第五章「帰り道が消えたので全員グリムを責めた」
祠を後にしたのは、夕方近くだった。
来た道を戻れば、森の入口まで二時間ほどのはずだった。
はずだった。
「……グリム」
「なんだ」
「道、どこ?」
グリムは無言だった。
ユーダは周囲を見回した。木。木。木。苔。木。どこを向いても同じ景色が続いている。来るときに目印にしていた、根元が二股に分かれた大木が、見当たらない。
「グリム」
「……ない」
「ないって何が」
「道が、ない」
沈黙。
ミルフィが眼鏡を押し上げた。レイナが周囲に目を走らせた。
「迷子?」とユーダが聞いた。
「迷子という言葉は適切ではない」とグリムが言った。
「じゃあ何?」
「……道に、迷った」
「それを迷子って言うんだよ!!」
グリムによると、アルタの森には「惑いの加護」と呼ばれる古い魔法がかかっているらしかった。
祠に触れて聖なる力が解放された影響で、森の空間構造が一時的に歪んだ可能性がある、とのことだった。
「……それ、事前に言えなかった?」
「言い忘れた」
「言い忘れた!?」
「精霊も忘れることはある」
「大事なことを忘れないで!!」
レイナがグリムを見た。
「解除する方法は」
「時間が経てば戻る。おそらく明朝には」
「おそらく?」
「確実ではない」
「確実じゃないのか……」
ミルフィが手帳にメモを取りながら言った。
「惑いの加護、文献で読んだことがあります。解除するには、森の中心部にある主木に触れればいいはずです」
「主木?」
「森で一番古い木のことです。幹に金色の紋様が浮かんでいるので、見れば分かるはずで——」
「それも事前に言えなかった?」とユーダがグリムを見た。
「知らなかった」
「知らなかった!? 案内役なのに!?」
「森の内部構造まで全部は知らん」
「何を知ってるの!?」
「遺跡の場所は知ってた」
「そこだけ!?」
グリムは涼しい顔で木の枝に腰かけた。
「怒鳴っても道は戻らん。主木を探せ」
「お前のせいで迷ったのに何でそんな堂々としてるの!!」
仕方なく、四人と一精霊は主木を探して歩き始めた。
薄暗い森の中を、進んでいるのか戻っているのかも分からないまま歩く。
レイナが先頭に立って、静かに周囲を確認しながら歩いた。さすが剣士というべきか、足音がほとんどしない。
ユーダはその後ろを歩きながら、ぼんやりとレイナの背中を見ていた。
「……レイナって、どこから来たの」
「南の街だ」
「一人で旅してたの?」
「ああ」
「なんで聖剣を追いかけてたの」
レイナは少し間を置いた。
「……昔から、聖剣の話が好きだった」
「好き?」
「子どもの頃、父親に聖剣伝説の話を読んでもらった。それから、ずっと」
ユーダは少し意外に思った。クールな外見から、そういう話が出てくるとは思っていなかった。
「じゃあ夢が叶ったね。本物の聖剣、そばで見られてる」
「……ああ」
レイナは前を向いたまま、静かに言った。
「ただ、まさか人の顔から生えているとは思わなかった」
「俺もそう思ってる!!」
「だが、それも含めて本物だ」
「フォローになってない!」
後ろからミルフィが言った。
「レイナさんは聖剣愛、私は研究心、動機は違いますが方向性は同じですね」
「同じじゃない気がするけど」とユーダが言った。
「どちらもユーダさんの右頬が目的です」
「俺の人格は?」
「おまけです」
「おまけ!!」
グリムが上からぼそりと言った。
「俺はお前の人格も見ているぞ」
「グリムありがとう」
「不運で、善良で、ツッコミが忙しそうだと思っている」
「最後の一個が余計!」
しばらく歩いたところで、ミルフィが急に立ち止まった。
「あ」
「どうした?」
「お腹が空きました」
全員が振り返った。
「……今それ言う?」
「体が資本なので」
「主木を探してる最中だよ?」
「探しながら食べればいいかと」
ミルフィは荷物をごそごそと漁り始めた。巨大な荷物の中から、包みを取り出す。
「……あ」
「なに」
「携帯食、昨日までので全部でした」
「計算してなかったの!?」
「一日で帰れると思っていたので」
「計画性! 計画性を持って!」
レイナが無言で自分の荷物から干し肉を取り出し、ミルフィに渡した。
「え、いいんですか」
「腹が減った仲間を放っておく理由はない」
「レイナさん、いい人だ……」
「聖剣の保護者として当然のことをしているだけだ」
「俺の保護者じゃなくて剣の保護者なんだ」
ユーダは乾パンを齧りながら、じんわりと悲しくなった。
グリムが言った。
「精霊は食事をしない」
「聞いてない」
「羨ましいだろうと思って」
「少し羨ましい」
食事を終えて歩き始めると、急に木々の密度が変わった。
開けた場所に出た。
そこに、一本の巨大な木が立っていた。
幹の周囲は優に十メートルを超える。高さは周囲の木々の倍以上。樹皮には、うっすらと金色の紋様が浮かんでいた。
「……主木だ」とミルフィが言った。
「本当にあった」
「文献は正しかった」
「ミルフィの本、ちゃんと役に立つじゃん」
「理論は完璧と言いました」
「実技だけが問題なんだね」
「……おっしゃる通りです」
グリムが言った。
「幹に手を当てれば、惑いが解ける。やれ、ユーダ」
「なんで俺?」
「聖剣の保持者だからだ。お前が触れれば効果が高い」
「……なんか最近、都合のいいときだけ聖剣保持者扱いされてる気がする」
「気のせいだ」
「気のせいじゃない気がする」
レイナが真剣な顔で言った。
「頼む」
「レイナに頼まれたら断れないな」
「聖剣に頼んでいる」
「俺じゃなくて剣に頼んでる!!」
ユーダは主木の前に立った。
幹に刻まれた金色の紋様を見ながら、そっと手を当てる。
何も起きなかった。
「……あれ?」
「もっと強く」とグリムが言った。
「強くって、どのくらい」
「気持ちを込めろ」
「気持ち?」
「お前が今、一番強く思っていることを念じながら触れろ」
ユーダは目を閉じた。
一番強く思っていること。
——この剣を、絶対に抜いてやる。
幹を押した。
その瞬間、金色の紋様が輝いた。
光が根元から梢へと駆け上がり、周囲の木々に広がっていく。まるで電流が走るように、森全体が一瞬輝いた。
それから——ふっと、空気が変わった。
目の前に、道が現れた。
来たときに見えていた、根元が二股に分かれた大木。その横を通る、踏み慣らされた土の道。
「……戻った」
「解けたな」とグリムが言った。
「よかった」とミルフィが胸を撫で下ろした。
レイナが静かにユーダを見た。
「……よくやった」
「剣がよくやったと言いたいんでしょ」
「……両方に言っている」
ユーダは少し驚いて、レイナを見た。
レイナはすでに前を向いて歩き出していた。
その横顔は、いつものクールな表情だったが——ほんの少し、柔らかかった気がした。
森を抜けたのは、夜になる少し前だった。
空に星が出始めていた。森の外に出ると、急に視界が開けて、広い夜空が広がった。
四人と一精霊は森の外で野営することにした。
焚き火を囲みながら、ユーダは今日のことを振り返った。
最初の遺跡。聖剣が少し伸びた。レイナが仲間になった。道に迷った。グリムのせいで。
「グリム」
「なんだ」
「今日のこと、反省してる?」
「していない」
「なんで」
「全員無事だったし、主木も見つかった。結果オーライだ」
「そういう問題じゃない」
「精霊に反省を求めるな」
レイナが焚き火に枝をくべながら、静かに言った。
「次の遺跡はどこだ」
「北東の街、ガリオンの近くに古い神殿がある」とグリムが言った。「三日ほどかかる」
「ガリオンか」
「知ってる?」とユーダが聞いた。
「通ったことがある。大きな街だ」
「また目立つのか俺」
「……その頬では、どこに行っても目立つだろう」
「正論が刺さる!」
ミルフィが手帳を閉じながら言った。
「今日のデータ、たくさん取れました。ありがとうございます、ユーダさん」
「俺は何もしてないけど」
「存在してくれただけで十分です」
「研究対象として存在を感謝されてる……複雑……」
焚き火がぱちりと音を立てた。
星が増えていた。森の向こうから、虫の声が聞こえていた。
ユーダは右頬の金属の突起を触れた。昨日より、確かに少し伸びている。
一か所、終わった。
まだ先は長い。でも——こうして仲間が増えている。
グリムは役に立ったり立たなかったりする。ミルフィの魔法は当たると自分も吹き飛ぶ。レイナは俺じゃなくて剣を見ている。
それでも。
「……悪くないな」
小声でつぶやくと、グリムが聞こえていたらしく言った。
「何が」
「別に」
「素直じゃない」
「うるさい」
焚き火の向こうで、レイナがちらりとユーダを見た。
目が合うと、すぐに逸らされた。
その一瞬、レイナの視線はユーダの右頬ではなく——ユーダの顔を、見ていた気がした。
気のせいかもしれないけど。
まあ、悪くなかった。




