80話 汚れ仕事は大人の仕事、ってね
「シオン……ッ!」
イオンの叫び声が路地裏に響いた。
「……全く。困ったお嬢さんだねぇ。坊ちゃんが宿で大人しく待つように言っていただろうに」
どうやら、フジが暗器を投げてシオンの窮地を救ったようだ。人形の首の後ろから、命を奪おうとする暗器が貫通している。
血を撒き散らして倒れる人形越しに、慌てた形相で駆け寄るイオンの姿を、シオンは呆然と見つめていた。
自分に向かって倒れてくる人形を見て、シオンは咄嗟に倒れ込む人形を受け止めようと手を伸ばした。が、死にかけている人形の無機質な目と視線が重なり、シオンは思わず仰け反った。
――ドサッ。
人形が倒れ込む。シオンの足元に、血溜まりが拡がっていった。血溜まりに沈んだ人形の顔が、ぐるん、とシオンの方を向いた。
「ひっ……!」
シオンは小さな悲鳴をあげて、尻もちをついたまま後退りをした。生温かい濡れた感触を手のひらに感じて振り返ると、フジが既に仕留め終えていた死体が地面に転がり、大きな血溜まりが出来上がっていた。
「……ッ、シオン! 危ない……っ!」
震えるシオンを庇うように抱き抱えて、駆け寄ったイオンが風魔法の盾で何かを弾いた。キィン、と音を立てて暗器が地面に落ちた。まだ息のある人形が、シオンに向かって暗器を投げたのだ。
「こんな状態になっても、与えられた命令を守ろうとするのか……」
信じられないという面持ちでイオンが小さな声で呟いた。人形越しにこちらへ近づいてくるフジが、とどめを刺そうとしていることに気がついたイオンは、咄嗟にシオンの目を塞いだ。
カツン、カツンとフジが近づいてくる足音だけがシオンの耳に届く。そして、フジは躊躇なく人形の首をかき切った。
「……っ、ぁ……」
目を塞がれているのに、頬にかかる生温かい血液で状況を察したシオンは、イオンの腕に縋りついだまま震えていた。むせかえるような鉄の臭いに、シオンは熱くなる喉を押さえて、込み上げてくる酸っぱさを飲み込んだ。
そんなシオンを落ち着かせようと抱き抱えながら、イオンは目の前の光景をしっかりとその目に刻みつけた。
「僕の失態です。すみません、助かりました」
「分かっただろう。奴らを敵に回すっていうのは、こういうことさ」
謝罪とお礼を伝えて頭を下げたイオンに、フジは平然と告げると、音もなく背後に現れた敵を振り返ることなく、
暗器を投げて仕留めてみせた。
「敵……、いつの間に……」
「おおかた、状況報告要員で追加で差し向けて寄越したんだろうねぇ」
そう言うと、フジは被っていた帽子をそっとシオンの頭に乗せると、ぐいと引っ張って深く被らせた。
「……甘いねぇ。そんなんじゃ、守りたいものすら守れない」
フジはイオンの腕の中で小さくなっていたシオンを抱き抱えると、死体を見えないように自分の胸にシオンの顔を寄せて立ち上がった。
「ま、汚れ仕事は大人の仕事さ。手の汚れていない子供達は綺麗なままでいるのが一番、ってね。坊ちゃんも手を汚さずにすんでよかったんじゃないかい?」
「……そんなことは、ないです。僕がやるべきでした」
「……全く。これだから、真面目な坊ちゃんには荷が重いんだ。こっちの世界に足を踏み入れるのなら、もっと気楽に生きればいい。……そんな生き方じゃ、潰れちまう」
ふぅ……、とフジの吐息に揺られて、煙草の煙がイオンの頬を撫ぜる。いつの間に怪我をしていたのか、イオンの頬に出来ていたかすり傷を煙草の煙が包むと、跡形もなく頬から傷が消え去った。
魔法を発動した瞬間、薄暗い路地裏でフジの瞳が赤く光る。
「その瞳……、もしかして、貴方は……」
何か言いたげなイオンの言葉に、しぃ、と指を唇に当てると、フジは何も答えずに平然と血溜まりの中を歩いていった。
フジの胸の中では、初めて人が人を殺すところを見て動揺しているシオンが、ボロボロと大粒の涙を流していた。
◇ ◇ ◇
「ほら、宿についたぞ」
降ろされるなり、シオンは道の端へよろよろと倒れ込んで嘔吐した。
「……シオン!? 大丈夫なのか、その血は……っ!?」
シオンの後を追いかけようと宿から出てきたジンガが、血塗れのシオンを見て慌てて駆け寄ると、シオンの背中をさする。そして、シオンの顔と服についた血と無傷なシオンを見て状況を察したのだろう。フジとシオン、交互におろおろとした視線を向けた。
「奴らの死体は俺が処理しておく。子供は宿に帰っていな。……坊ちゃんはシオンに付き添っていてやってくれ」
「……分かりました。イオンは……?」
「安心しな。イオンなら無事さ、平静ではないだろうけど。……まぁ、あっちもこういう死体を見るのは初めてなようだからねぇ」
軽口をたたくフジと、ようやく吐き終えたシオンの視線が交差した。
けれど、シオンは何も言えずに視線をそらすと、走って宿の中へと逃げてしまった。
簡単に人を殺したことを責めたいのか、自分の命を狙う敵を倒してくれたことにお礼を言えばいいのか、シオンは分からなかった。
(……ノワールとフジの言う通り、私は綺麗事ばかりだ)
シオンは溢れる涙を服の袖でぐい、と拭った。
(……フジが殺さなければ、私が殺されていた)
フジが敵を倒してくれた時、恐怖や嫌悪感とともに、自らが手を汚さずに済んだこと、もう命を狙われなくて済むのだという安心感に、シオンはほっとしてしまった。
それがまた酷く嫌で、シオンは自己嫌悪で髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。
「……私の、馬鹿……っ」
服にまとわりついた鉄の臭いと、口内に残る胃液の酸っぱさに、シオンはぐしゃりと顔を顰めた。




