第六章「筋肉の神官が聖剣を見て泣き崩れた」
ガリオンへの街道は、アルタの森を抜けた先から北東に伸びていた。
舗装された道ではないが、それなりに人の往来があるらしく、踏み固められて歩きやすかった。両脇には草原が広がり、遠くに山の稜線が見えた。
天気はよかった。
旅日和だった。
だというのに。
「ユーダさん、少し止まってもらえますか」
「なに」
「計測したいので」
「歩きながらじゃダメ?」
「歩くと誤差が出ます」
ユーダは溜め息をついて立ち止まった。ミルフィが荷物から細い定規のような器具を取り出し、ユーダの右頬に近づけた。
「……今日で何回目の計測?」
「朝から四回目です」
「多い」
「遺跡を経由してからの成長速度を記録したくて。昨日より〇・三ミリ伸びています」
「そんな細かく測れるの」
「魔法精度計測器です。本来は魔法の威力を測るものですが、金属の長さも測れます」
「用途外使用じゃん」
「応用です」
レイナが歩きながら振り返った。
「毎回止まっていたら時間がかかる」
「でも研究に必要で——」
「歩きながらできないのか」
「誤差が——」
「〇・三ミリの誤差が、何か問題を引き起こすか」
ミルフィは口を開いて、閉じた。
「……歩きながら計測します」
「話が早い」
ユーダはレイナを見た。
「レイナって、意外とまとめ役だよね」
「そうか?」
「うん。グリムはツッコミ専門だし、ミルフィは暴走するし」
「お前がまとめ役をやれ。一応リーダーだろ」
「リーダーって決まってないけど」
「顔から聖剣が生えている奴がリーダー以外に何がある」
「それリーダーの根拠にならないから!!」
昼過ぎ、一行が街道沿いの小さな村を通りかかったとき、声をかけられた。
「すみません、旅の方!」
村の入口に、男が立っていた。
年齢は二十五ほど。背が高い。いや、高いだけではない。
でかい。
横に、でかい。
肩幅が、普通の人間の二倍はある。首が、ユーダの太ももくらいある。腕が、ユーダの胴体くらいある。
全身が、筋肉でできていた。
服は聖職者の白い衣だったが、袖が今にも破れそうだった。というか、所々すでに破れていた。筋肉で。
「魔物退治を手伝っていただけませんか! 報酬はお支払いします!」
男は深々と頭を下げた。
ユーダは男を見た。
「……あなた、聖職者?」
「はい! ガルドと申します! この村の神殿に仕えております!」
「聖職者って、もっとこう……細い人が多くない?」
「神への信仰と肉体の鍛錬は両立します!」
「両立しすぎでしょ」
グリムが耳元でぼそりと言った。
「筋肉系ヒーラーだ。珍しいが、いないわけではない」
「ヒーラーなの?」
「聖職者は回復魔法が使える。ただこいつの場合、回復魔法より殴るほうが早そうだが」
「物騒なこと言わないで」
ガルドの話を聞くと、事情はこうだった。
村の近くの採掘場に、最近魔物が住み着いた。村人が近づけなくなり、採掘ができなくなっている。村唯一の神官として何とかしようとしたが、数が多くて一人では厳しい。
「採掘場の魔物、どんな種類?」とレイナが聞いた。
「岩トカゲが十数匹と、その奥に親玉らしき大型の個体が一体います」
「岩トカゲか」レイナが頷いた。「硬い外皮を持つが、腹部は柔らかい。倒せる」
「お力を貸していただけますか!」
ガルドはもう一度深々と頭を下げた。筋肉が揺れた。
ユーダはレイナを見た。レイナは「構わない」という顔をしていた。ミルフィは「魔物のデータが取れる」という顔をしていた。グリムは「面倒だ」という顔をしていた。
「……分かりました。手伝います」
「ありがとうございます!」
ガルドが顔を上げた瞬間、その視線がユーダの右頬に止まった。
止まって——
固まった。
「……?」
ガルドの目が、見開かれていた。口が半開きになっていた。全身の筋肉が、ぴくりとも動かなくなっていた。
「あの、ガルドさん?」
「……それは」
ガルドの声が、震えていた。
「聖剣、ですか」
「あ、はい。そうみたいで」
ガルドの目に、みるみる涙が溜まっていった。
「……聖剣だ」
「はい」
「本物の、聖剣だ」
「そうなんですよ、困ってて」
「困ってる……?」
ガルドはユーダの言葉が理解できなかったらしく、首を傾けた。それから、耐えきれなくなったように——
泣いた。
声を上げて泣いた。
二十五歳の全身筋肉の聖職者が、村の入口で、声を上げて泣いた。
「……え」
「聖剣だ……! 本物の聖剣だ……! 神よ、これほどの御恵みを……!」
「ちょ、大丈夫?」
「大丈夫です、嬉しくて……!」
「嬉しくて泣くの!?」
「信仰者にとって、聖剣の顕現は最上の吉兆! これほど近くで拝めるとは……!」
ガルドは両手で顔を覆った。筋肉の腕の隙間から、涙が溢れていた。
レイナが静かに言った。
「……似たような反応を、私もした覚えがある」
「レイナはひざまずいただけで泣かなかった!」
「泣かなかっただけで、内心では」
「変なやつしかいない!!」
採掘場は村から歩いて十五分ほどの場所にあった。
切り立った岩壁に掘られた横穴が、三つ並んでいる。その前に、灰色の鱗を持つ魔物——岩トカゲが、ぞろぞろと動き回っていた。
数えると、十二匹。
「……多いね」
「倒せる」とレイナが剣を抜いた。
「私は後方支援します」とミルフィが本を開いた。
「俺が盾になります!」とガルドが前に出た。
ユーダは短剣を抜きながら、グリムを見た。
「グリム、今日は手伝ってくれる?」
「不干渉だ」
「精霊の不干渉って、どの程度?」
「死にそうなら少し助ける」
「死にそうになってからじゃ遅い!」
レイナが一歩前に出た。
岩トカゲの一匹がそれに反応して突進してくる。レイナは身を低くして潜り抜け——剣を横に払った。
一撃。
岩トカゲが横に吹き飛んだ。
「速い」とユーダが思わず言った。
「腹部を狙えば一撃だ」レイナが振り返らずに言った。「二匹目、右から来る」
「分かった」
ユーダは右から突進してきた岩トカゲの正面に短剣を構えた。腹部。硬い外皮を避けて、柔らかい腹を——
刺した。
岩トカゲが動きを止めた。
「……倒せた」
「筋は悪くない」とレイナが言った。
ガルドが前衛で三匹を同時に相手にしていた。盾を構えて攻撃を受け止め、回復魔法で自分の傷を瞬時に塞ぎながら戦っている。
そしてその合間に——
「聖なる光よ!」
ガルドの拳が、岩トカゲの腹部に直撃した。
岩トカゲが空高く吹き飛んだ。
「……殴った」
「回復職なのに」とミルフィが言った。
「回復より殴るほうが早いって、グリムが言ってた通りだ」
「俺の予言どおりだ」とグリムが言った。
「予言じゃなくて観察眼でしょ」
小物を片付けると、奥の穴から親玉が現れた。
岩トカゲの三倍ほどの大きさ。鱗の厚みも段違い。尻尾を振り回しながら、低く唸っている。
「……でかい」
「ガルド、回復を頼む」とレイナが言った。「私とユーダで動きを止める。隙を作ったらミルフィが撃つ」
「撃っていいんですか!?」とミルフィが目を輝かせた。
「ただし今度は事前に言え」とユーダが言った。「逃げるから」
「分かりました」
「ガルド、盾をお願い」
「任せてください!」
ガルドが前に出た。親玉の尻尾が薙ぎ払ってくる。ガルドは盾で受け止めた。
衝撃でガルドの足が地面にめり込んだ。
しかしガルドは一歩も動かなかった。
「……化け物だ」とユーダが思った。
レイナが右から切り込む。鱗に剣が弾かれるが、動きが止まった一瞬を逃さず、腹部を狙って刺した。
親玉が大きく仰け反った。
「ミルフィ、今!」
「はいっ、撃ちます、逃げてください!」
全員が散った。
ユーダは反射的に五メートル飛びのいた。レイナは右へ。ガルドは左へ。グリムは上へ。
ミルフィの手から、光が放たれた。
轟音。
爆風。
親玉が吹き飛んだ。
採掘場の入口が、少し崩れた。
「……ミルフィ」
「はい」
「出力、また大きくなったか?」
「……少し」
「前回より大きかった気がするけど」
「成長しています!」
「すごいけど心配が勝つ!!」
魔物を退治し、村に戻ると、村人たちが出迎えてくれた。
ガルドが経緯を説明すると、村長が報酬として金貨を用意してくれた。
「助かりました。本当にありがとうございます」
「お役に立てて良かったです」
村長がユーダの右頬を見て、少し首を傾けた。
「……その頬のもの、大丈夫ですか」
「虫刺されです」
「金属の?」
「特殊な虫で」
「……そうですか」
村長は三秒考えてから、「お大事に」と言った。
もう誰もそれ以上聞かなかった。
夕方、村の食堂で夕食をとることになった。
ガルドが同席していた。任務終了後も、なぜかついてきていた。
「ガルドさん」
「はい!」
「俺たちと旅、する気ですか」
「聖剣のそばに置いていただけるなら、ぜひ!」
「また聖剣目当て……」
「いいえ!」
ガルドは首を振った。
「聖剣も、もちろん大切です。でも、皆さんの戦いを見ていて——一緒に旅をしたいと思いました」
ユーダは少し驚いた。
「戦いを見て?」
「はい。レイナさんの剣さばき、ミルフィさんの魔法、ユーダさんの判断力。素晴らしかった」
「ミルフィの魔法は採掘場を少し壊しましたが」
「細かいことは気にしません! それに、回復役がいれば皆さんの助けになれると思いまして」
レイナが静かに言った。
「ヒーラーは必要だ」
「ミルフィは?」とユーダが聞いた。
「研究になるので歓迎です」
「グリムは?」
「面倒が増える」
「お前はいつもそれを言う」
ユーダはガルドを見た。
真剣な目だった。純粋な、透き通った真摯な目だった。
「……分かりました。来てください」
「ありがとうございます!」
ガルドは立ち上がって深々と頭を下げた。それから顔を上げた瞬間、ユーダの右頬を見て——また目が潤んだ。
「聖剣……! 近くで見られる……!」
「泣かないで」
「嬉しくて!」
「嬉しいのは分かった! 泣かないで!!」
レイナがぽつりと言った。
「……気持ちは分かる」
「レイナも泣かないで!!」
夜。
宿の部屋で、ユーダは天井を見つめていた。
仲間が増えた。レイナ、ミルフィ、そしてガルド。グリムは最初からいる。
みんな、俺じゃなくて剣が目当てだけど。
でも——悪い奴らじゃない。
ユーダは右頬の金属の突起を触れた。
じいちゃん。仲間ができたよ。変な奴ばかりだけど。
窓の外で、風が吹いた。
遠くで、犬が鳴いた。
ユーダは目を閉じた。
次の遺跡まで、もう少し。
この剣を、絶対に抜いてやる。




