90話 初めてのデート
「おはよう、シオン! デート日和の良い朝だな!」
「お、おはよ……。浩焔」
緊張しているのかどこかぎこちないシオンに、見送りのイオンがこそっと耳打ちする。
「なんだか意外だね。シオンはデートくらい、気にしないのかと思ってたよ。ほら、二人で出かけるなんて僕ともジンガとも普通にしてるじゃない?」
「いや、普段なら気にしないよ? でもさ、一応その……惚れた、とか……面と向かって言われた人とデートするのって、初めてなんだよね……。あははっ、緊張してるわけじゃないよ? いや、待ってやっぱ緊張してるのかも」
「ふふっ、そうしていれば年相応の女の子だね。たまには息抜きだと思って、使命だとかは忘れて楽しんでおいで」
「うん……。ねぇ、今からでもイオン一緒に来る気ない?」
「ないね。初デート、楽しんで」
「あーもうっ、即答! しょうがないっ! まぁっ、なんとかなるよね! うん、大丈夫!」
行ってきます、とイオンに手を振ると、隣にいた浩焔が嬉しそうに、にこにことシオンを見つめていた。バツが悪そうにするシオンに手を差し伸べると浩焔は楽しそうな声で言った。
「デートらしく手でも繋ぐか?」
「つ、繋がないよ! そういうのは、付き合ってから……でしょ」
「ふはっ、シオンは意外と純情なんだな」
「純情って何……。ってか、イオンも浩焔も意外ってちょっと失礼なんじゃない!? 元の世界でも友達と遊ぶ方が楽しかったから、恋愛経験なんかないんだもん。仕方ないでしょ、悪いっ!?」
「いや? 可愛い」
「……んな……っ!」
口をぱくぱくさせて赤面するシオンに、浩焔は笑顔を絶やさず笑っている。
「……なんか、浩焔慣れてんね」
「ヤキモチか? なんて、あるわけないか」
「ないよ。会ったばっかだもん」
「ははっ、そうだな。まぁ、俺もシオンのことを笑えないんだけどな。デートをするのは初めてだ。慣れてなんかいない」
「嘘だぁ!」
「嘘をついている男の顔に見えるか? ……俺はずっと、普通のやつみたいに自由にこの街を周ってみたかった」
「浩焔……?」
「ほら、行くぞ! 時間が惜しい。俺が最高の景色を見せてやる!」
「あっ、ちょっと! 引っ張らないでってば!」
珍しく振り回されっぱなしのシオンが、浩焔に腕を引かれて、赤い提灯の連なる街を駆けていく。
見たことのない場所やお店の新鮮さに、シオンの表情はくるくると変わっていった。それを浩焔は満足そうに眺めていた。
「うわっ、めっちゃ高そうなお店……!」
「老舗の料理店だ。この店のメニューは何百年、何千年と受け継がれているらしい」
「それって、もしかして!」
「あぁ。シオンが知っている料理もあるかもな」
浩焔について店に入ると、天井には赤い提灯が吊るされている。金色の壁で仕切られている個室の中心には、赤い回転テーブルが待ち構えていた。
「あっ、これ。メニューが漢字だ! 中国語なのかな……。これならちょっと読めるかも!」
「おっ、やっぱりそうか。この店は世界が統一されて制定された共通語じゃなくて、古語をメニュー表に使っているんだ」
「古語……。そっか、本当に……繋がってるんだ……」
「シオンもフジも過去からやって来たんだよな。過去の世界はどんなところなんだ?」
「うーん、全部が全部平和ってわけじゃないんだけど……、私がいた国は平和な国だったかな。お洒落な服も、可愛いスイーツもあって、めっちゃ良いところだよ」
「そうか。早く、元の世界に帰れるといいな」
「えっ」
「なんだ、おかしなことを言ったか?」
「うぅん、言ってない……」
(なんだ……。惚れたなんて言うから、帰らないでくれって引き止められるのかと思った。あは、恥ず……。自意識過剰じゃん)
店員に注文している浩焔を盗み見る。惚れた女などと告白まがいのデートの誘いをされてから、気恥ずかしくて顔を見れずにいたシオンは、初めて真っ直ぐ浩焔の顔を見た。
(あ……、そっか。浩焔は多分、本当は……)
「飲み物は温かい烏龍茶でいいか?」
「うん、いいよ」
運ばれてきた烏龍茶を一口飲むと、浩焔は懐かしそうに目を細めた。
「…………この味、久しいな」
「浩焔はよくこの店に来るの?」
「昔はな。家族でよく来ていた」
「ふふっ、浩焔にとって大切な場所なんだ」
「……どうして、そんなことを思うんだ」
「だって、めっちゃ優しい顔してたもん。いい思い出なんだろうなぁって」
「……そうだな。母上は油淋鶏が好きで、父上は真っ赤な麻婆豆腐が好きだった。兄上は辛い料理が苦手だったから、いつも烏龍茶ばかり飲んでいて……。食べたいものがないのはつまらなくないのかと聞いたら、家族が幸せそうに食べる姿を見るだけでお腹がいっぱいなんだと兄上はいつも言っていた」
浩焔は一息ついて、烏龍茶を喉の奥へと流し込んだ。
「俺はよく、ジュースが飲みたいと駄々をこねて困らせたな。だから、烏龍茶は好きじゃなかったんだが……、家族の思い出が増えるたび、いつの間にか好きになっていた」
「優しいお兄さんだね。あははっ、でもめっちゃ意外! 浩焔って、一人っ子なのかと思ってたけど弟なんだ。めっちゃお兄さんのこと好きじゃん!」
「好きじゃない……っ!」
「うわっ、びっくりした……。急に大きい声出さないでよ」
浩焔は、焦るような表情で大声を出して否定した。
「そんな全力で否定しなくてもいいじゃん。あ、やっぱり男兄弟だとそういうの恥ずかしいもんなの?」
「そういうわけじゃない……。いや、さっきの話は忘れてくれ。懐かしい味に口が滑った」
「別にお兄さん好きだっていいと思うけどなぁ。私も歳が離れた弟がいるんだけどさ、可愛くて仕方ないし大好きだよ?」
「別に……、俺はアイツのことなんて好きじゃない……。悪かったな、変な話をした」
浩焔の顔が曇る。
「……お兄さんと喧嘩してるの?」
シオンがそう訊ねると、少しの沈黙の後に「まぁ、そんなところだな」と浩焔は苦しそうな表情で弱々しく笑った。
「……仲直りできるといいね」
シオンの言葉を浩焔は、肯定も否定もしなかった。
◇ ◇ ◇
「あー、めっちゃ美味しかった! 浩焔、ほんとにありがとね!」
「あぁ、そんなに喜ぶのなら次は日本料理の店がないかフジに探させよう」
「あはは、十分だってば。フジが過労で倒れちゃうよ」
ただでさえ顔色の良くないフジがあちこち奔走する姿を思い浮かべて、シオンはふふっ、と笑みをこぼした。
「ねぇ、浩焔。私のこと気遣ってくれたんでしょ? 久しぶりに元の世界の気配を感じれてめっちゃ元気出た……し、やる気出た! ここだって、私のいた世界の続きなんだもんね。寂しがってる場合じゃない。私、頑張るからね!」
「……あまり気負いすぎるなよ。この世界のことまでシオンは背負わなくていい、それは俺たちの責任だ。本来なら、お前は平和な世界で暮らしていくはずだったんだからな」
浩焔がシオンの頭を優しくぽんぽんと撫でた。シオン自身を心配するその様子に、シオンはむずがゆい心地で浩焔の顔を見上げた。
「さて。デートといえば、定番は美しい夜景だな。俺のとっておきの場所に連れて行ってやろう!」
そう言うと、浩焔はシオンの手を掴んで子供のように走り出した。
「あはっ、待ってって。浩焔ってば、私より年上のくせに子供みたいじゃん」
「何を言う。一つ二つの歳の違いなんて大差ないだろう、今の俺は商会の会長でもなんでもない。どこにでもいるような、ただの子供だからな! ほらっ、いくぞ!」
二人は笑いながら街を駆け抜けていく。流れていく景色の中で、誰も二人のことを気にもとめない。仲睦まじいその姿は、浩焔が望む普通の恋人同士のようだった。
「どうだ! ここからはこの国が一望できる。俺が子供の頃に見つけた特等席なんだ!」
階段を登って行った先で、赤い提灯が光る国を背中に背負って、大切な宝箱を見せびらかすように浩焔は両手を広げると無邪気に笑った。
「わぁっ! 提灯、めっちゃ綺麗! なんか、お祭りの夜みたい!」
「そうだろう! ここからはこの国が全て見渡せる。この提灯の先に、この国の民の暮らしがひろがっているんだ」
「浩焔はほんとにこの国が大好きなんだね」
夜景を眺める浩焔の横顔は慈愛に満ちていて、到底、十代の子供がするような表情ではなかった。
浩焔のその様子に本来の目的、この国を知ろうとしていたことを思い出したシオンは、デートという響きのむずがゆさも忘れて、あちこち指さして楽しそうに語り続ける浩焔の話を夢中で聞いた。
「どうだ、この国はまだまだ発展する。治安さえ良くなれば、いずれはゲートの開設だって夢じゃない」
「だから、浩焔はそんなに頑張ってるの?」
「そうだな。それになにより、俺はこの国が好きなんだ」
真剣な眼差しでこの国が好きだ、と口にする浩焔を見て、シオンは確信を持って繋いだままいたその手を持ち上げた。
「ねぇ、そろそろ離してくれる? 手、繋いだままなんだけど」
「なんだ、気づいていたのか。惚れた女とこうして過ごせるなんて、役得だと思っていたんだが……。嫌だ、と言ったらどうする」
「うーん、どうもしないかも」
「なんだ、もう照れなくなってしまったな」
「そうかな?」
「あぁ。朝は目が合わなくて酷いもんだったが、視線が合うようになった」
「あはっ、浩焔こそ。やっと、ちゃんと私を見たね」
心を見透かしそうなシオンの真っ直ぐな視線に、浩焔の心臓がギクリと脈打った。
「残念。シオンの大袈裟な反応を見るのも楽しかったんだが……、俺に惚れたか?」
「まさか。それに、本当に私に惚れられたら困るんでしょ?」
ぴしゃりと言い放ったシオンの言葉に浩焔が目を見開いた。
「ねぇ、浩焔。本当は私のこと、別に好きじゃないでしょ」




