ。抜けるようになったとき、ちゃんと話します」
「今話して」
「今は……まだ、確認中のことがあって」
「確認中って何を」
「ユーダさん」
リュミエルがユーダを真っ直ぐに見た。
紫の目が、真剣だった。
「今は、遺跡を回ることだけ考えてください。それだけが、今あなたにできる最善です」
ユーダは黙った。
何かある。絶対に、何かある。
グリムも知っている。リュミエルも知っている。でも今は話してくれない。
「……分かった。でも、後で必ず話してくれ」
「はい。必ず」
リュミエルは頷いた。
それから、ぱっと表情を切り替えて、全員を見渡した。
「皆さん、ユーダさんのことをよろしくお願いします」
「任せてください!」とガルドが力強く言った。
「しっかり研究します!」とミルフィが言った。
「……ああ」とレイナが短く言った。
「信用するな」とグリムが言った。
「グリム」
「嘘だ」
「素直じゃない」
リュミエルは微笑んだ。今度は、ぎこちなくない笑いだった。
「ユーダさん」
「なに」
「……本当に、申し訳ありません。でも」
リュミエルが、ほんの少し、声を和らげた。
「あなたを選んだのは、間違いではなかったと、私は思っています」
「ランダムじゃなかったの?」
「……ランダムでした」
「矛盾してる!!」
リュミエルは光の渦の中に戻っていった。
光が消えた。
後に残ったのは、四人と一精霊と、宙に漂う金色の光の粒だけだった。
帰り道、ユーダはグリムの隣を歩いた。
正確には、グリムが浮いている高さに合わせて、少し顔を上げながら歩いた。
「グリム」
「なんだ」
「さっきリュミエルが言いかけたこと、知ってるんだろ」
グリムは答えなかった。
「教えてくれないの?」
「……今は教えない」
「なんで」
「知ってどうする」
「知った上で旅を続けるかどうか、俺が決める」
「……」
グリムは少し間を置いた。
「それは、もう少し先でいい」
「グリムが決めることじゃない」
「そうだ。お前が決めることだ」とグリムが言った。「だからこそ、お前が自分で決められる状態のときに話す」
「今は違うの?」
「今のお前には、まだ早い」
ユーダは黙った。
グリムの横顔を見た。いつもの冷めた目が、今日は少し——違う色をしていた気がした。
「……グリムって、俺のこと心配してる?」
「していない」
「してるでしょ」
「精霊は人間を心配しない」
「してるじゃん」
「……うるさい。歩け」
グリムはそっぽを向いた。
ユーダは苦笑して、前を向いた。
右頬の金属が、夕陽に光った。
聖剣を抜く際に、何かがある。
その何かが何なのかは、まだ分からない。
でも——今は、歩くことだけ考えよう。
じいちゃん。俺、ちゃんと前を向いてるよ。
夕陽が、街道を赤く染めていた。




