第四章「森で拾った剣士が俺じゃなくて剣を見て起きた」
アルタの森は、思っていたより深かった。
木々の幹は人が三人手を繋いでようやく囲めるほど太く、枝葉が頭上で重なり合って空を塞いでいる。日差しはほとんど届かない。昼間なのに薄暗く、足元には苔と根が張り巡らされていて、歩くたびに足を取られそうになった。
「……本当に祠、あるの?」
「ある」とグリムが言った。「もう少し奥だ」
「もう少しって昨日も言ってたよね」
「森が広いんだ。仕方ない」
ユーダは溜め息をついた。ミルフィは後ろで本を読みながら歩いていた。歩きながら本を読めるのに、なぜ昨日あんなに魔物に手こずったのか謎だった。
「ミルフィ、歩きながら本読んで大丈夫?」
「大丈夫です。転ぶのには慣れてます」
「慣れるな」
そんな会話をしながら歩いていた、そのときだった。
グリムが急に止まった。
「……待て」
ユーダとミルフィも足を止めた。
「どうしたの」
「人の気配がする。前方、十メートルほど」
ユーダは目を凝らした。木々の合間。苔むした地面。そこに——
「……人だ」
倒れていた。
うつ伏せで、地面に顔を埋めるように倒れている。長い銀髪が、苔の上に広がっていた。
ユーダは駆け寄った。
仰向けにしてみると——女だった。
年齢は十八か十九ほど。つり目がちの琥珀色の目は閉じている。肌は白く、顔立ちはきつめだが整っていた。短く切られた銀髪。腰には長剣。
全身に傷があった。魔物にやられたような、爪痕や打撲の跡が、鎧のあちこちに刻まれている。
「生きてる?」とミルフィが後ろから覗き込んだ。
ユーダが首筋に触れると、脈はあった。呼吸もしている。
「生きてる。気を失ってるだけみたい」
「魔物にやられたのかな」
「みたいだね」
グリムが上から言った。
「放っておけ」
「放っておけない!」
「関わると面倒だ」
「面倒でも放っておけない!」
ユーダは少女を抱き起こして、近くの木の根元に背を預けさせた。水筒を取り出して、唇を少し濡らす。
しばらくして、少女の眉がかすかに動いた。
それから——目が開いた。
琥珀色の瞳が、ゆっくりと焦点を結ぶ。天井代わりの木の葉。それから、覗き込むユーダの顔。
「……気がついた? 大丈夫?」
少女の視線が、ユーダの顔から——右頬の金属の突起へ、移動した。
そこで、止まった。
少女の目が、見開かれた。
「……聖剣」
かすれた声で、そう言った。
「あ、うん。そうみたいで。それより怪我が」
「聖剣だ」
「聞いてる? 怪我の話してるんだけど」
「本物の……聖剣……」
少女はふらふらと手を伸ばした。ユーダの右頬に向かって。
「ちょ、待って——」
「触らせてくれ」
「傷だらけなのに何してるの!?」
ユーダが少女の手を押さえると、少女はようやくユーダの顔を見た。正確には、顔を見た。
「……あなたが、保持者か」
「そう。ユーダ。あなたは?」
「……レイナだ」
レイナはもう一度、ユーダの右頬を見た。その目に、熱がある。傷だらけで意識を失っていた人間とは思えないほどの、真剣な光が宿っていた。
「この森で聖剣の光を感じた。それを追ってきたら……魔物の群れに当たった」
「聖剣を追いかけて魔物に突っ込んだの!?」
「倒した。ただ数が多くて消耗した」
「無茶苦茶だ」
「聖剣のためなら構わない」
ユーダは頭を抱えた。
グリムが上からぼそりと言った。
「……重症だな」
「怪我のこと?」
「そっちじゃない」
レイナの怪我は、見た目ほど深刻ではなかった。
切り傷や打撲が多いが、致命的なものはない。ミルフィが荷物から取り出した回復薬を傷口に塗ると、みるみる塞がっていった。
「……よく回復薬持ってたね」
「フィールドワークの基本装備です」
「えらい」
「ありがとうございます」
レイナは自分で傷の手当てをしながら、ちらちらとユーダの右頬を見ていた。
隠しているわけでもないのに、その視線が妙にくすぐったい。
「……そんなに見なくていいよ」
「見てしまう」
「なんで」
「聖剣だから」
「即答!」
レイナは包帯を巻き終えて、ユーダを真っ直ぐに見た。
「聖遺跡を巡る旅をしているのか」
「そう」
「同行したい」
「え、いきなり?」
「聖剣のそばにいたい。それだけだ」
ユーダはミルフィを見た。ミルフィは「私のときと同じ流れですね」という顔をしていた。
「……戦えるの?」
「さっき魔物の群れを一人で倒した」
「消耗したんでしょ」
「数が多かっただけだ。一対一なら負けない」
グリムが言った。
「剣の腕は本物だぞ。見ていた」
「グリムが認めるなら本物だ」
レイナはユーダを見たまま、静かに言った。
「……邪魔はしない。足は引っ張らない。ただ、聖剣のそばにいさせてくれ」
真剣な目だった。
聖剣フェチという感じではあるが、この目に嘘はない。
「……分かった。来ていい」
レイナの表情が、ほんの少し、和らいだ。
それから即座にユーダの右頬に視線を戻した。
「もう俺の顔じゃなくて剣を見てる」
「ああ」
「もう少し俺を見てくれてもいいんじゃないかな」
「聖剣を見ている」
「一緒に付いてるんだけど俺も!」
四人と一精霊は、改めて祠へ向けて歩き出した。
先頭をグリムが飛び、その後ろをレイナが歩く。ユーダが続いて、ミルフィが最後尾で本を読みながらついてくる。
歩きながら、レイナがぽつりと言った。
「聖剣を間近で見たのは初めてだ」
「俺も間近で見てる、というか生えてる」
「……羨ましい」
「羨ましくない! すごく不便!」
「聖剣と一体になっているんだろう。それは名誉なことだ」
「名誉じゃない! 事故!」
レイナは少し首を傾けた。
「事故?」
「女神がミスしたんだよ。設計図を間違えて、俺のほくろに刺さった」
「……ほくろ」
「六年間育てた毛が金属になって、それが聖剣の柄で」
レイナは三秒ほど無言だった。
「……それは」
「そう、完全にとばっちり」
「……大変だったな」
レイナにしては珍しく、まっとうな同情だった。
ユーダは少し驚いて、レイナを見た。レイナはすでに視線を前に戻していた。
「……ありがとう」
「礼はいい。ただ」
「ただ?」
「その経緯は、聖剣にとっても不本意だと思う」
「聖剣の気持ちを代弁しないで」
日が傾き始めた頃、グリムが前方を指した。
「見えてきたぞ」
木々の隙間から、石造りの何かが見えた。
苔に覆われた、古い祠。高さは二メートルほど。正面に彫られた文様は、長い年月で摩耗してほとんど読めないが、かすかに光を帯びている。
近づくにつれて、ユーダの右頬が温かくなった。
「……なんか、温かい」
「聖遺跡の力を感じているんだろう」とグリムが言った。「聖剣が反応している」
レイナが鋭く息を呑んだ。
「今、聖剣が光った」
「え?」
「金色に、一瞬」
ミルフィが手帳を取り出して猛烈にメモを取り始めた。「遺跡接近時の発光確認、推定聖力反応——」
「ユーダさん、祠に触れてみてください!」
「え、いきなり?」
「早く!」
ミルフィに背中を押されて、ユーダは祠の正面に立った。
彫られた文様に、そっと手を触れる。
その瞬間——
光が、溢れた。
祠全体が金色に輝いた。
文様が鮮明に浮かび上がり、周囲の木々が光に照らされる。鳥たちが一斉に飛び立った。
ユーダの右頬が——熱くなった。
熱い、というより、温かい。じんわりと、内側から広がるような感覚。
そして、ほんの少し——金属の突起が、長くなった気がした。
「……伸びた?」
手で触れてみると、昨日より明らかに出ている。それでもまだ数ミリの差だが、確かに変わっていた。
「伸びました!」とミルフィが叫んだ。「計測します!」
「落ち着いて」
「でも伸びました! 遺跡の力を吸収して聖剣が成長しています! 理論通りです!!」
レイナが静かにユーダの右頬を見た。
「……少し、出てきたな」
「うん」
「美しい」
「俺の頬から生えてる剣を美しいと言わないで」
グリムが言った。
「これで一か所目だ。まだ先は長い」
ユーダは祠を見上げた。光はすでに収まっていたが、文様はまだ薄く輝いていた。
先は長い。
でも——一歩は踏み出した。
ユーダは右頬の、少し伸びた金属の突起を触れた。
じいちゃん。一個目、来たよ。
森の中で、風が吹いた。木の葉が揺れた。
それだけだった。それだけで、十分だった。




